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皐月賞
日本の中央競馬の重賞競走 ウィキペディアから
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正賞は内閣総理大臣賞、日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞[2][3]。
レース名の「皐月」は旧暦の5月を指す。「皐月賞」に改称された当時は5月の上旬に行われていたが、1952年より4月に繰り上げられている。
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概要
要約
視点
旧八大競走の1つで、中央競馬における3歳クラシックの第1戦として行われ、最もスピードのある優秀な繁殖馬を選定するためのチャンピオンレースとされている[6]。このため、出走資格は3歳(2000年までは4歳)の牡馬と牝馬に限られ、せん馬(去勢された馬)は出走できない[6]。また、本競走で5着以内の成績を収めた馬には東京優駿(日本ダービー)の優先出走権が与えられる[7]。現在は5着以内の馬に優先出走権が与えられている(1991年〜2017年は4着まで)[6]。
1939年に当時の日本競馬会がイギリスの2000ギニーに範をとり[6][7]、4歳 (現3歳)牡馬・牝馬限定の競走「横浜農林省賞典四歳呼馬(よこはまのうりんしょうしょうてんよんさいよびうま)」を創設[6][7]。第1回は横浜競馬場の芝1850メートルで施行された。東京優駿競走・阪神優駿牝馬 (現:優駿牝馬)・京都農林省賞典四歳呼馬 (現:菊花賞)・中山四歳牝馬特別 (現:桜花賞)とともに「五大特殊競走」として位置づけられ、東京優駿競走・京都農林省賞典四歳呼馬とともに日本のクラシック三冠競走を確立した。
1943年からは横浜競馬場の閉鎖に伴い東京競馬場の芝1800メートルで施行、1944年は太平洋戦争の影響により「農商省賞典四歳(のうしょうしょうしょうてんよんさい)」の名称で能力検定競走として施行した[6]が、1945年は中止された。
終戦後の1947年から名称を「農林省賞典(のうりんしょうしょうてん)」に変更[6]。1949年から施行場を中山競馬場の芝1950メートルに変更し名称を「皐月賞」に変更[6]、翌1950年から再び施行距離を芝2000メートル(≒ 1 1/4 miles)に戻し、現在に至っている[6]。
1995年からは指定交流競走とされ、所定の条件を満たした地方競馬所属馬も出走できるようになり[8]、2002年からは外国産馬も出走可能となった[9]。2010年からは外国馬も出走可能な国際競走となった[10]。
東京優駿(日本ダービー)は「最も運のある馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と言われているのに対し、皐月賞は「最も速い馬が勝つ」と言われている[注 2][7]。
国際的評価
世界の競馬開催国は、平地競走については国際セリ名簿基準書においてパートIからパートIIIまでランク分けされており[注 3]、2014年時点で日本は平地競走が最上位のパートIにランク付けされている[11]。
また、各国の主要な競走は国際的な統一判断基準で評価されており、競馬の競走における距離別の区分法として定着しているSMILE区分によると、皐月賞は「Intermediate (1900m - 2100m)」に分類される。国際競馬統括機関連盟 (IFHA)が公表した年間レースレーティング[注 4]に基づく「世界のトップ100GIレース」によると、皐月賞は全体の81位(2015年)、36位(2019年)、60位(2020年)、44位(2021年)、15位(2022年)にランキングされた。最新版では12個の日本の競走がランクインしているが、皐月賞の15位は日本の競走の中で最も高い評価であり、「Intermediate (1900m - 2100m)」のカテゴリーからランクインした外国の競走との比較ではドバイワールドカップと同順位、プリンスオブウェールズステークス(13位)に次ぐ評価となっている。[12]
競走条件
出走資格: サラ系3歳牡馬・牝馬(出走可能頭数:最大18頭)
- JRA所属馬(外国産馬含む)
- 地方競馬所属馬(後述)
- 外国調教馬(優先出走)
- 負担重量:馬齢(57kg、牝馬2kg減)
- 第1回は牡馬55kg、牝馬53kg。第2回 - 第6回は牡馬57kg、牝馬55.5kg[8]。
出馬投票を行った馬のうち優先出走権のある馬から優先して割り当て、その他の馬は収得賞金の総計が多い順に出走できる。同一順位の馬が多数ある場合には抽選で出走馬を決定する[14]。
優先出走権
出馬投票を行った外国馬は、優先出走できる[15]。
JRA所属馬と地方競馬所属馬は、下表のトライアル競走で所定の成績を収めた馬に優先出走権が与えられる[16]。ただし、未出走馬・未勝利馬はトライアル競走で収得賞金を得る(弥生賞ディープインパクト記念・スプリングステークスは2着以内、若葉ステークスは1着)ことで優先出走権が与えられる[17]。
地方競馬所属馬は上記のトライアル競走で優先出走権を得た馬のほか、JRAの2歳GI競走優勝馬[18]、およびJRAで行われる芝の3歳重賞競走優勝馬[19]にも出走資格が与えられる。
- その他の前哨戦
優先出走権の付与はされないが、以下のレースも春の牡馬クラシック路線に繋がるレースとなっている。
賞金
2025年の1着賞金は2億円で、以下2着8000万円、3着5000万円、4着3000万円、5着2000万円[3][2]。
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歴史
年表
- 1939年 - 横浜競馬場の芝1850mで「横浜農林省賞典四歳呼馬」として創設[6]。
- 1943年 - 施行場を東京競馬場の芝1800mに変更。
- 1944年 - 名称を「農商省賞典四歳」に変更し、馬券発売を行わない能力検定競走として行う[6]。
- 1945年 - 太平洋戦争の影響で中止。
- 1947年 - 名称を「農林省賞典」に変更し、距離を芝2000mに変更[6]。
- 1949年 - 名称を「皐月賞」に変更し、施行場を中山競馬場の芝1950mに変更[6]。
- 1950年 - 施行距離を芝2000mに戻す。
- 1963年 - 厩務員労働組合の争議のため、5月に順延して施行。
- 1967年 - 全学共闘会議の争議のため、4月最終週に順延して施行。また同じ理由で延期した京都競馬場での桜花賞と同日施行となり、史上初にして史上唯一の同一日での八大競走開催となった[注 5]。
- 1972年 - 流行性馬インフルエンザの影響で、5月最終週に順延して施行。
- 1974年 - 厩務員労働組合の争議のため、5月に順延して施行。
- 1976年 - 厩務員労働組合の争議のため日程変更が行われる[20]。
- 1984年 - グレード制導入、GI[注 6]に格付け[6]。
- 1995年 - 指定交流競走となり、地方所属馬も出走が可能になる[6]。
- 2001年 - 馬齢表示が国際基準へ変更されたことに伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・牝馬」に変更。
- 2002年 - 外国産馬が2頭まで出走可能となる[9]。
- 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、格付表記をJpnIに変更[21]。
- 2010年
- 2011年 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)および東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で施行日を一週間遅らせた上、施行場を東京競馬場に変更。
- 2013年 - 外国馬の出走枠を9頭までに拡大[22]。
- 2014年 - 「JRA60周年記念」の副称を付けて施行[23]。
- 2020年 - 新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)の流行により、「無観客競馬」として実施[24]。
- 2024年 - 負担重量を馬齢表記に変更。
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歴代優勝馬
要約
視点
コース種別の記載がない距離は、芝コースを表す。優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。
競走名は第5回まで「横浜農林省賞典四歳呼馬」、第6回は「農商省賞典四歳 (能力検定競走として施行)」、第7回・第8回は「農林省賞典」[6]。
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皐月賞の記録
- レースレコード - 1:57.0(第85回優勝馬ミュージアムマイル)[27]
- 優勝タイム最遅記録 - 2:11 2/5(第14回優勝馬ダイナナホウシユウ)[注 8]
- 最多優勝騎手 - 4勝
- ミルコ・デムーロ(第63回・第64回・第73回・第75回)[注 9]
- 最多優勝調教師 - 4勝
- 最多優勝馬主 - 6勝
- (有)社台レースホース(第46回・第55回・第63回・第68回・第74回・第83回)
- (有)サンデーレーシング(第69回・第71回・第75回・第77回・第82回・第85回)
- 最多勝利種牡馬 - 7勝
- サンデーサイレンス(第55回・第56回・第60回・第61回・第63回・第64回・第65回)
- 最年少勝利騎手 - 和田竜二(第59回・21歳9ヶ月27日)
- 親子制覇
- トウショウボーイ - ミスターシービー
- シンザン - ミホシンザン
- ハイセイコー - ハクタイセイ
- シンボリルドルフ - トウカイテイオー
- アグネスタキオン - キャプテントゥーレ
- ネオユニヴァース - アンライバルド・ヴィクトワールピサ
- ディープインパクト - ディーマジェスティ・アルアイン・コントレイル
- オルフェーヴル - エポカドーロ
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脚注
関連項目
外部リンク
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