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福崎文吾

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

福崎文吾
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福崎 文吾(ふくさき ぶんご、1959年12月6日 - )は、将棋棋士田中魁秀九段門下。棋士番号は135。大阪府守口市出身。十段王座のタイトル獲得歴がある。竜王戦1組通算10期。2025年4月の引退まで現役最年長棋士(2024年6月19日以降、引退時65歳4か月

概要 福崎文吾 九段, 名前 ...
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棋歴

要約
視点

順位戦[注 1]第38期の初参加から連続の1期抜けで昇級を重ね、3期でB級1組[注 2]まで昇級した(加藤一二三中原誠二上達也に次いで史上4人目のスピード昇級)。

  • 第25期十段戦では米長邦雄十段への挑戦を決め、これがタイトル初挑戦となった。当初は米長が圧倒的に有利とみられていたが、4-2で十段を奪取した。福崎は3局を穴熊で勝利し、米長はうち2局を相穴熊で戦ったが、及ばなかった。後にタイトル戦での思い出に残る対局として、この十段戦でタイトル奪取を決めた対局を挙げている。対局終了後、タイトルを奪われた米長の意外な行動について、福崎は以下のように述べている。「このとき、ありえないようなことが…。対局後、僕のところに米長先生がつかつかと歩み寄ってきて、花束をくれたんですよ。『おめでとう』といって。びっくりしました。タイトルを失うと収入がガタ落ちするんですよ。それなのに、奪い取った相手に花束をくれる。その感激は一生忘れませんね」[1]
  • 1987年3月に終えた第45期順位戦では十段のタイトルを保持したまま、順位戦B級1組から降級した。このとき高橋道雄王位・棋王、中村修王将(タイトルは当時)もB級2組におり、翌期はタイトル保持者3人がB級2組に在籍する極めて珍しい事態となったが、福崎は早くも翌期の第46期順位戦でB級1組復帰を決めた。第51期順位戦ではB級1組で羽生善治を破り、羽生にとっては同期B級1組順位戦唯一の黒星となった。以後、第60期順位戦までB級1組に在籍した。
  • 第26期十段戦では高橋道雄を挑戦者に迎えたが、0-4で失冠。高橋の矢倉に対抗して、全局を相矢倉で戦った。まずは矢倉で1勝してから、穴熊を使う予定だったという。以降も高橋には非常に相性が悪く、公式戦の対戦成績は21連敗を含む1勝22敗に終わった。
  • 第39期王座戦谷川浩司から3-2で王座を奪取。最初に福崎が2勝するも、谷川が2勝を返して迎えた最終局で、福崎が千日手指し直しの末に勝利した。このタイトルは翌期の第40期王座戦羽生善治に0-3で奪われ、その後羽生は王座のタイトルを19期に渡り保持し続ける事となる。いつしか「福崎は前王座を19連覇中」「福崎文吾名誉前王座」とのジョークまで生まれ、本人もネタとして使っていた[2]。第59期での羽生の失冠に伴い、福崎が以前ほど「前王座」と呼ばれる事も無くなったが、その後も「名誉前々王座」などと呼ばれることがあった。
  • タイトル在位歴があり、段位も九段であるがA級経験がない[注 3]という、珍しい棋歴である。2021年にフリークラスに転出し、2025年4月に引退したことで「タイトル在位歴があり、A級経験がない」初の引退棋士となった。
  • 福崎は2022年度を0勝10敗の成績として全棋戦で初戦敗退した[3]。複数タイトル経験者の年度全敗は、加藤一二三(2015年度全敗・0勝20敗)[4]以来の事例である。
  • 現役最年長棋士であった室岡克彦(生年月日1959年3月21日、当時65歳2か月)が2024年6月18日に引退し、以降は福崎が現役最年長棋士(生年月日1959年12月6日、同日時点で64歳6か月)となった。福崎は2024年12月に満65歳となり、2025年3月末を以ってフリークラスの在籍期限を満了、2025年4月22日の第38期竜王戦6組昇級者決定戦の対局(有森浩三八段 戦)に敗れ引退した(引退時65歳4か月、通算成績678勝814敗)[5][6][7]。引退局の対戦相手の有森八段も福崎と同じく2025年3月末を以ってフリークラスの在籍期限を満了しており、敗者が即引退となる「鬼勝負」対局であった[7][注 4]。なお、福崎引退後の現役最年長棋士は高橋道雄九段(生年月日1960年4月23日、同日時点で64歳11か月)となる。
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棋風

  • 振り飛車穴熊を得意とし、相手の意表をつく手順で相手を幻惑し、「妖刀」の異名を持つ。
  • 第23期十段リーグで谷川浩司を得意の振り飛車穴熊で破ったとき、当時若くして名人であった谷川をもってして「感覚を破壊された」と言わしめたことがある。
  • 坂田三吉の将棋を全局並べた数少ない棋士の一人である。

人物・嗜好など

  • 関西本部所属。関西弁での笑いを前面に押し出した解説は人気があり、大盤解説などにもよく登場する。ただかつては今と違い、近づきがたい雰囲気を放っていたと小林健二が語っている。
  • 夫人は元女流棋士福崎睦美(旧姓、兼田)。
  • 若手時代、瀬戸内海の小島で居住していたころがあり、その後に大阪在住にもどった後、B1クラスに上った[8]
  • 実はゲーマーでもある。若い頃には妻から「クーラーを買ってきて」と現金を渡されたが、デパートで見かけたパソコンゲームに嵌り、持っていた現金も何のためのものかすっかり忘れてパソコンを衝動買いしてしまい、妻にひどく怒られたこともある[9]。2017年頃からゲーマーの側面がメディアでも取り上げられるようになり、ニコニコ生放送でゲーム実況の番組が企画されるほどになっている[10]

エピソード

  • 2023年10月12日に行われた第1回達人戦予選で、午前10時から行われた増田裕司との予選4組準決勝の対局に勝利し、同日午後2時からは予選4組決勝を阿部隆と対局する予定だったが、この日の対局が1局のみと勘違いして帰宅してしまった。午後2時過ぎに自宅でスマホを見たところ午後の対局があることに気付いたが、持ち時間の1時間以内に到着できない状態だったため、電話でその旨を日本将棋連盟関西支部に連絡し、予選4組決勝の対局は不戦敗となった[11]

昇段履歴

  • 1975年00月00日 : 5級 = 奨励会入会
  • 1976年00月00日 : 初段
  • 1978年10月11日 : 四段 = プロ入り
  • 1980年04月01日 : 五段(順位戦 昇降級リーグ3組<C級1組>昇級)
  • 1981年04月01日 : 六段(順位戦 昇降級リーグ2組<B級2組>昇級)
  • 1982年04月01日 : 七段(順位戦 昇降級リーグ1組<B級1組>昇級)
  • 1990年03月26日 : 八段(勝数規定/七段昇段後公式戦190勝)
  • 2005年10月28日 : 九段(勝数規定/八段昇段後公式戦250勝)[12]
  • 2025年04月22日 : 引退(通算成績678勝814敗)[5][6]

主な成績

要約
視点

獲得タイトル

他の棋士との比較は、タイトル獲得記録将棋のタイトル在位者一覧を参照。

タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 備考
竜王 0
名人 0
叡王 0
王位 0
王座 1991 2回 1期
棋王 0
王将 0
棋聖 0
旧タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 備考
十段 1985 2回 1期
登場回数4、獲得合計2期
タイトル戦登場
  • 十段:2回(1985年度=第25期 - 1986年度)
  • 王座:2回(1991年度=第25期 - 1992年度)
登場回数 合計4回

一般棋戦優勝

優勝合計 1回

将棋大賞

  • 07回(1979年度) 新人賞・勝率第一位賞
  • 第14回(1986年度) 殊勲賞

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...

年度別成績

さらに見る 年度, 対局数 ...

その他表彰

勝数表彰
現絵勤続表彰
  • 2003年11月 - 現役勤続25年
  • 2018年11月 - 現役勤続40年[50]
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著書

脚注

関連項目

外部リンク

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