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BaBe
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BaBe(ベイブ)は、1980年代後半に活動した日本の女性デュオ、タレントである。
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表記は "BaBe" が正しく、"Babe"、"BABE" は誤り。片仮名表記は、2ndシングルまでは「ベイヴ」と表記されていた。
1987年に、当時流行だったマイケル・フォーチュナティのカバー曲「Give Me Up」でデビュー。ジャズダンス教室で結成されたユニットが元になっているため、当時としては他に類を見ない激しいダンスを踊りながら歌う「歌って踊る」スタイルで人気を得た。そのため、ダンスパフォーマンスを売りにする女性アイドルグループの元祖となった。二階堂ゆかりの結婚により1990年3月31日に解散。
活動当時の所属事務所はエスワン・カンパニー[1][注 1]。別名義:Vis-à-Vis(ヴィザヴィ)。前身ユニット:ブレイカーズ → ハートブレイカーズ。
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メンバー
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略歴
要約
視点
近藤と二階堂の2人は、それぞれ別のアマチュアバンドでボーカルとして活動していた。「アルバイトをしながら好きなことを探そうと思っていた」近藤と、「短大に行って保母さんになろうと思っていた」二階堂は、高校卒業後から通い出したジャズダンス教室「一の宮はじめ ジャズダンスアカデミー」で出会う。(教室に入ったのは二階堂の方が先だった[7]。なお、1985年11月中旬に教室が移転。移転後の所在地は東京都渋谷区宇田川町25-4 ダッキープラザビル6F)
1984年、ダンス教室内で近藤と二階堂の2名に対し、「ブレイカーズ」のユニット名が与えられる。そして同年11月17日公開の映画『ザ・オーディション』に、「ブレイカーズ」名義で出演。
1985年10月、同ジャズダンス教室が主催した『ダンシングミュージカル フィナーレには花束を』に近藤と二階堂が出演。そして、ミュージカルで共演したセイントフォーの所属事務所「日芸プロジェクト」(当時の所在地:文京区音羽1-24-10)にスカウトされ、近藤、二階堂、そして映画『ザ・オーディション』に出演していた年下の佐伯万里子を加えた3名で、ダンスボーカルユニット「ハートブレイカーズ」を結成。センターポジションは近藤。デモテープを作成したり、各地のイベントや学園祭でライブ活動を行ったり、ラジオ番組出演、雑誌掲載などの仕事を行う。
1986年、斉藤さおり(後の麻倉あきら)がデビューする際にライブに帯同し、「斉藤さおり&ハートブレイカーズ」名義で活動。
その後、近藤、二階堂の2名で「エスワン・カンパニー」に移籍し、新ユニット「BaBe」として1987年2月21日にレコードデビュー[8][9]。デビュー時のキャッチフレーズは「DANCIN' ANGELS」。 マネージメントは古米浩平(ふるまい こうへい)や藤原正剛(ふじわら せいごう)が務めた[10]。公式ファンクラブ名は「BaBe & THE GANG」で、約2,000名の会員がいた[注 3]。この他、ファンによる私設のサークル「BaBe LaBo」も1989年春に作られ、BaBeのライブ後には会員による情報交換、抽選会、記念撮影などの集会が開かれたり、1990年4月まで会報も毎月発行されていた(発行された会報は計10冊で、100名以上の会員がいた)。
デビュー時はいわゆるアイドルとして活動し[注 4]数々の歌番組・バラエティ番組へのテレビ出演は無論のこと、その年の新人賞レースにも参戦していた。しかし、翌年からアーティスト指向に方向転換し、活動のフィールドをラジオ番組やライブハウス出演などに比重を移す。後半のアルバム『Brand-new』(1989年)や『CONTRAST』(1990年)では作詞にも挑戦している。
1987年、2ndシングル「I Don't Know!」にて数々の新人賞を受賞(詳細は受賞歴の節を参照)。
1990年1月中旬より二階堂が風邪をこじらせ、それが肺炎となり、同年2月4日より一週間ほど都内の病院に入院[11]。本来であれば、同年3月11日(東京・恵比寿ファクトリーI)、3月28日(大阪)、3月29日(福岡)、4月15日(名古屋)と、春のライブツアーが開催される予定だったが、同年2月にリハーサルの遅れを理由に延期を発表。既に販売されたチケットの代金も払い戻された。
1990年2月17日、近藤の誕生日でもある日に、二階堂が入籍。相手は、二階堂が高校時代から7年に渡って交際してきた1歳年上の男性。
1990年2月18日付の『スポーツニッポン』の芸能欄にて、二階堂が妊娠4ヶ月で入籍したことにより、同年3月一杯でBaBeが解散することが報じられた。翌19日付の『東京中日スポーツ』や、同2月発売の雑誌『週刊明星』(1990年3月8日号)でも追報。2人は当初「BaBeはどちらかが結婚する時が解散する時」としていたという。
1990年3月、二階堂が挙式。この模様は、『スポーツニッポン』(3月25日付)、『週刊明星』(4月12日号)、『女性セブン』にて報じられた。
BaBe解散後、1990年8月に二階堂が第一子を出産。その後も子供をもうけ、計3人の子供を育てた。一方、近藤はしばらくソロで活動。斉藤満喜子のプロデュースやラジオ出演、関西ローカルのテレビ出演などをしていたが、やがて近藤も結婚を機に芸能活動を引退した。
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エピソード
![]() | この節に雑多な内容が羅列されています。 |
テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。 |
ラジオ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、CDなどでの販売や公式なアーカイブなど常に参照可能な状態のネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。 |
- 事務所の方針で、近藤と二階堂共に、デビューした時の年齢のプロフィールを2歳若く詐称していた[12][13]。そのため、成人式など年齢にかかわる取材は断っていたという[6]。また、給料は固定制で月7万円しか貰えなかったこともあり、2人ともアルバイトをしながら活動していた[12][13]。
- 二階堂はデビュー前、モスバーガー[4] や、すかいらーく武蔵野西久保店でアルバイトをしていた[14]。武蔵野西久保店は、(株)すかいらーくの本部横に所在していたこともあり、人事部の目に留まり店舗ビデオマニュアル「welcomeすかいらーく」に出演している。二階堂が起用されたビデオマニュアルは1992年頃まで全国の店舗で使用された。しかし、I Don't Know!のプロモーションビデオはデニーズで撮影されている。一方、近藤は高校時代から玉川高島屋[14]、元禄寿司、東急ストア、レストランなど様々な所でアルバイトをしていた[4]。
- 著名なダンサー兼振付師として知られる五十嵐薫子(のちの香瑠鼓)が、石井明美に次いで振付をしたのがBaBeである[15]。BaBeに本格的なダンスを教えるために、ジャズダンスのレッスンを受けさせた後に[16]、「Give Me Up」の振付を教えた[15]。しかし、そもそも二階堂と近藤はデビュー前にジャズダンススクールで出会っていて、ミュージカルにも出演した程度の基礎はあった(近藤は痩せたくて、ジャズダンススクールに通っていたと語っている)[要出典]。香瑠鼓はその後、Wink(鈴木早智子・相田翔子)の振付も担当している[17]。
- その風貌から、近藤は「富田靖子のNG」、二階堂は「クロマティに似ている」と言われたことがあった[18]。
- BaBeが解散する直前の1990年3月5日、ニッポン放送のラジオ番組『デーモン小暮のオールナイトニッポン』の、リスナーが意見を投稿するコーナー「悪魔で生ラジオ」にて、解散後の近藤を憂う「どうするどうなる BaBeの近藤」のテーマが取り扱われた。そして翌週の3月12日には近藤が緊急ゲスト出演し、今後の身の振り方を相談した。 なお、同ラジオ番組では、芸能人・著名人の変な言動を集めて競わせ、番付を付けていくコーナー「夜霧の横綱審議会」でも、1988年に近藤の発言が度々取り上げられ、その結果、近藤は「関脇」に認定された[19]。
- 2017年7月11日、二階堂が、歌手デビューした長女の満月あいりと共に『ノンストップ!』(フジテレビ)に出演し、27年ぶりにテレビに登場した[12][13][20]。二階堂は、前記の年齢詐称や低月給を補うためのアルバイトの件などを述べ、また、番組中に近藤へ電話をして、解散後も交流があることを語った[12][13]。
- 2025年5月27日に放送された『特報!歌の大辞テン2025』(日本テレビ)の昭和6月の18位に「I Don't Know!」がランクイン、二階堂と近藤の2人がVTR出演し、解散後初のテレビ共演となった[6]。前記の年齢詐称のほか、二階堂は働きながら主婦、近藤は介護士と、現在の職業を明かした[6]。
ディスコグラフィ
シングル
非売品
BaBe プロモ12inchシングル
- Hold Me! (EXTENDED DANCE VERSION)(1987年)
- B面曲は競作アーティストであるサマンサ・ジルズの『Hold Me (SPECIAL EXTENDED VERSION)』。
BaBe カセットテープ
- Chance Once Again 〜ハッピーエンドは、もう少し〜(大阪「ひらかたパーク」のCMソング)
Vis-à-Vis名義 プロモ7inch/12inchシングル
- It's So Wonderful (You're The Part Of Mine)(Extended Med. Club Mix)(1988年)
- c/w Love In The First Degree
- B面曲はアルバム『Fight!』にも収録されている楽曲だが、A面曲の方は元々BaBeのアルバム用に録音されたものの収録から漏れた楽曲。それを1988年の夏にDJリミックスチーム「M.I.D(Mixs International DJ)」の丸本修がFMラジオ番組のオンエア用ソースとしてRemixし、「BABY-SITTERS LIMITED」と銘打たれ、BaBeではなく「Vis-à-Vis(ヴィザヴィ)」名義で、xyz recordsから7inchレコードと12inchレコードの2種でプロモーショナルオンリーでアナログプレスされた。なお、7inchと12inchとではそれぞれエディットが異なっている。大村雅朗がアレンジし、バックコーラスには女性バックダンサーチーム「Dee-Dee」の元メンバー、キャリアン(Carrie Ann)が参加している。
アルバム
オリジナル・アルバム
ミニアルバム
ベスト・アルバム
バックボーカル参加曲
解散後の近藤のソロ曲
レコード化されていない楽曲
- It's So Wonderful (You're The Part Of Mine)
- BaBeのアルバム用に録音されたものの収録から漏れた楽曲。同曲のリミックスバージョン「It's So Wonderful (You're The Part Of Mine) (Extended Med. Club Mix)」は、1988年に「Vis-à-Vis」名義で非売品としてアナログプレスされているが、オリジナルバージョンはレコード化されていない
- いじわる天気
- Chance Once Again 〜ハッピーエンドは、もう少し〜
- 大阪「ひらかたパーク」のCMソング。レコード化はされていないが、非売品のカセットテープは存在する
その他
- BaBe - Night Tempo presents ザ・昭和グルーヴ(2020年2月14日、デジタルリリース)
- Give Me Up(Night Tempo Showa Groove Mix)
- I Don't Know(Night Tempo Showa Groove Mix)
映像作品
ビデオ、レーザーディスク
- Hey Bravo!(1987年8月21日、40分、VHS:V78M1512、LD:G78M-0212、ポニーキャニオン)
- 作品のキャッチコピーは「元気いっぱい ビジュアル感覚」。Live映像の3曲は1987年5月31日の日本青年館公演
- I Don't Know! (Live)
- The Boy is Mine (Live)
- Somebody Loves You 〜明日の恋人〜
- じゃじゃ馬ならし(近藤ソロ)
- ひとりぼっちのWarriors
- I Don't Know!
- My Shiny Rain(二階堂ソロ)
- ipi-iyi 〜自分だけの呪文〜(Live)
- Give Me Up
- NG集
- おまけ「I Don't Know!」フリツケ
- プロジェクトA子3 シンデレラ♥ラプソディ(OVA、1988年6月21日、ポニーキャニオン)
- レーザーディスク盤の特典映像として、シングル『Get a Chance!』のPVが収録されている
- Thank You(1990年6月21日、45分、VHS:PCVP-10229、LD:PCLP-00034、ポニーキャニオン) - 解散後の作品
- 作品のキャッチコピーは「元気いっぱいありがとう…。永久保存版メモリアルビデオ。」
- No Satisfaction(近藤ソロ)
- She has a dream
- WAKE UP!(インクスティック芝浦ファクトリーでのライブ風景を使用したPV)
- Get a Chance!
- TONIGHT!
- Hold Me!
- Somebody Loves You 〜明日の恋人〜
- I Don't Know!
- Give Me Up
- Brand-new Generation
- NG集
CDビデオ
- CDV GOLD 〜 Mujaki Genki Suteki(1987年9月21日)
- ビデオパート
- I Don't Know!
- オーディオパート
- The Boy is Mine
- ひとりぼっちのWarriors
- ipi-iyi 〜自分だけの呪文〜
- Give Me Up
タイアップ
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受賞歴
以下、全て1987年のシングル曲「I Don't Know!」にて。「テレビ番組における歌唱」の節も参照
- 1987年6月26日:第6回 メガロポリス歌謡祭新人賞(テレビ東京)優秀新人賞
- 1987年10月16日:全日本歌謡音楽祭(テレビ朝日)新人奨励賞
- 1987年10月17日:銀座音楽祭(フジテレビ)最優秀新人賞
- 1987年10月30日:輝け! 第18回 日本歌謡大賞(フジテレビ)放送音楽新人賞
- 1987年11月25日:第29回 日本レコード大賞 (TBS) 新人賞[25]
- 1987年12月4日: 第20回 日本有線大賞 (TBS) 新人賞[26]
- 1987年12月10日:第20回 全日本有線放送大賞(読売テレビ・日本テレビ)新人賞
- 1987年12月15日:第16回 FNS歌謡祭(フジテレビ)最優秀新人賞
主な出演
要約
視点
テレビ番組における歌唱
※ 在京キー局のテレビ番組の放送日は首都圏のもの。地方の系列局の放送日は異なる場合がある。
テレビドラマ
テレビ番組
- アッコにおまかせ!(1987年11月29日、TBS)
- さんまのまんま(1988年3月7日、関西テレビ[注 69];フジテレビ、1988年3月9日深夜〈首都圏〉)
- ねるとん紅鯨団(1988年4月9日、フジテレビ)[注 70]
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)
- 1988年4月11日、テレフォンショッキング
- 1988年6月 - 9月、レギュラー出演
- 火曜ワイドスペシャル「所さんの大わらい!うちら陽気なミュージシャン 」(1988年4月19日、フジテレビ)- 「アイドル声あてクイズ」に出演[注 71]
- 欽ちゃんのどこまで笑うの!?(1988年5月3日、テレビ朝日)[注 72]
- Lady's Knight(1988年10月15日 - 1989年3月25日、日本テレビ)
- パオパオチャンネル(テレビ朝日) - ウッチャンナンチャンと共に金曜レギュラー。BaBeは番組の途中で降板したが、最終回の1989年9月29日に再び出演した。
- ビショップinナイト Live King(1990年4月24日 - 1991年、ABCテレビ) - 解散後、近藤が原田伸郎と共に司会を務めた音楽オーディション番組。
- 解散後
映画
ミュージカル
ラジオ番組
- カモン・BaBeのハロームービー夢工場(ニッポン放送) - 嘉門達夫と共演の番組
- ジャジャ馬BaBeのハロームービー(ニッポン放送)
- ABC東京発 アーチストNOW(1988年4月 - 9月、ABCラジオ) - パール兄弟のサエキけんぞうと共に水曜レギュラー
- Lo-Dライブコンサート(1988年5月28日、エフエム東京) - 麹町のエフエム東京ホール(キャパ350人)での公開生放送ライブ。司会:井上堯之、田中美登里。
- デーモン小暮のオールナイトニッポン(1988年6月20日、ニッポン放送) - ゲスト出演
- BaBeのハートを狙い撃ち( - 1989年3月)
- BaBeのGood Luck(1989年11月28日 - 1990年1月23日、エフエム福岡、毎月第4火曜日の深夜の5分番組)
- BaBeのBang the Beat(1989年11月28日 - 1990年1月23日、エフエム福岡、毎月第4火曜日の深夜の放送)
- MBSヤングタウン・キンド館(1989年7月 - 1990年4月6日MBSラジオ) - 金曜深夜に東野幸治・石田靖と共演。二階堂のみ3月2日までの出演
- 解散後
- デーモン小暮のオールナイトニッポン(1990年3月12日、ニッポン放送) - 近藤がゲスト出演
- 小林豊のスーパーギャング(1990年10月 - 1991年3月、TBSラジオ) - 近藤がレギュラー
- ABCミュージックパラダイス(1991年10月 - 1992年3月、ABCラジオ) - 近藤が山田雅人と共に月曜レギュラーとして出演
- 高田純次の男・夕焼けまわり道(ニッポン放送) -近藤がレギュラー
CM
コンサート、ライブ
- 1987年5月31日 - 日本青年館
- 1987年8月20日 - 京都会館
- 1987年10月29日 - 新宿歌舞伎町のディスコ「XENON(ゼノン)」
- サマンサ・ジルズと共に出演し、シングル「Hold Me!」を披露。
- 1988年1月31日 - 中野サンプラザ
- 1988年3月21日 - 大阪厚生年金会館 大ホール
- DANCE & LIVE FACTORY「BaBe, FRIDAY NIGHT LIVE!」
- 1988年4月1日〜12月2日まで、インクスティック芝浦ファクトリーで毎月第1金曜日に開催されたマンスリーライブ(全9回開催)。この芝浦でのライブの様子は、映像作品『Thank You』収録の「WAKE UP!」のPVで観ることができる。
- BaBeフレッシュサウンズコンサート(1988年8月24日、倉敷市児島駅前「瀬戸大橋架橋記念博覧会」)
- SUNPU博アイドルステージ(1989年3月26日、静岡市・駿府公園「SUNPU博'89」)
- Brand-new heart(1989年4月 - 、BaBe初の全国ツアー)
- Sun downconcert(1989年5月、国立代々木競技場「国際スポーツフェア」)
- 世界デザイン博覧会 オープニングイベント(1989年7月、名古屋市・白鳥センチュリープラザ しろとりステージ)
- Bang! THE Beat '89
- 1989年7月〜8月20日に開催したライブツアー。7月29日:広島、8月20日:原宿・クエストホール、ほか全国13ヶ所。
- Bang! THE Beat '89 vol.2「共感」(このツアーは男性ダンサーを1名ゲストに迎えて開催)
- 1989年12月5日 - 大阪梅田・amHALL
- 1989年12月6日 - 名古屋
- 1989年12月10日 - 恵比寿ファクトリーI
- 1989年12月19日
- 他、福岡などでも開催。
- この他、CLUB CITTA'など数か所[要説明]
学園祭
- 1987年10月22日 - 徳山大学
- 1987年10月25日 - 東北学院大学
- 1987年10月31日 - 北九州大学(近藤は体調不良で欠席。二階堂が単独でコンサートを行った)
- 1987年11月2日 - 大分医科大学
- 1987年11月3日 - 早稲田大学
- 1987年11月4日 - 金沢大学
- 1987年11月5日 - 中央大学
- 1987年11月7日 - 三重大学
- 1987年11月8日 - 中京女子大学
- 1987年11月14日 - 東洋女子短期大学、東洋英和女学院大学短期大学部、東京外国語大学
- 1987年11月21日 - 産業能率短期大学
- 1987年11月22日 - 電気通信大学
- 1987年11月23日 - 駿河台大学
- 1988年 - 三重県立四日市工業高等学校(ライブの途中で公演中止)
- 1989年11月3日 - 高岡短期大学「第4回 創己祭」(富山県高岡市)
イベント
- 1989年10月 - 多摩そごうのオープニングイベント
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写真集
- 『BaBeのおもしろ絵本 Oh!SUSUME(オ・ス・ス・メ)』(1988年4月、近代映画社)ISBN 978-4-76481-511-7
連載
- Catch the BaBe(音楽雑誌『Hundred』。1989年12月号 - 1990年3月号。発行:プラネット)
脚注
参考文献
外部リンク
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