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NHK番組発掘プロジェクト

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NHK番組発掘プロジェクト(エヌエイチケイ ばんぐみはっくつプロジェクト)は、2013年平成25年)4月1日に立ち上げられた日本放送協会(NHK)のプロジェクト。テレビ放送開始から1980年代初めにかけてNHKが放送したものの、現在保存されていないテレビ・ラジオBSの番組を、番組関係者や視聴者に呼び掛けて探し出し、NHKアーカイブスに保存していくことを目的とする。発掘された番組は再放送、イベント上映、番組ライブラリーで公開されている。

概説

要約
視点

テレビ黎明期から1981年3月頃までに使用されていた放送用テープは、当時1本100万円する輸入品の2インチVTRで、非常に高価なものだった。そのため、上書きして再利用せざるを得ず、当時の映像がほとんど残されていない[1]

局側およびプロジェクト側の公表によれば、番組の保存を体系的に始めたのは1インチVTRを導入した1981年度からであるが、実際は1981年以降の保存がないものもあり、総合テレビは1983年度まで、教育テレビは1990年頃までNHKアーカイブスに残っていない番組が多い。そのため、実際は1984年4月1日以前の総合テレビ、1980年代末までの教育テレビ番組、1993年以前の衛星放送番組[注 1]1990年代までのラジオ音源も捜索されているほか[2]、同時にその時代に撮影されたプライベートフィルムも募集している。

映像機器が一般家庭にまだ普及していなかったころ、番組関係者が自分がかかわった番組を見るために、当時高額だった録画機器を購入していたことで、のちの発掘につながった例もある。たとえば、アナウンサーの宮田輝は1965年に1/2オープンリールのビデオデッキを購入し、『ふるさとの歌まつり』をはじめとする自分の出演番組を録画してきた[注釈 1][3]。のちに宮田夫妻が録画した映像はNHKに寄贈され、「宮田輝ライブラリー」としてNHKアーカイブの一つとなった[3]

他方、教育機関は早い段階から視聴覚機材を導入していることが多く、授業で用いたり、教師たちが自分で学ぶためにビデオを保管していた[4]。具体的には「手元の実習教材が実際の現場で使われているものよりも型が古いため、最新の技術の情報を得るにはテレビが一番だった」(北海道小樽水産高校[4])や、「自分の勤務先が研究授業[注釈 2]の対象に選ばれたことがきっかけで番組の録画・録音を始めた」(桐生市立商業高校元教員・安部直広)[5]といった理由である。

これ以外にも、一般視聴者が大量のビデオテープを提供した例もあった[6]

映像・音声の復元は番組に寄り切りで、『蜃気楼博士[7]のように全話そろった例もあれば、カラー放送の普及度合いに関係なく電波状況や録画機材の都合により白黒で映像が残っていた例もあった[8]。また、提供されたテープ類に詳細が記されていない場合は分析や試写が求められる[6]

1934年のラグビー日本代表の試合映像[9]や、1964年東京オリンピックの聖火リレーの映像[10][11][12]といったスポーツ関連の映像や、1933年にラジオで放送された東京府知事・香坂昌康による演説を収録したアルマイト盤レコード[13]といった歴史的なもの、さらには江戸川乱歩が撮影した映像[14]といったホームビデオや、「海鷹丸 南極記」[15]といった未公開映像が見つかった例もあった。

2017年12月1日には、発掘プロジェクトのサイトをリニューアルし、発掘重点番組に保存率表示を追加した。

2019年4月27日には、月末の最終土曜日のお昼頃に、発掘されたラジオ音源等をお届けする『発掘!ラジオアーカイブス』が放送され[16]、ラジオで放送され、プロジェクトサイト内で、ラジオ番組の情報提供も行われた[17]

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番組

要約
視点

アニメーションと実写を組み合わせた作品については、割合によって振り分ける。

おかあさんといっしょ』のように複数のミニコーナーで構成されている場合は、総合的なジャンルで判断する。

みんなのうた』関連映像についてはみんなのうた発掘プロジェクト楽曲一覧を参照。

また、少年ドラマシリーズについては少年ドラマシリーズ#作品一覧も参照。

情報番組

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ドラマ

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音楽

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バラエティー

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アニメ/人形劇

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ドキュメンタリー/教養

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趣味/教育

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ラジオ番組

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その他番組名が明言されていない例

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NHKによる関連番組

2014年5月18日に放送された『NHKとっておきサンデー』で、本プロジェクトが紹介され[181]2014年11月14日には関東地域限定で放送されている『ひるまえ ほっと』内で、プロジェクトで発掘された番組を月1回に紹介するコーナー「発掘!お宝番組」が開設された。

2022年3月には、川口のNHKアーカイブスで「発掘プロジェクト」10周年を記念したイベントが行われた[182] 。 2023年2月4日に放送された『TV70年! 蔵出し映像まつり』では、NHKアーカイブスが舞台で六角精児井上咲楽が「NHK番組発掘プロジェクト」に関わる職員の設定で登場し[183][184][注 20]、プロジェクトの詳しい内容が紹介された。

2023年4月5日から、1925年のラジオ仮放送[注 21]開局から100周年を迎える2025年に向けて、これまで残してきた映像・音声資産の再構築と価値還元を目指す為に、アーカイブ番組の強化策の一環として、発掘映像も含めたNHKアーカイブスに保存されている映像素材を取り上げた『天然素材NHK』が放送され、5日後の4月9日から、同じくアーカイブスに保存されている音源素材を取り上げた『伊集院光の百年ラヂオ』が放送されている[185]

注釈

  1. BS1、BS2
  2. 1979年2月5日放送
  3. ベータ60本分
  4. 「冷凍食品」1980年6月2日放送
  5. 数回分
  6. 「将軍追放」1973年9月16日
  7. 「小谷落城」9月23日
  8. ただし、録画上の都合により、一部の回はオープニング音楽が省かれている[64]
  9. 10数分の映像のみ
  10. 数回分
  11. 6回分
  12. 1970年7月19日放送
  13. 1975年5月放送の佐良直美登場シーンのみ
  14. 第1週の回を提供
  15. マンガン王国編「ねらわれたプリンプリンの命2」(1980年5月27日放送)
  16. 第66、314、317、408、411回
  17. 現:二代目松本白鸚
  18. 1989年 - 1994年頃までのBS番組
  19. 劇中では発掘番組の情報提供の呼び掛けの告知が行われた
    1. 紅白歌合戦』といった生放送の場合は妻の惠美が代わりに録画していた[3]
    2. 研究授業とはNHKが放送している番組を生徒に聞かせるという教育手法の一つである[5]
    3. NHK発掘映像アーカイブスによる造語で重ね録りする際、古い映像の一部が残ってしまうことを意味する」
    4. 博物館の目録には「光神」と記されており、プロジェクト側は手書きの花の字を見間違えたのではないかとしている。また、第24回は再放送であり、放送時間中にダッカ日航機ハイジャック事件の人質が解放されたという速報テロップが含まれている
    5. この職員は、小谷市ゆかりの人物・河井継之助が登場する場面のみを録画していた[54]
    6. オープニングテーマ終了から6分の欠損あり
    7. なお、この話を取り上げた脚本家・編集者の中島かずきによると、放送当時は家庭用の録画機材がまだ一般に普及していなかったが、この視聴者の家族が電器店を経営しており、たまたま最終回だけを録画していたという[76]
    8. ただし、第16回のみ電波状況や録画機材の都合により、白黒映像となっている[8]
    9. 村野は発掘プロジェクトとのインタビューの中で演出担当者の北嶋隆から貰ったと明かしている[78]
    10. 森田によると、同作では番組のレギュラーに焦点を当てた当番制が採用されており、第15話が森田の演じる軍鶏の鬼一を主題としていた
    11. なお、石田が出演したのは第11話だが、ゲスト出演に際した勉強のために第3話を録ったのではないかとみており、第11話のテープもどこかにあるかもしれないとしている[64]
    12. 放送時点ではカラー放送が普及していたが、機材の都合上、モノクロで録画された[86]
    13. のちに本人は『鉄腕アトム』の第1話と誤解していたことを明かしている[93]
    14. 提供者の中には、番組に出演経験のある東京ロマンチカ鶴岡雅義も含む[103]
    15. 収録の1か月後、司会の坂本九日本航空123便墜落事故で死亡したため、放送が見送られた[105]
    16. 「NHK番組発掘プロジェクト通信」によると、オープンリールのテープをUマチックにダビングしたのではないかと言われている
    17. VHSラベルには1973年とあるのは誤り[129]
    18. 杉良太郎(1973年1月20日放送分)[89]水沢アキ(1977年に放送されたある回)[131]矢口高雄(1981年に放送されたある回[28])、堤加蓉子(1979年出演回[132]
    19. この時は『みんなの招待席』の1コーナーだった
    20. この映像を提供したのは日本テニス協会であり、もともとはデビスカップを録画するつもりだったが、テープが終わるまで録画されていたため、偶然この番組も一緒に録画された[141][142]
    21. 第100回から109回(106回は欠落)、第222回
    22. なお、この回が放送された時点ではすでにカラー放送が普及していたが、機材の都合上白黒で録画されている[170]
    23. 河島英五(デビュー前):番組関係者より提供[175]、早稲田小劇場(現:SCOT):SCOTより提供[176]矢野顕子:家族より提供[177]
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    出典

    関連項目

    外部リンク

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