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日本の俳優 ウィキペディアから
剣 幸(つるぎ みゆき、1954年3月2日 [6]- )は、日本の女優。元宝塚歌劇団月組トップスター[7]。
つるぎ みゆき 剣 幸 | |
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本名 | 赤田 明美 |
生年月日 | 1954年3月2日(70歳) |
出生地 | 富山県 |
血液型 | O型 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 舞台・テレビドラマ |
活動期間 | 1974年 - |
活動内容 |
1974年:宝塚歌劇団入団 1975年:月組に配属 1985年:月組トップスター就任 1990年:宝塚歌劇団退団、以降舞台中心に活動。 |
事務所 | オフィス・エイツー |
公式サイト | 剣幸オフィシャルウェブサイト |
主な作品 | |
舞台 『ガイズ&ドールズ』 『ミー・アンド・マイガール』 『川霧の橋』 / 『ル・ポアゾン 愛の媚薬』 『蜘蛛の巣』 『カーネギーの日本人』 『この森で、天使はバスを降りた』 『兄おとうと』 『ハロー・ドーリー!』 テレビドラマ 『美しい罠』 『金色の翼』 教養番組 『NHK短歌』 | |
受賞 | |
とやま賞[1] 昭和63年度(1988年)芸術文化部門 第18回 菊田一夫演劇賞 演劇賞[2] 1993年『蜘蛛の巣』 第9回 東京芸術劇場ミュージカル月間優秀賞(個人)[3] 2007年『カーネギーの日本人』 第17回 読売演劇大賞 優秀女優賞[4] 2009年『この森で、天使はバスを降りた』『兄おとうと』 第21回 読売演劇大賞 優秀女優賞[5] 2013年『ハロー・ドーリー!』 | |
備考 | |
宝塚歌劇団卒業生 |
本名、赤田明美[8]。富山県富山市出身[9]。富山県立富山工業高等学校卒業[10]。公称身長162センチ[6]、血液型O型[11]。愛称「ウタコ」[12]。オフィス・エイツー所属[6]。
高校卒業を待ち宝塚音楽学校受験・合格、1974年宝塚歌劇団に入団。60期生。『虞美人』で初舞台[14]。
インテリアや建築を学びたくて工業高等学校に進学したが、実際には机に向かって製図を描く毎日で、自分には合わず体を動かす仕事をしたいと思うようになった。以前からNHK『歌のグランド・ショー』に宝塚スターが毎週出演しているのを見ていて、きらびやかな世界に憧れを持ち宝塚音楽学校の受験を決めた[15]。
受験科目のバレエは近くの教室に半年通い、声楽は音楽の授業がなかったため、何も練習せず受験に臨んだ。声楽は、あまりにひどく試験官の演出家・内海重典が椅子から転げ落ち、面接では他の受験生がバレエ、モダンダンス、スパニッシュダンス等を披露するなか側転しか出来なかった。当然、落ちたと思い合格発表を見に行かなかったが、母が念のため確認に行くと受験番号があり慌てて駆け付けたものの入学説明会に遅刻してしまった。最後列の空席についたが、後に成績順だと分かり後ろから4番目であった[16]。
入学後は自分なりに頑張り、13番で卒業できた[17]。
芸名は出身地の富山県を代表する山のひとつである剱岳に由来。「剱岳のような険しい頂を目指してほしい」と富山工業高等学校の恩師から芸名をもらった[18]。同期に元女優の遥くらら(元星組・雪組娘役トップ)[19]、大浦みずき(元花組男役トップ)、磯野千尋(元花組組長)がいる[20]。月組に配属された[14]。
1974年9月から関西テレビ『ザ・タカラヅカ』にレギュラー出演するユニット「バンビーズ」の第11期生に選ばれ、1年間、舞台を離れテレビで活動した[14]。
舞台に復帰後、1976年の『ベルサイユのばらIII』配役変更公演の小公子や1977年の『風と共に去りぬ』(初演)新人公演アシュレ役と役付きも着実にランクアップし[14]、1978年に当時のトップスターにして副組長兼任だった榛名由梨主演『隼別王子の叛乱』で新人公演初主演[21]。
1979年には『宝塚テレビロマン・はいからさんが通る』に青江冬星役で出演[21]。また、いずみたくに歌唱力を認められ、1983年よりレコード、CDを数枚リリースしている[22]。
ステージに関しては一徹で厳格であったが、オフステージではファンのみならず多くの仲間に親切で気遣いを欠かさなかったという(久世星佳、麻路さき、若央りさ、轟悠、真織由季、天海祐希など月組所属であったものの談話より)[23][24]。
1985年、大地真央の後を受け月組のトップスターに就任[25]。相手役はこだま愛[26]、トップ披露公演は『ときめきの花の伝説 / ザ・スイング』[25]。
以降1990年まで5年間トップを務め、『ME AND MY GIRL』の1年間続演は宝塚史上初となった[7]。
1990年サヨナラ公演『川霧の橋 / ル・ポアゾン 愛の媚薬』東京公演千秋楽をもってこだま共々退団した[27]。
宝塚退団後は、舞台を中心にコンサートや映像、また2010年からは故郷・富山にてラジオパーソナリティや映画の吹き替えをこなすなど活動の幅を広げている[28]。一時期、舞台以外の活動では平仮名の「つるぎみゆき」名義で出演していた[29]。
2011年から2015年までオーバード・ホール名作ミュージカル上演シリーズの全作品に出演[30]。2012年の『ハロー・ドーリー!』は好評により翌年、富山と東京で再演され[31]読売演劇大賞優秀女優賞を受賞した[32]。
2015年、前年に創立された「宝塚歌劇の殿堂」の殿堂入り選考において、タカラジェンヌでは高峰妙子とともに殿堂入りを果たした[33][34][35]。
下級生時代、幾度となく野川由美子と人違いされた。これには剣と野川の顔立ちが似ていることと、共に生活圏が関西地方にあったこと[注 1] も背景にあった[36]。
大の魚嫌いである。一番嫌いなものはちりめんじゃこで「死骸の山」だと本人談。共演者にちりめんじゃこを化粧前の鏡に貼られたり、引き出しに置かれる悪戯を度々された[37]。
1988年、榛名の退団公演『戦争と平和』(星組・宝塚大劇場公演)でのサヨナラショーの際、女役の扮装をした剣が登場し榛名とデュエットダンスを踊る、という"サプライズ"があった。他組の現役トップの、しかも女役としての特別出演だった[38]。
2009年12月2日に行われた宝塚60期生同期であった大浦みずき(同年11月14日死去)のお別れ会の弔辞は三浦朱門、阿川佐和子、植田紳爾、剣が担当した[39]。
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他、宝塚歌劇団公演実況アルバムなど多数
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