旭市
千葉県の市 ウィキペディアから
千葉県の市 ウィキペディアから
基幹産業として近郊農業が盛んであり、千葉県内第1位・全国第5位の農業産出額である[1][2]。
2021年(令和3年)4月1日、過疎地域の持続的発展の支援に関する特別措置法に基づき、干潟地域が過疎地域に指定され、人口減少が課題となっている[3]。
北部には干潟八万石といわれる房総半島屈指の穀倉地帯となだらかな丘陵地帯である北総台地が広がっている。市の中央部を東西に総武本線と国道126号が通る。
産業では、施設園芸、畜産、稲作、露地野菜などの農業や漁業が発展している。
九十九里海岸沿いの千葉県道30号飯岡一宮線に沿っていくつかの源泉が湧出している。
千葉県北東部に位置し、県庁所在地である千葉市から約50キロメートルの距離である。東京都の都心から80 - 90キロメートル圏内である。
九十九里平野の北端に位置し、南部は九十九里浜・太平洋に面し、北部に下総台地が広がる。市の中央部を東西に総武本線と国道126号が通る。
千葉県立旭農業高等学校の所在する千葉県旭市ロ1番地(郵便番号:289-2516)は、日本一短い地名の一つである。
古代、現在の旭市周辺には椿海と呼ばれる湖が広がっていた。江戸時代になり、椿海を干拓するため、新川を掘削して湖底を干潟とした。
幕末には、農村指導の先駆者・大原幽学が長部村を訪れ、農村を再興させた。同じく幕末に、国学者の宮負定賢・宮負定雄父子も村の和合や農業改良に努めた。一方、九十九里沖の豊かな漁場を求めて関西の漁民がやって来るようになり、飯岡助五郎は、イワシ漁を中心とした漁業の発展に尽力した。
明治に入り、政府の「畑作奨励策」の下、鎌数村の金谷総蔵が落花生栽培を普及させ、総武鉄道が開通して大量輸送が可能になると、落花生の加工工場が数多く造られた。また、昭和初期からスイカ、カボチャ、サツマイモ(甘藷)などの生産が盛んになり、特に甘藷栽培は穴澤松五郎の功績で発展した[4]。
「旭」という市名(最初は町名)は、一説には「旭将軍」と呼ばれた木曾義仲の末裔とされ、この地で没した木曾義昌を詠んだ「信濃より いつる旭をしたひきて 東の国にあととどめけむ」から採られたとされる。
この歌は、弘化元年(1844年)木曾氏末裔を称する芦原検校(木曾義長)が、東漸寺において営んだ「木曾義昌公250回忌」において京都の国学者、野々口隆正が詠んだ追悼歌で、この時に寄せられた追悼歌400首を収めたのが、市の指定文化財ともなっている「慕香和歌集」である。
旭市市域の変遷(年表) | ||
---|---|---|
年 | 月日 | 現旭市市域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の町村がそれぞれ発足。[6] |
1890年(明治23年) | 10月27日 | 庄内村は改称し中和村になる。 |
1914年(大正3年) | 12月12日 | 浦賀村・足川村が合併し浦賀村が発足。 |
1915年(大正4年) | 10月1日 | 浦賀村は改称し矢指村になる。 |
1954年(昭和29年) | 2月11日 | 旭町・富浦村・矢指村が合併し旭町が発足。 |
3月31日 |
| |
6月1日 | 豊畑村・共和村は旭町に編入。 | |
7月1日 | 旭町が市制施行し旭市となる。 | |
海上町の一部(琴田の一部)は旭市に編入。 | ||
1955年(昭和30年) | 4月10日 | 古城村・中和村・万歳村が合併し干潟町が発足。 |
7月20日 | 神代村は笹川町・橘村・東城村とともに合併し、東庄町が発足。 | |
海上町の一部(琴田の一部)は旭市に編入。 | ||
1956年(昭和31年) |
| |
1957年(昭和32年) | 飯岡町の一部(三川の一部)は海上町に編入。 | |
1958年(昭和33年) | 飯岡町の一部(三川の一部)は銚子市に編入。 | |
1960年(昭和35年) | 海上町の一部(琴田、江ケ崎の各一部)は旭市に編入。 | |
1984年(昭和59年) | 旭市の一部(網戸山)を海上町に編入 | |
2005年(平成17年) | 7月1日 | 旭市・飯岡町・海上町・干潟町が合併し旭市が発足。 |
旭市市域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略) | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||||
匝瑳郡 | 太田村 | 旭町 | 旭町 | 昭和29年2月11日 旭町 |
昭和29年7月1日 市制 |
平成17年7月1日 旭市 |
旭市 | |||
海上郡 | 網戸村 | |||||||||
成田村 | ||||||||||
十日市場村 | ||||||||||
中谷里村 | 富浦村 | 富浦村 | ||||||||
仁玉村 | ||||||||||
神宮寺村 | ||||||||||
椎名内村 | 浦賀村 | 大正3年12月12日 浦賀村 大正4年10月1日 矢指村に改称 | ||||||||
野中村 | ||||||||||
東足洗村 | ||||||||||
西足洗村 | ||||||||||
足川村 | 足川村 | |||||||||
匝瑳郡 | 井戸野村 | 豊畑村 | 豊畑村 | 昭和29年6月1日 旭町に編入 | ||||||
泉川村 | ||||||||||
川口村 | ||||||||||
大塚原村 | ||||||||||
駒込村 | ||||||||||
新町村 | 共和村 | 共和村 | ||||||||
鎌数村 | ||||||||||
海上郡 | 上永井村 | 飯岡町 | 飯岡町 | 昭和29年3月31日 飯岡町 | ||||||
下永井村 | ||||||||||
飯岡村 | ||||||||||
行内村 | ||||||||||
平松村 | ||||||||||
横根村 | ||||||||||
岩崎村 | ||||||||||
萩園村 | ||||||||||
塙村 | 豊岡村 の一部 |
豊岡村の一部 | ||||||||
八木村の一部 | ||||||||||
三川村 | 三川村 | 三川村 | ||||||||
権田沼新田 | ||||||||||
琴田村 | 嚶鳴村 | 嚶鳴村 | 昭和29年3月31日 海上町 | |||||||
後草村 | ||||||||||
高生村 | ||||||||||
江ケ崎村 | ||||||||||
清滝村 | 滝郷村 | 滝郷村 | ||||||||
幾世村 | ||||||||||
岩井村 | ||||||||||
松ケ谷村 | ||||||||||
見広村 | 鶴巻村 | 鶴巻村 | ||||||||
大間手村 | ||||||||||
長尾村 | ||||||||||
倉橋村 | ||||||||||
蛇園村 | ||||||||||
香取郡 | 鏑木村 | 古城村 | 古城村 | 昭和30年4月10日 干潟町 | ||||||
万力村 | ||||||||||
秋田村 | ||||||||||
諸徳寺村 | 明治13年 清和村 |
庄内村 | 明治23年10月27日 中和村に改称 | |||||||
松沢村 | ||||||||||
南堀之内村 | ||||||||||
長部村 | ||||||||||
米込村 | ||||||||||
入野村 | ||||||||||
万歳村 | 万歳村 | 万歳村 | ||||||||
関戸村 | ||||||||||
溝原村 | ||||||||||
桜井村 | 神代村 の一部 |
神代村の一部 | 昭和30年7月20日 東庄町 昭和31年 干潟町に編入 |
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、3.58%減の66,586人であり、人口減少が進行している。増減率は千葉県下54市町村中31位、60行政区域中37位。
旭市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 旭市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 旭市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
旭市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる[8]。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 鈴木三九一 | 1954年(昭和29年)7月1日 | 1961年(昭和36年)12月30日 | |
2 | 斉藤寛 | 1962年(昭和37年)1月20日 | 1970年(昭和45年)1月19日 | |
3 | 伊藤政秋 | 1970年(昭和45年)1月20日 | 1978年(昭和53年)1月19日 | |
4 | 八木金二郎 | 1978年(昭和53年)1月20日 | 1990年(平成2年)1月19日 | |
5 | 加瀬五郎 | 1990年(平成2年)1月20日 | 2002年(平成14年)1月19日 | |
6 | 伊藤忠良 | 2002年(平成14年)1月20日 | 2005年(平成17年)6月30日 |
農業は基幹産業としての役割を担っており、農業産出額は千葉県内1位(全国5位)で、特に野菜、畜産は県内1位、米は県内2位となっている。その関係上活田・活畑が多く残っている上に、平地が多く天候が急変しても被害を被りにくい為、比較的訪れやすいバードウォッチングの名所として有名である[要出典]。
※かつて存在した農業団体
旭市が指定しているふるさと産品・特産品[12]
かつては千葉県内の太平洋沿い地域(海匝地域、山武地域、長生地域、夷隅地域)では茂原市、銚子市に次ぐ第3の商業都市であり、旭商圏を形成する商業中心都市・準商業中心都市であったが、銚子市側にロードサイド店舗(イオンモール銚子など)が多く出店したことにより、商圏が衰退傾向にある[14]。2023年(令和3年)2月には、市内商業の中核であった「イオン旭店」が撤退した[15]。
災害発生時の避難場所・避難施設が整備されている。詳細は 災害時の避難場所(旭市役所ホームページ) を参照。
市外局番は市内全域「0479」。ただし、合併当初は市内局番が「6X」の地域(旧・旭市と旧・干潟町)は「八日市場MA」、市内局番が「5X」の地域(旧・海上町と旧・飯岡町)は「銚子MA」であり、市内でMAをまたがる区域の通話は市外局番からかける必要があったが、2009年11月1日より市内全域が八日市場MAに統合されて問題が解消した。
番号 | 指定・登録 | 類別 | 名称 | 所在地 | 所有者または管理者 | 指定年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 国指定 | 重要文化財(歴史資料) | 大原幽学関係資料 | 旭市長部345-2 | 旭市 | 平成3年6月21日 | 一括 |
2 | 記念物(史跡) | 大原幽学遺跡旧宅墓および宅地耕地地割 | 旭市長部339他 | 旭市他 | 昭和27年10月11日 | ||
3 | 県指定 | 有形文化財(建造物) | 玉崎神社本殿 | 旭市飯岡2126 | 玉崎神社 | 昭和48年3月2日 | 1棟 |
4 | 有形文化財(建造物) | 旧林家住宅 | 旭市長部339-1 | 旭市 | 昭和54年3月2日 | 1棟 | |
5 | 有形文化財(建造物) | 玉崎神社拝殿 | 旭市飯岡2126 | 玉崎神社 | 平成17年3月29日 | 1棟 | |
6 | 有形文化財(絵画) | 絹本著色釈迦涅槃図 | 旭市琴田3521 | 海宝寺 | 平成11年3月30日 | 1幅 | |
7 | 有形文化財(彫刻) | 木造伝聖観音立像 | 旭市溝原715 | 東栄寺 | 昭和41年5月20日 | 1躯 | |
8 | 有形文化財(彫刻) | 木造阿弥陀如来立像 | 旭市蛇園612 | 還来寺 | 平成12年2月25日 | 1躯 | |
9 | 有形文化財(工芸品) | 古瀬戸狛犬 | 旭市飯岡2126 | 玉崎神社 | 平成2年3月16日 | 1対 | |
10 | 無形民俗文化財 | 水神社永代大御神楽 | 水神社 | 昭和29年3月31日 | |||
11 | 無形民俗文化財 | 鎌数の神楽 | 鎌数伊勢大神宮 | 鎌数伊勢大神宮神楽保存会 | 昭和40年4月27日 | ||
12 | 無形民俗文化財 | 倉橋の弥勒三番叟 | 旭市倉橋 | 倉橋弥勒三番叟保存会 | 昭和42年3月7日 | ||
13 | 無形民俗文化財 | 熊野神社の神楽 | 熊野神社 | 鎌数伊勢大神宮神楽保存会 | 昭和55年2月22日 | ||
14 | 無形民俗文化財 | 太田のエンヤーホー | 旭市ニ | 太田八坂神社氏子会 | 平成20年3月18日 | ||
15 | 記念物(史跡) | 御前鬼塚古墳 | 旭市鏑木3368他 | 正賢寺 | 昭和50年3月28日 | ||
16 | 記念物(天然記念物) | 龍福寺の森 | 旭市岩井120-1他 | 龍福寺・旭市 | 昭和54年3月2日 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.