トップQs
タイムライン
チャット
視点

安藤梢

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

Remove ads

安藤 梢(あんどう こずえ、1982年7月9日 - )は、栃木県宇都宮市出身の女子サッカー選手。三菱重工浦和レッズレディース所属。元サッカー日本女子代表学位体育科学博士筑波大学大学院2018年[2]筑波大学 人間総合科学学術院 人間総合科学研究群 スポーツウエルネス学・助教

概要 安藤 梢, 名前 ...
Remove ads

経歴

要約
視点

ユース

父親の影響で3歳ころからボールを蹴り始め、幼稚園の年中の時に男子のサッカークラブに入った[3]。小学3年生からは通っていた小学校のサッカー少年団に入り[3]、小学4年生のときからは阿満憲幸が1999年に立ち上げた栃木県内の女子サッカーチーム「河内サッカークラブジュベニール」を掛け持ちしてプレーしていた[3][4]。このチームの後輩には鮫島彩がいた[5]。小学5年生のときには手塚貴子から指導を受けた[4]。小学6年生の夏、河内SCジュベニールは全国少女サッカー大会に出場して優勝を果たし、安藤は大会MVPを獲得した[6]。小学校の卒業文集には、「世界一のサッカー選手になる!」と書いたが、約16年後のドイツ女子W杯でそれを実現している[5]

中学時代の3年間は男子サッカー部でプレーした[4]

中学校卒業後、栃木県立宇都宮女子高等学校に進学し、女子サッカー部に入部[4]。当時はトップ下、フォワードとしてプレーしていた。

高校1年の冬、アメリカで行われたアディダスカップのU-18日本代表で活躍した。高校3年時には全日本女子ユース (U-18)サッカー選手権大会準優勝の立役者となった。

栃木県立宇都宮女子高等学校を卒業後、筑波大学に進学し女子サッカー部に所属。男子サッカー部の練習にも参加した[4]

シニア

さいたまレイナスFC〜浦和レッズレディース

2002年、筑波大学在学中に同大学女子サッカー部を退部してさいたまレイナスFCに入団。入団初年度から出場機会を与えられ、シーズン終了後Lリーグ新人王を受賞した。2004年度と2009年度にはリーグ優勝を経験し、双方の年度でリーグ最優秀選手・得点王となった他、リーグベストイレブンに6回選出された。一方、サッカー部からの退部後も筑波大学に残り、大学卒業後も2005年に同大学の大学院に進学して、研究活動と選手活動を両立させていた。2006年に浦和レッズレディースとプロ契約を結んだ。

ブンデスリーガ (デュースブルク、1.FFCフランクフルト、SGSエッセン)

2009年12月27日ドイツ女子ブンデスリーガ1部のFCR2001デュースブルク (FCR 2001 Duisburg)への移籍が発表された[7]。翌2010年3月、ツヴァイテ (2軍) チームに出場して1得点を挙げた[8]。ツヴァイテチームでの出場はこの試合限りであり、トップチームでの試合出場が中心である。この年度は、女子DFBポカールで優勝を経験した。

2013年1月31日、2009年から在籍したFCR2001デュースブルクが破産申請した影響を受け、1.FFCフランクフルトへの移籍が発表された[9]

2015年5月14日、1.FFCフランクフルトが、UEFA女子チャンピオンズリーグで7大会ぶり4回目の優勝。決勝では後半42分から左MFで途中出場し優勝の歓喜を味わった[10]。日本のUEFA女子チャンピオンズリーグ制覇は、大儀見優季大滝麻未に次いで3人目の快挙となった。

2015年10月21日SGSエッセンへの移籍が発表された[11]。この一連のドイツ滞在中、安藤は筑波大学の博士課程を休学するなどし、同大学での学籍を残していた[12]

浦和レッズレディース(2017年- )

2017年6月1日、7年半ぶりに古巣の浦和レッズレディースに復帰した[13]

2018年には大学院進学から14年目で筑波大学で博士(体育科学)の学位を取得した[14]

2021年3月1日、サッカーのトップリーグの現役選手のままで筑波大学体育系の助教に就任した[注釈 1][15]

2022-23シーズン、主にセンターバックとしてリーグ戦全試合に出場し、チームのWEリーグ初優勝に貢献。MVPとベストイレブンを受賞した[16]

2024年1月20日に行われた第45回皇后杯準決勝サンフレッチェ広島レジーナ戦で負傷し、左膝前十字靭帯損傷(全治8~10ヶ月)と診断された[17]

代表

1999年、16歳(高校1年生)で日本代表に召集され、FIFA女子ワールドカップ アメリカ大会でA代表デビューを果たした[18]

アテネ北京と、2度オリンピックに出場した他、2007 FIFA女子ワールドカップに出場した。当初はフォワードミッドフィールダーとして招集されていたが、大橋浩司監督時代より右のサイドバックとして招集され、実際の試合においてもサイドバックまたはサイドハーフとして起用される機会が増えた[19]

監督が佐々木則夫になってから再びFWとして起用される事となり、2011年第6回FIFA女子ワールドカップでは、全6試合に2トップの一角として先発出場、得点こそなかったが優勝に貢献した。同年7月9日に行われた準々決勝ドイツ戦では延長戦の末に1-0で初めてドイツを下し、監督の佐々木は「(ドイツ戦の)MVPは安藤にやりたいくらい」とそのプレーを称賛した[20][21]

同年7月21日、栃木県出身の鮫島彩とともに、同県女性史上初の栃木県民栄誉賞を受賞した[22]

2012年8月10日、ロンドンオリンピックにおける銀メダル獲得の貢献に対して、鮫島彩とともに栃木県スポーツ功労賞を授与された[23]

2015年6月に開催されたFIFA女子ワールドカップカナダ大会ではグループリーグ初戦のスイス戦で前半27分に安藤がペナルティエリア内で相手GKに倒されPKを獲得し、これを宮間あやが決め日本は1-0で勝利したが、安藤は相手GKと交錯した際に左足首を骨折して負傷交代をしており、その後チームからの離脱を余儀なくされ、出場はこの1試合にとどまった[24]

Remove ads

個人成績

クラブ

さらに見る クラブ, シーズン ...

代表

主な出場歴

試合数

さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...

出場試合

さらに見る 出場試合一覧, # ...

ゴール

さらに見る ゴール一覧, # ...
Remove ads

タイトル・表彰

クラブ

代表

個人

  • WEリーグ
    • 最優秀選手: 1回 (2022-23
    • ベストイレブン: 2回 (2021-22, 2022-23)
    • 優秀選手賞: 2回(2021-22, 2022-23)

表彰

出版

著作

  • 安藤梢『世界でたたかうためのKOZUEメソッド』講談社、2012年 ISBN 978-4063787153

関連書籍

  • 上野直彦『なでしこの誓い 世界一の心のきずな物語』学研教育出版、2012年 ISBN 978-4052035203

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads