南房総市(みなみぼうそうし)は、千葉県の南部に位置する市。関東地方および千葉県最南端の自治体[注 1]。南房総観光圏の観光都市。市域は森林セラピー基地、海岸部は南房総国定公園に指定されている。
概要 みなみぼうそうし 南房総市, 国 ...
閉じる
2006年(平成18年)、7町村の合併により発足。
温暖な気候を生かしたアイリス[1]・キンセンカ[2]などの花卉栽培や房州ビワ[3]の産地として知られ、生産量は日本一である。
日本酪農発祥の地である峯岡牧[4]を始めとした酪農や、アワビ・テングサなどの漁業も著名である[5][6][7]。全国モデル道の駅である道の駅とみうらを始め、日本最多の道の駅数である[8]。
市役所は当面、旧富浦町役場を使用するが、富浦地区は南房総市の地理や経済の中心地とはいえない。人口が最も多いのは千倉地区で、合併前まで警察署が置かれるなど[9]外房側地区の中心地であるが、内房側の各地区や三芳地区から見た場合に中心地とはいえない。よって南房総市は、特に商業、医療などで館山市へ大きく依存し、合併前から当市全域が館山都市圏に属する。和田地区は鴨川市との結びつきも強い。
千葉県南部で最南端に位置し、県庁所在地である千葉市から約70キロメートルに位置する。東京都の都心から70 - 80キロメートル圏内である。東京都の羽田空港や神奈川県は、東京湾アクアラインの利用が最短の移動距離となる。都市雇用圏における館山都市圏に含まれており、平成22年国勢調査で館山市への通勤率は21.0パーセントである。
東京湾(内房)と太平洋(外房)に面しており、安房地域の西部、房総半島の最南端、房総丘陵を抱え三方を海に囲まれた温暖な地域である。千葉県の最南端である旧白浜町は太平洋に面しており、伊豆諸島や、空気の澄んだ時など伊豆半島も遠望できる。直下に鴨川低地断層帯が所在する。市域は森林セラピー基地に認定されている。
行政区域は館山市を取り囲む形状で、同市を挟んで内房側を富山・富浦地区、外房側を白浜・千倉・丸山・和田地区、館山市の北に隣接する内陸の地区を三芳地区と呼称する。
三芳地区は内房側、外房側の各地区と道路で結ばれており、内房側の各地区と外房側の各地区も、山中を通過する道路でつながってはいるが、鉄道や幹線道路を利用して最短距離で移動するためには館山市を通過する必要がある。後述するように館山市を含めた合併が破談となり、周辺町村のみが合併して変則的な行政区域となったが、館山市は同一生活圏にある。
地区
富山地区(旧富山町)
- 旧岩井町 - 久枝、二部、検儀谷、市部、竹内、合戸、高崎、宮谷、小浦
- 旧平群村 - 吉沢、井野、川上、平久里中、荒川、山田、平塚、平久里下、犬掛
富浦地区(旧富浦町)
- 旧富浦町 - 富浦町南無谷、富浦町豊岡、富浦町原岡、富浦町多田良
- 旧八束村 - 富浦町青木、富浦町深名、富浦町丹生、富浦町宮本、富浦町大津、富浦町手取、富浦町居倉、富浦町福澤
三芳地区(旧三芳村)
- 旧滝田村 - 下堀、上堀、三坂、千代、下滝田、上滝田、増間
- 旧国府村 - 府中、本織、明石、谷向、川田、山下、大学口、海老敷
- 旧稲都村 - 池之内、中、御庄、山名
和田地区(旧和田町)
- 旧和田町 - 和田町花園、和田町柴、和田町仁我浦、和田町和田、和田町真浦
- 旧北三原村 - 和田町小川、和田町黒岩、和田町上三原、和田町小向、和田町布野、和田町磑森、和田町五十蔵
- 旧南三原村 - 和田町白渚、和田町下三原、和田町中三原、和田町海発、和田町松田、和田町沼
丸山地区(旧丸山町)
- 旧千歳村→千倉町 - 白子、峰、安馬谷、久保
- 旧豊田村 - 古川、岩糸、小戸、加茂、沓見、西原
- 旧丸村 - 丸本郷、前田、石神、珠師ケ谷、石堂、川谷、石堂原、宮下、御子神、大井、丸山平塚
千倉地区(旧千倉町)
- 旧千歳村 - 千倉町白子、千倉町川合、千倉町久保
- 旧健田村 - 千倉町瀬戸、千倉町牧田、千倉町宇田、千倉町川戸、千倉町大貫
- 旧千倉町 - 千倉町北朝夷、千倉町南朝夷、千倉町平舘、千倉町忽戸、千倉町川口
- 旧七浦村 - 千倉町平磯、千倉町千田、千倉町大川、千倉町白間津
白浜地区(旧白浜町)
- 旧白浜町 - 白浜町乙浜、白浜町白浜
- 旧長尾村 - 白浜町滝口、白浜町根本
合併の経緯
2000年(平成12年)12月に、千葉県庁が発表した「合併推進要綱」では、安房地域の合併の枠組みは
- 館山市・鴨川市・富浦町・富山町・鋸南町・三芳村・白浜町・千倉町・丸山町・和田町・天津小湊町
- 館山市・富浦町・富山町・鋸南町・三芳村・白浜町・千倉町・丸山町・和田町
- 鴨川市・和田町・天津小湊町
の3通りが示された。
これを受け、鴨川市、鋸南町、天津小湊町を含む安房郡市2市8町1村でまず合併の検討が始まり、2002年(平成14年)9月4日に任意合併協議会を設置した[11]。しかし、合併の枠組みで議論が分かれ[12]、安房地域全体での市町村統合を断念し[13]、2003年(平成15年)1月に任意合併協議会は解散することとなった[14]。
その後、上記 2.の枠組みである1市8町村で合併を検討することとなり[15]、2003年1月に法定合併協議会準備会を設置し[16]、法定合併協議会を設置して2003年4月23日に第1回の会議を開いた[17]。
新市名は全国を対象とした一般公募を行い[18]、「館山」が1位となったが[19]、8町村が「南房総市」を主張して館山市側と対立し[20]、2004年(平成16年)1月30日に賛成多数で「南房総」とした[21]。
合併前に役場や小学校などの新築をするいわゆる「駆け込み公共事業」についても、2003年9月30日に館山市議会が駆け込み事業の抑制促す決議をするなど[22]、同市以外の8町村が対立した[23][24]。
2004年2月25日に館山市議会は合併協議会からの離脱を決議して[25]、これを受け館山市の2委員が2月26日の協議会から退席して協議を事実上離脱し[26]、2004年4月23日までに館山市以外の8町村が廃止決議を行い[27]、2004年5月に合併協議会の廃止同意書交わし解散することになった[28]。
館山市を除く8町村は間もなく8町村のみの合併を検討し始め[29]、2004年5月31日に8町村による「検討会」を設置した[30]。
和田町は、鴨川市と合併の是非を問う住民投票が行われることとなり検討会参加を保留し[31]、2004年7月に行われた住民投票で反対多数となったことを受けて検討会に再び参加し[32]、8月9日に8町村による法定合併協議会へ移行し[33]、2004年8月16日に初会議を開催した[34]。
鋸南町は、2004年9月に町長が8町村での合併に異議を唱えて合併協議から離脱を表明し[35]、8町村の合併に前向きな町議会と対立して辞任した[36]。2004年11月に行われた町長選は、富山町・富浦町・三芳村と合併推進を唱えた現職と[37]、8町村合併を唱えた前町議会議長[38]、館山市・富山町・富浦町・三芳村と合併を唱えた市民オンブズマン出身者の3者が競い[39]、現職が当選して[40]、鋸南町を含む8町村合併はなくなった。
鋸南町町長が、公約で合併相手に挙げた富山町・富浦町・三芳村はいずれも鋸南町を除いた7町村合併に賛同し、鋸南町は単独町制を継続することとなった。
2004年12月15日に、鋸南町を除く7町村は改めて法定合併協議会を設置し[41]、2005年(平成16年)2月8日に合併協定に調印[42]、7町村議会、千葉県議会の議決を経て、2005年5月12日に総務大臣が7町村による南房総市発足を官報で告示した[43]。
この間白浜町で、館山市と合併を求める住民が署名3,131人を集め、館山市と合併を求める住民投票請求を2004年(平成16年)11月11日に提出して[44]12月9日に同町当局に受理された[45]が、市は議会に付議しなかった。
※郵便番号、電話番号は新市移行後も引き継ぐ。
- 富山町・三芳村・丸山町の場合、旧町村名から南房総市への表記変更のみ。昭和の大合併以後にできた歴史の浅い自治体名のため残さない。
- 例「安房郡富山町○○ ××番地 → 南房総市○○ ××番地」
- 富浦町・白浜町・千倉町・和田町の場合、南房総市+旧町名併記。昭和の大合併以前にできた歴史ある自治体名のため残した。
- 例「安房郡富浦町○○ ××番地 → 南房総市富浦町○○ ××番地」
- 番地表示は「××番地の×」の「の」は表示が必要無くなる。
- 例「安房郡富浦町○○ ××番地の× → 南房総市富浦町○○ ××番地×」
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、7.29%減の39,033人であり、増減率は千葉県下54市町村中45位、60行政区域中51位。
全域が過疎地域に指定されている。
|
南房総市と全国の年齢別人口分布(2005年)
| 南房総市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 南房総市 ■緑色 ― 日本全国
| ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
南房総市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
| 58,801人
|
|
1975年(昭和50年)
| 57,323人
|
|
1980年(昭和55年)
| 55,652人
|
|
1985年(昭和60年)
| 53,748人
|
|
1990年(平成2年)
| 51,228人
|
|
1995年(平成7年)
| 48,945人
|
|
2000年(平成12年)
| 47,154人
|
|
2005年(平成17年)
| 44,763人
|
|
2010年(平成22年)
| 42,104人
|
|
2015年(平成27年)
| 39,033人
|
|
2020年(令和2年)
| 35,831人
| |
|
総務省統計局 国勢調査より |
立法
県政
- 千葉県議会 - 選挙区:南房総市・安房郡選挙区、定数:1名
漁業
漁港
- 白子漁港(しらこ - )
- 忽戸漁港(こっと - )
- 川口漁港(かわぐち - )
- 平磯漁港(ひらいそ - )
- 七浦漁港(ななうら - )
- 白間津漁港(しらまづ - )
- 大川漁港(おおかわ - )
- 名倉漁港(なぐら - )
|
- 野島漁港(のじま - )
- 川下漁港(かわしも - )
- 白浜西部漁港(しらはませいぶ - )
- 多田良漁港(ただら - )
- 富浦漁港(とみうら - )
- 南無谷漁港(なむや - )
- 小浦漁港(こうら - )
- 高崎漁港(たかさき - )
|
農業
花卉栽培
花卉栽培の先駆者で千葉県特産功労者の間宮七郎平がいたことも関係し[91]、温暖な気候を生かした斜面のビニールハウス内での温室栽培などが盛んに行われている[92]。
牧畜
- 和牛 - 旧・富山町が千葉県内一の生産であった[102]。
- 酪農 - 旧・丸山町の一角に千葉県史跡に指定されている「日本酪農発祥の地」の「千葉県嶺岡乳牛試験場」があり[4]、旧・富山町で盛んである[103]。
「姉妹都市」としては国外1市[104][105]。国内では「交流市町村」として、9つの自治体・行政区を挙げている[106]。
教育
高等学校
バス路線
道路
有料道路
一般国道
主要地方道
道の駅
市内に8か所あり、一つの自治体の道の駅数は岐阜県高山市と同じく全国第1位[8]。密度は全国第1位。
道の駅とみうら(枇杷倶楽部)
道の駅三芳村
道の駅ちくら・潮風王国
道の駅富楽里とみやま
道の駅おおつの里
道の駅和田浦WA・O!
名所・旧跡
その他
大聖院(高塚不動尊)
高家神社
元八幡神社
平群天神社
三峯神社の赤鳥居(野嶋崎)
伊予ヶ岳山頂から富山を望む
観光スポット
海水浴場
その他海水浴場一覧
- 太平洋(外房)側
- 瀬戸浜海水浴場
- 南千倉海水浴場
- 塩浦海水浴場
- 名倉海水浴場
- 根本海水浴場
|
- 東京湾(内房)側
- 多田良西浜海水浴場
- 南無谷北海水浴場
- 岩井海岸海水浴場
- 多田良北浜海水浴場
- 原岡海水浴場
- 豊岡海水浴場
|
温泉
- 白浜温泉郷
- 白浜温泉
- 白浜飯田屋温泉
- 白浜野嶋温泉
- 白浜女来島温泉
- 白浜湯元温泉
- 元湯白浜温泉
- 南房総白浜温泉
- へいすけ温泉
|
- 千倉温泉郷
- 千倉温泉
- 千倉海岸温泉
- 千倉海底温泉
- 千倉瀬戸浜温泉
- 千倉元湯温泉
- しあわせ温泉
|
|
その他
野島崎
雀島
伊予ヶ岳
花嫁街道見晴台
花園広場
烏場山の麓にある黒滝
文化財
南房総市の国・県指定および国登録の文化財一覧[234]。
さらに見る 番号, 指定・登録 ...
番号 |
指定・登録 |
種別 |
名称 |
所在地 |
所有者または管理者 |
指定年月日 |
備考 |
1 |
国指定 |
重要文化財(建造物) |
石堂寺本堂・多宝塔 |
南房総市石堂302 |
石堂寺 |
大正5年5月24日・平成4年8月10日追加指定(多宝塔) |
2棟 |
2 |
石堂寺薬師堂 |
南房総市石堂302 |
石堂寺 |
昭和43年4月25日 |
1棟 |
3 |
旧尾形家住宅(主屋・土間) |
南房総市石堂301他 |
南房総市 |
昭和44年6月20日 |
2棟 |
4 |
重要文化財(彫刻) |
木造十一面観音立像 |
南房総市石堂302 |
石堂寺 |
大正5年8月17日 |
1躯 |
5 |
銅造十一面観音坐像 |
東京国立博物館(寄託) |
小松寺 |
昭和59年6月6日 |
1躯 |
6 |
重要無形民俗文化財 |
白間津のオオマチ(大祭)行事 |
南房総市千倉町白間津 |
白間津区 |
平成4年3月11日 |
|
7 |
記念物(史跡) |
里見氏城跡稲村城跡 岡本城跡 |
館山市稲・南房総市富浦町豊岡 |
館山市・南房総市他 |
平成24年1月24日 |
|
8 |
県指定 |
有形文化財(建造物) |
石堂寺山王宮 |
南房総市石堂302 |
石堂寺 |
昭和41年12月2日 |
1棟 |
9 |
賀茂神社本殿 |
南房総市加茂2070 |
賀茂神社 |
昭和42年3月7日 |
1棟 |
10 |
めがね橋 |
南房総市白浜町滝口地先 |
南房総市 |
平成1年3月10日 |
1基 |
11 |
有形文化財(絵画) |
紙本著色天神縁起絵巻 |
南房総市平久里中202 |
天神社 |
昭和37年5月1日 |
3巻 |
12 |
絹本著色両界曼荼羅図 |
南房総市府中687 |
寳珠院 |
平成7年3月14日 |
2幅 |
13 |
有形文化財(彫刻) |
木造十一面観音立像 |
南房総市府中687 |
寶珠院 |
昭和39年4月28日 |
1躯 |
14 |
木造千手観音立像 |
南房総市久保587 |
真野寺 |
平成4年2月28日 |
1躯 |
15 |
木造二十八部衆立像・木造風神・雷神像 |
南房総市久保587 |
真野寺 |
平成4年2月28日 |
25躯 |
16 |
木造大黒天立像 |
南房総市久保587 |
真野寺 |
平成4年2月28日 |
1躯 |
17 |
木造千手観音菩薩坐像 |
南房総市石堂302 |
石堂寺 |
平成4年2月28日 |
1躯 |
18 |
木造薬師如来立像 |
南房総市千倉町大貫1057 |
小松寺 |
平成8年3月22日 |
1躯 |
19 |
有形文化財(工芸品) |
繍字法華経陀羅尼品 |
南房総市府中687 |
寶珠院 |
昭和45年4月17日 |
1巻 |
20 |
梵鐘(応安七年在銘) |
南房総市千倉町大貫1057 |
小松寺 |
昭和47年1月28日 |
1口 |
21 |
有形文化財(考古資料) |
延命寺板石塔婆(正安三年在銘) |
南房総市本織2014-1 |
延命寺 |
昭和38年5月4日 |
1基 |
22 |
有形文化財(歴史資料) |
菱川師宣過去帳 |
南房総市二部1344-2 |
勝善寺 |
昭和33年4月23日 |
3帳 |
23 |
有形民俗文化財 |
豊田の人形芝居首及び衣裳 |
南房総市谷頭824 |
谷頭区 |
昭和29年12月21日 |
一括 |
24 |
加茂の三番叟 |
賀茂神社 |
賀茂神社民俗芸能保存会 |
昭和37年5月1日 |
|
25 |
増間の御神的神事 |
日枝神社 |
日枝神社氏子中 |
昭和38年5月4日 |
|
26 |
加茂の花踊 |
賀茂神社 |
賀茂神社民俗芸能保存会 |
昭和38年5月4日 |
|
27 |
千倉の三番叟 |
荒磯魚見根神社・諏訪神社 |
忽戸三番叟保存会・平磯式三番叟保存会 |
昭和45年1月30日 |
|
28 |
安房やわたんまち |
鶴ヶ谷八幡宮、他12社 |
安房やわたんまち安房国司祭継承保存会 |
平成16年3月30日 |
|
29 |
記念物(史跡) |
日本酪農発祥地 |
南房総市大井2537 |
千葉県 |
昭和38年5月4日 |
|
30 |
加茂遺跡 |
南房総市加茂 |
個人 |
昭和42年3月7日 |
|
31 |
記念物(天然記念物) |
上三原ノ大樟 |
南房総市和田町上三原1249-2 |
山神社 |
昭和10年3月26日 |
|
32 |
岩井ノ蘇鉄 |
南房総市 |
個人 |
昭和10年8月23日 |
|
33 |
白浜の鍾乳洞 |
南房総市白浜町白浜14039-1 |
南房総市 |
昭和29年3月31日 |
|
34 |
白浜の屏風岩 |
南房総市白浜町根本地先海岸 |
国(南房総市) |
昭和30年12月15日 |
|
35 |
白浜のシロウリガイ化石露頭 |
南房総市白浜町白浜2783ー4地先 |
国 |
平成8年3月22日 |
|
36 |
南房総の地震隆起段丘 |
南房総市白浜町根本1457-1・館山市浜田375、376 |
三嶋神社・船越鉈切神社 |
平成19年3月16日 |
|
37 |
国登録 |
登録有形文化財(建造物) |
須藤家住宅主屋 |
南房総市千倉町大貫543 |
個人 |
平成18年10月18日 |
1件 |
38 |
野島埼灯台 |
南房総市白浜町白浜630 |
国 |
平成24年2月23日 |
1件 |
閉じる
出典
“アイリス日本一 富浦町が宣言 70年の歴史、年間400万本”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1996年1月22日)
“キンセンカもうすぐ出荷 南房のお花畑 露地花の生育順調”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2002年1月21日)
“ちばの地理再発見 薫り高い初夏の味 びわの郷日本一宣言”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 9. (2014年5月21日)
“「酪農のさと」オープン 日本酪農発祥の地・丸山で 自然や動物がいっぱい”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1995年11月11日)
“絵ハガキが語る 千葉の明治・大正・昭和史 23 白浜の漁業 海女の素もぐりと捕鯨”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 8. (2007年5月12日)
“海女漁が解禁 磯明け訪れる 活気づく白浜町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年5月2日)
“テングサ、アワビ漁が解禁 白浜で海女初潜り”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 20. (1991年5月3日)
“道の駅「和田浦WA・O!」 旧和田町庁舎跡に 花とクジラを前面に 南房総市国内最多タイの市内8カ所目”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 9. (2012年11月8日)
千倉署が旧千倉町、旧白浜町、旧丸山町、旧和田町を管轄した。合併後は南房総市全域が館山警察署の管轄である。
“南房総市が誕生 「一体感ある組織に」 県内最多の7自治体合併 市長、市議選は来月23日投開票 暫定予算を専決処分”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2006年3月21日)
“合併任意協議会が設立 安房郡の11市町村 今後は枠組みが焦点”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年9月5日)
“安房一本化は五分五分 館山で会議 合併任意協議会で議会サイド 今後の枠組みは流動”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年10月26日)
“市町村合併任意協議会 安房一本化を断念 新たな枠組み模索へ 三芳村”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年12月13日)
“館山など9市町村 新たな枠組み模索 安房地域市町村合併任意協議会が解散へ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年12月26日)
“9市町村で新たな枠組み 安房地域合併で会合 「法定協議会」設置へ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年1月11日)
“9市町村で新たな枠組み 安房地域合併 法定協準備会が発足”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年1月24日)
“来年5月の調印目指す 第1回、館山・安房9市町村合併協議会”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年4月11日)
“新市名を全国公募へ 館山・安房合併協 庁舎位置、秋にも”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年7月3日)
“新市の名称「館山」1位 応募結果を公表、今年中に決定へ 館山・安房9市町村合併協”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年10月8日)
“新市名、決着つかず 8町村と館山市平行線 合併協小委”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年12月6日)
“賛成多数で「南房総」 館山・安房市町村合併協の新市名称選定小委員会”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年1月31日)
“合併に暗雲 館山・安房9市町村 館山市議会 駆け込み事業抑制促す決議”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 19. (2003年10月1日)
“給食センター建設で激論 富山町で合併協 館山市と8町村が対立”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年11月20日)
“館山市と8町村が対立 給食センター建設、国保事業取り扱い 鋸南で合併協”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年12月19日)
“合併協脱退を決議 館山市議会 「合併協脱退困る」 8町村は結束確認”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 1,15. (2004年2月26日)
“館山の2委員退席 館山・安房合併協 市議会の脱退決議受け”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年2月27日)
“富山町が廃止決議 9市町村合併協 あすまでに7町村追随”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年4月22日)
“9市町村合併協解散 館山市など廃止同意書交わす 新たな枠組み探り始まる”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年5月1日)
“新たな枠組み協議 安房合併検討会が発足へ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年5月13日)
“安房8町村合併検討会が発足 会長に遠藤富浦町長就任”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年6月1日)
“「合併」枠組みで大揺れ きょう和田町臨時議会 住民投票案を上程へ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年5月21日)
“「安房八町村」枠組みへ 和田町議会全員協議会 異論なく全議員了承”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年7月13日)
“16日に白浜で初会議 安房8町村合併協]がスタート”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年8月10日)
“「南房総市」06年3月誕生へ 安房8町村合併協が初会議「新市建設計画」策定し周知”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年8月17日)
“議会、批判相次ぐ 鋸南町長の合併協脱退発言 結論出ず、29日に再協議”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年9月25日)
“鋸南町長が辞職表明 自立発言で引責 「合併協離脱か」と波紋”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年10月5日)
“鋸南町長選あす投開票 合併争点に懸命の訴え 鋸南町長選立候補者”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年11月20日)
“松川氏が出馬表明 鋸南町長選 「スムーズな合併を」”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年10月27日)
“鋸南町長選 生貝氏が出馬表明 「5町村合併進めたい」”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 16. (2004年10月29日)
“鋸南町長に白石氏3選 鋸南町長選開票結果”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (2004年11月22日)
“合併協議会新たに発足 安房7町村”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年12月16日)
“7町村が合併調印式「南房総市」誕生へ 来年3月20日 新たな歴史スタート”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2005年2月9日)
“南房総市の合併など告示 総務省”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (2005年5月13日)
“署名3131人集め提出 白浜町の住民有志 合併問う住民投票実施を”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 19. (2004年11月12日)
“住民投票請求を受理”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年12月10日)
“初代市長に石井氏 南房総市 小差で木下氏振り切る 南房総市長選開票結果 石井市長が初登庁 南房総市議選当選者 南房総市議選開票結果”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2006年4月25日)
“海女さんたちが初潜り アワビ漁解禁 久々の水揚げにわく 白浜”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年5月3日)
“アワビ漁が解禁 白浜海岸は久々の活気 海女たちが潜り初め”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年5月3日)
“アワビ漁 小雨の中 白浜”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 19. (1994年5月3日)
“浜風受け海女漁解禁 白浜町 海の“宝石”アワビなど”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年5月3日)
“初夏告げるアワビ漁解禁 海女さんが初潜り 白浜根本海岸沖”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1988年4月22日)
“海女さん50人が初潜り 白浜でアワビ漁解禁 内外房のトップを切り”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 14. (1989年4月23日)
“海の安全と豊漁を祈願 白浜海女まつり開幕”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2000年7月21日)
“海女さんが夜泳披露 白浜町”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 23. (1988年7月22日)
“海女さんの夜泳 白浜・海女まつり”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 24. (1988年7月23日)
“幻想的“海女の夜泳” 白浜名物「光と音のショー」”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年7月25日)
“白浜で海女まつり 幻想的な海女の夜泳 たいまつ手に整然と”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年7月22日)
“松明かざし海女が夜泳 白浜町で海女まつり 見物人を幻想の世界へ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年7月22日)
“波間に光の帯 千葉・白浜「海女まつり」”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 夕刊 14. (1994年7月21日)
“海面に映える幻想的夜泳 南房総市白浜町 たいまつ手に白装束の海女たち”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2006年7月22日)
“海女100人が火の祭典 白浜で大夜泳 ワーグナーの曲に乗り”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 29. (1991年7月22日)
“海辺の町祭り一色 白浜で海女まつり 夜空に大輪の花 1万人、夏本番を“実感””. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年7月22日)
“南房総・白浜でコンテスト ベスト海女に相馬さん”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 9. (2011年7月22日)
“アワビ牧場造成へ ブロック海中投入 千倉 稚貝放流、3年後に回収”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (1990年11月29日)
“県水産部 アワビの牧場化推進 千倉沖に漁礁 稚貝を大量集中放流 全量回収目指す”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 4. (1990年2月10日)
““大漁”に表情明るく 千倉町の高家神社 関係者らアワビ供養祭 育てる漁業が結実”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年9月13日)
“房州ちくら漁協 アワビ養殖に着手 60面の水槽で12万個 房州観光の目玉料理”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 5. (2001年8月19日)
“海女漁が解禁 磯明け訪れる 活気づく白浜町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (1993年1月26日)
“ご存じですか 房総南部の気候”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年11月14日)
“アワビの増殖溝 白浜町海岸の岩磯に 県が初の試み 波のエネルギーを利用”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (1993年11月12日)
“「捕る」から「育てる」 中間育成施設が完成 ヒラメ アワビ 白浜町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 5. (1995年6月25日)
“中間育成施設が完成 アワビなど資源拡大へ”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 18. (1995年6月8日)
“房州地方、冬の風物詩 ハバノリ採り始まる 白浜”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年12月19日)
“房総の海に春の香り ヒジキ漁が解禁 出来は平年並み 安房郡白浜町”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 28. (1990年3月15日)
“浦開け告げるワカメ漁 富浦”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1988年3月9日)
“春告げるワカメ漁解禁 300隻が出漁 館山・富浦湾”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年3月10日)
“活気を見せる捕鯨基地の町”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 25. (1993年8月5日)
“ツチクジラ漁 規制数の27頭捕り切る 捕鯨の町・和田の夏行く”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 30. (1995年7月8日)
“房総沖の捕鯨 今が最盛期 基地の和田町に活気”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 23. (1994年7月30日)
「ひろば 郷土の名産 富浦町 初夏を代表するくだもの 房州ビワ」『ニューライフちば』第228号、千葉県広報協会、1982年6月、29頁。
「果樹生産日本一町村ビワの里に集う フルーツサミット とみうら’90」『農業富民』1990年9月号、富民協会、1990年9月、24-25頁。
“フルーツの香りいっぱい富浦町 “びわの郷日本一”を宣言 「サミット」PR”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1990年6月9日)
““びわの郷 日本一”アピール 富浦駅前にモニュメント”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1995年8月25日)
“「房州ビワ」の直売所 国道127号にお目見え 富浦~富山町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年5月9日)
“黄金色の季節 びわの郷富浦から <1>風物詩の直売店 町全体にノレンやノボリ旗”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年5月13日)
“黄金色の季節 びわの郷富浦から <4> 人気のビワ狩り”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年5月16日)
「房総風土記 晩秋を色どる黄金の味覚 みかんの里・房州」『ニューライフちば』第80号、千葉県広報協会、1969年11月、18-19頁。
“温州みかん出荷盛ん”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 27. (1993年7月22日)
“三芳産ミカン収穫急ピッチ 出荷に追われる農家 酸味と甘味、ほどよく調和”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1988年9月28日)
“色づいたみかんが鈴なり 富山町の観光みかん園”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (1990年10月29日)
“ご存じですか 間宮七郎平”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 16. (1995年1月12日)
「カメラぶらり旅 歴史上の人物ゆかりの地 ”花の南房総”をつくり上げた間宮七郎平」『ニューライフちば』第429号、千葉県広報協会、1999年2月、15-19頁。
“キンセンカもうすぐ出荷 南房のお花畑 露地花の生育順調”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (1988年11月21日)
““大ピンチ”花の里 キンセンカ 日照不足で生育遅れ 正月用 品不足に 千倉・白浜”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1987年11月20日)
“「キンセンカおいしい」 千倉 学校給食に花の食材”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2008年3月5日)
“キンセンカで白浜を元気に 手作りシフォンケーキを販売 南房総市”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2011年1月25日)
“母の日を前に出荷追い込み 富浦のカーネーション団地”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 25. (1992年4月30日)
“母の日前に出荷最盛期 富浦のカーネーション団地”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年5月9日)
“PRの好機に 水仙の町・富山 全国サミット開催地に決定 03年冬15自治体集う”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年2月5日)
“水仙サミット開幕 富山で県内初 ゆかりの自治体集う まちづくり意見交換”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2005年1月14日)
“芳香、スイセン満開 鋸南・富山で見ごろ迎える”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2006年2月10日)
“「伏姫」ブランド化へ 和牛生産県内一の富山町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2005年8月15日)
「市町村めぐり 富山町 酪農と民宿の町」『ニューライフちば』第41号、千葉県広報協会、1966年8月、11頁。
“交流市町村”. 南房総市. 2019年2月9日閲覧。
“都市間交流”. 習志野市. 2019年2月9日閲覧。
“統合校嶺南中が開校 南房総”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 9. (2014年4月8日)
“富山町の練馬区立岩井少年自然の家 教育施設なのに一般客 地元民宿業者ら反発”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (1991年6月21日)
“教養の宝庫、開放的に 千倉町立図書館が完成 きょう開館”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年7月22日)
“千倉町立図書館が完成 蔵書数は3万5000冊 法務局出張所を改修”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年5月25日)
“貴重な品々ずらり250点 生活用具から絵馬まで内容充実 富山町に民俗資料館開館”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年1月26日)
“フローラルホール花の町・白浜に完成 図書室やギャラリーも完備”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1995年11月8日)
“800人収容ホール完成 白浜に多目的施設”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 30. (1995年11月12日)
“東京と南房総を直結 予約制バス運行開始 白浜終点の1日3便”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1999年10月2日)
“国道127号の拡幅終了 南房総”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 9. (2014年9月17日)
“道の駅に富浦町 建設省”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 18. (1993年4月23日)
“産業と文化の発信基地完成 枇杷倶楽部きょうオープン アグリ・リゾート推進 富浦町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年11月28日)
“「ビワの里」に観光スポット 建設省「道の駅」 富浦に「枇杷倶楽部」完成”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1993年11月23日)
“「鄙の里」がオープン 道の駅みよし村 村長などがテープカット”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2000年2月3日)
“丸山町ローズマリー公園オープン ハーブの香り漂う中世欧州風の庭園”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年9月23日)
“「シェークスピア・ガーデン」建設中 世界初「ニューブレイス」復元 丸山町”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 35. (1995年12月1日)
“シェイクスピアの家復元に挑戦 丸山町で起工式 新名所の期待高く 97年完成予定”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 21. (1995年8月10日)
“シェイクスピア・カントリー・パーク ローズマリーの里にきょうオープン”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1997年4月23日)
“丸山町に“駅”誕生 建設省の「道の駅」に登録 ローズマリー公園”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 19. (1998年5月1日)
“丸山町のローズマリー公園 「手づくり郷土賞」受賞 中世欧州スタイル観光客に大人気”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1996年7月22日)
“海の幸いっぱいに 物産センター 「潮風王国」がオープン 千倉”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1997年7月17日)
“八犬伝づくしイベント多彩に 「富楽里」竣工で式典 富山・地域振興施設”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年4月26日)
“道の駅・おおつの里誕生 富浦町で2つ目の認定 花摘みで町を元気よく”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年8月27日)
“「白浜野島崎」が登録 道の駅、県内19カ所目”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 4. (2005年8月11日)
“「お宝」また一つ 石堂寺の多宝塔 重文指定に関係者大喜び 丸山”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年5月30日)
“丸山町・石堂寺所蔵 足利文書など7件 町文化財に 頼氏の座像も”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年11月29日)
“石堂寺 聖徳太子像を文化財に 丸山町の指定は41件目”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年4月7日)
“戦に敗れた足利氏 末裔、安房に隠れ住む 丸山町石堂寺の文書で判明”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 29. (1991年5月26日)
“初大祭で沿道にぎわう 千倉、高塚不動尊”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1999年2月21日)
“千葉県内初のポックリ観音 富浦町 日蓮宗釈迦寺”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1986年12月6日)
“「ボケ封じ観音」で大祭 富浦町釈迦寺 お年寄りでにぎわう”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1988年5月14日)
“「風の神様」に健康祈願 金気神社で例大祭 富浦町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年2月10日)
「磐鹿六雁命 料理の神」『別冊太陽』日本の神、平凡社、1989年12月、158-159頁。
“今度は高家神社アピール 国内唯一の日本料理の神様 南房総・千倉町 「食によるまちづくり」事業 包丁式グッズ開発へ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2006年10月26日)
“房総の駅百景 内房線千倉駅(千倉町瀬戸) さかなと料理の神様”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 6. (2004年4月30日)
“見事な包丁さばき 千倉 高家神社で包丁式”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1987年11月26日)
“古式ゆかしく包丁式 指一本触れず豪快鯛さばき 料理の神様へ奉納 千倉町・高家神社”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年11月24日)
“指一本触れず魚さばく 厳かに「包丁式」奉納 千倉・高家神社 見物人もかたずのむ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1990年11月24日)
“マナガツオ 巧みにさばき献納 高家神社で恒例の包丁式 千倉町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1995年11月24日)
“古式のっとり厳かに 高家神社で「包丁式」 見事にコイを料理 千倉”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2000年11月24日)
“烏帽子姿で伝統の技奉納 千倉・高家神社 「料理の神」前で包丁式”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2005年10月18日)
“検査官立ち会い神饌酒の蔵出し 丸山”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 31. (1994年9月14日)
“天下御免のお神酒造り 丸山の莫越山(なこしやま)神社 冷夏幸い最上品に 丸山町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年9月14日)
“房総の駅百景 三芳村道の駅 安房国府跡近くの道の駅”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 8. (1993年11月19日)
“戦火の記憶 ちば戦後70年 遺構は語る 中 南房総市に残る発射台跡 新型桜花の出撃準備”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 19. (2015年9月30日)
“富山町の恩田原遺跡 水田から銅製「古代印」 国府解明へ貴重な物証”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (1997年1月20日)
“恩田原古墳群出土の古代印 急きょ一般に公開”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 12. (1997年1月27日)
“長尾藩陣屋跡の遺構確認 絵図面通りの様式 白浜町で埋蔵文化財発掘調査”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2000年11月1日)
“弥生時代の円形周溝墓か 「関東に例ない」 三芳村借家塚遺跡 国府探しに期待高まる”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年3月15日)
“新たに方形周溝墓 珍しい7基集中の発見 三芳村・仮家塚遣跡”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年2月5日)
“八犬伝の舞台残そう シンボルとして再生図る 滝田城址周辺整備へ 三芳村”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年4月1日)
“自然発見 2つのピーク、独特な姿 里見八犬伝で知られる富山”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 19. (1995年1月28日)
“「めがね橋」周辺を整備 県文化財指定きっかけに 川浄化も町あげて 白浜”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年3月16日)
“めがね橋106年前の姿に 写真参考に修復完成 白浜”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 30. (1994年4月8日)
“106年前の姿を復元 白浜の「めがね橋」”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 24. (1994年4月12日)
“106年前の美しさ再び めがね橋[文化財]修復完了 周辺の公園化整備推進へ 白浜”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年4月12日)
「安房の横穴10 -富山町谷口横穴群-」『館山市立博物館報』第13巻第4号、館山市立博物館、1995年3月、3頁。
“散歩道 文学 和田浦付近 防風林に「浜千鳥の碑」”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1993年3月26日)
“イメージづくり進む 小野派一刀流の流祖生誕地 丸山に“剣の里” 青写真公開”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1988年11月26日)
“剣豪の公園が完成 丸山”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 29. (1989年4月16日)
“剣豪生誕の地に公園 丸山町 きょう竣工披露式”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年4月14日)
“観光客のオアシスに 「白浜音頭発祥の地公園」お目見え あす、記念碑の除幕式”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2001年9月28日)
“最南端の石碑 観光客に人気 白浜の野島崎灯台”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1989年5月24日)
“明治2年初点灯記念し野島埼灯台まつり 初の開催来月18・19日 催し多催”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1992年11月27日)
“愛称は「きらりん館」 白浜の野島崎灯台資料展示室”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1998年2月6日)
“来月から耐震工事 花のシーズンに上れません 白浜町のシンボル「野島埼灯台」”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2000年10月30日)
“白浜町のシンボルがリニューアル完了 野島崎灯台 きょうから参観開始”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2001年4月1日)
“大房岬(富浦町) 雄大なパノラマ一望 心地よい潮風”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年4月29日)
“散歩道 自然 大房岬 崖地性の植物群 地層観察も可能”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 30. (1995年6月16日)
“360度の大パノラマ 富浦町・大房岬に展望塔が完成 全国自然公園大会の舞台に”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1995年4月25日)
“常陸宮ご夫妻迎え 富浦で自然公園大会”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 19. (1995年8月3日)
「ひろば 青い海、澄んだ空、あふれる緑 千葉県立大房岬少年自然の家開設」『ニューライフちば』第201号、千葉県広報協会、1980年3月、19頁。
“房総の森 高塚山の森 房総最南の自然林”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 6. (2006年1月30日)
“行ってきました 「花嫁街道」烏場山 マテバシイの純林も”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2007年1月29日)
“自然 花嫁街道 南房総の山々と海一望”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1994年2月4日)
“館山・南房総の7コース認定 平砂浦、富山、大房、花嫁街道… 日本の「エコウオーク100選」”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2007年11月25日)
“訪ねてみませんか 坊滝”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年8月17日)
千葉県観光物産協会. “雀島”. まるごとe! ちば -千葉県公式観光物産サイト-. 2019年6月5日閲覧。
“和田浦海岸を選出 日本の水浴場55選 和田町「きれいな海」PR”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1998年8月5日)
“和田浦海岸 きれいな水 豊かな自然 「日本の水浴場88選」に”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2001年6月13日)
“「酪農資料館」きょうオープン 丸山の県嶺岡乳牛試験場に”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 20. (1995年11月8日)
“三芳村大学口の村道沿い 「夢の花かん」オープン 熱帯果樹など植栽・展示”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 5. (1994年5月8日)
“「みるく工房」が完成 来月初旬に本格稼働 三芳村”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年4月8日)
“黒潮文化伝える祭典「白間津の大祭」本に 千年の歴史後世へ”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1994年5月26日)
“4年に1度勇壮、華麗に 「大網渡し」見物人魅了 千倉で「白間津の大祭」”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1999年7月26日)
“県指定の無形文化財 白間津大祭始まる 千倉 踊り中心、4年に1度”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1991年7月24日)
“千倉町白間津の日枝神社 大祭の全容明らかに 朝夷地区教委が刊行”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年5月12日)
「歳時記 御神的神事 安房郡三芳村増間日枝神社」『ニューライフちば』第177号、千葉県広報協会、1978年3月、14頁。
“県指定無形文化財・御神的神事 36本の矢、次々放ち占う 三芳村・日枝神社”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1990年3月3日)
“厳かに御神的神事 三芳村の日枝神社 射手2人が矢を放つ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年3月3日)
“三芳村・日枝神社 弓で的射て作柄占う 山萩神社でも筒粥神事 館山”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年3月2日)
“笛やつづみで調子とり 「三番叟」と「花踊り」 豊作祈り奉納 丸山町・加茂神社”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1988年8月4日)
「安房の民俗芸能誌 8 千倉の三番叟 館山市立博物館報」『館山市立博物館報』第12巻第2号、館山市立博物館、1993年9月、3頁。
“今年の世相“まずまず” 丸山町の丸郷神社 筒粥神事で占う”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1988年1月29日)
“農作物の吉凶占う 丸山町に伝わる珍しい筒粥神事”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1990年1月28日)
“八犬伝伝説 観光の目玉に 南房の秋、里見まつりで”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年9月20日)
“趣向凝らした演出 華麗な時代絵巻 館山と白浜で盛大に里見まつり”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年10月18日)
“伝説の主人公供養 富山で伏姫まつり ゆかりの地PR”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年4月10日)
“白浜音頭全国大会 86歳から3歳まで 自慢ののど披露 きょう知事ら招き決戦会”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年9月27日)
“白浜音頭全国大会 初代日本一に茂原の沖さん 沼田知事招き盛大に”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年9月28日)
“白浜音頭の日本一争う 一般の部は茂原の沖さんが一位”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 23. (1992年9月29日)
“白浜音頭日本一競う 26・27日白浜町で 「のどに覚え」の222人”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1992年9月22日)
“最後の大会、盛大に 白浜音頭全国大会 自慢ののど競う 全国から295人参加”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2009年9月27日)
“影絵から文楽まで 富浦”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 21. (1993年8月3日)
“富浦夏の観光の目玉 10周年迎え記念イベントも 「人形劇フェスティバル」始まる”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1998年8月4日)
“ちば夏の舞台裏 1 南房総・人形劇フェスティバル 18年かけ新名物に 参加劇団増え町おこし順調”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 19. (2006年9月5日)
“夢は膨らむ人形劇の郷 富浦町が「地域イベント賞」優良賞受ける 事業展開に弾み”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年9月23日)
“人形劇通して町づくり 富浦町が自治大臣表彰”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 17-18. (1992年3月18日)
“功績、末永く伝えよう 郷土白浜町に胸像 歯車研究の故成瀬政男博士”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1998年9月12日)
“京葉銀行相談役 綿貫専太郎氏が死去”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 12. (1996年6月24日)
“この人 「綿貫国際奨学財団」を設立した 綿貫専太郎さん”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (1990年12月5日)
“ひと 私財約20億円を投じて奨学金財団を設立 綿貫専太郎さん”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. [要ページ番号]. (1990年12月4日)
“私財投じ留学生支援 京葉銀相談役・綿貫さん 奨学財団設立”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 24. (1990年11月21日)
“ご存じですか 早川雪洲(はやかわ・せっしゅう)”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年4月18日)
“声優の徳井さんを2人目観光大使に 南房総市”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 9. (2012年5月5日)
“文学 根本海岸付近 若き日の牧水思い出の地”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1993年4月23日)
“ご存じですか 若山牧水”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年3月14日)
“若山牧水と白浜 “初恋”そして“失恋”の地 歌碑にも青春の面影”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 9. (1992年3月24日)
“文学みちしるべ 若山牧水と白浜周辺 熱烈な恋歌生んだ舞台”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 11. (1990年12月20日)
“観光客のオアシスに 「白浜音頭発祥の地公園」お目見え あす、記念碑の除幕式の除幕式”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年4月28日)
“ご存じですか 菊地幽芳”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年5月18日)
ウィキメディア・コモンズには、
南房総市に関連するカテゴリがあります。
行政
観光