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日本の神奈川県藤沢市にあるバス事業者 ウィキペディアから
株式会社江ノ電バス(えのでんバス)は、神奈川県藤沢市に本社を置くバス事業者。江ノ島電鉄の完全子会社。小田急電鉄の連結子会社(孫会社)であり小田急グループに属する。
江ノ電バス本社(江ノ島電鉄本社事務所内) | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸一丁目8番16号[1] |
設立 |
1998年(平成10年)8月12日 (江ノ電バス株式会社)[2] |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 1021001000300 |
事業内容 |
一般乗合旅客自動車運送事業 一般貸切旅客自動車運送事業 特定旅客自動車運送事業 |
代表者 | 代表取締役社長 飯塚周次[1] |
資本金 | 5,000万円[1] |
売上高 |
26億2060万5000円 (2010年3月期) |
営業利益 |
4245万4000円 (2010年3月期) |
純利益 |
1億6,840万6,000円 (2024年3月期)[3] |
総資産 |
13億5,571万6,000円 (2024年3月期)[3] |
従業員数 | 462人[1] |
決算期 | 3月末日 |
主要株主 | 江ノ島電鉄 100%[1] |
外部リンク | https://www.enoden.co.jp/bus/ |
特記事項:2008年4月1日に株式会社江ノ電バス藤沢へ商号を変更[2]、2019年4月1日に株式会社江ノ電バスに商号を再変更[2]。 |
「江ノ電バス」の名称は時系列とともに以下の変遷が存在するが、本項ではこれら全てを一括して扱う。
現在は江ノ島電鉄の分離子会社である株式会社江ノ電バスが、路線バス・高速バス・貸切バス・特定バスの運行を行っている。一般路線バスの路線網は神奈川県内のみを運行し、江ノ島電鉄線の沿線である藤沢市南部と鎌倉市のほか、同社の鉄道路線が走らない横浜市にも拠点を持つ。横浜市内では南部の戸塚区・港南区・栄区・磯子区を中心に路線網を持ち、2019年12月15日までは横浜駅にも乗り入れていた。
もともとは江ノ島電鉄がバス事業を直営していたが、1998年に江ノ電バス株式会社を設立し、一部路線の移管と管理の受委託を進めてきた。2007年に江ノ電バス横浜を設立し、江ノ島電鉄が直営していた横浜営業所と鎌倉営業所の一部を移管し、バス事業の分社化を完了した。江ノ電バスも江ノ電バス藤沢に改称し、旧鎌倉営業所の一部路線とともに管理を受託し、江ノ島電鉄による直営は終了した。
いずれも江ノ島電鉄の子会社であった。
江ノ島電鉄より譲渡された旧藤沢営業所・旧手広営業所管轄路線、鎌倉湖畔線の一般路線の運行と、京都・大阪、金沢、秋田(田沢湖・角館)方面の夜行高速バスの運行、公共施設や一般の貸切バス事業も行っていた。車両後部裾部には「江ノ電バス藤沢」と表記されていた。
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸一丁目8番16号 |
設立 | 2007年(平成19年)6月1日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 8021001005318 |
事業内容 | 一般乗合バス事業 |
代表者 | 代表取締役社長 飯塚周次 |
資本金 | 5000万円(2010年3月31日時点) |
売上高 | 27億4136万6000円(2010年3月期) |
営業利益 | 2284万5000円(2010年3月期) |
純利益 | 1424万9000円(2010年3月期) |
純資産 | 8025万5000円(2010年3月31日時点) |
総資産 | 6億8003万7000円(2010年3月31日時点) |
従業員数 | 231人(2018年3月31日時点) |
決算期 | 3月末日 |
主要株主 | 江ノ島電鉄 100% |
外部リンク | https://www.enoden.co.jp/bus/regular/ |
特記事項:2019年4月1日に江ノ電バス藤沢に合併し解散。 本社は江ノ島電鉄本社事務所内。小田急電鉄の連結子会社。 |
全て神奈川県内に所在。
一般路線バスの主なターミナル駅は、辻堂駅、藤沢駅、大船駅、戸塚駅、鎌倉駅、上大岡駅。かつては横浜駅にも1時間1本程度乗り入れていたが、2019年12月16日のダイヤ改正で撤退している。
各路線の詳細については、江ノ電バス湘南営業所、江ノ電バス鎌倉営業所、江ノ電バス横浜営業所を参照。
夜行高速バス(江ノ電バスでは「夜間高速バス」と呼称[12])は、2020年3月末をもって全路線が撤退した。このうち金沢と田沢湖の2路線は、相模鉄道の撤退による受け皿として参入したものであった。
一般路線用・高速観光バス用ともに集中配備傾向があり、藤沢・横浜両営業所は日産ディーゼル(現、UDトラックス)製、鎌倉営業所は三菱ふそう製が大部分を占めていた。2011年にUDトラックスが日本国内向けバス生産の中止を発表すると、横浜は三菱ふそう、藤沢(湘南)ではジェイ・バス製(いすゞ自動車・日野自動車)が次第に数を増やすようになっている[22]。
1950年代後半から1960年代前半にかけては日産自動車製やトヨタ自動車製の導入も見られた。戦後のバス事業再開時は様々なメーカーの車両が採用されていたが、1950年代中頃に民生デイゼルのRRバス(BR系・RF系)を性能的に高く評価し[注釈 1]、また納期の確実性などから日産車・日産ディーゼル車の比重が高くなり、1970年代までに藤沢・横浜両営業所には日産車・日産ディーゼル車、鎌倉営業所(後の裏八幡車庫)、大船営業所(現:鎌倉営業所)には三菱車が集中配備され、少数派のいすゞ車は1970年代から1980年代には藤沢営業所に集中[注釈 2]される図式が成立した。
その当時は藤沢営業所において、高根線(藤沢駅 - 高根)ほぼ専用のナロー型ツーマン車はいすゞBA10N(社番115・116)であったが、1980年12月9日の116号車置き換えに際しては日産ディーゼルK-RM80Eが導入された。ただし、8.6mクラス(短尺車)の標準幅ツーマン車(日産NUR690、いすゞBA743、いすゞBA10)が数台在籍していた当時は、運用の都合でナロー車を他路線のツーマン運用に充当し、標準幅車が高根線に入線する事もしばしばあった。 1970年代以前から集中配備の傾向は強かったが例外も多数あり、各営業所に複数メーカー車が混在していた。しかし1975年10月16日に大規模な配転を実施した結果、同一営業所(鎌倉営業所横浜支所は本所と別個とみなす)には同一メーカー車でほぼ統一された。1976年7月には例外的に、当時長尺路線車の配置が無かった鎌倉営業所(本所)に日産ディーゼルU20Nが7台新製配備されたが、翌1977年9月にふそうMP117Nの新製配備を受けて全車横浜支所に転属している。
また、これ以前は転属を頻繁に実施しており、顕著な例では在籍期間中に5回転属し、藤沢、鎌倉、大船、横浜の各営業所を数年おきに渡り歩いた車両が、1963年式三菱MR470の中に2台[注釈 3]存在したが、以後はあまり実施されなくなった。ただし、これ以後も各営業所の車両需給と使用年数均衡化の関係から、廃車時期まで1~2年と迫った経年車を転属させる措置は時折実施されており、所属車両の中に他メーカー車が1~2台混在する事象は度々発生している。
2000年代頃までいすゞ自動車製は数台が導入されている程度であった。いすゞ車の在籍は、1983年7月11日(書類上は7月13日)に最後の中扉ツーマン車であるいすゞBA10(1971年式、社番117)の廃車[注釈 4][23]でいったん途絶えた。その後、1988年8月30日にP-LR312F(短尺車)を、前述の高根線用の日産ディーゼルK-RM80Eの代替として導入した。続いて1991年2月22日からは大型車U-LV324Qの導入があり復活した。
小型車は過去には日産ディーゼル・RNも在籍していたが、日野自動車製の割合が高く、ミニバス路線用のリエッセ・ポンチョが在籍し、近年は車両代替によりポンチョが増備されている。日野車はそのほか、定期観光バス用のマイクロバスリエッセII、鎌倉市のパーク&ライド用のレインボーHR(7m車)など、長らく小型車のみであったが、2014年に初の大型路線車としてブルーリボンIIが導入された。また2016年・2017年に大型路線車にブルーリボン(2代目)が導入された。
高速路線・貸切観光・定期観光用は、日産ディーゼル製と三菱ふそう製が導入されている。特定車は、学校送迎用のいすゞ・エルガや2代目ガーラミオ、鎌倉プリンスホテル送迎用の日産・シビリアンなどが在籍する。
車体は長らく富士重工製でほぼ統一しており、1994年まで鎌倉営業所配置の三菱ふそう車も富士重工製車体で架装していたのが大きな特徴である。
ただし、戦後初期のいすゞBX91は帝國車体、BX95は川崎車体、ふそうB23は東急車両及び目黒車体、1956年製の民生RS80は新日国車体、1959年製のトヨタDR10は新三菱車体、1961年製の小型貸切車三菱B10(ローザ)は三菱車体、1969年製の中型貸切車三菱MR620は呉羽車体、1977年~1981年にかけて導入された神奈川中央交通からの譲受車(後述)三菱MR410は呉羽車体、1983年製の小型貸切車三菱K-BK215F(ローザ)は中京車体、1986年製の中型貸切車三菱P-MK515Jは呉羽車体である。P-MK515Jの廃車は1995年12月である一方、1995年3月には三菱自動車バス製造車体の三菱U-MP218Pが購入されているので、所有車両の全車が富士重工車体となった期間は全く存在しない。
2012年9月現在在籍している156号車(日産ディーゼル)は、富士重工が最後に製作した17Eボディー車であり(2003年3月末の納入)、富士重工製造の路線バスとして最終製造車とされている。
特徴的な車両を積極的に導入することでも知られている。古くは南関東では珍しくキャブオーバー車を愛用した事業者で、1965年4月4日まで在籍していた。最多時で日産再生シャーシー車(ガソリンエンジン)が28台、いすゞBX91の車体載せ替え車が4台在籍した。その風貌から「ダルマさん」と呼ばれて親しまれ、特に前者は「小ダルマ」、後者は「大ダルマ」と呼ばれた[24]。その反面、ボンネット車の導入は比較的少数で、1963年3月29日に最後の1台(いすゞBX95、1950年式、社番139。後述の車体載せ替え更新車)が廃車となり消滅している。
また1958年7月23日には、エアサスの貸切車(民生デイゼルRFA91)を神奈川県内のバス事業者として最初に導入した。その後は1970年3月31日に日産ディーゼル初の4サイクルエンジン車PR95の市販1号車を購入している。
鎌倉営業所は、JR戸塚駅前発着に高台にある団地路線が多いことから比較的乗客が多く、全長11m超の長尺仕様で三菱ふそうのシャーシ+富士重工の車体という、きわめて珍しい組み合わせの車両を保有していた(すでに全車廃車)。また、近年では鎌倉営業所管内にある大学の学生輸送などの関係から2007年には改造仕様の4枚折戸長尺ワンステップ車のエアロスターが導入され長尺車が復活したほか、三菱ふそう・エアロスター-Sの標準尺・長尺ノンステップバスも相次いで導入されている。
それとは逆に、藤沢地区は平坦な地形ゆえに自転車の普及率が高く、加えて鎌倉・江ノ島といった観光地を有するも道路事情が悪く渋滞が激しいことから、近年の乗客減少が著しい。そのため、2000年から9m大型路線車として全国的に珍しい、日産ディーゼル・RPが導入されている。
路線車のカラーはオレンジとクリーム色である。また、路線車のうち2002年から2006年にかけて導入された車両のうち一部は、江ノ電開業100周年記念塗装として、やや黄色味のオレンジ色に屋根部を濃い茶色としており「ENODEN」の黒文字が入る[注釈 5]。この記念塗装は従来の広告スペースにシールタイプの広告を掲出できるようになっており、具体的には「ENODEN」の黒文字が車体の後方にオフセットされてマーキングされているのはそのためだが、実際にシールタイプの広告を掲出しているのは横浜営業所のごく一部の車両に限られている。100周年記念塗装車は各営業所に数台在籍しており、114号車(いすゞ)と200号車(日デ)はメーカーサンプルカーであるため、他の車両とは座席形状などの仕様が異なる。
小型路線車は一部を除き「こまわりくん」の愛称が付けられ、専用カラーとなっている。
貸切車は古くは路線車と同色、1967年式車からは朱色とアイボリー、2019年現在は小田急グループ共通色を採用しているが、養護学校の送迎専用車のみは朱色とアイボリーのカラーを踏襲している[22]。
高速バスは、日産ディーゼル製の新車から上がダークグリーンメタリック、白線を介して下がレモンイエローに改められた。
装備品の特徴としては、左ウィンカー点滅時に連動して鳴る左折警報装置(ウィンカーチャイム)や、後退の際に後方への注意促進のため車体後部に取り付けられたバックブザーが挙げられる。ウィンカーチャイムはデンソー製で、音は「キンコンキンコン」と鳴るタイプのもので、2002年までの導入車は標準装備だった。左折警報装置やバックブザーは、2003年の途中以降は一部の高速路線車(羽田空港線用の車両)を除き省略されている。
2003年以降の車両は小田急グループマテリアルズ仕様で導入されている。小田急グループ全体で一括発注することにより、コストを抑えながら短期間で大量の更新が可能になっている。このため、ドア配置や内装などは小田急グループのバス事業者共通の仕様になっている。
2007年3月より、全車にドライブレコーダーを設置し、2012年には全車両を対象に緊急地震速報受信ラジオが設置され、受信するとラジオ放送が車内に流れるようにする(車体にその旨を示すステッカーが貼付されている)など、安全の確保にも努めている。
他社からの中古購入車は、1949年のバス事業再開時は各方面から寄せ集めてきたため、戦前製のダッジブラザース、シボレー、フォード等の外車も在籍した。それ以降は小田急グループからの導入例があり、1972年8月に小田急電鉄からふそうB905Nの観光タイプを6台購入し、全て貸切センターに配属した。
1964年から1966年頃にかけて江ノ電初のワンマンバスとして大量導入した日産ディーゼル4R93・4R94、三菱MR490の廃車時期が一斉に訪れたため、老朽車更新が新車購入だけでは賄いきれなくなったため、1977年6月8日から1981年12月23日にかけて、神奈川中央交通からの移籍車を大量に購入した例がある。内訳は以下のとおり。
1982年以降は、中古車での導入例はない。
また中古車の譲渡に関しては、江ノ電バスは基本的には車両寿命まで長期にわたり使い続ける傾向があり、他社への移籍は比較的少数であった。過去の例では、1960年代に日産キャブオーバー車(再生シャーシ車)を高松バスや企業・学校送迎用の自家用向けに譲渡した。1958年式いすゞBA351D(3台)は仙北鉄道に譲渡。1987年に貸切車の日産ディーゼルK-RM80Eが中古車販売業者に売却された。
近年は排出ガス規制により使用年数が短くなったため、他社への移籍例が見られるようになった。旧114号車(いすゞ・キュービック)はDPFの不具合のため導入後短期間で除籍された後国際興業バスに移籍し、その後飯能営業所所属時に同社の復刻塗装ラッピングを施され、同社最後のキュービックとして2018年3月25日のさよなら運転で引退するまで活躍した[25]。その他、広島バスや道南バス、佐世保市交通局(当時)などへも移籍している。
かつては車両の改造を比較的頻繁に実施していた。最も大規模な改造としては、在籍期間途中での車体載せ替えがあり、いすゞBX91(1948~1949年式、4台)を1956年にボンネット型からキャブオーバー型化、いすゞBX95(1950年式、1台)を1957年にボンネット型のまま車体載せ替えが、いずれも富士重工で施工された。
次に規模の大きい改造例としては、中扉折戸ツーマン車に対する前扉増設、中扉引戸化のワンマン化改造がある。この改造は1964年3月のワンマン車初導入1年前に購入された1963年3月~4月新製車の一部に対して実施され、日産ディーゼル4R103(4台)を1970年1月に、三菱MR470(3台)を1970年10~11月に施工された。
座席の配置や種類の変更改造は最も実施例が多く、改造年代の古い順に列挙すると以下の例がある。
非冷房車に対する冷房取付改造は例が少なく、1980年12月10日に大型路線車最後の非冷房車として導入された日産ディーゼルK-U31N(1台)、三菱K-MP118N(1台)に対して1983年7月11日竣工で施工されたのみである。
なお、前述の神奈川中央交通からの譲受車のうち、1978年11~12月に購入された日産ディーゼル4R94(5台)、三菱MR410(3台)以外の37台については、神奈中の独自仕様である後ヒンジ式前扉から通常の前ヒンジ式に改造の上で導入している。
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