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日浦市郎
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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日浦 市郎(ひうら いちろう、1966年3月4日 - )は、将棋棋士。安恵照剛八段門下。棋士番号は164。北海道静内郡静内町(現日高郡新ひだか町)出身。
棋歴
要約
視点
1976年、小学5年で第1回小学生将棋名人戦で準優勝。1980年11月、中学3年時に6級で奨励会に入会。
1984年、18歳で四段昇段( = プロデビュー)。昇段日が4月4日であったため、1984年度(第43期)の順位戦参加に僅かに間に合わなかった。
一時期羽生善治に対して勝率が高かったことから、「羽生キラー」[1]あるいは「マングース」[2](ハブの天敵の意)と呼ばれていた。第20期(1989年度)新人王戦においては、準々決勝で羽生に勝利(この時点で、羽生に3連勝)。そして、中川大輔との決勝三番勝負を2-0で制し、棋戦初優勝を果たす。
順位戦では第47期(1988年度)にC級1組昇級を決めるなど、デビュー以来、初参加の第44期(1985年度)から第61期(2002年度C級1組順位戦)まで18年間、負け越しがなく、第62期に4勝6敗で初めて負け越した。その間、8勝2敗が4度もあったが、昇級に寄与したのは1回だけであった。
竜王戦では、第2期竜王戦(1989年度)4組で昇級者決定戦を制し、3組へ昇級。第4期(1991年度)竜王戦3組で準優勝し、2組初昇級を決めるとともに本戦トーナメントにも初進出(初戦敗退)。第7期(1994年度)に残留に失敗したものの、次の第8期(1995年度)に3組優勝をして2組への即復帰を決め、本戦では5組優勝の行方尚史(前期に新四段で挑戦者決定三番勝負進出)を相手に1勝を挙げる。続く第9期(1996年度)には2組準優勝で本戦進出するとともに、初の1組昇級を果たす(本戦は初戦敗退)。以降、5期連続で1組に在籍。
第62期棋聖戦(1993年度)で本戦出場。第39期王位戦(1998年度)で初の王位リーグ入り。屋敷伸之棋聖(当時)に勝利するものの、他は全敗し1勝4敗でリーグ陥落。第11期(2003年度)銀河戦では決勝トーナメント1回戦で阿部隆に勝ち、ベスト8入り。
第17期竜王戦(2004年度)では、2組の昇級者決定戦を制し、1組へ復帰。しかし、翌期の第18期から第20期まで合計6連敗を喫した事で、一気に4組まで降級となった。
第53期(2012年度)王位戦で、2度目の王位リーグ入り。白組で当期挑戦者となる藤井猛に唯一勝利する活躍を見せるも、それ以外では全敗を喫し、またしても1勝4敗でリーグ陥落。
2013年度は絶不調に陥り、年度の全成績で5勝16敗に終わった。しかし、順位戦では4勝して降級点を回避し、竜王戦でも4組の残留に成功した。
プロ入り後、五段昇段から八段昇段(2010年4月16日)までを全て勝数規定で昇段したが、これは阿部隆、中田宏樹、中川大輔に続いて史上4人目。また、八段昇段の時点で順位戦の自己最高位がC級1組であったのは、屋敷伸之、渡辺明に続き史上3人目。但し2人は順位戦の昇級よりタイトル獲得等での昇段が早かったために起こったことであり、日浦の場合は(新人王戦での優勝はあるものの)タイトル戦登場の経験もなく26年間C級に留まって年21勝ものペースで勝ち星を積み重ねた、非常に珍しいケースである。そして、2012年10月10日・第54期王位戦予選(佐藤紳哉戦)に勝利し、順位戦においてB級2組以上に在籍歴がない棋士としては史上初めて公式戦通算600勝(将棋栄誉賞)[3]を達成した。
2018年度は、前述した2013年度以上の大不振に陥る。年度の全成績は5勝20敗と大幅に負け越し、年度内に18連敗を喫した。順位戦では開幕から9連敗となり、棋士人生で初めての降級点となったが[4]、最終局で1勝する意地を見せた。加えて、最終局の相手は近藤正和だったが、前述通り勝利したことで、近藤をC級2組への降級に追い込んでいる[5]。
2019年度は竜王戦で3連敗し、5組へ降級。順位戦では4勝6敗の成績で、辛うじて降級点の回避に成功する[6][7]。そして翌年度に6勝4敗と勝ち越したことで、降級点の抹消に成功した。
2021年度は第71回NHK杯で活躍。予選を3連勝して11年度振りに本戦進出を果たすと、若手の強豪である池永天志、王座のタイトル保持者かつ弟弟子である永瀬拓矢に連勝した。特に永瀬には初対戦から6連敗と大苦戦していたが、7戦目にしての初白星となった。
2023年度は順位戦で最終局を待たずしてC級2組降級が決まった。
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棋風
その一方で、序中盤で攻めが見込めなくなる、形勢が大差になるなど不利な局面になると、早々と見切りを付け短手数で投了する傾向もある。
エピソード
- 若手時代は文筆を得意とし、「将棋世界」や「週刊将棋」等に、ユーモラスな文章やパロディ文等を発表した。
- 公的な対局の際には殆どの棋士がスーツを着用して臨むが、日浦はクールビズで臨むことが多い。
- 強豪アマだった瀬川晶司のプロ編入問題において、最初期からプロ入りを支持・協力した数少ない棋士の1人である。日浦にとって瀬川は安恵門下の弟弟子にあたるが殆ど交流はなく、また「一匹狼」とも評される日浦の後押しを瀬川らは驚きつつも大いに喜んだ[8]。
- 第33期竜王戦(2020年度)の5組昇級者決定戦1回戦において、藤倉勇樹と対局し敗戦。藤倉はこの勝利によって史上初となる、フリークラス規定の特例による現役続行を果たしている(詳細は藤倉の項目を参照のこと)。
- 2021年8月16日、新型コロナウイルスに感染したことが日本将棋連盟から発表された[9]。これにより8月17日に行われる第7期叡王戦で野月浩貴八段との対局が延期された。また、日本のプロ将棋棋士の感染者が確認されたのは初となる[10][11]。8月23日、症状消失による復帰が発表された[12]。
臨時対局規定違反
- 日本将棋連盟は2022年2月1日から2023年3月12日に亘り「臨時対局規定」を実施し「対局中は、一時的な場合を除き、マスクを着用しなければならない」「対局者が第一条の規定に反したときは反則負けとする」としていた[13]。これに対し日浦は「マスクは感染予防効果がないため、マスクを着けない」と週刊文春等の取材で主張していた[13][14]。
- 日浦は2023年1月10日、第81期順位戦9回戦において、マスクから鼻が出ていた旨を相手の平藤眞吾から指摘されるも応じず、立会人からも計3回の指摘を受けるも正しいマスク着用を拒否[15]。これにより、臨時規定違反として反則負けの裁定を受けた[15]。
- 2月1日第49期棋王戦予選・対三枚堂達也戦でも、開始直後からマスクから鼻を出していたため、立会人から2回注意を受けたが、これを拒否して2局連続の反則負けとなった[16][17]。
- 2月7日、第81期順位戦10回戦で、鼻出しマスクで3局連続反則負けとなった[18][19]。これを受けて日本将棋連盟は声明を出し、円滑な対局運営に支障が生じていることから、懲戒処分等の厳正な措置を講じるとした[19][20]。
→詳細は「2022年度の将棋界 § 臨時対局規定」を参照
昇段履歴
→昇段規定については「将棋の段級」を参照
主な成績
棋戦優勝
- 新人王戦 1回(1989年度 = 第20回)
- 優勝合計 1回
珍記録
- 順位戦C級1組在籍 連続35期(第48期 - 第82期)
在籍クラス
年度別成績
その他表彰
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著書
- 投了の真相 プロの実戦即詰み100題(1996年2月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-89563-650-X)
- ゼったい詰まないZの法則(1996年10月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-89563-661-5)
- 羽生善治名人位防衛戦の舞台裏 羽生VS森内七番勝負での強さの秘密(1996年12月、エール出版社、ISBN 4-7539-1590-5)
- 実践詰みの急所 投了の真相2(1997年12月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-89563-672-0)
- Zの法則(MYCOM将棋文庫、2003年11月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-1307-2)
- 角換わり腰掛け銀最前線 ~いま、プロが注目する三つの指し方~(2015年11月、マイナビ出版、ISBN 978-4-8399-5766-7)
- 横歩取り最前線 ~いま、プロが注目する2つの手段~(2016年10月、マイナビ出版、ISBN 978-4-8399-6119-0)
- Zの法則 絶対詰まない終盤の奥義(『Zの法則』と『投了の真相』の合本)(2016年11月、マイナビ出版、ISBN 978-4-8399-6132-9)
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脚注
関連項目
外部リンク
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