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あま市

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あま市(あまし)は、愛知県の北西部に位置する尾張地方に含まれる。

概要 あまし あま市, 国 ...
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概要

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甚目寺駅北口駅前広場

七宝地区では、江戸時代末期から地場産業である七宝焼による工芸品の製造が盛んであり、経済産業省指定の伝統的工芸品にも指定されている「尾張七宝」が有名である[1]

美和地区では、蜂須賀正勝福島正則を始め戦国時代に活躍した武将を多く輩出している[2]

甚目寺地区では、国の重要文化財5件を有する尾張四観音の一つで有名な甚目寺観音や、国内で唯一漬物の神様が祀られていることで知られる萱津神社など古くからの社寺が散在している[3]

地場産業である刷毛高度経済成長期の1970年(昭和45年)には、生産量で日本一となった[4]。1973年(昭和48年)には、甚目寺地区の刷毛生産高は全国の7割を占めていた。

地名の由来

2010年(平成22年)3月22日に海部郡七宝町美和町甚目寺町の3町合併により愛知県内37番目の市として誕生[5][6]。愛知県の平成の大合併最後の合併である。

2009年(平成21年)7月24日の第8回合併協議会において、6点の名称候補の中から、協議会委員全員投票を行った結果、3町が属していた郡名である「海部」をひらがなに直した「あま市」を市名とすることに決定した[7]

これは地元選出の政治家である海部俊樹(かいふとしき)との混用を避けるためであったとも言われる。

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地理

要約
視点
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あま市北部一帯の空中写真。画像右側が旧甚目寺町地区、画像左側が現あま市役所のある旧美和町地区。1987年撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

市内のほぼ全域が海抜ゼロメートル地帯で、地形は比較的平坦である。濃尾平野に位置し農業を中心に田園都市として発展してきたが、名古屋市の西に隣接し、名古屋駅まで約15分であることから名古屋市のベッドタウンとしても発展している[8]名鉄津島線が市の中央を横断し、名古屋第二環状自動車道が南北に縦断している。市内のほぼ全域で宅地開発が盛んになり、人口が増加傾向にある。

地形

河川

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日光川水系の概略図
一級河川
二級河川
その他の河川

気候

気候は太平洋側気候であり、は高温多湿で蒸し暑い。は乾燥した晴天の日が多く、伊吹おろしという乾燥した冷たい風が吹いて体感温度が北日本並みに低下する日もあり、稀に20センチメートルを超える積雪に見舞われることもある。

さらに見る 1月, 2月 ...
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地域

鎌倉時代は、『海道記』によると「(夜陰に市腋といふ處に泊る。前を見おろせば、海さし入りて、河伯の民、潮にやしなはれ。)市腋をたちて津島のわたりといふ處、舟にて下れば(中略)渡りはつれば尾張の國に移りぬ。(中略)萱津の宿に泊りぬ。」とあり、この当時は、甚目寺地区の萱津辺りから尾張国であったと考えられている。[10]

旧七宝町

町制時の大字にそれぞれ「七宝町」を冠称している。

旧美和町

旧甚目寺町

土地利用

2015年1月1日現在の地目別面積は以下の通り[11]

さらに見る 行政区域, 農用地 ...

人口

2015年3月31日時点で、総人口は88,170人で総世帯数は34,950世帯である。人口は西尾張では一宮市稲沢市江南市に次ぎ4番目、海部地域では最も多く、男女別では、男性43,989人、女性44,181人である。外国人人口は1,724人。昼間人口は71,148人で、昼夜間人口比率は82.05%となっている[12]

あま市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 48,854人
1975年(昭和50年) 63,687人
1980年(昭和55年) 70,190人
1985年(昭和60年) 73,132人
1990年(平成2年) 76,659人
1995年(平成7年) 78,678人
2000年(平成12年) 82,321人
2005年(平成17年) 85,307人
2010年(平成22年) 86,714人
2015年(平成27年) 86,898人
2020年(令和2年) 86,126人
総務省統計局 国勢調査より

隣接する自治体・行政区

愛知県愛知県
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歴史

要約
視点

古代

市内では、弥生時代以降の遺跡が数多く発見されており、これらの遺跡は河川により形成された自然堤防後背湿地上に存在している。遺跡の分布をみると、弥生時代〜古代〜中世と時代が下がるにつれて、あま市北方から南方へ人々の生活範囲が広がっていることがわかった[13]

弥生時代後期の遺跡として阿弥陀寺遺跡・森南遺跡が挙げられ、これらの遺跡では発掘調査が行われ住居跡・井戸跡や大量の土器が発見された。特に、阿弥陀寺遺跡においては、環濠をもつ集落であることがわかった。古墳時代には、前方後円墳と推定される二ツ寺神明社古墳が出現するが、被葬者はわかっていない。同古墳西方には、同時期の集落と思われる蜂須賀遺跡が推定される。白鳳奈良時代の史跡としては、甚目寺遺跡や法性寺跡・清林寺遺跡・篠田廃寺といった古代寺院が挙げられる。なかでも甚目寺地区にある甚目寺遺跡・法性寺跡・清林寺遺跡の3寺院は、軒瓦の文様などから密接が関係があったとされる。その建立時期は、遺跡の状況から尾張地区でも比較的古い時期(7世紀後半)である大渕遺跡は、甚目寺・法性寺・清林寺の各寺院の創建期に関係があるとされる。この他にも市内各所から埴輪片や須恵器・中世陶器などが発見されている[13]

甚目寺観音のはじまり

甚目寺観音の起源は、記録に見るかぎり文永元年(1264年)の「文永甚目寺縁起」(古縁起)にある。それによると推古天皇5年(597年伊勢国甚目村(現・松阪市)の漁師の甚目龍麻呂が漁をしていたところ、網にかかった観音菩薩を引き上げた。観音像は金色の金銅仏である聖観世音菩薩で、龍麻呂は引き上げた観音様を祀る草庵を建てたことが甚目寺観音の始まりとされる[14]。この観音像は、善光寺如来脇侍であるとも記されている。甚目という苗字は『正倉院文書』や『日本三代実録』にもあって、『正倉院文書』には奈良時代の天平6年(734年)に中島郡に「甚目氏」の記述が見られる。さらに『日本三代実録』には平安時代貞観6年(864年)に海部郡に「甚目氏」の記述がある。このことから「甚目氏」と甚目龍麻呂との直接的な因果関係はわかっていないが、「甚目氏」は甚目寺観音周辺に遅くとも奈良時代以降には居を構えており、都の記録に登場するほど有力な氏族であったことがわかっている[15]

中世

鎌倉時代、幕府の所在地である鎌倉から全国へ放射状に広がる道である、いわゆる鎌倉街道の従来が激しさを増すと、その宿場町のひとつである萱津宿においても多くの人々や物資が行き交うようになった。こと萱津は、五条川庄内川の合流地点で、さらに伊勢から津島を経由して萱津につながる西の道との接点でもあり、まさに水陸の合流点と立地的に恵まれた土地であり、尾張の政治経済の中心地のひとつとして栄えた。幕府の高官をはじめ多くの旅人が萱津宿に立ち寄り、紀行文などにその記録を残している。編年で紹介すると以下の通りである[16]

およそ100年の間に少なくとも4人の鎌倉幕府将軍が萱津に宿泊するなど、時の権力者を、迎え入れるほど、萱津は宿場として立派に機能していたことがわかる。『吾妻鏡』の建久6年(1195年)の記事によれば、源頼朝が萱津宿に立ち寄り、ここで尾張守護小野成綱の接待を受けたことが記され、同書には引き続き4代将軍の藤原頼経、6代将軍の宗尊京都〜鎌倉従還の際の宿泊所として利用したことが記されていることからも、萱津宿は尾張を通る鎌倉街道の宿場のなかでも、重要な位置をしめていたことが推察できる[16]

近世

戦国時代では、蜂須賀正勝福島正則をはじめ、蜂須賀正勝の実子の蜂須賀家政、そして福島正則の実弟の福島高晴が城持ち大名となっている。この他にも大名にまでは至らないものの、福島正則の参謀として名高い福島丹波や、赤林孫七郎など戦国時代に活躍した武将を多く輩出している[17]

16世紀、尾張の政治経済の中心地は下津から清洲城へと移り、萱津はこれまで通り宿場としての機能を果たすが、戦国時代に合戦場として登場する(萱津の戦い)。その戦いについて『安土創業録』を見ると、天文20年(1551年織田信友斯波義廉を倒し清洲城を奪うや、那古野に在城する信長は、その仇を討つべく出陣、稲葉地より川を越え、萱津の民家を放火せしめた。そこへ清洲城より織田信友勢が打ち出し合戦となった、とある。結果は信長軍の勝利に終わるが、この戦いは詳しくは記されていない。この戦いは僅か数時間のもので『信長公記』には「海津(萱津)口へ御かかり候。八月十六日辰の刻、東に向かってかかりあい、数刻火花を散らし相戦い」と出てくるのみであった[18]

近現代

尾張七宝のはじまり

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尾張七宝

この地方で七宝が作られるようになったきっかけは、江戸時代末期の天保4年(1833年)、梶常吉によってもたらされたといわれている。梶常吉は、享和3年(1803年)、尾張藩士梶市右衛門の二男として生まれ、文政5年(1822年)、海東郡服部村(現在の名古屋市中川区)に移り住み、鍍金業を営んでいたといわれている。あるとき、七宝焼のことが書かれた本がきっかけで七宝焼に興味を持って独学で研究するが、その仕組みを知ることはできなかったが、常吉は天保3年(1832年)に名古屋市末広町の骨董商松岡屋嘉兵衛の店先でオランダ船が運んできたという七宝焼を入手し、砕いてその仕組みや原料を分析した。研究を重ねて合子や筆立て、文鎮などの小物類を製作した。これが尾張地方における近代七宝のはじまりといわれている。海東郡遠島村(現在のあま市七宝町遠島)の農家に生まれた林庄五郎は、安政3年(1856年)に梶常吉から七宝焼の製法を学び、同じ村の人々に伝えた結果、この地域で七宝焼の製造が盛んになった[19]

あま市の発足

昭和

1953年(昭和28年)の「町村合併促進法」と、続く「新市町村建設促進法」によって全国で町村合併が推進された。これに伴い、1954年(昭和29年)に甚目寺町は名古屋市へ合併を働きかけるが、名古屋市の巨大化を懸念する愛知県がこれに反対し、この合併を認めなかった。愛知県はこの地域の合併試案として甚目寺町と大治村で一つに、美和村、七宝村、神守村での合併を推進していた。1956年(昭和31年)、美和村が甚目寺町に合併を申し入れるが、合併方法を巡る双方の食い違いもあって議論は6ヶ月にわたって行われるも合併には至らなかった。一方で七宝村と大治村の合併話も浮上したが、こちらも合併には至らずに現状維持となった[20]

平成

2008年(平成20年)5月1日には、七宝町・美和町・甚目寺町・大治町の4町で「海部郡東部四町合併研究会」を設置。大治町の離脱が11月5日に発生し、これにより「海部郡東部四町合併研究会」は解散。それに代わって同月に「七宝・美和・甚目寺町合併研究会」を設置。2009年(平成21年)4月に法定合併協議会へ移行。7月の第8回合併協議会において、6点(西名古屋市、名西市、海部市、海東市、あま市、西尾張市)の名称候補の中から、旧3町の住民の投票をおこない、最多得票が「名西市」となったものの、その後の合併協議会委員の選考で、「あま」という名前を残したいという理由で、最も投票数が少なかった「あま市」に決定され、住民が投票を行った意味がなくなってしまうという結末を迎えた。

2010年(平成22年)3月22日、あま市が誕生した[6]

沿革

市域の変遷

さらに見る 郡, 明治22年以前 ...
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行政

市が掲げるキャッチコピー:「人・歴史・自然が綾なす セーフティ共創都市 “あま”」

市長

歴代市長

財政

2015年度(平成27年度)当初予算[25]

一般会計264億800.0万円(前年度対比4.2%増)
特別会計198億304.5万円(前年度対比11.6%増)
企業会計75億4,337.8万円(前年度対比34%減)
全会計537億5,442.3万円(前年度対比1.4%減)

市役所

  • あま市役所本庁舎
    • 甚目寺庁舎
    • 七宝庁舎 - 2018年1月4日より機能停止している。

2023年(令和5年)5月8日、あま市七宝町沖之島深坪にあま市役所の新庁舎が開庁した[26]名鉄津島線七宝駅から南に約800メートルの地点である[27]

議会

あま市議会

愛知県議会

  • 定数:2人
  • 選挙区:あま市及び海部郡選挙区
  • 任期:2023年4月30日 - 2027年4月29日
  • 執行日:2023年4月9日
さらに見る 候補者名, 当落 ...

衆議院

さらに見る 当落, 候補者名 ...
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施設

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海部東部消防署
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あま市民病院
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美和文化会館
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甚目寺公民館
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七宝焼アートヴィレッジ
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甚目寺郵便局
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甚目寺総合体育館

警察

本部
幹部交番
  • 甚目寺幹部交番
交番
  • 美和交番
  • 七宝交番
  • 甚目寺南交番
駐在所
  • 伊福駐在所

消防

本部
消防署
  • 本署
  • 北分署

医療・福祉

病院

  • あま市民病院(旧名称:公立尾陽病院)
  • 医療法人宝会 七宝病院
  • 医療法人和合会 好生館病院

福祉施設

  • 甚目寺総合福祉会館
  • 七宝総合福祉センター
  • 美和総合福祉センターすみれの里
  • 甚目寺老人福祉センター
  • 人権ふれあいセンター
  • 本郷憩の家
  • 森憩の家
  • 新居屋憩の家

文化施設

会館・公民館

  • 美和文化会館 - 大ホール収容人員709人(車イス5席、親子席4席)
  • 七宝産業会館
  • 甚目寺産業会館
  • 甚目寺公民館 - 大ホール収容人員805人(車イス3席)
  • 美和公民館
  • 七宝公民館

図書館

  • あま市美和図書館
    • 1979年には美和町中央公民館の開館にともなって公民館図書室が開館。1994年7月12日には美和町文化会館・図書館内に図書館が開館。2010年には3町の合併にともなってあま市美和図書館に改称。図書館部分の延床面積は753.84平方メートル。2014年度の蔵書点数は121,327点、貸出点数は210,194点、1人あたり貸出点数は2.4点。[30]。あま市美和図書館のほかには、七宝公民館読書室と甚目寺公民館図書室がある。

資料館

郵便局

主な郵便局
  • 甚目寺郵便局 - 集配局
  • 美和郵便局
  • 七宝郵便局
  • 甚目寺本郷郵便局
  • 甚目寺西今宿郵便局
  • 美和篠田郵便局
  • 富塚郵便局
  • 伊福簡易郵便局
郵便番号

郵便番号は以下の通りとなっている。

  • 甚目寺郵便局:旧甚目寺町の区域(490-11xx)
  • 美和郵便局:旧美和町の区域(490-12xx)
  • 蟹江郵便局:旧七宝町の区域(497-00xx)

公園

  • リバーサイドガーデン
  • 森ヶ丘公園
  • 二ツ寺親水公園
  • アートヴィレッジふれあい広場

運動施設

体育館

グラウンド

  • 七宝グラウンド
  • 七宝鷹居グラウンド
  • 美和グラウンド
  • 蜂須賀グラウンド
  • 森グラウンド
  • 森遊水地グラウンド

テニスコート

  • 七宝テニスコート
  • 美和テニスコート
  • 甚目寺テニスコート

処理施設

  • ゴミ処理は名古屋市環境局五条川工場で行う。
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対外関係

姉妹都市・提携都市

海外

フレンドシップ相手国

2005年に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く。)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた[31]

その他
  • 世界保健機関の旗健康都市連合
    それぞれの都市の居住者の健康を守り、また生活の質の向上のために取り組む複数の都市のネットワークである。

国内

提携都市

経済

第一次産業

  • 産業産出額:17.4億円[32]

農業

農業協同組合

第二次産業

  • 製造品出荷額:1,353億円[33]

第三次産業

商業

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ヨシヅヤ甚目寺店
主な商業施設

金融機関

本社を置く企業

  • 名古屋電機工業
  • 海部清掃
  • トレードワン
  • 中日本炉工業
  • 愛知刷毛刷子商工業協同組合
  • 七宝町七宝焼生産者協同組合
  • 田村七宝工芸[36]
  • エイビス
  • 三光製作所
  • 河村産業所
  • 井村食品
  • 三鷹金属工業
  • セントラルヨシダ
  • 堀田萬蔵商店
  • 加藤製菓

拠点を置く企業

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情報・通信

マスメディア

送信所

生活基盤

ライフライン

電力

ガス

上下水道

  • あま市水道事業
  • 名古屋市上下水道局
    • 上水道は、美和地区と七宝地区があま市水道事業、甚目寺地区が名古屋市上下水道局の担当となる。なお名古屋市上下水道局大治浄水場は、敷地の一部があま市に跨っている。
  • 愛知県企業庁

電信

市外局番

教育

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愛知県立五条高等学校

高等学校

県立
私立

中学校

市立

小学校

市立

幼児教育

保育所

市立
  • 七宝北部保育園
  • 正則保育園
  • 篠田保育園
  • 昭和保育園
  • 聖徳保育園
  • 萱津保育園
  • 新居屋保育園
  • 五条保育園
  • 大花保育園
私立保育所
  • 七宝こども園
  • ひかり保育園
  • 美和保育園

幼稚園

  • 青山幼稚園
  • 木田幼稚園
  • 七宝幼稚園
  • 甚目寺幼稚園
  • 中川幼稚園
  • 明和幼稚園

児童館

  • 七宝児童館
  • 美和児童館
  • 甚目寺中央児童館
  • 甚目寺南児童館
  • 甚目寺北児童館
  • 甚目寺西児童館
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交通

要約
視点

鉄道路線

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甚目寺駅
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木田駅

市の中心となる駅:木田駅

名古屋鉄道
津島線 : (清須市) - 甚目寺駅 - 七宝駅 - 木田駅 - (津島市)
廃止駅

甚目寺-七宝間にあった駅。1944年(昭和19年)に休止、1969年(昭和44年)に廃止された。

あま市内では甚目寺駅が最も乗降人員の多い駅で市内唯一の有人駅であるが、JTB時刻表ではかつてあま市役所の最寄駅であった木田駅があま市の代表駅として記載されている。2023年5月に開庁したあま市役所新庁舎の最寄駅は七宝地区北端にある七宝駅である。甚目寺駅と木田駅は特急等の全営業列車が停車し、七宝駅は普通列車のみ停車する。名古屋市営地下鉄桜通線太閤通駅から延伸して七宝地区へ乗り入れる計画があるが、着工には至っていない。南北に長い七宝地区ではどの駅へも比較的距離があるため、名鉄バスを利用する人が多く、南部ではJR東海関西本線蟹江駅へも比較的近い。美和地区の西端では青塚駅へも比較的近い。愛知県立五条高等学校の周辺など、甚目寺地区の北東端では名鉄名古屋本線の新清洲駅や丸ノ内駅へも比較的近い。

バス

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あま市巡回バス

路線バス

  • あま市巡回バス
    • 北部巡回ルート(美和・甚目寺)
    • 南部巡回ルート(美和・七宝)
    • 東部巡回ルート(甚目寺)
  • あま市民病院巡回バス
    • 日赤午前コース
    • 日赤午後コース
      • 甚目寺駅 - 萱津橋西 - 日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院 - 萱津橋西
    • 森コース
      • 方領 - 森憩の家北児童館 - 森5丁目 - 新居屋 - 甚目寺駅
    • 美和第1コース
      • 七宝駅 - 木田駅 - 蜂須賀 - 美和保健センター - 二ツ寺住宅 - 甚目寺駅
    • 美和第2コース
      • 苅屋橋 - 七宝焼アートヴィレッジ - 乙之子 - 金岩 - 甚目寺駅
    • 七宝・大治コース
      • 伊福 - 七宝市民サービスセンター - 西條 - 新大正橋西 - 大治町役場 - 甚目寺駅

停留所はないものの、名古屋市営バスが旧七宝町域を通過している。稲沢市の国府宮神社国府宮はだか祭が開催される際には、定期路線ではない稲沢市方面への路線があま市内から名鉄名古屋本線国府宮駅まで臨時運行される。

都市間バス

道路

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甚目寺北IC

高速道路

国道

県道

主要地方道
一般県道

ナンバープレート

名所・旧跡・観光スポット

要約
視点

文化財

あま市には、国指定6件、愛知県指定11、あま市指定15件の指定文化財があり、国登録文化財2件がある[40][41]

重要文化財(国指定)

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県指定文化財

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市指定文化財

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国の登録有形文化財

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名所・旧跡

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蜂須賀城趾
  • 蜂須賀城
  • 桂城
  • 深田城趾
  • 阿弥陀寺遺跡
  • 森南遺跡
  • 大渕遺跡
  • 二ツ寺神明社古墳[43]
  • 蜂須賀遺跡
  • 甚目寺遺跡
  • 法性寺跡
  • 清林寺遺跡
  • 篠田廃寺跡
  • 萱津古戦場

あま市内には約140近くの寺院・神社がある[44]

街道

観光スポット

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福島正則生誕地

文化・名物

祭事・催事

[46][47]

  • 甚目寺観音 節分会(2月)
  • 下之森八幡神社 オコワ祭(2月11日)
  • あま市さくらまつり(4月)
  • 萱津神社 献榊祭(4月)
  • 蓮華寺 二十五菩薩お練り供養(4月)
  • 市民祭「あまつり」(8月)
  • 甚目寺観音 桃十日祭(8月)
  • 萱津神社 香の物祭(8月21日)
  • 木田八剱社 湯の花神事(10月)
  • イルミネーションフェスタinあま(12月)

名産・特産

[4][48]

あま市出身の有名人

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福島正則

歴史上人物

軍人

政治家

文化人

スポーツ選手

タレント

キャラクター

  • あまえん坊
長らく非公認キャラクターであったが、2013年(平成25年)8月13日にはあま市役所であま市公認キャラクター認定書交付式が行われ、あま市の公認キャラクターとなった[49]TwitterFacebookであま市の広報活動を行っている。ゆるキャラグランプリ2013に初エントリーした。

脚注

関連項目

外部リンク

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