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佐藤秀司

日本の将棋棋士 (1967-) ウィキペディアから

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佐藤 秀司(さとう しゅうじ、1967年6月8日 - )は、将棋棋士中原誠十六世名人門下。棋士番号は196。

概要 佐藤秀司 八段, 名前 ...

宮城県古川市(現在の大崎市古川)出身(出生地は栗原市瀬峰[注 1]

棋歴

  • アマ時代の最高成績は、第1回中学選抜選手権ベスト4。
  • 13歳で上京し、同じ宮城県出身の中原名人(当時)の内弟子となる[1]。中学卒業後は下宿生活し、「将棋以外のことも勉強したい」と定時制高校に通う[1]
  • 第7回(1990年度前期)奨励会三段リーグで13勝5敗の1位となり、1990年10月、四段昇段(棋士デビュー)。その年度中に、早くも第58期棋聖戦で一次予選・二次予選を突破し、本戦出場する活躍。このとき破った相手は、中川大輔村山聖田中寅彦(元棋聖)、福崎文吾(元王座)らである。
  • 1992年度「富士通杯」で準決勝進出[1]
  • 第23回新人王戦(1992年度)決勝3番勝負の対戦相手は、奨励会員の石飛英二三段(第15回三段リーグ途中で奨励会退会)。奨励会員初の棋戦決勝進出で例年以上に注目が集まったが、佐藤は堂々とした戦いぶりで石飛を圧倒、2-0で初優勝を決め、プロの面目を保った。佐藤は後日、将棋世界の優勝自戦記で「とにかく四面楚歌だった」と振り返っている。なお、新人王の記念対局は、名人に在位していた中原との「師弟戦」となり、佐藤が勝利した。
  • 第20期棋王戦(1994年度)で中村修王将、中川大輔らを破り予選を突破。さらに、本戦トーナメントで高橋道雄(タイトル歴5回)を破るが、3回戦で米長邦雄前名人に敗れる。この年度は、30勝超えを達成。
  • 第25期棋王戦(1999年度)で塚田泰明(元王座)、木村一基、同門の小倉久史らに勝ち予選を突破。さらに、本戦トーナメントで米長邦雄、森下卓を破るが、4回戦で藤井猛竜王に敗れる。
  • 第51回NHK杯戦(2001年度)で本戦出場。深浦康市丸山忠久名人を破るが、3回戦で谷川浩司(7タイトル全ての在位経験者)に敗れる。つづく第52回でも予選を突破し、本戦1回戦で高橋道雄を破る(2回戦で森下卓に敗れる)。
  • 第28期棋王戦(2002年度)本戦で森下卓を破るが、3回戦で島朗に敗れる。
  • 第54回NHK杯戦(2004年度)で予選を突破するが、本戦1回戦で女流棋士中井広恵女流二冠(女流王将倉敷藤花=当時)に敗れる。
  • 第18期竜王戦(2005年度)5組の昇級者決定戦(敗者復活戦)で5連勝し、4組へ昇級。この間、一時的に勝率ランキングで全棋士中トップを走った。
  • 第24期竜王戦(2011年度)4組ランキング戦決勝で広瀬章人王位を破り優勝。3組昇級とともに初の本戦(決勝トーナメント)進出を決めた。
  • 第3期叡王戦(2017年度)で予選七段戦を勝ち抜き本戦に進出。本戦1回戦で渡辺明棋王に敗れた。
  • 第5期叡王戦(2019年度)で予選七段戦を勝ち抜き、2年ぶりに本戦進出。本戦1回戦で青嶋未来に敗れた。
  • 第61期王位戦(2020年度)予選を勝ち抜き、同棋戦で25年ぶりの挑戦者決定リーグ入りを決めた。リーグ戦紅組では0勝5敗に終わった。
  • 第1回 サントリー杯オールスター戦(2021年度) では予選を勝ち抜き出場。藤井聡太に敗れた。
  • 2022年8月23日付けで通算600勝(将棋栄誉賞)を達成[2]

順位戦

  • 佐藤は順位戦で強い傾向があり、第68期(2009年度)にB級2組で棋士人生で初の降級点を喫する前まで負け越しは1回のみ(4勝6敗)で、順位戦通算勝率は6割を大幅に超える0.661であった。
  • 第53期順位戦(1994年度)C級2組の昇級争いは、史上まれに見るハイレベルな戦いとなり、佐藤は9勝1敗の好成績ながらリーグ表で低順位(20位)のため、頭ハネで昇級3名の枠に入れなかった(深浦康市(9位)も同じく9勝1敗で頭ハネに泣いている)。このときの昇級者は、久保利明(24位、10勝0敗)、三浦弘行(6位、9勝1敗)、中川大輔(8位)。
  • 第56期順位戦(1997年度)C級2組では、初戦から9連勝した時点で成績1位が確定し、一気に昇級を決める(最終成績は9勝1敗)。
  • 5人が8勝2敗で並ぶ大混戦となった第59期順位戦C級1組では、高順位(5位)のため昇級した。
  • B級2組では、第64期と第65期で2期連続次点の3位(6勝4敗、7勝3敗)だったが、第68期と第69期は2期連続で降級点を取り、C級1組へ降級した。
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人物

  • 新人王戦決勝三番勝負を前にして、準備した和服の帯が結びにくいことに気づく。困って大師匠(師匠の師匠)の高柳敏夫のもとに出向いたところ、高柳は結びやすい帯を提供。第1局当日はその帯を立会人の佐瀬勇次に結んでもらい、ことなきを得た。佐藤は「両先生のおかげで勝てた」と述べている[1]
  • 日本将棋連盟古川王将会支部(大崎市)と気仙沼将棋会支部(気仙沼市)の師範を務めている。
  • 古川商工会議所(大崎市)月会報「ふるかわ会議所ニュース」に詰将棋を掲載している(2008年9月号から)。
  • 2015年より2年間、日本将棋連盟常務理事を務めた[3]
  • 理事として将棋ソフト不正使用疑惑をめぐる混乱に対する責任を問われ、2017年2月27日に行われた臨時総会で解任動議が出されるも、否決される[4]
  • 2021年4月より仙台市に開設される日本将棋連盟「東北研修会」の幹事を東北出身棋士等(中川大輔阿部健治郎熊坂学加藤結李愛=指導担当)と務める[5]
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弟子

女流棋士となった弟子

さらに見る 名前, 女流プロ入り日 ...

(2023年4月1日現在)

昇段履歴

  • 1980年11月01日: 6級 = 奨励会入会 [要出典]
  • 1981年01月01日: 5級 [要出典]
  • 1981年05月01日: 4級 [要出典]
  • 1981年07月01日: 3級 [要出典]
  • 1981年12月01日: 2級 [要出典]
  • 1982年04月01日: 1級 [要出典]
  • 1983年11月01日: 初段 [要出典]
  • 1984年09月01日: 二段 [要出典]
  • 1988年06月20日: 三段 [要出典]
  • 1990年10月01日 : 四段 = プロ入り
  • 1994年10月11日 : 五段(勝数規定/公式戦100勝、通算100勝)
  • 1999年07月09日 : 六段(勝数規定/五段昇段後公式戦120勝、通算220勝)[6]
  • 2007年12月10日 : 七段(勝数規定/六段昇段後公式戦150勝、通算370勝)[7]
  • 2020年07月31日 : 八段(勝数規定/七段昇段後公式戦190勝、通算560勝)[8]
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主な成績

棋戦優勝

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...

年度別成績

さらに見る 年度, 対局数 ...

その他表彰

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著書

※書籍タイトルの由来は、増田康宏の「矢倉は終わった」発言より。増田康宏#人物の項目も参照。

脚注

関連項目

外部リンク

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