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スーパークイズスペシャル
日本テレビ系列で年二回、番組改編期に放送されていたクイズ特別番組 ウィキペディアから
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『スーパークイズスペシャル』(SUPER QUIZ SPECIAL)は、日本テレビ系列で毎年、春と秋の番組改編期に、1990年春から1999年秋に放送されていた、様々なタイプのクイズと主に各バラエティ番組のゲーム等を中心とした、日本テレビの各番組のレギュラー・司会者等が総出演したバラエティ番組の別称である。
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テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。 |
1991年秋から1996年春までは『4時間クイズスーパースペシャル』または『クイズスーパースペシャル』と呼ばれていたが、1994年4月にスタートした単発番組の『スーパースペシャル』と間違えやすいことから1996年秋からこのタイトルに変更された。正式タイトルは頭に『4月(10月・秋)は人気番組で』や『春(秋)は人気番組で!!』、そして『春(秋)は超人気番組大集合!!』が付く。
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概要
「スーパークイズスペシャル」の直接的な前身企画は『笑ってヨロシク SHOW by ショーバイ!!』(1989年12月27日放送)である。これは当時日本テレビの番組『どちら様も!!笑ってヨロシク』と『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』が合体したもので、司会は両番組の司会者である所ジョージと逸見政孝[注 1]の2人が担当した。
1990年春から1991年春までは、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のクイズのみで構成。そのため、番組タイトルも『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』、『秋は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』等であった。1991年秋の放送以降は『SHOW by ショーバイ!!』に限らず様々な番組のクイズが出題された。この番組の特徴は、クイズ番組ではない番組からもその番組にちなんだクイズが出題されるというところである[注 2]。また、本来メイン番組を持っている司会者たちがクイズによっては解答者として参加していたことも特徴として挙げられる。
放送日は1995年春までは『SHOW by ショーバイ!!』及び『笑ってヨロシク』の放送に合わせて水曜日であったが、1995年秋からは『マジカル頭脳パワー!!』の放送に合わせて木曜日に変更された[注 3]。
1999年秋をもって終了し、翌日に最終回を迎えた『マジカル』と共に9年の歴史に幕を閉じた。
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番組タイトルの歴史
番組タイトルに入っている番組は基本的にはその放送回でクイズを出題しているが、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』や『EXテレビ』のようにクイズを出題したが番組タイトルに入っていない番組もある。1996年秋以降はクイズを出題していない番組も入るようになった。 視聴率はいずれも、ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。
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歴代司会者
逸見休養前はオープニングは逸見、板東、所が登場し、たけしは純金を紹介する場面で登場。その後席決め早押しの途中のCM明けから逸見、板東、渡辺、木村(93年春からは永井)が担当。本戦は基本的に「SHOWby」「マジカル」からの出題時は逸見、板東、渡辺、木村(永井)が担当し、「笑ってヨロシク」「世界まる見え」からの出題時は所、たけしが担当。「お笑いウルトラクイズ」については91年秋・92年春はたけし、所が担当したが、92年秋・93年春はたけし・逸見が担当した。後半戦最初の「アナウンサー早押しクイズ」と決勝戦は、逸見・板東・所・たけしの4人が担当。
番組ルール
要約
視点
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得点単位は『SHOW by ショーバイ』で使用しているショーバイマネーの「萬」である。『マジカル』の問題に関しても「居残り早押しクイズ」や「エラーを探せ」では通常の「頭脳指数」を「萬」に差し替えていた。「マジカルミステリー劇場」などでは通常出題前に提示される頭脳指数を提示しない形で進行した。ルールは放送のたびに大幅な違いがあったが、得点の単位(ショーバイマネー)である「萬」は1999年秋の番組最終回まで受け継がれていた。
オープニングで席決め早押しクイズに挑戦し、正解順によりこれらの席を決める。1軍席争奪は『SHOW by ショーバイ』から『何を作っているのでしょうか?』を始めとする早押しクイズを出題し、1991年秋-1994年秋の2軍席争奪は『マジカル』から『マジカルスキャナ』(1991年秋-1992年春)→『早押しエラーを探せ!』(1992年秋-)が出題される。1軍に関しては正解後に司会者席のミリオンスロットでショーバイマネーを獲得して正解順に着席する[注 10]。2軍に関しては1992年秋までは前述の1軍の席決めと同様で、1993年春以降はエラーの難易度によって5萬から50萬のショーバイマネー(VTRでは通常の頭脳指数の表示画面がミリオンスロットの画像に差し替えられていた)を獲得し、1軍の顔ぶれを見て好きな色の座席に着席する。それでも席が決まらないチームは『3軍席決め抽選』[注 11]で席が決定する。
本戦は基本的にはクイズに正解すると1軍はミリオンスロットのショーバイマネーを獲得することが出来、2軍は一律10萬、3軍は一律5萬しか獲得出来ない[注 12]。1軍が不正解すると2軍、3軍と入れ替わる。早押しクイズの場合に限り、1軍の出したミリオンスロットの金額が得点になり、正解すれば、2軍・3軍のチームでも一気に1軍へ進行した[注 13]。また、ミリオンスロットは使用せず、予めショーバイマネーが定められているクイズや縦列連帯で行われるクイズも存在した[注 14]。1992年春までは「SHOW by ショーバイ」の通常の「書き問題」があったが、1992年秋と1993年春の2回は通常の書き問題のルールで「ウソつき4択」を行なった。1993年秋の回では「世界まる見え!」からの書き問題もあった。
マジカル頭脳パワー!!の「恐怖の居残り早押しクイズ」ではショーバイマネーが初期は一律100萬 - −50萬となり正解した者のいるチーム・VTR終了までに残った人のいるチームに得点・減点する。92年秋に前半を-50萬から0萬に変更され、93年春に後半も同様に-50萬から0萬に変更された。また、前半ではスタート時の得点が異なり[注 15]、半年後、後半も同様のシステムをとった[注 16]。
本戦ラストクイズで『SHOW by ショーバイ』から『いっつみいのウソつき4択』[注 17]を出題し、正解チームは司会者席のミリオンスロットに挑戦。得点の高いチームから挑戦し、終了時点で上位数チーム[注 18]が決勝進出となる。1993年秋以降は敗者復活戦[注 19]を実施し、最後まで残った1チームも決勝に進出する。復活したチームは、決勝進出したチームの一番低得点のチームと同額の得点からスタート出来る。決勝戦は全て早押しクイズで、『マジカル』から『エラーを探せ』(1992年秋-1994年春)、『世界まる見え』から『世界のCM早押しクイズ』、『SHOW by ショーバイ』から『何を作ってるのでしょうか?』を始めとする早押しクイズを出題される。『エラーを探せ』はエラーの難易度により5萬から100萬、それ以外は正解すると司会者席のミリオンスロットに挑戦することが出来る。優勝チームは、獲得したショーバイマネーと同額の純金が授与された[注 20]。1992年秋までは準優勝チームは最終売り上げの半額分の純金を贈呈された[注 21]決勝に進出出来なかったチームは優勝チームを予想し、的中すれば、ゴールドバーが贈呈された。1991年春までは優勝チームが獲得した金額の1割が贈呈されていた。1992年春まで、優勝チーム決定後の余興として『SHOW by ショーバイ』の特製・時価100万円相当の「ゴールドプレート」争奪戦を実施していた。ルールは各チームが一回ミリオンスロットに挑戦し、最高額を出したチームに贈呈された。最高額チームが複数の場合は、勝ち抜き方式で1チーム決定までスロットを続行する。
1994年春からは、司会者席のミリオンスロットがスーパーミリオンスロットになり、25萬と200萬の出目が追加され、更に1994年秋からは、解答者席のミリオンスロットもスーパーミリオンスロットになり、25萬と100萬の出目が追加された。
1995年春からは、予選・決勝のシステムが廃止された。司会者席のミリオンスロットは使用しなくなり、解答席のミリオンスロットのみ使用していた。スロット回転場面や席の入れ替わり、リアルタイムの得点発表[注 22]や40萬の横取り行為の場面を放送カットしていた[注 23][注 24]。この回から『SHOW by ショーバイ』をメインとした内容では無くなり、クイズよりゲームコーナーの割合が多くなっていった。また、同じく1995年春からは、ラストクイズとして全員参加で「スーパージャックポットクイズ」が行われた。『SHOW by ショーバイ』終了後の1996年秋~1997年秋はそれに代わって「体重ピタリ当てましょう」になり、美女3-4人+松村邦洋などの追加人物の合計体重を当てるというものだった。1998年春以降はラストクイズが毎回異なっていった。1995年秋からはミリオンスロットが廃止された。
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主なオリジナルクイズ
要約
視点
元々クイズ番組ではない番組も多いため、『スーパークイズスペシャル』のためにクイズを作って出題する場合もあった。
ほとんどは番組制作のVTRを見て、そこからクイズを出題する。また、『マジカル頭脳パワー!!』のメインコーナーだった「恐怖の居残り早押しクイズ」やスペシャル限定の「仲間でバトル」(「くっつきバトルロイヤル」の姉妹版。「世界の国と首都」、「日本テレビで(1997年当時)放送されている番組」(ただし、すでに放送が終了した番組は除く)がお題として出た)は『スーパークイズスペシャル』で初登場したクイズである。
- 勝手にデュエットクイズ
- 1992年秋のみに『夜も一生けんめい。』からの出題クイズとして実施された。司会は逸見とたけし。DORA、デューク・エイセスがそれぞれ別の歌を歌っていて、全員が歌っている曲名全てを早押しで答える。
- 100人に聞いたら1人しか答えませんでした
- 1993年春に『EXテレビ』からの出題クイズとして初登場した。司会は最初は紳助と板東だが、途中から紳助、1998年秋では久本とKinKi Kids。東京都内の街頭で100人に有名人に関するアンケートを実施(例:名前に「もん」が入っている有名人は?など)。その中で1人しか答えなかった少数回答を当てる。『EXテレビ』が終了した1994年春以降も人気コーナーだったため、1999年春まで実施された。『EXテレビ』参照。このクイズ自体は『芸能界の厳しさ教えますスペシャル!』でも実施された。
- 11PM世界ダービーNo.1クイズ
- 1994年春に『11PM』からのクイズとして登場。司会は巨泉と永井。世界のNo.1にまつわるクイズを出題し、「イレブンダービー」のルールで展開された。なお、巨泉の司会はすべての放送回を通じてこのコーナーのみであった。
- 日本テレビ縦断ビッグスターお笑いウルトラクイズ
- 1995年春から1996年秋まで実施された。司会は1995年春では所と鶴瓶、1995年秋以降はたけしと所。『アメリカ横断ウルトラクイズ』の「バラマキクイズ」が基本ルールである。当時の日本テレビ本社(後の麹町分室、現在は解体撤去)内に問題内容が収納されている用紙があり、それを探し出し、スタジオに戻ってくる。1995年春はスカを引いた場合[注 25]、1995年秋からはクイズに間違えると、着包みや被り物を着用して走行しなければいけないというルールだった。1995年には18チーム全員参加で9チーム毎2回戦実施された。1996年春には4チームに付き2人の割合で参加し、勝ち抜けると4チームに得点が加算されるというルールで、1996年秋には2チームに付き1人の割合で参加し、勝ちぬけると2チームに得点が加算されるというルールに変更された[注 26]。1995年春は先着4チームに30萬加算され、1995年秋は1位抜けで30萬、以下20萬・10萬・5萬加算された。1996年春は1位抜け50萬、2位抜け:40萬(横取り無し)、以下30萬、20萬、10萬と加算され、1996年秋は1位抜けで40萬(横取りなし)、以下30萬・20萬・10萬・5萬が加算された。
- なお、1997年春には背負った風船が爆発するまでに面白いギャグを披露する「お笑い風船爆発バトル」、1997年秋には選んだ物を使ってダジャレを披露する「ダジャレバトル」として行われた。この時は「スカ」を引いた場合および不正解の場合の着包み・被り物着用は無くなった。なお、1997年秋ではたけしが欠席しており、代わりに彼の兄である北野大が所と一緒に担当している。
- 一流芸能人トップは誰だ!?
- 1994年秋から1995年秋まで実施された。司会は紳助。出演者の中から選ばれた3人が「ウ冠の付く漢字」等のテーマが出題され、それに合うものを制限時間内にどれだけ書けるかを競合し、各チームは優勝者を予想した。
- 熱湯チャレンジ!トップは誰だ!?
- 1995年春に実施。一番長く熱湯風呂に入れたか当てるクイズ。司会はガダルカナル・タカと飯島直子。
- イス取りクイズ
- 1996年春から1999年秋まで実施された。司会は1997年秋・1998年秋を除き紳助と永井、1997年秋以降では紳助と関谷亜矢子、1998年秋は鶴瓶・今田・東野が担当。椅子取りゲームの要領で出場者が椅子の周りを回るが、着席出来なかった出場者は敗者復活クイズに臨むことになる。問題は、常識的なものを出題していた。クイズに正解すれば再びゲームに参加できるが、その場合、椅子に着席している出場者からターゲットを一人指名して代わりに座り、指名された者は失格となる。最後まで残ったチームには50萬(放送回によっては30萬)、2位には10萬。このクイズは後に『LAUGH&PEACE 笑いはニッポンを救う。』の特番の1コーナーとして、当番組と同様に紳助司会で行われた。
- ターゲットの指名の際は相手に対して「どけ!」とコールしなくてはならず[注 27]、それはたとえ相手がどれだけ大先輩や人気者であっても例外にはならない。このルールのため、正解者[注 28]がターゲットを見定めるのに苦悩するシーンもお約束であった。
- 覆面クイズ正解は多数決!!
- 1997年秋から1999年秋まで実施された。司会は今田耕司と東野幸治で(1998年秋・1999年春には途中から研ナオコも)、出題は松永二三男か藤井恒久か森功至。最終問題の前の問題で芸能人にまつわる問題が出題される。9人の解答者は目の部分を摺りガラスで隠された上に声も加工して、その問いに対して被った解答数×5萬が加算されるクイズ形式である。1998年春の回から「正直に答えない場合は-10萬」というルールもあったが、ほとんど適用されなかった。回答はスキャンダルや芸能人の裏の顔などアンダーグラウンドな話ばかり飛び出し、解答にモザイクを入れなければいけないことも多々あったため、別名「アングラクイズ」とも呼ばれた。時折、解答者が同じ席にいる別の解答者(の悪口)を答えることもあり、摺りガラス越しで激しく言い合いすることも見られた[注 29]。末期は回答内容であまりに過激さが増したため、「しばらくおまちください」の環境画面が表示されることもあった。当番組終了後の2001年10月に1度だけ『スーパースペシャル2001』でこのコーナーの2時間拡大版が放送され、浅草キッドはこのクイズを機に日本テレビから2年間出入り禁止になったというネタを引っさげて「復帰」した。
- また、番組スタッフが解答者となって出題されたこともあり、この時は通常の2倍の摺りガラスで隠された。解答が被った場合にそのスタッフが特定されないよう、スタッフが担当している番組にひっそりと得点が入ることになっていたが、全員解答がばらばらであった。
- 人間すごろく
- 1996年秋から1997年秋まで実施された。司会は紳助と久本。なお、岡村は全編にわたって出場している。サイコロを振り、止まったマスの指示に従う。指示は「魚介類を背中に入れる」「網タイツを被る」「爆竹100本付き帽子を被る」「子供にくすぐられる」「ある人(松村邦洋・蛭子能収・柴田理恵)とラップ越しにキスをする」等があり、成功すると更に進行することが出来る。その際、進行した先のマスの指示は受けない。また、失敗すると戻るという指示があるマスも存在する。
- 腕ずもう早押しクイズ!!
- 1996秋と1997春に実施された。司会は1996秋ではウッチャンナンチャン・鶴瓶・永井、1997春ではナインティナイン・鶴瓶・永井。1996年秋はチームの代表者同士の対戦、1997年秋は代表者を1問ごと交代しての2チームによる対決であり、腕ずもうをし勝った方が答える。難しいクイズの場合はわざと負けて相手に答えさせることもできる。クイズを間違えた場合は相手チームの勝利。クイズ出題ナレーションは松永。
- クイズ!冠婚葬祭!!
- 1996年春と1996年秋のみ実施された。司会は1996春では草野仁・みのもんた・笛吹雅子、1996秋では草野と楠田。冠婚葬祭にまつわるクイズを勝ち抜け方式で行われた。解答者は全員畳に正座して行い、正解すればその場から去る。1抜けから4抜けまでは30萬→20萬→10萬→5萬が加算され、最後まで残った解答者がいたチームは、春は100萬、秋は50萬減額される。
- 芸能人秘密のイエスを探せ!
- 末期の1998年秋から1999年秋まで実施された。司会は最初の2回は矢部浩之で、1999年秋のみ紳助と楠田枝里子が担当した。ある質問にイエスを挙げるパネラーを的中するクイズで、予想したパネラーが「イエス」を挙げればそのチームメイトがいるチームに10萬が加算される。初回は予想屋の岡村隆史がイエスを挙げるパネラーの予想を参考にして解答したが、2回目は岡村が全問を通して解答者として参加した。
- このクイズの前身として1998年春に行われた「バイ倍ゲームNO!でアウト」があり、予想を当てると得点が16萬、32萬、64萬…とダブルアップしていき、外すと無得点というルールだった。この時の司会は久本とKinKi Kids。
- 問題は「二十歳までにファーストキスをした」「株に手を出し失敗した」「私はオナラをした事がない」「お見合いをした事がある」「ハワイに行った事が無い」「昨夜愛する人と熱い口づけをした」など。
- 顔面!にらめっこバトル
- 1997年春から1997年秋まで実施された。司会は1997年春の回は今田と東野で、1997年秋の回は所と楠田が担当した。代表者の顔をチームメイトがメイクし、相手チームの代表者が牛乳を吐き出したらそのチームが勝ちとなり、そのチームの代表者とチームメイトがいるチームに20萬が加算される。
- 今夜だけOK!カンニングクイズ
- 1998年春に1回だけ実施された。司会は今田と東野。ある問題に対して解答するのだが、仕切りの壁には穴が2つ開いており、解答者は隣の解答者が書いた解答を覗き見ることが出来る上に、隣の解答者と同じ解答をカンニングして書き、隣の解答者の答えが正解だった場合、同じ解答を書いた解答者も正解となる。隣の相手への妨害[注 30]もOKである。
- クイズ!落ちたら負けよ!
- 司会は1997年春では古舘とマルシア、1997年秋では福澤、1998年春・秋は古舘と満里奈、1999年春は今田・東野・福澤、1999年秋は光一・福澤・所。
- クイズサビからヒッパレ
- 1994年秋から実施。司会は三宅裕司とグッチ裕三(1995年春まで)→中山秀征(1995年秋以降)だが、1995年秋・1997年春では中山と安室奈美恵。1995年春までは、イントロクイズの要領でサビの一部分を流し、その曲名を当てる。1995年秋以降は、イントロで流れる音楽を早く押したチームからサビの部分を歌う。途中で歌詞を間違えたり、歌わなかったりするとアウトになり次のチームに交代する[注 31]。
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出場番組(1990年春〜1999年秋)
要約
視点
- 1990年
- 1991年
- 1992年
VTR出演者 ダチョウ倶楽部、吉本新喜劇座員、チャンバラトリオ
- 1993年
VTR出演者 長嶋茂雄、楠田枝里子、笑福亭鶴瓶、桑野信義、小松政夫、渡嘉敷勝男 コーナー出演者 辰吉丈一郎、徳光和夫
VTR出演者 とんねるず、逸見政孝、ダウンタウン、渡辺裕之、マイケル富岡 コーナー出演者 安達祐実
- 1994年
VTR出演者 勝俣州和、とんねるず、織田無道、五月みどり、仲本工事、そのまんま東
コーナー出演者 加藤茶、舛添要一
- 1995年
コーナー出演者 ビートたけし、織田無道
VTR出演者 室井滋
- 1996年
コーナー出演者 明石家さんま、村上ショージ、松尾伴内、藤井恒久
- 1997年
- 1998年
- 1999年
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現在も放送中の参加番組
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(1990年春 - 1991年秋)[注 35][注 36]
- 世界まる見え!テレビ特捜部(1991年秋 - 1999年秋)[注 37]
- ぐるぐるナインティナイン(1995年秋 - 1999年秋)
- 笑点(1996年春・1997年春・1997年秋・1999年秋)
- 1億人の大質問!?笑ってコラえて!(1996年秋 - 1999年秋)[注 38]
- 踊る!さんま御殿!!(1998年秋 - 1999年秋)[注 39]
- ザ!鉄腕!DASH!!(1996年春 - 1999年秋)
優勝チーム
優勝のBGMは1990年春から1995年春までは『SHOW by ショーバイ』のゴールドプレート獲得・スペシャルの優勝・スーパージャックポットクイズのピタリ正解時のBGM[注 40]が使われたが、1995年秋以降では『マジカル』のトップ頭脳賞またはマジカルミステリーツアー獲得時のBGMを使用している。
- (1990年春)クイズ世界は
- (1990年秋)知ってるつもり?!
- (1991年春)ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
- (1991年秋)世界まる見え!テレビ特捜部
- (1992年春)(日本テレビが)お世話になってます
- (1992年秋)クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!
- (1993年春)ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
- (1993年秋)大人のキス(TVドラマ)
- (1994年春)家なき子(TVドラマ)
- (1994年秋)ウンナン世界征服宣言&投稿!特ホウ王国(合体チーム)
- (1995年春)家なき子2(TVドラマ)[注 41]
- (1995年秋)THE夜もヒッパレ
- (1996年春)それ行けKinKi大冒険
- (1996年秋)鉄腕!DASH!!
- (1997年春)それ行けKinKi大放送
- (1997年秋)快傑!コウジ園
- (1998年春)スーパーJOCKEY[注 42]
- (1998年秋)P.A. プライベート・アクトレス(TVドラマ)
- (1999年春)特命リサーチ200X!
- (1999年秋)マジカル頭脳パワー!![注 43]
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準優勝チーム
準優勝のBGMは『SHOW by ショーバイ』の売り上げNo.1のBGMを使用。
- (1990年春)天才・たけしの元気が出るテレビ!!
- (1990年秋)面白スタジアム
- (1991年秋)午後は○○おもいッきりテレビ
- (1992年春)天才・たけしの元気が出るテレビ!!
- (1992年秋)マジカル頭脳パワー!!
- (1994年春)UNNAN世界征服宣言&投稿!特ホウ王国(合体チーム)
優勝チーム予想で的中したチーム
1990年から1994年まで実施。
- (1990年秋)ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
- (1992年秋)天才・たけしの元気が出るテレビ!!、夜も一生けんめい。
- (1993年春)進め!電波少年、どちら様も!!笑ってヨロシク
- (1993年秋)UNNAN世界征服宣言、同窓会(TVドラマ)、闇を斬る!大江戸犯科帳(TVドラマ)
- (1994年秋)どちら様も!!笑ってヨロシク、マジカル頭脳パワー!!
スタッフ
要約
視点
- 構成:
- 1991年春:松井尚、豊村剛、杉江秋典
- 1991年秋:豊村剛 / 松井尚、杉江秋典、大岩賞介、妹尾匡夫、そーたに、雅孝司、ダンカン、池田一之
- 1992年春:豊村剛 / 大岩賞介、池田一之、そーたに、都築浩、田中直人
- 1992年秋:豊村剛 / 大岩賞介、田中直人、池田一之、そーたに、都築浩、妹尾匡夫
- 1993年春:豊村剛 / 大岩賞介、妹尾匡夫、そーたに、都築浩、田中直人、池田一之、成田はじめ、オズマ
- 1993年秋:豊村剛 / 妹尾匡夫、大岩賞介、池田一之、成田はじめ、そーたに、田中直人、都築浩、オズマ
- 1994年春:豊村剛 / 大岩賞介、今村良樹、妹尾匡夫、そーたに、佐々木勝俊、成田はじめ、都築浩、池田一之
- 1995年秋:豊村剛 / 大岩賞介、安達元一、田中直人、そーたに、おちまさと、都築浩、新田英生、今村良樹、森和盛、長田聖一郎、内海邦一、オズマ
- 1996年秋:豊村剛 / 大岩賞介、安達元一、そーたに、おちまさと、都築浩、新田英生、今村良樹、森和盛、長田聖一郎、内海邦一、村上卓史、オズマ
- 1997年春:豊村剛 / 大岩賞介、安達元一、田中直人、そーたに、おちまさと、都築浩、新田英生、今村良樹、森和盛、長田聖一郎、内海邦一、村上卓史、近藤博美、高橋裕臣、清水昭洋、岩瀬公治、オズマ
- 1997年秋:豊村剛 / 長田聖一郎、鈴木邦一、村上卓史、近藤博美、野口智子、高橋裕臣、中村聡、川井真木子、清水昭洋、下関崇子、オズマ、倉本美津留
- 音楽
- 1991年春:小田裕一郎
- タイトル
- 1991年春:井上嗣也
- 調査:
- 1991年春:稲葉潔
- 取材:
- 1991年春:CAMEYO(伊東雅司)、HIT(高橋裕臣)、アクティブシネクラブ、T2ファージ
- 1991年秋:CAMEYO(伊東雅司)
- 1994年春:アクティス・シネクラブ、CAMEYO
- TP:
- 1991年春:加田直彦
- 1991年秋:加田直彦
- 1994年春:関真久
- 1995年秋:関真久
- 1996年秋:田中元一
- 1997年春:田中元一
- 1997年秋:田中元一
- TM:
- 1998年春:
- TD:
- 1991年春:瀧澤壮治
- SW:
- 1991年秋:鈴木康介
- 1994年春:鈴木康介
- 1995年秋:鈴木康介
- 1996年秋:鈴木康介
- 1997年春:鈴木康介
- 1997年秋:江村多加司
- カメラ:
- 1991年春:鈴木康介
- 1991年秋:工藤恂児
- 1994年春:新開宏
- 1995年秋:工藤恂児
- 1996年秋:新開宏
- 1997年春:新開宏
- 1997年秋:工藤恂児
- 音声:
- 1991年春:坂本親保
- 1991年秋:斎藤勝彦
- 1994年春:小川洋文
- 1995年秋:吾妻光良
- 1996年秋:吾妻光良
- 1997年春:吾妻光良
- 1997年秋:古川誠一
- 照明:
- 1991年春:細川登喜二
- 1991年秋:佐野利喜男
- 1994年春:細川登喜二
- 1995年秋:佐野利喜男
- 1996年秋:渡辺一成
- 1997年春:谷田部恵美
- 1997年秋:中川満
- 調整:
- 1991年春:牧野和侑
- 1991年秋:貫井克次郎
- 1994年春:貫井克次郎
- 1995年秋:口田幹夫
- 1996年秋:石塚功
- 1997年春:三浦勝志
- 1997年秋:高橋広樹
- 〈Hスタ〉
- SW:
- 1996年秋:村松明
- 1997年春:田口勝夫
- 1997年秋:高梨正利
- カメラ:
- 1996年秋:渡辺滋雄
- 1997年春:南良郎
- 1997年秋:山田祐一
- 音声:
- 1996年秋:大島康彦
- 1997年春:田中勝巳
- 1997年秋:大島康彦
- 照明:
- 1997年春:佐野利喜男
- 調整:
- 1996年秋:藤原慶太
- 1997年春:高橋一徳
- 1997年秋:八木一夫
- SW:
- 美術:
- 1991年春:荒井亜和
- 1991年秋:荒井亜和
- 1994年春:羽谷重信
- 1995年秋:羽谷重信
- 1996年秋:羽谷重信
- 1997年春:羽谷重信
- 1997年秋:羽谷重信
- デザイン:
- 1991年春:磯村英俊
- 1991年秋:磯村英俊、中野嘉一郎
- 1994年春:磯村英俊
- 1995年秋:磯村英俊
- 1996年秋:磯村英俊
- 1997年春:磯村英俊
- 1997年秋:磯村英俊
- イラスト:
- 1991年春:江野智絵
- 1991年秋:江野智絵
- 1994年春:江野智絵
- 装置:
- 1991年春:五十嵐一規、生方一芳
- 1991年秋:五十嵐一規、四之宮克成
- 1994年春:南谷祥
- 1995年秋:南谷祥
- 1996年秋:南谷祥、四之宮克成
- 1997年春:南谷祥、四之宮克成
- 1997年秋:南谷祥、四之宮克成
- 装飾:
- 1991年春:永山佳代子
- 1991年秋:永山佳代子
- 1994年春:川嶌佳代子
- 1995年秋:佐藤和典
- 1996年秋:塩ノ谷裕一
- 1997年春:佐藤和典
- 1997年秋:佐藤和典
- 電飾:
- 1991年春:福田隆正
- 1991年秋:安原久雄
- 1994年春:富田通孝
- 1995年秋:富田通孝
- 1996年秋:富田通孝
- 1997年春:富田通孝
- 1997年秋:笠井信一
- メイク:
- 1991年秋:山下幸子
- モニター:
- 1996年秋:吉邑光司
- 1997年春:吉邑光司
- 1997年秋:吉邑光司
- 広報:
- 1991年春:織田弘美
- 1991年秋:辻澄子
- 1994年春:辻澄子
- 1995年秋:辻澄子
- 1996年秋:辻澄子
- 1997年春:辻澄子
- 1997年秋:河村良子
- TK:
- 1991年春:八生子
- 1991年秋:西岡八生子
- 1994年春:西岡八生子
- 1995年秋:西岡八生子
- 1996年秋:西岡八生子
- 1997年春:西岡八生子
- 1997年秋:西岡八生子
- 編集:
- 1991年春:柘殖香織(東北新社)
- 1991年秋:柘殖香織(東北新社)
- 1994年春:柘殖香織(オムニバス・ジャパン)、清水良浩(麻布プラザ)
- 1995年秋:柘殖香織・杉浦堅一(オムニバス・ジャパン)、清水良浩(麻布プラザ)
- 1996年秋:日下石京子(オムニバス・ジャパン)、清水良浩(麻布プラザ)
- 1997年春:高橋亮(オムニバス・ジャパン)、清水良浩(麻布プラザ)
- 1997年秋:髙橋亮・島貫麻理子(オムニバス・ジャパン)、清水良浩(麻布プラザ)、秋葉武弘(IMAGICA)
- MA:
- 1991年春:高橋昭雄(東北新社)
- 1991年秋:高橋昭雄(東北新社)
- 1994年春:水落洋一郎(オムニバス・ジャパン)
- 1995年秋:水落洋一郎・坂井真一(オムニバス・ジャパン)、迫久美雄(麻布プラザ)
- 1996年秋:水落洋一郎(オムニバス・ジャパン)、迫久美雄(麻布プラザ)
- 1997年春:水落洋一郎(オムニバス・ジャパン)、山本晋(麻布プラザ)
- 1997年秋:水落洋一郎(オムニバス・ジャパン)
- 音効:
- ロケ技術:
- 問題管理:
- 1997年秋:安藤優子、堤聰
- 制作デスク:
- 1991年春:持留昭子
- 1991年秋:日原直子、持留昭子、宮内由紀子
- 1994年春:日原直子、岡野芳子
- 1995年秋:日原直子、岡野芳子
- 1996年秋:日原直子、岡野芳子
- 1997年春:日原直子、岡野芳子
- 1997年秋:日原直子、岡野芳子、相澤英里
- リサーチ:
- 1996年秋:近藤博美、高橋裕臣、清水昭洋
- 演出補:
- 1991年春:磯野太、酒井正義
- 1991年秋:酒井正義、木下綾
- 1994年春:小林周一、横島昌子
- 1995年秋:高谷和男、土屋雅之、加納成人
- AD:
- 1997年秋:土屋雅之、武井正弘、佐藤宗大
- 海外コーディネート
- 1991年春:UNICORN WORLD CORPORATION、HIRO ENTERPRISES INC.、IDEA CO.,LTD.、SIMON R PRENTIS、Safeway Promotion、W'z International inc.、滝本茂、高橋光男
- 1991年秋:SIMON R PRENTIS、THAI MIKASA TRADING CO.,LTD.、ANTHONY FALVAN、GEORGE STEVENSON、山上恵子
- 1994年春:M'z International、MM Corporation、OFFICE KEY INC.、GLENN KIRSCHBALM
- 1995年秋:OFFICE KEY INC.、D.D. KIKAKU INC.、HIGHLY ENTERPRISE INC.、ATV、有明興業、広州電視台
- 協力:
- 1991年春:JAL、タイトー、亜東関係協会
- 1991年秋:JAL、タイトー、日本アビオニクス、横河メディカルシステム、MACHIDA
- 1994年春:JAL、タイトー、NATIONAL FILM DEVELOPMENT CORP LTD.、ソニークラシカル
- 1995年秋:JAL、オーディオテクニカ、えとせとらレコード、RDF PRODUCTION LTD.、北京電視台、中国電視
- 1996年秋:円谷プロ、角川書店、©藤子・小学館、えとせとらレコード博物館、オリオンプレス、日本作陶学院
- 1997年春:オリコン、マルベル堂、ヤマハアーティストサービス東京、オアシス、新北海閣
- 1997年秋:オリコン、タイトー、西洋膳所 ジョンカナヤ、共同通信社、時事通信社、Jリーグフォト、NHK、オリオンプレス
- 美術協力:
- 1996年秋:日本テレビアート
- 1997年春:日本テレビアート
- 1997年秋:日本テレビアート
- 制作協力:
- 1991年春:NCV Nippon Creative Vision、フルハウスTVプロデュース、オン・エアー、日企、三木プロダクション
- 1991年秋:NCV Nippon Creative Vision、ハウフルス、日企、オン・エアー、三木プロダクション、SFINX、メイワーク、THE WORKS
- 1994年春:ハウフルス、日企、NCV Nippon Creative Vision、THE WORKS、SFINX、オン・エアー
- 1995年秋:日企、ハウフルス、NCV Nippon Creative Vision、SFINX、オン・エアー、ZION
- 1996年秋:日企、ハウフルス、NCV Nippon Creative Vision、オン・エアー
- 1997年春:ハウフルス、NCV Nippon Creative Vision、日企、オン・エアー
- 1997年秋:ハウフルス、NCV Nippon Creative Vision、日企、オン・エアー
- 海外プロデューサー:
- 1994年春:村松宏、竹村薫、小江幸臣、岡部喜一、矢沢秀樹
- 1995年秋:宇佐美友教、矢沢秀樹、奥原篤、山田浩司
- 番組プロデューサー:
- 出演番組プロデューサー:
- 1996年秋:山根義紘、長冨忠裕、棚次隆、室川治久、森岡正彦、小杉善信、柏木登、桜田和之、土屋敏男、土屋泰則、梅原幹、高木章雄、佐藤敦、尼崎昇、岡田泰三、田辺裕、山本和夫、河野直樹、村松宏、竹村薫、奥原篤
- 1997年春:吉岡正敏、棚次隆、室川治久、小杉善信、高田真治、柏木登、桜田和之、土屋敏男、土屋泰則、高木章雄、菅賢治、佐藤敦、中村元気、田中芳樹、中村英明、岡田泰三、田辺裕、田中寿一、河野直樹、村松宏、奥原篤
- 1997年秋:桜田和之、篠木為八男、土屋敏男、林隆一郎、菅賢治、高木章雄、田辺裕、中村元気、櫨山裕子、神蔵克、松﨑聡男、山田克也、今村紀彦、磯野太、岡田泰三、安岡喜郎、三枝孝臣、藤井淳
- ロケディレクター:
- 1991年春:澤地康弘、細川芳彦、斉藤敏樹、野崎高伸、鈴木豊人、岩山高彦、瀧澤直人、磯貝武毅、前田賢一
- ディレクター:
- 1991年春:雨宮秀彦、浜崎裕二、佐藤浩仁、柴田明廣、林田竜一
- 1997年秋:和田隆
- 番組ディレクター:
- 1991年秋:大塚恭司、財津功、尾高賢哉、磯野太、佐藤浩仁、林田竜一、西佳彦、野崎高伸、細川芳彦、大平純一、木村光一、永原啓一、森下泰男、正木敦、岸田裕之、矢坂義之、岩山高彦、竹田次彦、柳川剛、舟沢謙二、佐藤俊一郎、神崎啓太郎、星野直美
- 1994年春:舟澤謙二、財津功、若目田光弘、矢坂義之、岩山高彦、竹田次彦、岸田裕之、栗原憲也、古山晃、澤地康弘、阿部核哉、大平純一、高岩美香、森実陽三、瓜生健
- 1995年秋:松井昴史、鈴木豊人、岸田裕之、栗原憲也、宇津浩二、笠原保志、矢坂義之、柳川剛、飯沼誠、加藤宏実、相馬信雄、世良田佳男、千葉昭、南波昌人、若目田光弘、加藤幸二郎
- 1996年秋:舟澤謙二、松井昴史、小澤龍太郎、矢坂義之、岩山高彦、竹田次彦、飯沼誠、加藤宏実、福地聡、鈴木守、三澤隆之、鈴木幸也、千葉昭、福士睦、南波昌人、横島昌子、宮部智泰、栗栖政文、大久保将博、神野基彦、本多雅春、田辺昌邦、田辺利幸
- 1997年春:舟澤謙二、鈴木豊人、小澤龍太郎、矢坂義之、柳川剛、加藤宏実、佐藤浩仁、千葉昭、鈴木幸也、福地聡、南波昌人、福士睦、堤聰、横島昌子、宮部智泰、鈴木雅人、本田啓一、加納成人、高谷和男、芦澤英祐
- 1997年秋:舟澤謙二、松井昴史、鈴木豊人、小澤龍太郎、矢坂義之、柳川剛、加藤宏実、千葉昭、鈴木幸也、横島昌子、宮部智泰、鈴木雅人、加納成人、芦澤英祐
- 海外プロデューサー:
- 1991年春:村松宏、小江幸夫、竹村薫
- 1991年秋:村松宏、松尾邦夫、竹村薫、岡部喜一
- 国内プロデューサー:
- 1991年春:和田隆
- 監修:
- 1991年春:井上頌一、千秋與四夫
- 制作スタッフ:
- 1991年秋:桜田和之、佐野譲顕
- 演出:
- プロデューサー:
- 総合演出:
- チーフプロデューサー:
- 1995年秋:渡辺弘
- 1996年春:渡辺弘
- 1996年秋:渡辺弘
- 1997年春:渡辺弘
- 1997年秋:吉岡正敏
- 製作著作:日本テレビ
初期は構成に伊藤輝夫(現・テリー伊藤)、監修に菅原正豊の名前があった。
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テーマ曲
- 史上最大の作戦のテーマ(ミッチー・ミラー合唱団、エンディング)
- カルメン/天国と地獄(クライズラー&カンパニー、提供表示時。1991春〜1995春。春秋、年末特番時のSHOW by ショーバイと共用)
- March With Mancini(オープニングの全チーム紹介時。1991秋〜1995春)
脚注
注釈
- ただし、最終回となった1999年秋は水曜日に戻っている。
- 1996年春まで出演(『SHOW by ショーバイ!!』シリーズ終了まで)。
- 1992年春と1993年秋以降に出演。
- 1993年春は『まる見え』からクイズ出題のVTR出演のみ。
- 1992年秋まで出演。
- 1993年春以降に出演。
- 1994年春のみ出演。
- 1990年度はミリオンスロット叩かず、すぐに1軍席へ。
- これは『SHOW by ショーバイ』のみで番組が放送されていた初期の頃の『2軍席決め抽選』から続行するルール。
- 2軍が正解した場合は、3軍が2軍に、1軍が3軍に行き、3軍が正解した場合は、1軍と3軍が入れ替わり、2軍はそのまま。
- 『SHOW by ショーバイ』からの『順金クイズ』・『世界年齢順クイズ』や『どんなMONだい?!』からの『対決ドボン』では1軍のみに解答権が与えられ、1軍と同じショーバイマネーが同じ縦列の2・3軍にも入った。ただし、減点となる場合でも連帯責任となった為、3チーム一気に破産や-50萬になってしまったこともあった。また、予選・本戦のシステムが廃止された1995年春以降、『マジカル』からの『エラーを探せ』では正解したチームと同じ縦列の他のチームにも同じショーバイマネーが入った。
- 3軍・30萬、2軍・50萬、1軍・100萬。
- 3軍・50萬、2軍・80萬、1軍・100萬。
- 1991年春までは5チーム、1991年秋と1992年春は6チーム、1992年秋以降は7チーム(1993年秋以降は敗者復活戦前に先に7チーム)
- 福澤が司会を担当し、全て○×クイズで、1問目は『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』から出題し、2問目以降は『日本テレビネット局縦断○×クイズ』を出題し、サドンデス方式で1チームになるまで続けられる。
- 得点ボードの位置は席の正面でなく、解答席から見て右側の遠い位置に移された。同時に、デジタルの電光の色も白から赤に変更された。
- 1995年春・秋は途中までの得点発表はラストクイズ直前のみであった。
- 1996年以降は得点ボードを映すことは全く無くなり、優勝チーム以外の全てのチームの最終結果が不明となった。また、1999年春は優勝チームの最終得点すら公表しなかった。
- スカが存在したのはこの回のみ。
- ただし、1996年春には勝ち抜けるとそのチームがある縦一列に得点が加算された。
- 回によってはさらに指名の際には『相手を呼び捨て(その人が所属するグループ名でも良い。)にしなくてはならない』というルールが増えたこともあった(なお、呼び捨てせずに「○○さん(若手男性芸能人はくん、若手女性芸能人はちゃん、アナウンサーはアナ)、どけ!」とコールしていた回答者がいた)。
- 特に若手芸能人。
- コーナー司会である今田、東野もその槍玉に挙げられる場面も多く見られた。
- 穴をふさいだり、不正解を書いておいて、相手がその答えを書いたら自分は正解を書くなど。
- 現タイトルは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』
- 2017年4月2日から『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』に改題。
- 番組は1991年春に開始。1998年春は「進ぬ!電波少年」と合体チームとして参加。1999年春は司会の所が出演している「笑ってコラえて!」と合体チームとして参加。
- 番組は1996年夏に開始。初登場回と1997年秋は同年秋に開始した「特命リサーチ200X!」と合体チームとして参加。
- BGM自体はこれ以前から使用されており、『推理クイズ・私がほんもの!』の「全問正解」や、『目方でドーン!』の「ピタリ賞」などで使われた。
- 「家なき子」シリーズとしては2度目の優勝。
- この時の放送日は『マジカル』最終回SPの前日であり、最初で最後の優勝となった。
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