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越境合併
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越境合併(えっきょうがっぺい)とは、市町村合併の内、都道府県の境界にわたる市町村の合併を指す。越県合併または県境合併ともいう。明治時代以降行われた。
概要
通常の合併は同一都道府県内の市町村同士で行われることがほとんどだが、県境に隣接していて地理的・経済的理由等で同一都道府県内よりも他県市町村との交流が深ければ、県境を越えた合併が模索される場合がある。
しかし越境合併では、関係市町村が属する双方の都道府県の議会の議決が必要であり、区域の一部を失う都道府県が反対して実現に至らないこともあり、通常の合併に比べ実現へのハードルは高い。
平成の大合併における越境合併の例として、2005年2月13日付けで長野県木曽郡山口村が岐阜県中津川市に編入されたが、この合併でも長野県知事・田中康夫が強硬に反対して関連議案を県議会に提出せず(不満な田中は知事机の上に案件書類を店晒しにしていたとされる)、議員提案によってようやく越境合併が実現した(田中康夫の項の市町村合併の節も参照)。
従来、合体(複数の市町村を廃止し、新たに市町村を設置すること)は「都道府県の境界変更」とされ、その旨の法律を制定する必要があるとされていた(地方自治法第6条第1項、昭和28年6月29日付け 自行行発第195号)。
前述の長野県山口村と岐阜県中津川市との合併が編入になった理由の一つでもあるが、それをきっかけとして平成16年法律第57号により地方自治法が改正され、「都道府県の境界にわたつて市町村の設置」があったときも市町村の境界変更の場合と同じく「都道府県の境界も、また、自ら変更する」こととなった(第6条第2項)。
この場合、設置される市町村がどの都道府県に属するかは、関係のある都道府県・市町村の申請に基づき総務大臣が合併の処分と併せて定めることになる(同法第7条第4項)。
都道府県界の境界変更によって飛び地が発生する例として、東京都町田市と神奈川県相模原市がある。両市では、過去7回にも及ぶ境界変更が行われた。理由としては、町田市と相模原市の境界を流れる境川の流路を直線化する工事に伴い、多くの飛び地が発生した。これにより7回に及ぶ境界変更が行われたが、依然飛び地問題は解消されていない。
なお、越境合併が実施されると自動車税徴収の都合で自動車のナンバープレートを変更することがあり、前述の旧山口村に登録されている自動車はすべて岐阜ナンバーに変更された。
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越境合併一覧
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都道府県界の境界変更一覧
要約
視点
官報のオンライン検索が可能な1947年5月3日以降の事例のみ。これらの場合、合併関連ではなく河川整備や道路整備、都市計画などによる境界変更が多い。
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戦前の境界変更
- 明治4年11月(1871年12月)〜明治5年1月(1872年3月)
- 明治5年
- 1月22日(1872年3月1日) – 東京府東多摩郡に相当する地域が神奈川県に移管される[54][55]。
- 8月19日(1872年9月21日) – 現中野区域12村(中野村・江古田村・上鷺之宮村・雑色村・本郷村・本郷新田・新井村・上高田村・片山村・下鷺之宮村・上沼袋村・下沼袋村)および現杉並区域20村(高円寺村・馬橋村・永福寺村・上荻窪村・下荻窪村・久我山村・上高井戸村・下高井戸村・中高井戸村・田端村・成宗村・和泉村・大宮前新田・松庵村・和田村・上井草村・下井草村・天沼村・阿佐ヶ谷村・堀之内村)が東京府の管轄に戻ることが決定し、9月10日(1872年10月12日)に東京府の管轄に戻る[54]。
- 明治13年(1880年)5月10日 - 三重県桑名郡の内、鍋田川左岸の五明村・小島新田・福原新田・川原欠新田・赤津亀貝新田・加稲新田・加稲九郎治新田・三好新田・加稲附新田・富島新田・富島附新田・加稲山新田・稲荷崎新田・稲荷崎附新田・富崎新田・境新田の所属が愛知県海西郡に変更。
- 明治16年(1883年)11月1日 - 三重県桑名郡の江内村・油島新田・金廻村の所属が岐阜県下石津郡に変更。
- 明治19年(1886年)5月27日 - 福島県東蒲原郡の所属が新潟県に変更。
- 明治24年(1891年)6月15日 - 埼玉県新座郡榑橋村及び新倉村の一部が合併により、東京府北豊島郡大泉村となる。
- 明治26年(1893年)4月11日 - 神奈川県北多摩郡・南多摩郡・西多摩郡の所属が東京府に変更。
- 明治28年(1895年)4月1日
- 明治29年(1896年)4月1日
- 明治32年(1899年)4月1日 - 千葉県香取郡十余島村及び本新島村の大部分・金江津村の大部分の所属が茨城県稲敷郡に変更。同時に香取郡佐原町・新島村の各一部が本新島村に編入、香取郡神崎町の一部が十余島村に編入、印旛郡豊住村の一部が金江津村に編入。
- 明治40年(1907年)4月1日 - 埼玉県北足立郡保谷村の所属が東京府北多摩郡に変更。
- 大正15年(1926年)10月1日 - 北豊島郡岩淵町が埼玉県北足立郡横曽根村大字浮間を編入。
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県界の確定・決定
参考として示す。1947年5月3日以降の事例のみ。
越境合併が要望・提案されていた自治体
- 青森県西津軽郡岩崎村 - 秋田県能代市や山本郡の合併協議会に、一時期オブザーバー参加していたが、最終的には青森県内の深浦町と合併した。
- 茨城県鹿島郡波崎町 - 2000年代前半頃に千葉県銚子市への越境合併構想があったものの、最終的には茨城県内の神栖町と合併して神栖市となった。
- 茨城県猿島郡五霞町 - 埼玉県幸手市との越境合併を目指し、2003年に合併協議会が設置されていた時期もあった。
- 群馬県利根郡川場村 - 東京都世田谷区の保養施設があることから、一部団体によって同区との合併が提案されていた。
- 栃木県下都賀郡絹村(現・小山市) - 同村は茨城県結城市の中心市街に近く、結城市に問屋が密集している結城紬の生産地であることから、生活や産業面で同市との関わりが強かったことから、住民によって結城市との合併が提案された。しかし栃木県は拒否し、絹村を隣接する桑村と合併させ、桑絹村が発足した。これに憤慨した旧絹村側の住民は妨害・抗議活動を起こし、1960年(昭和35年)に実施された桑絹村長選挙には267名が立候補するという前代未聞の事態が発生した。
- 東京都町田市・神奈川県相模原市 - 戦前には、相模原市の前身である相模原町が成立する前にも当時の町田町などを含めて原町田一帯の町村を一つにする話があり、戦後も相模原市が津久井郡を編入合併するまでは市役所から市民レベルまでの議論が活発であったが、相模原市の津久井郡編入合併に伴い議論は下火になった。
- 神奈川県津久井郡相模湖町・藤野町 - 平成の大合併において、両町が東京都八王子市との合併を要望したもの。その後、八王子市側が合併は困難と回答したため相模原市との協議となり、その後相模原市と合併した。
- 山梨県南都留郡道志村 - 神奈川県横浜市との合併構想。横浜市の水源が道志村にあることが縁となり、2003年6月12日に道志村民653名(全住民の3割超)の賛同をもって住民発議され、横浜市に合併を申し入れた。しかし、長距離の飛び地合併でもあるため神奈川県が困難との見解を示した。
- 山梨県北都留郡小菅村・丹波山村 - 東京都青梅市や、西多摩郡奥多摩町との合併を望む声があり、実際に丹波山村は奥多摩町に検討の申し入れを行ったこともある。
- 新潟県糸魚川市 - 隣接する長野県小谷村と合併して長野県へ編入されるという構想を2008年に一人の市議会議員が提起し、小谷村議会議長から賛同されたが、市長および長野県副知事から否定された[62]。詳細は糸魚川市#政治の項を参照。
- 静岡県熱海市泉(旧:賀茂郡泉村) - 昭和初期から神奈川県足柄下郡湯河原町への分離合併運動がしばしば起こっているが、その度に静岡県知事などの反対によって不成功に終わっている。なお、平成の大合併の際は熱海市自体が神奈川県編入を狙い、湯河原町との合併を申し出たが、湯河原町の町長の反対に住民投票も行われ9割以上の反対にて破談となる。
- 岐阜県羽島郡川島町(当時は川島村) - 昭和の大合併時に、当時の村長と一部住民から愛知県一宮市との越境合併を求める運動があった(その後消滅)。平成の大合併でもごく一部の住民から一宮市との越境合併の声があったが、2004年に川島町は各務原市に合併している。
- 福井県遠敷郡上中町 - 平成の大合併の際、滋賀県高島郡6町村との合併を検討していたことがあった。
- 三重県桑名郡木曽岬町(当時は木曽岬村) - 1956年に愛知県海部郡弥富町(現・弥富市)との越境合併を議決したが、それが原因で村民の意見が二分され村議会も解散。1959年に単独村を維持することで紛争を解決。平成の大合併においても桑名市・多度町・長島町・木曽岬町・東員町任意合併協議会から離脱し、越境合併の可能性を残している。
- 京都府八幡市 - 市制施行直後の1980年頃に市民が大阪府枚方市への越境合併および八幡市の大阪府への移行を要望していた時期もあった(提案には至らずその後自然消滅した)。
- 大阪府三島郡島本町 - 平成の大合併の際、京都府乙訓郡大山崎町との合併を検討していたことがあった。
- 岡山県笠岡市茂平地区(旧:小田郡城見村茂平) - 1963年頃、笠岡市から分離し広島県福山市との合併を検討。岡山県内での冷遇から経済発展が進む福山市への合併を求めた。合併協議会は住民の9割の署名を添え笠岡市、福山市に合併嘆願書が提出するも岡山県側の反対により至らず。→詳細は笠岡市#茂平村越県合併騒動の項を参照。
- 広島県因島市 - 平成の大合併の際、愛媛県越智郡弓削町・生名村・岩城村・魚島村との合併が取り沙汰されたことがあった[63]。
- 広島県大竹市 - 隣接する山口県玖珂郡和木町との合併が検討されていた。
- 福岡県北九州市(構想当初は門司市)と山口県下関市 - 詳細は関門都市圏#関門特別市を参照。
- 福岡県大牟田市・熊本県荒尾市 - 平成の大合併において、2002年頃に合併研究会が設けられていたが、まずはそれぞれの市の財政再建を優先することとし、合併は当面見送りとなった経緯がある。なお、両市はDIDが連続しており、生活圏も同じである。
- 福岡県久留米市・小郡市・佐賀県鳥栖市・三養基郡基山町 - 九州の州都を視野に入れて協議会などが開催されていた[64]。
- 福岡県築上郡吉富町・上毛町 - 大分県中津市とは旧:中津藩の頃から生活圏が連続しており、住民間で行われたアンケートでも隣接する豊前市よりも合併相手として挙げる声が根強くあった。現在も豊前市との合併より中津市との合併を両町とも模索している。
- 長崎県北松浦郡福島町・鷹島町 - 経済的結びつきが強かった佐賀県伊万里市との合併の機運が高かったが、県境合併を進めると周辺市町村との合併議論が進まないことから伊万里市が合併に難色を示したため、同県の松浦市と合併した。
- 長崎県壱岐市 - 市町村合併に伴う第一回市長選挙において福岡市との任意合併協議会設置を公約に掲げた候補者が当選した。しかし福岡市とは直線距離で80km近くも離れているのに加え、第二回市長選挙に出馬するも落選したため任意合併協議会は設置されなかった。
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脚注
関連項目
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