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井上大輔

日本のミュージシャン、作曲家 (1941-2000) ウィキペディアから

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井上 大輔(いのうえ だいすけ、本名及び旧芸名:井上 忠夫(いのうえ ただお)[2]1941年9月13日 - 2000年5月30日)は、日本のミュージシャン作曲家東京都出身。日本大学豊山高等学校日本大学芸術学部卒業。

概要 井上 大輔, 出生名 ...
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略歴

1963年、ジャズ喫茶で演奏中、ジャッキー吉川大橋道二にスカウトされジャッキー吉川とブルー・コメッツに参加、リード・ヴォーカルフルートサックスを担当。作曲も行い、「青い瞳」「ブルー・シャトウ」などの曲を書いてヒットさせた。なお、ブルコメ参加時に寺内タケシの勧めでそれまでしていたメガネからコンタクトレンズに変えている。1972年のメンバーチェンジ(実質的な解散)後、作曲家に転身。「学園天国」「ランナウェイ」など、数多くのヒット曲を放った。

1981年、本名の井上忠夫から「井上大輔」に改名[2]ジャッキー吉川とブルー・コメッツ再結成に参加した時期でもあり、「元GSというレッテルから離れ、一から出直す」という意図もあったとされている[2]。なお「大輔」は、かねてからの愛称「大ちゃん」に由来[2](ロカビリー時代に内田裕也がとっさに「井上ダイスケ」と誤って紹介したことがきっかけ)。

日大芸術学部の同級生で友人の富野喜幸(現・富野由悠季)の頼みで手掛けた劇場版『機動戦士ガンダム』シリーズの主題歌「哀・戦士」(第2作)、「めぐりあい」(第3作)や、コカ・コーラCM曲「I FEEL COKE」などのソロ作品がヒットした。富野によると、大学時代の井上はブルー・コメッツとして活動していた経緯から稀にしか通学せず、常に上下白のスーツを着用して授業には顔を出さず、軽音部や応援団の溜まり場に入り浸っていたという[3]

サックス・プレイヤーとして、山下達郎の「悲しみのJODY」「スプリンクラー」などに参加したほか、1969年の第20回NHK紅白歌合戦では紅組トリを務めた美空ひばりが歌唱した『別れてもありがとう』のサックス演奏で出演している。

2000年5月30日、病気がちの妻の看病疲れや、3月に手術した網膜剥離の術後の経過が思わしくないことを苦に自宅で自殺58歳没[4]。同年12月1日、堺正章や内田裕也らが音頭を取り、赤坂ACTシアターで『井上忠夫音楽葬』が公開され、TBS系列で『20世紀! 名曲黄金時代スペシャル 〜井上忠夫音楽葬〜』のタイトルで放送された。

なお翌年の2001年9月15日、自宅内で妻の遺体が発見される(51歳没)。首にひもが巻き付いた状態で死後数か月経過しており、その状況から自殺と断定された[5]

2002年、5月25日に平塚市の土屋霊園で妻と共に納骨。5月30日に三回忌法要が執り行われた[6]

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エピソード

  • 劇場版『機動戦士ガンダム』シリーズの第2作目の主題歌については、井上から当時所属していたキングレコードに歌唱の申し出があり、監督の富野喜幸が了承して起用がされた経緯があり、打ち合わせで井上は富野自作の作詞を渡され、富野が「これ歌になる?」と質すと、「なるよ!」と即答し、「うん、これで良いよ、この詞でいく」と1文字も替えることなくOKを出したという。富野は後に、自身の楽曲方針について「井上大輔が真っ当な路線に戻してくれた」と感謝の言葉を述べている[7]

出演

ディスコグラフィ

要約
視点

シングル

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アルバム

オリジナル・アルバム

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セルフカバー・アルバム

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ライブ・アルバム

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企画アルバム

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ベスト・アルバム

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楽曲提供

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な行

は行

ま行

や行以降

テレビドラマ

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ゲーム

脚注

関連項目

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