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日本のお笑いタレント、司会者 (1967-) ウィキペディアから
東野 幸治(ひがしの こうじ、1967年〈昭和42年〉8月8日[2] - )は、日本のお笑いタレント、司会者[3]。吉本興業所属[3]。兵庫県宝塚市出身[4]。
本名 | 同じ |
---|---|
ニックネーム | ひがしのり |
別名義 | バッテリー幸治、ライト東野、東田健二 |
生年月日 | 1967年8月8日(57歳) |
出身地 | 日本・兵庫県宝塚市 |
血液型 | O型 |
身長 | 178cm |
言語 | 日本語 |
方言 |
神戸弁 共通語 |
最終学歴 | 兵庫県立宝塚高等学校 |
出身 | 心斎橋筋2丁目劇場のオーディション |
芸風 | コント |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1985年 - |
同期 |
木村祐一 リットン調査団 今田耕司ほか |
現在の代表番組 |
レギュラー番組 行列のできる相談所 東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい… ワイドナショー ちゃちゃ入れマンデー 教えて!ニュースライブ 正義のミカタ マルコポロリ 芸能人が本気で考えた!ドッキリGP スペシャル番組 やりすぎ都市伝説 1周回って知らない話 |
過去の代表番組 |
4時ですよーだ ダウンタウンのごっつええ感じ あらびき団 |
他の活動 | BSよしもと宣伝局長 |
配偶者 | 既婚(離婚歴あり)[1] |
親族 | 娘2人 |
公式サイト | 公式プロフィール |
受賞歴 | |
|
小学校高学年時から中学2年生時まで家族が離散しており、それ以降は家族や親友を信じず、「ワイはワイの力だけしか信じへんのや」と語り、「己の力」だけを信じてきたという[要出典]。高校は兵庫県立宝塚高等学校を卒業している[3]。
1985年、高校3年生のときに吉本興業の新人オーディションを受け、星野勘太郎のモノマネをして合格し、そのまま芸人となる。合格賞品はボールペン1本だった[5]。
当時は、漫才ブームが終わりダウンタウンという新しい世代の芸人を中心に吉本興業が新たなムーブメントを起そうとしていて、そのオーディションの一環でダウンタウンが2丁目劇場で公開録音していたラジオ番組『心斎橋お笑い探検隊』(ラジオ大阪)に出演する。番組に出演すると豪華賞品が貰えると友達に誘われたのがきっかけであるが、貰えたのはボールペンだった。なお、同じオーディションをリットン調査団も受けていた。一時期、大学に通う友人に乗せられ大学受験を決意し芸人を休業するも受験に失敗し、その後は芸人活動に本腰を入れる。
NSC出身ではないため、NSC4期生で数か月先輩である今田耕司などには敬語を使い、ほぼ同時期ながら数ヶ月後に芸能界デビューした木村祐一とは同期として接し、NSC5期生の辻本茂雄に対しては先輩として接している。
若手時代は心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動、ダウンタウンが司会を務める公開生番組『4時ですよ〜だ』(毎日放送)などに出演していた。番組開始当初は素人参加コーナー「ダウンタウンの欲望」の募集の告知を呼びかける「欲望の男」だけの役だったが、次第に頭角を現し、最後の半年は今田耕司、石田靖らと共に司会を任されることとなる。また『4時ですよ〜だ』(毎日放送)が放送されていた頃、今田とのコンビで2丁目劇場の超若手が出演するライブイベント「2丁目jrたんけんたい」(上部組織にダウンタウンがメイン司会を務める「2丁目探検隊」というライブがあった)の司会進行を担当していた。この頃の月収は7~8万円程度で、とくに危機感も向上心も湧かなかった。
また、同時期に夕方の帯番組として放送されていた清水圭・和泉修が司会を務める『素敵!KEI-SHU5』(関西テレビ)では、白いランニングシャツにトレパン姿の「セニョール東野」というキャラクターで各地をリポートするVTR企画も担当(このセニョールのキャラは、当時の舞台上でのネタで演じられていたものだった)。
『4時ですよ〜だ』の終了後、今田らと共に、当時立て直しが急務とされていた吉本新喜劇の補強メンバーとされたが、当初は新喜劇の出演をどうしても受け入れる事ができず、芸人を引退し植木屋への転職を考えていた。しかし、今田らの熱心な説得により芸人引退を思い止まり、新喜劇では主に主役として出演する。
その後、今田らと共にダウンタウンが上京した2年後に東京へ進出。なお、上京前まではおかけんたと同居していた[6]。東京進出以降は今田と「Wコウジ」としてのテレビ出演を経て、2000年代以降は司会者としての活動も増える。
2020年2月23日よりYouTubeにて『東野幸治の幻ラジオ』というラジオ番組の配信を開始した。本番組はリビングで収録した音声を娘が編集してアップするという手作り番組で、吉本興業に頼らず作成している。長女がディレクターを務めており、東野は「娘D」と呼んでいる。
身長178cm、体重73kg、血液型はO型。愛称はひがしのり。由来は髪の毛が濡れた際に頭に海苔がのっているような見た目だったことから[要出典]。ファンは全員中年男性なため「Mr.好感度ピンポイント芸人」と評される[8]。
プロ野球ではオリックス・バファローズを応援しているが、これは元々は前身球団である阪急ブレーブスのファンであったためである。
私生活では1991年に一般人女性と結婚し、二女をもうける。2001年に離婚したが、2011年に復縁し再婚した[1]。前述の「娘D」こと長女は夫婦で海外に居住しており、2020年8月24日に配信された『幻ラジオ』にて、東野から自身にとっては初孫となる女児を出産をした事が報告された[9]。
登山が趣味であり、2016年に天津の木村卓寛、ディレクターの椎葉宏治と、運動不足の解消を目的に富士山に登ったことがきっかけ。富士山は途中リタイアとなったが、山に登ることが苦じゃなかったことから、少しずつレベルを上げて趣味で続けているという[10]。
2021年11月には、『アドベンチャー魂』(BS-TBS)の撮影で小阪健一郎や椎葉宏治らと、徳島県阿南市の離島丸島の南壁の人類初登攀に成功した[11][12]。
お笑いコンビのアンガールズは、2人とも東野のファンであることをきっかけに仲良くなり、その後コンビを結成している[13]。
井上公造は、「東野の仕事と日本の景気は連動している」という説を唱えている。テレビ局側の立場に立つと、景気の悪い状況においても大御所芸人を降板させることはできないが、ギャラが安い若手芸人ならば起用することができるため、東野のような中堅芸人が真っ先に切られることになるとするもの。実際、2001年頃のデフレ不況時に東野はレギュラーを8本を失ったことがあるという[14]。
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