Loading AI tools
日本の女性声優、女優、ナレーター (1954-) ウィキペディアから
島本 須美(しまもと すみ、本名:越川 須美〈こしかわ すみ〉[2]、1954年〈昭和29年〉12月8日[9] - )は、日本の声優、女優、ナレーター[6]。高知県高知市出身[4]。フリー[5]。
しまもと すみ 島本 須美 | |
---|---|
2007年 米国『サクラコン』にて | |
プロフィール | |
本名 | 越川 須美(こしかわ すみ)[1][2](旧姓:島本[3]) |
性別 | 女性 |
出身地 | 日本・高知県高知市[4] |
生年月日 | 1954年12月8日(69歳) |
血液型 | A型[5] |
職業 | 声優、女優、ナレーター[6] |
事務所 | フリー[5] |
配偶者 | 越川大介(お笑いタレント) |
著名な家族 | 娘:越川詩織(女優、声優) |
公称サイズ(時期不明)[1] | |
身長 / 体重 | 160 cm / 48 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1979年[7] - |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ラジオ、ナレーション |
デビュー作 | 『ゼンダマン』(イブ)[7][8] |
俳優活動 | |
活動期間 | 1970年代 - |
ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台 |
現在はフリー[5]、かつては劇団青年座[2][4]、青二プロダクション、大沢事務所[10]に所属していた。
小さい頃は『鉄腕アトム』から『鉄人28号』、『スーパージェッター』、『エイトマン』などを見て、アトム役を演じていた清水マリは神様のように思えたという[2]。
幼少期から活発な性格で、夏休みなどは近所の男の子と一緒に毎日川で朝から晩まで遊んでいた[8][11]。スポーツが得意で、スポーツ大会などで学校代表になり、体操などで皆の前に立ち、模範演技をしたりしていた[8][11]。音楽なども得意だったが、勉強に関しては活発ではなく、あまり成績が良くなかったという[11]。中学では当初はバスケットボール部に入部していたが、腕を骨折してしまい、休んでいた間にバスケットボールへの熱が冷めてしまい、そのの時に声をかけらて体操部に所属し、新体操に励む[8][11]。一方で文学的なもの、演じることには興味を感じていなかったという[11]。高校卒業後は就職するつもりだったため、高知商業高校[2]に進学したが、体操部がなく演劇部へ入部[8][11]。部長を務め、演劇コンクールに参加し審査員に誉めてもらったことが嬉しくなり、これをきっかけに俳優を目指す[12][13]。
高校時代から各地方にもあった芝居を見るための団体の会員になり、俳優座、文学座、青年座、劇団民芸と大手劇団の舞台を観に行っていた[12]。地方だったことから、演劇に対する予備知識がほとんどなく、観劇できる劇団以外は無知で観劇したそのプロの劇団に憧れ、「そしてそこに入りたい」という想いを馳せていたという[12]。
俳優座を受験するため、上京して桐朋学園芸術短期大学演劇科へ進学[12][14]。短大時代の同期生に高畑淳子がいる[12]。
「やりたいことはやりなさい」という家庭だったため、両親は「好きなことをやりなさい」と応援してくれたという[12][14]。
当時は舞台女優になりたい思いでいっぱいで、テレビ、映画に出演したいという欲は全くなかったという[12]。短大時代はアルバイトもせずに学業に専念していたが、貧しかったことから「今週は20000円で暮らさなきゃ」というのはあった[14]。短大時代は、カリキュラムが詰まっており、次回までにやらなければいけない課題も多くて大変だったという[14]。
その頃、上京するまでは無知だったアングラ演劇に夢中になり、大学卒業後はこちらの方向へと考えるようになり、既製の劇団ではやりたいことが見つけられなかったため、「自分たちで、劇団を作ろう」とも考えていた[15]。
在学中に知り合えたプロの劇作家、プロの演出家に協力してもらい、結成を試みるが、延々と演劇論を戦わせているばかりであり、何も決められなかったため、そのプロの人物達が「お前たちは何をやっているんだ」と去られてしまい、劇団名も決まらず、1本の舞台も行わないまま終わっていたという[15]。
その間、古典の人形劇をしていた団体の人物から誘いがあり、人形と生身の人間が対話するような舞台には出演していた[15]。
桐朋学園大学の講師の妻が前述の清水マリで、職業としての声優は知っていたが、当時は舞台女優を目指していたことから仕事をすることになるとは思っていなかったという[16]。卒業後は大学時代に講師をしていた劇団青年座の演出の人物に青同劇団に誘ってもらい、劇団青年座に入団し[8]、劇団のオーディションを受けて、劇団員になる[16]。
青年座に入団してから一番最初に、初井言榮の付き人を経験[14]。初舞台は、PARCO劇場の舞台のヒロイン役[16]。活動初期は『花神』、『マー姉ちゃん』等のテレビドラマに出演していた。
その頃、声の仕事をしていた先輩に「遊びに来ないか」と誘われて、現場で「一声出してみないか」と言われて、声を出していたところ「今度オーディションあるから受けてみる?」というような流れで声優としての活動を始める[17]。
1979年2月17日放送の『ゼンダマン』第3話、「エデンの園だよ!ゼンダマン」のゲストキャラクターのイブ役で声優デビューを果たす[7][8]。同年4月スタートの『ザ☆ウルトラマン』ではヒロインの星川ムツミを演じて初レギュラーとなった[7][8]。多くの文献や本人プロフィールなどでは、この作品がデビュー作とされており、実際にオーディションに合格して声優デビューが決まったのもこちらが先だった[8][17]。『ゼンダマン』のゲストは『ザ☆ウルトラマン』の演出家から出るように言われたものである[8]。
初めてのアフレコの時は舞台的な発声だと声が通り過ぎてしまうなど、その距離感の問題が大変だった[17]。台本と画面を同時に見て、台詞をいうことにも苦労しており、失敗を引きずったりはできず、一言だけの台詞の場合なども、待っている間のプレッシャーがかなりあったという[17]。周囲は先輩ばかりで、現場のルールもわからず、超本気で大きな声でセリフの稽古をしていた[14]。
新人だった頃、劇団にマネージメント料を払わなければならず、レギュラー1本では、アルバイトをしなければ無理で、『風の谷のナウシカ』の頃もアルバイトはしていた[14]。当時はパーティーコンパニオンのアルバイトをしていた[14]。
当時の青年座は、西田敏行が売りだしており、声の仕事には力を入れておらず、声の仕事専門のマネージャーもいないため、『ザ☆ウルトラマン』の収録終わりで次の現場に移動しなくてはいけなかった[14]。その時、声優事務所のマネージャーが「須美ちゃん、そろそろ(時間だから)出たほうがいいよ」と言ってくれており、それくらい、ほったらかしだったという[14]。
これを機に声優業が増えていき、同年12月公開の劇場用アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』でゲストヒロインのクラリスを演じた[17][18]。
『ザ☆ウルトラマン』終了後は、収録日を絶対動かすことがなく、旅公演のある舞台公演ができなくなり、舞台の仕事を優先するためレギュラーの声優の仕事は断り、1980年から1982年にかけて日本全国の地方の中学校をまわる学校公演ミュージカル『ブンナよ木からおりてこい』『ある馬の物語』に参加した[8][17]。
1983年4月から『スプーンおばさん』のルウリィ役で再びレギュラーの声優の仕事を受けるようになり、1984年の『風の谷のナウシカ』、1985年の『小公女セーラ』、1986年の『めぞん一刻』、『オズの魔法使い』、『Oh!ファミリー』でそれぞれヒロインもしくは主人公を演じ、人気を博す。
私生活では、1984年に青年座の後輩で7歳下の、お笑いコンビ・ちびっこギャングの越川大介と結婚[19]、長女で声優の越川詩織との三人家族である[20]。
1986年には『めぞん一刻』で演じたヒロイン・音無響子名義でシングル「予感」をリリースし、翌1987年には2枚目のシングル「メロディー」と、アルバム「恋するKI・MO・CHI」をリリースした。
アニメ雑誌『アニメージュ』主催のアニメグランプリでは、1984年の第7回と1987年の第10回、1988年の第11回で、女性声優部門1位を獲得。また1985年と1986年、1989年でも2位に輝いた。
1980年代後半以降は『キテレツ大百科』のキテレツのママ、『それいけ!アンパンマン』のしょくぱんまんなど、ヒロイン以外の役柄での出演が多くなり、役の幅を広げていく。しょくぱんまん役のオーディションの話が来た時は驚いていた[7]。『キテレツ大百科』は前述の通り、島本が母親になった途端に母親役がまわってきたという感じであったという[7]。しょくぱんまん役は現在まで続いているので、持ち役の中で最も演じている期間が長い。
1990年代以降は母親役を演じることが多くなる。OVA『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』ではヒロインの銀鈴役を担当する。なお、銀鈴を主人公としたスピンオフ作品も複数作られている。
1997年からは『名探偵コナン』で主人公・江戸川コナンこと工藤新一の母親・工藤有希子を担当。しょくぱんまん役に次いで担当期間が長い持ち役となっている。
業界に入り30年以上が経っているが、その割には「出演作が少ない」と語っており、本人が言うには「主演作やメインレギュラーのインパクトでキャリアを印象づけた」[21]とのこと。
2012年に長女の越川詩織が、島本がレギュラー出演している『それいけ!アンパンマン』で声優デビューしている。
2010年頃にはプロ・フィット声優養成所の専任講師の1人となり基礎講座の講師として活動中。
2014年からはS&S Entertainment Schoolの声優・演劇コースにて、講師として活動中。
2017年1月9日、テレビ朝日にて放映された『人気声優200人が本気で選んだ!声優総選挙!3時間SP』で第25位に選ばれる[22]。同年3月、第11回声優アワードで高橋和枝賞を受賞[23]。
演じるキャラクターは、お姫様、母親、先生の3系統に大きく分けられている[24]。色々なキャラクターを演じてきたが、昔からあんまり器用な声優でもなく、上手いという役者でもなかった[21]。素人っぽさが当初の売りだったのかもしれず、2016年時点では少しは上手くなったと語る[21]。
舞台をしていた頃は、無意識のうちに自分の身体を見せるということが前提での演技をしていた[17]。声優としての仕事が中心になってからは、身体の動きそのものも台詞の中に込めてしまうということを無意識にするようになったという[17]。
声優を始めた当初は演じているのは私であるが私ではない私、キャラクターに導入していく部分などの区別が出来なく苦労していたという[17]。
劇団時代は仕事を待つのが辛く、アルバイトもしていたが、「いつ仕事が来てもいい状態にして、モチベーションを上げつつ、待つ」というのは結構大変だった[18]。その時、モチベーション維持のために、近くにあった代々木公園で、劇団の先輩と一緒に走ったりして体力作りをしていた。終えた後に先輩に付き合わされ、麻雀に行ったりしていた[18]。
青野武と現場で共演していた時、「古文書」を「こぶんしょ」と読んでいたところ、「須美ちゃん、ここは〝こもんじょ〟のほうがカッコいいよ」とさりげなく教えてくれたという[18]。
先輩の芝居を聴いているだけで勉強させてくれることも多かった[18]。『ザ☆ウルトラマン』の時は、最初からレギュラーで、紅一点だったこともあり、富山敬をはじめ、滝口順平、兼本新吾、森川公也といった先輩たちに可愛がられた[17][18]。またそんななか、千葉繁がおり、よく話をしていたという[18]。
3きょうだいの長女で妹、弟がいる[11]。
1979年放映開始の世界名作劇場シリーズ『赤毛のアン』の主役のアンのオーディションの最終選考まで残り、結果は山田栄子に決まった[7]。しかし、レイアウトと場面設定スタッフとして名を連ねていた宮崎駿が島本の声に感銘を受け、指名で『ルパン三世 カリオストロの城』のオーディションに参加、結果クラリス役に抜擢されたという逸話がある[25][26]。
この『カリオストロの城』を皮切りに、島本は宮崎の作品に多数出演することになり、新『ルパン三世』の最終話では小山田真希を演じ、『風の谷のナウシカ』では自主的にオーディションに参加し主人公のナウシカ役を獲得[27][28]。またクシャナ役の榊原良子と2人だけでオーディションを受けていたという[17]。
『風の谷のナウシカ』自体もファンから「『風の谷のナウシカ』がアニメ化されたら是非ナウシカをしてください」と原作を教えてくれて以来ファンで、原作を読み続けており「ずっとやりたい」と思っていたという[17]。高校生の頃からジャンヌ・ダルクに憧れており、ナウシカにジャンヌ・ダルク的なところがあるような気がしていた[7]。オーディションの話が来た時にも、「ぜひやりたい」と思ったという[7]。この作品出演以降、オーディションのオファーをくれる機会が増えて、アニメのレギュラーと舞台の両立が可能なことを知ったため、テレビアニメのレギュラーも受けるようになったという[17]。
『風の谷のナウシカ』の時は下手でオンエアを劇場で観て恥ずかしく、終了と共に逃げるように帰ってきたという[17]。経験の少ない島本が一生懸命しているその素人っぽさを宮崎は計算のない初々しさと捉えてくれたのかもしれないという[17]。
他には、『となりのトトロ』では当初サツキ役でオーディションに臨むも母親役に決まり[29]、『もののけ姫』ではトキを演じた。
『もののけ姫』では、宮崎から20回ものリテイクを出され、島本自らも1回リテイクを申し出るなど苦戦の連続であった[30][31]。宮崎が声優を専業以外からの起用にシフトしたため、『もののけ姫』を最後に宮崎作品には出演していない。
『ルパン三世』のクラリスについては、劇場公開時よりもテレビでオンエアされた際に多大な反響があったらしく、劇団に沢山のファンレターが送られてきたという。その時のファンレターの数は西田敏行よりも多かったとされる。そのため、劇団のスタッフ方々から「須美、これは大事にしなきゃ駄目だよ」と言われ、「物凄い数のファンレター1人1人に返事を書きまくっていた」と語っている[32]。一番好きなクラリスのセリフとして、ラストの「私も連れてって! 泥棒はまだできないけど、きっと覚えます。私、私、お願い、一緒に行きたい!」を挙げている[33]。
2016年時点では宮崎駿作品に出演したことが、仕事を続けていられる理由だと語る[21]。
世間的にはテレビアニメのレギュラー番組での初主演は『小公女セーラ』と認識されているが、実際には『オズの魔法使い』の方が先だったとのこと。放送スケジュールが決定しないまま全52話分の収録を済ませていた[34]。
太字はメインキャラクター。
タイトル | 発売日 | 品番 |
---|---|---|
予感(C/W 夢の入口へ…) | 1986年9月25日 | 7DS0124 |
メロディー(C/W ときめき) | 1987年7月25日 | 7DS0148 |
恋するKI・MO・CHI | 1987年9月25日 | 25MS-0139(LP) H20K-20088(CD) |
タイトル | 発売日 | 品番 |
---|---|---|
世界名作劇場 小公女セーラ | 1985年 | |
世界名作劇場 メモリアル音楽館 小公女セーラ | 2005年5月25日 | B0008JH3OE |
島本須美 sings ジブリ | 2009年8月26日 | WPCL-10739 |
ジブリ IN THE MIX | 2009年12月4日 | FARM-0206 |
sing her LEGENDS | 2010年2月24日 | VICL-63536 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.