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1959年の大阪タイガース
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1959年の大阪タイガース(1959ねんのおおさかタイガース)では、1959年シーズンの大阪タイガースの動向をまとめる。
この年の大阪タイガースは、田中義雄監督の2年目のシーズンであり、6月25日の対読売ジャイアンツ第11回戦がプロ野球初の天覧試合として知られているシーズンである。
概要
前年の首位打者で2位の立役者だった田宮謙次郎が大毎へ移籍し、前監督の藤村富美男が引退するなど世代交代の加速したチームは前年入団の遠井吾郎や浅越桂一などの若手選手を開幕スタメンで起用するが、若手が伸び悩んだ。田宮の移籍した打撃陣は藤本勝巳や並木輝男などが奮闘したものの、全体で貧打にあえぎ開幕ダッシュに失敗すると、4月を5位で終了。巨人との争奪戦の末、関西大学からこの年入団した村山実が不動のエース小山正明とともに投手陣の柱となったものの、2位から4位をウロウロするなど苦しい戦いが続いた。8月以降は中日とのAクラス争いとなったものの、投打のバランスが取れた巨人を捕まえることはできず中日ともども2位で終了。投手陣の好投を打線が見殺しにする試合も目立ち、Aクラス入りしながらも田中監督はわずか2年で辞任した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 遊 | 吉田義男 |
---|---|---|
2 | 左 | 大津淳 |
3 | 三 | 三宅秀史 |
4 | 右 | 藤本勝巳 |
5 | 中 | 並木輝男 |
6 | 二 | 浅越桂一 |
7 | 一 | 遠井吾郎 |
8 | 捕 | 山本哲也 |
9 | 投 | 小山正明 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 77 | 48 | 5 | .616 | 優勝 |
2位 | 大阪タイガース | 62 | 59 | 9 | .512 | 13.0 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 64 | 61 | 5 | .512 | 13.0 |
4位 | 国鉄スワローズ | 63 | 65 | 2 | .492 | 15.5 |
5位 | 広島カープ | 59 | 64 | 7 | .480 | 17.0 |
6位 | 大洋ホエールズ | 49 | 77 | 4 | .389 | 28.5 |
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入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
オールスターゲーム1959
→詳細は「1959年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 取り消し線は出場辞退
選手・スタッフ
試合結果
※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
※セーブ制度は1974年から
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個人成績
要約
視点
投手成績
※色付きは規定投球回数(182イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
- 完封合計は継投も含む
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字 はリーグ最高
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達成記録・出来事
- 3月2日 - 藤村富美男がオープン戦の巨人戦(甲子園)で引退試合が行われる。
- 4月14日 - 村山実が国鉄1回戦(甲子園)で先発デビュー。金田正一との投げ合いを制して2安打完封、初登板完封は史上15人目
- 5月21日 - 村山実が巨人8回戦(甲子園)で9回ノーヒットの活躍を見せるも、味方のエラーなどで2失点を喫しノーヒットノーランにはならず、3-2の「ノーヒットアリラン」となる(村山唯一の無安打試合)。
- 6月25日 - 巨人11回戦(後楽園)で当時の天皇・皇后を迎えて、いわゆる「天覧試合」が行われる。村山実が9回裏に先頭の長嶋茂雄に左翼ポール際にサヨナラ本塁打を打たれる。
→詳細は「天覧試合」を参照
表彰
出典
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