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イクノディクタス

日本の競走馬 (1987 - 2019) ウィキペディアから

イクノディクタス
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イクノディクタス(欧字名:Ikuno Dictus、1987年4月16日 - 2019年2月7日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍に1991年京阪杯1992年金鯱賞小倉記念オールカマー主戦騎手村本善之

概要 イクノディクタス, 欧字表記 ...

現役時代は中央競馬で51戦ものレースに出走し、引退まで一度も故障せずに走り続け、「鉄の女」と呼ばれた[2]

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来歴

要約
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イクノディクタスは、1988年夏の2歳馬セリ市にて930万円で購買された。

しかし、3歳時に屈腱炎を発症。デビューどころか安楽死処分も検討された状況であった。そこで関係者は「骨折以外の脚の故障は装蹄で治せる」という持論を持った装蹄師福永守に相談し、彼に一時預けられた後、故障が完治し競走馬としてのデビューが可能になった[3]。ただし、屈腱炎だったかは疑問の余地があり、当時の技術では屈腱炎と診断されたが、実態は違う病態だった可能性がある[注釈 1][4]

1989年7月小倉競馬場でデビューし、新馬戦[5]フェニックス賞を連勝[6]。順調なスタートであったが、単枠指定馬として圧倒的人気となった小倉3歳ステークスハギノハイタッチの9着に敗れ[7]、その後も3戦も全て敗退に終わった[8][9][10]

1990年、春は桜花賞11着[11]優駿牝馬9着など全くいいところ無く敗れる[12]。秋はサファイヤステークスで3着[13]ローズステークスで差の無い2着[14]エリザベス女王杯で4着とその後に期待を持たせる結果だったが[15]、結局この年は7戦して勝ち星をあげることは出来なかった。

1991年マイラーズカップまで3戦して全敗[16]。ここまで14連敗と勝ち星から遠ざかっていたが、コーラルステークスで久々の勝利をあげた[17]。この後一戦をはさんで京阪杯で初の重賞制覇をしている[18]。その後は6連敗であったが、北九州記念朝日チャレンジカップの2着となった[19][20]。この後一時休養に入り、そのままこの年を終えた。

1992年。関門橋ステークスから始動するも新潟大賞典まで6戦して全敗[21]。エメラルドステークスで久々に勝利する[22]。続く金鯱賞では自身2度目の重賞制覇を果たした[23]高松宮杯で12着と大敗するが[24]小倉記念レッツゴーターキンをハナ差退け勝利[25]。続くオールカマーではオグリキャップの持っていたレコードタイムを塗り替えると共に重賞2連勝を果たし、この後の毎日王冠ではGI優勝馬ダイタクヘリオスに喰らい付いての2着と[26]、好走を続けていた。この後4戦したGIレースでは敗退したが、そのレース振りが評価されてこの年のJRA賞最優秀5歳以上牝馬(部門名は当時)を受賞した。

1993年日経賞[27]産經大阪杯で敗れ[28]天皇賞(春)にも出走するが9着と敗退[29]。しかし続く安田記念ヤマニンゼファーの2着に入り、ダイイチルビーの持っていた記録を抜き、当時の歴代賞金女王の座に着いた[注釈 2]。この安田記念では、イクノディクタスは14番人気だったため大万馬券となったが、陣営としても予想外の走りだったようで、主戦の村本をして「こんな走りをするとは…出てみるものですね。」とコメントするほどだった[30]。続く宝塚記念でもメジロマックイーンの2着に入線し[31]、初の賞金5億円獲得牝馬となった。この後テレビ愛知オープンで勝利するが[32]、その後はまたも勝ちきれないレースが続き、富士ステークス(OP)の8着を最後に現役を引退した[33]

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.com[34]およびJBISサーチ[35]、に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
  • 枠番・馬番の太字は単枠指定を示す。
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引退後

要約
視点

引退後は北海道新冠町の五丸農場で繁殖牝馬となった。繁殖入りしてからは発情がなかなか来ず、初年度は注射の力を借りて受胎させている。この時の配合相手はメジロマックイーンであり、武豊の「(メジロマックイーンは)イクノディクタスに想いを寄せていたのでは?」[36]といった証言もあった。産駒はキソジクイーンという競走名で中央競馬デビューし、そのデビュー戦では武豊が騎乗するなど期待されていたが計11戦して未勝利で引退となった。その後も産駒はコンスタントに出しているが、産駒の成績は国内、中央競馬では未勝利であり、競走馬時代の自身の成績ほど奮わなかった。2003年生まれのYawata Berg(ヤワタベルグ、父:キャプテンスティーヴ)は大韓民国に競走馬として輸出され当地で3勝をあげ重賞にも出走するなどした[37][38]。なお、2008年ノーリーズンとの交配を行なったが不受胎に終わったため、繁殖牝馬からも引退した[39][40][41]

その後同牧場で功労馬として繋養され、ファンからはイクノ姉さんとも呼ばれていたが、2019年に入ると体調を崩し、同年2月7日未明に老衰のため死亡した[2]

産駒一覧

さらに見る 生年, 馬名 ...

エピソード ・その他

  • 全9勝の内8勝が5月から9月の夏場に勝ったものであり、このことから夏女という異名もあった[40]
  • 3歳時に発症した屈腱炎については当時の検査方法が獣医師の手先の感覚に頼った触診しかなく、その後の活躍から「本当は屈腱炎ではなく腱鞘炎だったのではないか」という記事が中日スポーツに掲載されている[75]
  • 競馬評論家大川慶次郎は「歴史に残る名馬であるのは間違いないが、牝馬はなるべく早くに母馬にしてあげたい。イクノディクタスは競走に使い過ぎた」としている[76]

血統表

イクノディクタス血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ファイントップ系
[§ 2]

*ディクタス
Dictus 1967
栗毛フランス
父の父
Sanctus 1960
鹿毛(仏)
Fine Top Fine Art
Toupie
Sanelta Tourment
Saranella
父の母
Doronic 1960
鹿毛(仏)
Worden Wild Risk
Sans Tares
Dulzetta Bozzetto
Dulcimer

ダイナランディング 1980
鹿毛日本
*ノーザンテースト
Northern Taste 1971
栗毛 (加)
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
母の母
*ナイスランディング
Nice Randing 1965
鹿毛(米)
First Landing Turn-to
Hildene
Pashamina Le Pacha
Perfume
母系(F-No.) (FN:1-w) [§ 3]
5代内の近親交配 Lady Angela 5・4(母内) [§ 4]
出典
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脚注

外部リンク

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