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大湊地区隊
海上自衛隊の地区隊 ウィキペディアから
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大湊地区隊(おおみなとちくたい、英語: Ominato Area Command)は、海上自衛隊が設置している横須賀地方隊隷下の地区隊である。艦艇などに対するロジスティクス支援や災害派遣、地元自治体との連絡調整を実施する[1][2]。主要部隊は青森県むつ市大湊町にある大湊基地に配備されている。
かつては防衛大臣直轄部隊の大湊地方隊(おおみなとちほうたい、英語: Ominato District)として編成されていたが、2025年3月24日付で横須賀地方隊に統合され、大湊地区隊に改編された(後述)[1][3]。
概要
2025年3月に、大湊地方隊を改組する形で、新たに横須賀地方隊隷下の組織として新編された。地方隊ではなく地区隊であるが、自衛艦等が籍を置くいわゆる「母港」の機能を有する。
大湊地方隊としては、1952年(昭和27年)8月1日に保安庁及び警備隊が発足した後に、日本における海上軍事力の再整備が本格化した1953年(昭和28年)9月16日に編成された。1954年(昭和29年)7月1日、警備隊が海上自衛隊に改組。帝国憲法下では大湊は要港という軍港に次ぐ規模の軍事港湾で、海上自衛隊発足当初におかれた五つの地方総監部のうち唯一旧海軍の鎮守府ではなく、要港部から発展した警備府が由来であり、実質的に鎮守府への「昇格」を果す形となっていた。
大湊地区隊への改編
要約
視点
改編法案の国会提出(2024年)当時、警備区域をまたいだ外国勢力の活動が活発化する中で、北方から太平洋の沿岸を一体的に迅速、効率的に対処するために、地方隊の改組が必要とされ行われたものである[4][5][6][7]。
経緯
2023年7月1日に産経新聞が「海上自衛隊が大湊、舞鶴の両地方総監の廃止を検討している」と報じ、その理由として「陸海空自衛隊の作戦指揮を担う『統合司令官』を新設することに伴ってポスト統廃合の必要が生じたため」とした[8]。
同年8月31日に防衛省は令和6年度概算要求で、「防衛及び警備、災害派遣等において、北方から太平洋にかけて一体的な対応を可能とし、運用の柔軟性を向上させるため、大湊地方隊を改編し、横須賀地方隊と統合」し、「大湊地区における定員規模は維持」しながら「大湊地区において後方支援全般を担う部隊を新編」すると明らかにした[9]。
大湊地方隊の統合などを盛り込んだ組織改編は、2024年5月10日に自衛隊法などが改正されて成立した[10]。
2025年3月24日に大湊地方隊は大湊地区隊に改編された[1]。初代の大湊地区総監は、大湊地方総監であった近藤奈津枝海将が引き続き就いた[11]。
内容
改編に伴い、大湊地区隊の任務は、自衛艦隊へのロジスティクス支援、災害派遣、地方自治体との連絡調整などに重点が置かれる[12]。大湊地方隊に所属していた警備隊、弾薬整備補給所、造修補給所などは地区隊が引き継いだ[13]。地区隊の隊員数は2,930人で、改編前と比べて30人増加した[12]。また、大湊基地では2025年5月現在、大型護衛艦の係留を視野に入れた芦崎湾の
影響
2024年5月11日に元防衛大臣の衆議院議員(青森1区)である江渡聡徳は、統合を巡り「県や地域としての活動が少なかった」と青森市内で述べ、地元の経済団体から抗議を受けた[10]。
同月30日にむつ市は、市議会および地元団体と連名で、防衛省および自由民主党本部に対して、地区総監の海将としての継続配置などを求める要望を提出した[16]。
大湊地方隊
主な任務は、北海道及び青森県以北の海域(太平洋・日本海・オホーツク海)における防衛及び警備、災害派遣、艦艇及び航空機に対する後方支援、機雷等の危険物の除去、民生協力等であった[17]。なお、隷下に教育隊は置かれていなかった。
警備区域は、日本海側・太平洋側ともに青森県以北の北方(北海道及び青森県の区域並びに青森県と秋田県の境界線が海岸線と交わる点から270度に引いた線と青森県と岩手県の境界線が海岸線と交わる点から90度に引いた線の北側にある北海道及び青森県の周辺海域及び沿岸海域で[18][19])で、日本の北端部の海域・地域にあたっていた。宗谷海峡と津軽海峡も担任区域内で、津軽海峡については、大湊地方隊隷下の松前警備所・竜飛警備所を中心に監視し、宗谷海峡については稚内基地分遣隊に加え、冬季を除いて艦船を派遣し監視にあたり[20]、特にロシア海軍の海峡通行について関心を持ち、監視を行なっていた[17][21][22]。
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沿革
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→「大湊警備府」も参照
- 9月16日:保安庁警備隊に「大湊地方隊」が新編。
- ※大湊地方隊新編時の編成(大湊地方総監部、函館基地隊、大湊基地警防隊)
- ※新編時の大湊地方総監部の編成(総務部、警備部、航路啓開部、経理補給部、技術部)
- 10月10日:総監部が電電公社電気通信学園跡に移転。
- 10月16日:総監部組織の改組(航路啓開部の廃止、調査室の設置、通信所の昇格)
- 10月21日:総監部開庁式が挙行。
- 1954年(昭和29年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 5月1日:「大湊通信隊」を新編。
- 1956年(昭和31年)
- 5月16日:「大湊航空隊」がシコルスキー S-51ヘリコプター3機により新編[23]。
- 1957年(昭和32年)
- 1961年(昭和36年)
- 2月1日:総監部組織の改組(総務部を廃止し人事部を新設、防衛部に第1~第4幕僚班を設置)「大湊補給所」及び「大湊工作所」を新編。
- 9月1日:八戸航空隊が第2航空群に改編され航空集団隷下に編成替え。「八戸航空工作所」を新編。
- 1968年(昭和43年)
- 1970年(昭和45年)
- 3月2日:総監部組織の改組(人事部を管理部に改称、第1~第4幕僚班を幕僚室に改称、第5幕僚室を新設、監察官を新設「大湊造修所」、「大湊水雷調整所」を新編。大湊工作所を廃止。
- 10月1日:総監部に幕僚長を設置。大湊基地警防隊を「大湊警備隊」に改称。
- 1971年(昭和46年)
- 1974年(昭和49年)
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 5月8日:総監部新庁舎(現庁舎)の落成式挙行。
- 1981年(昭和56年)
- 9月1日:「大湊衛生隊」を新編。
- 1982年(昭和57年)
- 1985年(昭和60年)
- 1987年(昭和62年)
- 1月31日:第32護衛隊が廃止、「第23護衛隊」が第4護衛隊群から編入。
- 1993年(平成5年)
- 3月22日:余市防備隊に「第1ミサイル艇隊」を新編、第1魚雷艇隊が廃止。
- 3月31日:大湊警備隊に「大湊防空陸警隊」を新編[23]、大湊陸警隊が廃止。
- 7月12日 - 8月12日:北海道南西沖地震に対する災害派遣。
- 1997年(平成9年)
- 3月24日:隊番号の改正により、第23護衛隊が「第25護衛隊」に、第35護衛隊が「第27護衛隊」に改称。
- 1998年(平成10年)
- 12月8日:補給整備部門の組織改編。
- 大湊補給所と大湊造修所が統合され「大湊造修補給所」に改編。
- 大湊水雷整備所が「大湊弾薬整備補給所」に改編。
- 八戸航空工作所が第2航空修理隊に改編され航空集団隷下に編成替え。
- 2002年(平成14年)
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2010年(平成22年)
- 2017年(平成29年)
- 2022年(令和4年)
- 2025年(令和7年)
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編成

※ 令和7年3月24日時点
大湊地方隊廃止時の編成
※ 令和7年3月23日時点
総監部
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主要幹部
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室蘭の自衛隊誘致
旧海軍では、第五海軍区を統括する室蘭鎮守府が計画されたが、実現には至らなかった。
2006年(平成18年)2月、北海道室蘭市では、市議が発起人となり、室蘭港への海上自衛隊基地誘致を目指す「防災拠点港実現に向けて海上自衛艦を誘致する会」が発足している[38]。室蘭港に耐震構造の防災埠頭を作り、災害発生時の物資輸送、避難・救助活動の拠点港にしようというものであり、海上自衛隊の自衛艦を誘致することで、防災拠点としての実効性が高まり、さらなる港湾整備に弾みがつくという設立趣旨である。
防衛省も、北海道への新たな海上自衛隊基地建設に関心があるとされ、室蘭港を有望な候補先としていると言われる。実際に2004年2月には、自衛隊イラク派遣のため、室蘭港からおおすみ型輸送艦を使って装甲車両などの機材搬出を行っており[39]、海上自衛隊艦船の寄港も多い。設立総会には、大湊地方隊函館基地隊司令が招待された。
ただし、2011年(平成23年)12月7日の室蘭市議会では、平成10年の自衛艦入港数が15隻あったのが、平成21年には1隻に減少したことが指摘されたが、市側は自衛隊との連携は自衛艦の室蘭港入港促進への積極的な誘致策を行なっていないと答弁している[40]。
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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