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1998年の阪神タイガース
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1998年の阪神タイガース(1998ねんのはんしんタイガース)では、1998年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、3回目の吉田義男監督体制の2年目のシーズンである。
概要
前年3年ぶりに最下位を脱出したチームは主力選手の関川浩一と久慈照嘉をトレードで放出し、代わって中日の2番手捕手だった矢野輝弘と主砲の大豊泰昭を獲得。さらに首位打者経験者で中日の4番を打ったアロンゾ・パウエルを獲得するなど打撃陣の強化した。そして迎えた開幕戦、横浜との初戦は1番の和田豊がヒットで出塁するも続く2番の桧山進次郎が併殺に倒れ後続の打者は横浜先発・川村丈夫に試合終了まで1人も出塁出来ず完封負け、続く2、3戦目も落として開幕3連敗。期待された打線は移籍組の大豊、パウエル、新外国人デーブ・ハンセン、新庄剛志、桧山でクリーンナップを形成したが揃って打率2割半ばから前半に終始した。パウエルはひざの故障の影響から6月以降は新人の坪井智哉にスタメンを譲ることが多くなり、シーズン途中の8月9日のスタメンを最後に退団。坪井は規定打席に到達して打率3割を達成し、新人王争いに加わった。他の明るい話題としては、5月26日対中日戦(倉敷マスカットスタジアム)で川尻哲郎がノーヒットノーランを達成した。この試合で川尻とバッテリーを組んだ矢野は移籍1年目にしてキャリア初の100試合出場を達成し、以降10年以上に渡って正捕手を務めることになった。チームは5月から6月にかけ本拠地・甲子園球場で球団新記録の12連敗を喫し6月後半には自力優勝が消滅。8月の死のロード中には球団新記録の12連敗を喫するなど黒星が先行した[1]。打撃陣はチームの打率、本塁打数、得点・打点、盗塁数が、投手陣は被安打数、奪三振数、与死球数が、守備面で失策数、盗塁阻止率がリーグ最下位で、打撃陣の四球数や併殺打数、投手陣の防御率、与四球数、失点・自責点がリーグ5位など苦しいシーズンであった。優勝した横浜に8勝19敗、中日、巨人、ヤクルトに10勝17敗、広島には14勝13敗と勝ち越して全球団負け越しこそ免れたものの2年ぶりの最下位で、吉田義男監督と一枝修平ヘッドコーチと小山正明投手コーチは成績不振の責任を取り辞任した。後任監督には本年度まで同一リーグ他球団のヤクルトの監督を務めた野村克也を招聘し、チームの再構築に着手することになる。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 二 | 和田豊 |
---|---|---|
2 | 右 | 桧山進次郎 |
3 | 三 | ハンセン |
4 | 左 | パウエル |
5 | 一 | 大豊泰昭 |
6 | 中 | 新庄剛志 |
7 | 捕 | 山田勝彦 |
8 | 遊 | 星野修 |
9 | 投 | 藪恵壹 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 横浜ベイスターズ | 79 | 56 | 1 | .585 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 75 | 60 | 1 | .556 | 4.0 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 73 | 62 | 0 | .541 | 6.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 66 | 69 | 0 | .489 | 13.0 |
5位 | 広島東洋カープ | 60 | 75 | 0 | .444 | 19.0 |
6位 | 阪神タイガース | 52 | 83 | 0 | .385 | 27.0 |
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1998 サンヨー オールスターゲーム
→詳細は「1998年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- この年の阪神は監督推薦による選出のみであった
入団・退団
シーズン開幕前
シーズン開幕後
本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。
入団
退団
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選手・スタッフ
試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回(135イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
- 完封合計は継投も含む
打撃成績
- 色付きは規定打席(418打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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表彰
達成記録・出来事
- 2月9日 - 川尻哲郎がプロ野球脱税事件に関与していた件で制裁金50万円を科された
- 3月25日 - 新外国人選手のダレル・メイの契約の締結を発表
- 4月22日 - 湯舟敏郎が横浜5回戦(甲子園)で4回一死から鈴木尚典を一ゴロに打ち取り通算1000投球回、史上276人目
- 4月22日 - 大豊泰昭が横浜5回戦(甲子園)で先発出場し通算1000試合出場、史上342人目
- 5月23日 - 和田豊が横浜7回戦(甲子園)で4回にパット・マホームズから安打を放ち通算1500安打、史上74人目
- 5月24日 - 5月22日からの横浜6~8回戦(甲子園)で横浜に3連敗、甲子園での横浜3連戦3連敗は大洋時代の1978年の4月8日と4月9日(ダブルヘッダー)の大洋1~3回戦以来20年ぶり
- 5月26日 - 川尻哲郎が中日9回戦(倉敷)でノーヒットノーランを達成、史上66人目(77度目)
- 6月10日 - 巨人9回戦(甲子園)で敗戦を喫し甲子園10連敗、1995年7月14日のヤクルト16回戦から7月29日の横浜12回戦に記録した9連敗を超す新記録(その後、連敗を12まで伸ばす)
- 6月25日 - 矢野輝弘が中日10回戦(ナゴヤドーム)で7回に本塁クロスプレーのセーフのジャッジに対し森健次郎球審に暴行を働き退場処分(翌日に2試合出場停止の処分)
- 7月2日 - ダレル・メイが中日16回戦(甲子園)で5回に1イニング5四球のリーグタイ記録
- 7月4日 - 坪井智哉が広島12回戦(広島市民)1回に紀藤真琴から初回先頭打者ランニング本塁打を放つ、史上5人目
- 7月7日 - 矢野輝弘が横浜14回戦(大阪ドーム)で9回に佐々木主浩からサヨナラ二塁打を放ち、相手投手の佐々木主浩の連続試合無失点、連続試合セーブ、SPをそれぞれストップさせる
- 7月11日 - 木戸克彦バッテリーコーチが巨人13回戦(東京ドーム)で2回の本塁クロスプレーのセーフのジャッジに対し小林毅二球審に暴言を吐き退場処分
- 7月25日 - 新庄剛志が横浜17回戦(甲子園)で2回に野村弘樹から本塁打を放ち通算100本塁打、史上196人目
- 7月30日 - 7月28日からの広島14~16回戦(甲子園)で広島に3連勝、甲子園での広島3連戦3連勝は1981年の7月21日から7月23日にかけての広島14~16回戦以来17年ぶり
- 8月2日 - 巨人17回戦(甲子園)において、死球のぶつけ合いによる両チームのコーチの退場(阪神・大熊忠義、巨人・武上四郎)と乱闘が相次いだことからプロ野球史上初の警告試合が宣告される
- 8月3日 - 前日の乱闘劇に対し、巨人と連名で反省文を発表。退場となった両コーチに3試合出場停止と罰金30万円の処分
- 8月11日 - アロンゾ・パウエルに解雇通告を発表
- 8月14日 - 巨人18回戦(東京ドーム)で敗戦を喫し10連敗、二桁連敗は1991年6月1日の大洋戦(甲子園)から6月13日のヤクルト戦(神宮)にかけて10連敗を喫して以来、球団史上2度目
- 8月15日 - 巨人19回戦(東京ドーム)で敗戦を喫し11連敗、1991年の6月に記録した球団記録の10連敗を更新(その後、連敗を12まで伸ばす)
- 8月20日 - 8月18日の広島17回戦(倉敷)19日からの広島18・19回戦(広島市民)で広島に3連勝。広島戦の敵地3連戦3連勝は1982年の7月6日、7日(広島市民)7月8日(岡山)にかけての広島12~14回戦以来16年ぶり
- 8月22日 - 現役時代は阪神タイガースで活躍して永久欠番にもなり、選手兼任監督で1970年から3年間と専任監督で1988年から2年間監督を務めた村山実が直腸がんで死去。享年61
- 8月31日 - 元阪神の選手で、同球団のスカウトの渡辺省三が兵庫県神戸市中央区の路上で倒れているの死亡しているのを通行人に発見された。近くの雑居ビルから転落したものと見られる[3]。享年65
- 9月10日 - ウエスタン・リーグで12年ぶり8度目の優勝を飾る
- 9月23日 - ハンセンがヤクルト24回戦(神宮)で1試合3失策のリーグタイ記録を作る
- 10月7日 - 三好一彦球団社長の退任、高田順弘球団社長の就任発表
- 10月12日 - 坪井智哉が全日程終了をうけ、打率.327でプロ1年目としては歴代最高打率となり、規定打席に達した選手で併殺打0で終えた、規定打席到達者の併殺打0は1950年以降では史上9人目で新人では史上初
- 10月25日 - 新監督に前ヤクルト監督の野村克也が就任
- 11月24日 - 遠山昭治が「遠山奬志」に改名した
ドラフト指名選手
→詳細は「1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
Wikiwand - on
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