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マカオグランプリ

1954年よりマカオの中心地の公道を使用して開催されている世界的に有名な市街地レース ウィキペディアから

マカオグランプリ
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マカオグランプリポルトガル語: Grande Prémio de Macau中国語: 澳門格蘭披治大賽車、英語: Macau Grand Prix)は、1954年よりマカオの中心地の公道を使用して開催されている世界的に有名な市街地レースで、毎年11月中旬に開催される。

概要 開催地, 初開催 ...

歴史

要約
視点

草レース

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1962年当時

マカオがポルトガルの海外領土であった1954年に、地元に住むポルトガル人やイギリス人、華僑モータースポーツ愛好家の手によって始められた。

なお当時は、アジアで唯一の自動車生産国である日本以外に、アジアにパーマネントサーキット(常設サーキット)は存在しておらず(アジア初のパーマネントサーキットである多摩川スピードウェイがオープンしたのが1936年。初の舗装されたパーマネントサーキットである鈴鹿サーキットがオープンするのは1962年のことである)、当然領土が狭いマカオにもパーマネントサーキットは存在しないため、マカオ政庁の許可を取って公道を閉鎖しいわゆる「市街地レース」として開催された。

当初は地元のマカオや香港、フィリピンなどの東南アジア諸国に住む裕福な欧米人や華僑、日本のアマチュアの愛好家による「草レース」的なものであり、厳密なレギュレーションも存在せず、フォーミュラカーとツーリングカーが混走するなど、そのレース内容も低レベルなものであった。

本格化

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現在のギア・サーキット(リスボアホテル脇)
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ピットビル

その後1960年代に、フォーミュラ1チーム「セオドール」のオーナーで東南アジア有数の大富豪であるテディ・イップによるテコ入れなどによって、1970年代トヨタ自動車日産自動車マツダなどの日本の大手自動車メーカーが相次いでワークスやセミワークス体制で参入し、三菱自動車がワンメイクのレースをスタートさせたりして、日本人の参加者も多数出るようになり、次第に世界的にも知られる市街地レースの一つになっていった。

同時期はトヨタのワークスドライバーであった舘信秀が、市販車部門でトヨタ・セリカをドライブし日本人初優勝と2連覇を達成し、「マカオの虎」の異名を取った。

また開催時期には香港やアジア各国から多くの観戦客が訪れることから、ポルトガルのマカオ政庁も観光資源の1つとして積極的にプロモーションを行うようになっていき、ポルトガル総督も観覧するほか、マカオ港の旅客ターミナル付近への本格的なピットエリアやグランドスタンド、ガードレールの設営などのインフラストラクチャーの整備も行われるようになっていった。

なお、1970年代初頭まではフォーミュラカーとツーリングカーが混走していたが、中級フォーミュラであるフォーミュラ・パシフィック(FP)の本格導入などにより、クラス分けされ複数のレースが開催されるようになり、これを受けて上記の舘やリカルド・パトレーゼ関谷正徳などの日本やヨーロッパのプロのレーシングドライバーが多数参戦するようになっていった。

F3規格の導入

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アイルトン・セナがドライブしたセオドールのF3マシン(マカオグランプリ博物館)
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ダラーラ・F301 無限 (2001年 佐藤琢磨

その後、1983年より国際格式のF3マシンによって行われるようになって以来、各国のF3選手権の上位者が集結し、「F3世界一決定戦」として扱われるようになりその知名度、格ともに世界有数のものとなった。

なお1990年から1993年にかけては、マカオグランプリの2週間前に富士スピードウェイで行われる「インターナショナルF3リーグ」と併せて、日本やイギリス、ドイツ、イタリア、フランスなどの世界のF3選手権の上位入賞者を集めた「F3世界一決定戦」シリーズとして開催されたこともある。

実際に、アイルトン・セナ(1983年優勝)やミハエル・シューマッハ(1990年優勝)、デビッド・クルサード(1991年優勝)、ラルフ・シューマッハ(1995年優勝)、佐藤琢磨(2001年優勝)など多くのレーシングドライバーがここで勝利を挙げた後にF1へとステップアップするなど、若手ドライバーにとっての登竜門的存在のレースとなっている。マカオGP公式サイトでは2003年以降毎年、現役のF1ドライバーのうち何人がマカオGP経験者であるかを紹介している[1]

規模拡大

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GTアジアシリーズ(2010年/ディランタ・マラガムワ

マカオがポルトガルから中国に返還された後の2005年から2014年に、FIA 世界ツーリングカー選手権(WTCC)の最終戦に「ギア・レース」が組み込まれ、事実上の2枚看板となったほか、サポートレースのメインレースとして、日本や中国、マレーシアなどのアジア各国で開催され、アジアの富裕層を中心としたジェントルマンドライバーから、元F1ドライバーや元フォーミュラニッポンや元スーパーGTのドライバーまでが参戦する「GTアジアシリーズ」の最終戦も開催されるようになるなど、その規模、内容ともに拡大していく。

2009年2010年のGTレースには、その後FIA 世界耐久選手権(WEC)に参戦することになる澤圭太が、日本人ドライバーとして初連覇し、初代「マカオマイスター」と呼ばれることになる。

2013年は60周年記念という事で、11月9日と10日、14日から17日までの2週末に渡り複数のレースが開催された。これに伴い、今回初開催となるアウディR8・LMSカップやポルシェ・カレラカップ・アジア、ランボルギーニ・スーパートロフェオ・アジアシリーズ、ロータス・グレーターチャイナレースなどの、日本や中国、シンガポールなどのアジアの富裕層をターゲットにした複数のワンメイクレースがサポートレースとして開催される。

現在

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FIA F3(2023年)

2015年よりFIA-GT3規定車両によるFIA GTワールドカップがスタートし[2]、これ以降は、ジェントルマンドライバーのレースカラーが強かったGTに、ワールドクラスのGTドライバーとメーカーワークスが入り混じって、より混迷した戦いが繰り広げられていく。

さらに、2016年より国際自動車連盟 (FIA) 公認の世界選手権となったことでF3レースがFIA F3ワールドカップに昇格した[3]。これに伴い1983年以来F3のワンメイクタイヤを供給してきたヨコハマに代わって[4]ピレリが新たなタイヤサプライヤーとなるが[5]2017年にヨコハマがタイヤサプライヤーに復帰した[6]

今後はこれら2つのFIA ワールドカップと FIA WTCC「ギア・レース」の3つのカテゴリーのレースがメインレースとして行われ、さらにいくつかのサポートレースが開催されることになる。

2019年、ヨーロッパF3GP3を統合したFIA F3シリーズがスタートしたことを受け、マカオグランプリも新しいF3規格の車両で行われることになった[7]。また2016年以来、再びピレリがタイヤを供給した[8]

2020年以降はCOVID-19の影響や習近平指導部のゼロコロナ政策の影響などから、例年のF3や世界ツーリングカーカップ(WTCR)といったレースの開催を断念し、中国F4を中心としたローカルシリーズによるイベントとして行われた[9]

2023年6月5日、FIAは11月に開催される第70回マカオグランプリにおいて、2019年以来4年ぶりにFIA F3ワールドカップ、FIA GTワールドカップを開催することに決定したと明らかにした[10]

2024年5月、FIAは2024年からのマカオグランプリにおいて、新たにフォーミュラ・リージョナル車両による「FIAフォーミュラ・リージョナル・ワールドカップ」を開催すると発表。ヨーロッパ、北米、アジアのフォーミュラ・リージョナル選手権のドライバーが参加できるようになる。2019年と2023年に開催されたFIA F3マシンによる「FIA F3ワールドカップ」は行われないことが明らかとなった[11]

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サーキット

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リスボア・ベンド

マカオ港の国際旅客ターミナル付近の直線道路をスタート地点に、旧市街地を中心に約6kmの一般道を走り抜ける「ギア・サーキット」と呼ばれるコースを使用する。なおピットビルこそ専用の施設を使用するが、ピットの作業エリアが足りないことから、サポートレースのピットに旅客ターミナルの地下駐車場が使用されている。

モナコグランプリが行われるモンテカルロ市街地コースよりも道幅が狭い地域も多く、世界でも有数の難関コースとして知られる。安全面での充実が図られているにもかかわらず2012年には2件の、2017年には1件の死亡事故が起きているほか、多重事故が起きやすいことでも知られている。2018年はソフィア・フローシュのマシンがリスボア・ベンドで、時速270㎞を超える速度でフェンスに激突する大クラッシュが発生し、NHKほかでも報道されるなど話題となった[12][13]。事故車両撤去やセーフティバリア補修のためセーフティカー導入や赤旗中断でレースが長引き、進行スケジュールが遅れることもある。

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レース内容

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ギア・レースを走るホンダのアンドレ・クート(2008年)

通常11月の第2週または第3週の木曜日にスタートし、最初の2日間(木曜日と金曜日)は、練習走行と予選が行われる。全てのレースは土曜日と日曜日に開催され、最終日には、FIA フォーミュラ・リージョナルワールドカップとギア・レース(世界ツーリングカーカップの最終2ラウンド)、FIA GTワールドカップが開催される。また他にもスーパーカートのレースやパレードなど様々なイベントが開催される。

FIA GT ワールドカップ

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2019年 FIA GT ワールドカップ

FIA GTワールドカップは、SROモータースポーツグループ(SRO)とマカオチャイナ自動車総合協会(AAMC)が主催するGT3マシンのレース。このイベントは、2015年3月20日にジュネーブで開催された世界モータースポーツ評議会FIAによって承認された。イベントの優勝ドライバーはメインレースの優勝ドライバー、マニュファクチャラータイトルは優勝者の車のメーカーに贈られる[14]

レースに参加するドライバーはGTカーで豊富な経験を積んでいる必要がある。2017年以降年齢制限があり、60歳未満に限られる。またブロンズレベルのドライバーは参加が禁止されている。

優勝者

F3規格導入以前の主な優勝者

F3での優勝者

  • 斜字は後にF1に参戦したドライバー
  • 太字はF1優勝経験者
  • ★はF1ワールドチャンピオン獲得者
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F4での優勝者

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主な参戦ドライバー

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脚注

関連項目

外部リンク

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