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1991年の阪神タイガース
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1991年の阪神タイガース(1991ねんのはんしんタイガース)では、1991年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、中村勝広監督の2年目のシーズンである。
概要
この年はいきなり開幕5連敗とつまずき、5月に8連敗、6月にはチーム新記録の10連敗・7連敗と大型連敗が相次ぎ、セ・リーグでは1965年サンケイ、1980年中日、1985年ヤクルトについで史上4度目の全日程最下位に終わった(この年は5位の大洋に16ゲームも離された)。3割打者は新外国人のトーマス・オマリーのみ、2桁勝利投手ゼロでタイトル争いに絡む選手もいない状況であった。オールスターゲームにおいてもファン投票で真弓明信しか選出されず、監督推薦はいなかった。これについて全セ・リーグを率いた巨人の藤田元司監督は「申し訳ないけれど、勝つためのメンバーを選びました」と語っており[1]、阪神の選手層の薄さを象徴していた。9月22日から中込伸・湯舟敏郎・野田浩司・猪俣隆・葛西稔と5試合連続でドラフト1位入団投手が完投勝利という快挙を達成し、これが翌年の快進撃につながっていく。9月に11勝9敗と持ち直したが、チーム打率.237、チーム防御率4.37と、投打共に低迷し2年連続最下位に終わる。[2]。シーズン終了後、総合コーチの川藤幸三が退団、田尾安志は引退[3]。
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チーム成績
レギュラーシーズン
| 順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
| 優勝 | 広島東洋カープ | 74 | 56 | 2 | .569 | -- |
| 2位 | 中日ドラゴンズ | 71 | 59 | 1 | .546 | 3.0 |
| 3位 | ヤクルトスワローズ | 67 | 63 | 2 | .515 | 7.0 |
| 4位 | 読売ジャイアンツ | 66 | 64 | 0 | .508 | 8.0 |
| 5位 | 横浜大洋ホエールズ | 64 | 66 | 1 | .492 | 10.0 |
| 6位 | 阪神タイガース | 48 | 82 | 0 | .369 | 26.0 |
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1991 サンヨー オールスターゲーム
→詳細は「1991年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
入団・退団
シーズン開幕前
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選手・スタッフ
試合結果
要約
視点
※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
- 完封合計は継投も含む
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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表彰
選出なし
達成記録・出来事
- 4月16日 - 田村勤がプロ入り初登板の広島1回戦(広島市民)の7回にプロ初登板で初打者の小早川毅彦に本塁打を喫し「初登板、初打者に本塁打」、史上34人目[5]
- 5月11日 - 藤本修二が巨人7回戦(甲子園)で4回一死からリリーフ登板して、二死目のアウトを取り、通算1000投球回、史上240人目
- 6月5日 - 中日11回戦(ナゴヤ)で敗戦を喫し球団通算3000敗、史上4球団目(3405勝3000敗236分)
- 6月9日 - 巨人10回戦(東京ドーム)で敗戦を喫し、オリックスが同日に西武12回戦(グリーンスタジアム神戸)で勝利したことで前日に並んでいた通算の敗北数がオリックスを上回る、球団史上初(3405勝3004敗236分、オリックスは3412勝3003敗255分)
- 6月13日 - ヤクルト9回戦(神宮)で敗戦を喫し、6月1日の大洋8回戦(甲子園)から続く連敗が10になった、過去4度あった9連敗を超える球団新記録(翌日の中日13回戦(甲子園)で連敗ストップ)
- 7月30日 - 野田浩司が巨人16回戦(甲子園)で9回表までに毎回12奪三振で、この時点で巨人の出場全選手から奪三振を記録していたが、9回裏に巨人が守備要員で篠塚利夫を起用し、阪神がサヨナラ勝ちをした為、篠塚が打席に立たなかったので全員からの奪三振の記録はならず[6]
- 8月31日 - 和田豊が巨人22回戦(甲子園)で二走として岡田彰布のヒットで本塁をついた際のアウトの判定に対し井野修球審に対して暴行を働いたため退場処分となった
- 9月22日 - 古屋英夫が大洋19回戦(甲子園)で9回にトーマス・オマリーに代わり一塁手で守備につき通算1500試合、史上100人目
- 9月26日 - 真弓明信がヤクルト26回戦(甲子園)で6回に川崎憲次郎から二塁打を放ち通算3000塁打、史上31人目
- 9月26日 - 葛西稔はヤクルト26回戦(甲子園)で完投勝利をあげ、22日中込伸が大洋19回戦(甲子園)、23日湯舟敏郎が大洋20回戦(甲子園)、24日野田浩司がヤクルト24回戦(甲子園)、25日猪俣隆がヤクルト25回戦(甲子園)、26日葛西と全てドラフト1位入団投手による5試合連続完投勝利を記録
- 10月8日 - 高橋慶彦が大洋24回戦(横浜)で6回にトーマス・オマリーの犠飛で生還し通算1000得点、史上23人目
- 11月28日 - 西武の立花義家を金銭トレードで獲得した
- 12月5日 - 甲子園球場のラッキーゾーンが撤去される[7]
- 12月13日 - 前大洋のジェームス・パチョレックの獲得を発表
ドラフト指名選手
→詳細は「1991年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
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