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若前田英一朗
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若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう、1930年11月24日 - 2007年6月3日)は、愛知県清須市(現役当時は、同県西春日井郡西枇杷島町)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は由井 秀夫(ゆい ひでお)。最高位は東関脇(1958年5月場所、同年7月場所)。現役時代の体格は174cm、129kg。得意手は右四つ、寄り、押し[1]。
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来歴
名古屋市内で旋盤工として働く傍ら相撲部で活躍し、1949年の巡業の折に複数の部屋から勧誘されたのを機に高砂部屋に入門し、1950年1月場所に於いて初土俵を踏んだ[1]。
四股名である「若前田」は、師匠の現役名、「前田山」に因んでいる(初名は本名でもある「由井」で、1952年5月場所より、この四股名に改名)。
1953年3月場所で十両に昇進し、1954年5月場所で入幕した。この新入幕の場所では9日目に急性虫垂炎を発症したが、注射で散らして土俵に上がって3連勝し勝ち越し[1]を決め、そのあと千秋楽まで休場し、不戦敗なしの休場という珍しい星取りを残した(12日目朝に、あらかじめ13日目以降の休場届を提出していたため)。
1958年1月場所から3場所連続で鏡里、若乃花、千代の山らを倒して敢闘賞を受賞し、翌年1月場所では横綱・栃錦を破って技能賞を受賞した。新関脇から2場所続けて10勝5敗と二桁勝利を挙げる活躍で大関昇進も期待された[1]が、膝関節の負傷で果たせなかった。
立ち合いの一気の押し、モロ差しから寄り立てる速攻相撲が持ち味であった[1]。
1964年1月場所限りで引退し、年寄・尾上を襲名したが同年9月場所後に廃業し、以後は名古屋市で相撲料理店やアパートを経営した。
2007年6月3日、病気のため死去。76歳没。
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主な成績・記録
- 通算成績:484勝475敗24休 勝率.505
- 幕内成績:355勝389敗6休 勝率.477
- 現役在位:67場所
- 幕内在位:50場所
- 三役在位:7場所(関脇3場所、小結4場所)
- 三賞:4回
- 敢闘賞:3回 (1958年1月場所、1958年3月場所、1958年5月場所)
- 技能賞:1回 (1959年1月場所)
- 金星:3個(吉葉山1個、若乃花2個)
- 各段優勝
- 三段目優勝:1回 (1951年9月場所)
- 序ノ口優勝:1回 (1950年5月場所)
場所別成績
幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。
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改名歴
- 由井 秀夫(ゆい ひでお):1950年1月場所-1952年1月場所
- 若前田 英二朗(わかまえだ えいじろう):1952年5月場所-1956年9月場所
- 若前田 英次朗(わかまえだ えいじろう):1957年1月場所-1957年5月場所
- 若前田 英二朗(わかまえだ えいじろう):1957年9月場所-1958年1月場所
- 若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう):1958年3月場所-1960年7月場所
- 若前田 雷三(わかまえだ らいぞう):1960年9月場所-1963年7月場所
- 若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう):1963年9月場所-1964年1月場所
年寄変遷
- 尾上 英一朗(おのうえ えいいちろう)1964年1月-1964年9月
参考文献
- 『戦後新入幕力士物語 第1巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社、1990年)
関連項目
脚注
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