トップQs
タイムライン
チャット
視点

メイショウカンパク

ウィキペディアから

メイショウカンパク
Remove ads

メイショウカンパク(欧字名:Meisho Kampaku2007年5月15日 - )は、日本競走馬。主な勝ち鞍は2012年の京都大賞典

概要 メイショウカンパク, 欧字表記 ...

馬名の由来は、冠名+関白[2]

日本軽種馬協会が運営するJBISサーチにおいては、同名の競走馬が1991年産[3]と2007年産の2頭登録されているが、本記事では2007年産の競走馬について記述する。

Remove ads

経歴

2009年10月3日、阪神競馬場第4レースの2歳新馬戦(芝1800m)で、鞍上武幸四郎にてデビューし3着。通算5戦目となった12月20日の阪神競馬場・2歳未勝利戦(芝1400m)で初勝利を収めた。

3歳シーズンは重賞初挑戦となるシンザン記念より始動。単勝3番人気に支持されたが、直線で失速し13着惨敗に終わった。その後は条件クラスに戻って出走を重ね、4歳10月にオープンクラスに昇格。11月20日の福島記念は最後方から上り最速の末脚で先行勢を猛追し、アドマイヤコスモスから3/4馬身差の2着に好走した[4]

5歳シーズンは開幕から重賞を連闘するが、3月4日の中日新聞杯から9月23日のオールカマーまで7戦して最高成績が新潟大賞典の3着1回、ほかは着外という結果に終わる。8戦目は10月8日の京都大賞典に出走。道中は後方2・3番手を進み、直線大外を上り最速の末脚で追い込んでギュスターヴクライを交わすと、最後は追いすがるオウケンブルースリをクビ差しのいでゴール。挑戦10回目での念願の重賞初制覇を飾った[5]。11月15日には初のGI挑戦でジャパンカップに出走したが、見せ場なく15着惨敗に終わった。

6歳シーズンは開幕から連敗が続き、4月28日の天皇賞(春)で14着に敗れた後は長期休養に入った。7歳の11月に復帰し現役を続行するが、結局勝利を挙げることはできず、9歳7月の七夕賞(14着)を最後に競走馬登録を抹消され引退した。

引退後は三木ホースランドパークで乗馬となった[6]。2018年からは立命館大学馬術部に「龍典」(りゅうてん)の名前で籍を置き、馬術競技大会にも参加した[7]。2022年3月、三木ホースランドパークの公式twitter上にて退厩・新天地に移動(行先非公表)することが発表された[8]

Remove ads

競走成績

要約
視点

以下の内容は、JBISサーチ[1]およびnetkeiba.com[9]に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
Remove ads

血統表

メイショウカンパク血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ロベルト系
[§ 2]

*グラスワンダー
1995 栗毛
父の父
Silver Hawk
1979 鹿毛
Roberto Hail to Reason
Bramalea
Gris Vitesse Amerigo
Matchiche
父の母
Ameriflora
1989 鹿毛
Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Graceful Touch His Majesty
Pi Phi Gal

ダンシングハピネス
1999 黒鹿毛
ダンスインザダーク
1993 鹿毛
*サンデーサイレンス Halo
Wishing Well
*ダンシングキイ Nijinsky
Key Partner
母の母
メイショウサチカゼ
1994 黒鹿毛
*クリスタルグリッターズ Blushing Groom
Tales to Tell
シアトルダンサー *ノーザンアンサー
*サイレージ
母系(F-No.) サイレージ(USA)系(FN:8-h) [§ 3]
5代内の近親交配 Hail to Reason 4×5、Northern Dancer 4×5・5 [§ 4]
出典

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads