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第2期順位戦
1948年度の順位戦 ウィキペディアから
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第2期順位戦(だい2き じゅんいせん)は、1948年度(1947年5月 - 1948年2月)に実施された順位戦である。順位戦は、将棋のタイトル戦の一つ「名人戦」の予選にあたる棋戦である。
第7期名人戦(だい7き めいじんせん)は、1948年度(1948年4月6日 - 1948年5月26日)に実施されたタイトル棋戦「名人戦」である。第7期名人のタイトルをかけ、「第6期名人」および第2期順位戦で選出された「挑戦者」により七番勝負で争われた。
ここでは「第2期順位戦」および「第7期名人戦」について、あわせて記述する。
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第7期名人戦七番勝負
名人戦七番勝負は、塚田正夫名人が大山康晴八段[1]を4勝2敗(1千日手)で下し、名人位を防衛した[2]。
千:千日手
ルールの改定
- A級は総当たりで先手、後手2局ずつ対局。
- B級・C級は各12局で打ち切りとなった。
- C級は東西の2組に分けて実施。全体成績の上位20名を第3期C級1組、下位を第3期C級2組に振り分け。ただし、3期までは成績によってはC級2組からB級への2階級昇進が可能であり、現在の仕組みとは異なる。
- 順位は第1期に続き、持ち点制度により決定するが、クラスごとに加減算する得点は30点に改められた。[3][4]
- 名人挑戦者は、得点上位4名で挑戦者決定戦(パラマストーナメント)を行う。
第2期順位戦
要約
視点
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名人挑戦者決定戦
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B級1位の大山七段がトーナメントを勝ち上がり名人挑戦を決めた。順位戦の歴史で唯一B級からの挑戦者となった。
A級
名人挑戦者決定戦進出3名、降級1名
第1期の得点順により第1期B級1位の升田は、第2期では第1期A級7位の花田よりも上位に位置する。
- 萩原-村上戦は1局未消化。
B級
昇級4名(うち名人挑戦者決定戦進出1名)
第1期の得点順により、第2期の順位が決まるため、第1期A級(八段戦)からの降級者は必ずしも第1期B級(六・七段戦)残留者よりも上位に位置するとは限らない。
C級
昇級9名、下位5名が第3期C級2組へ振り分けられた。
第1期の得点順により第2期の順位が決まるため、第1期B級(六・七段戦)からの降級者は必ずしも第1期C級(四・五段戦)残留者よりも上位に位置するとは限らない。
また、開始時の順位16位以上は六段昇段、順位17位以下32位以上は五段昇段者として、第2期を開始した。
C級東組
C級西組
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参考資料
- 『将棋評論 第1巻 第4号「棋士新段位」「新段位制生まる」』將棋研究會、1947年7月、1-2頁 。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 『将棋評論 第2巻 第1号「順位戰成績表」』將棋研究會、1948年1月、25頁 。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 菅谷北斗星『将棋五十年』時事通信社、1955年、164-168頁 。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 山本武雄『将棋百年』時事通信社、1966年、129-133頁 。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 山本武雄『将棋百年 改版増補版』時事通信社、1970年、129-133頁 。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
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脚注
外部リンク
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