トップQs
タイムライン
チャット
視点

日食の一覧

ウィキメディアの一覧記事の一覧 ウィキペディアから

日食の一覧
Remove ads

日食の一覧は過去に発生した、あるいは将来発生する日食の一覧である。

Thumb
1851年7月28日の皆既日食英語版
ケーニヒスベルクにて撮影された世界最初の日食の写真
Thumb
2012年5月21日の金環日食茨城県鹿嶋市にて撮影)
Thumb
木漏れ日の影、日食で太陽が欠けていることがわかる
2009年7月22日の日食時に沖縄県八重山郡で撮影)

20世紀以前の日食

要約
視点

現状、20世紀以前については日本国内で観測可能(天候等による不見含む)、または文献等に記録が残っている日食を主に取り上げている。このため、当節では特に記載がない場合は日付・時間が日本時間 (JST) となっている。

7世紀

628年4月10日推古天皇36年3月2日
日本で記録に残っている最古の日食。『日本書紀』の推古36年3月の条に、「三月丁未朔、戊申日有蝕尽之」(三月の丁未の朔、戊申[1]に日、蝕え尽きたること有り)と記録されている(全文は近代デジタルライブラリー内『日本書紀巻二十二』(国史大系本第一巻)の205/300頁にあり[2])。「日、蝕え尽きたる」は、当時の都である飛鳥京で皆既食が見られたように思わせるが、実際は日本のすぐ南東沖を通過した皆既食で、当時の飛鳥京では食分0.93程度の部分食であった。推古天皇は5日後の4月15日3月7日)に崩御している。

10世紀

959年12月3日天徳3年11月1日):皆既食
現在の兵庫県付近に始まり京都を通過して紀伊半島方面に抜けたが、当日は雨で不見。
975年8月10日天延3年7月1日):皆既食
日本紀略』に「天延三年七月一日辛未、(中略)、卯辰刻皆虧 如墨色無光 群鳥飛亂 衆星盡見 詔書大赦天下(以下略)」(天延三年七月一日辛未[975年8月10日]、卯辰の刻に皆虧[午前七時に皆既]、[太陽は]墨色の如くにて光無し。鳥の群れ乱れ飛び、多くの星すべて見えたり。天下に大赦を発布す)[3]と書かれており、他にもこの食を記録した文献は多い。日本の首都で見られた史上初の皆既日食で、大事件であり、朝廷は天下に大赦を発布して、通常は対象にならない死刑囚まで罪を減じられている。中心食は中国の重慶付近で始まり、中国地方から関東地方を通った。京都での食甚は7時48分(京都真太陽時)とされる。

11世紀

1073年5月10日延久5年4月1日
京都をわずかに外れて皆既食が通った。
1080年12月14日承暦4年11月1日):金環食
正見。中国奥地に始まり九州、四国、本州南半分を覆ってアリューシャン列島付近に達する。

12世紀

1107年12月16日嘉承2年11月1日):金環食
不見。京都で日入帯食。京都のわずか手前で中心食が終わったとする推算結果もある。
1183年11月17日寿永2年閏10月1日):金環食
平家物語』や『源平盛衰記』に記されている水島の合戦のさなかに起こった日食。水島での食分は0.93とされる。陰陽寮を擁する朝廷側の平家はこの日、日食が起こることを知っていて、太陽が欠けていくことに恐れ混乱する木曽源氏に対して戦いを有利に進め平家が勝利したという説もある。以下は、『源平盛衰記』の記述。
「寿永二年閏十月一日(1183年11月17日)、水島にて源氏と平家と合戦を企つ。城の中より 勝ち鼓をうってののしりかかるほどに、天俄(にわか)に曇て、日の光もみえず、闇の夜のごとくなりたれば[注 1]、源氏の軍兵ども日食とは知らず、いとど東西を失いて、舟を退いていずちともなく風にしたがいてのがれゆく。平氏の兵(つわもの)どもはかねて知りにければ、いよいよ時(の声)をつくりて、重ねて攻め戦う」
1185年5月1日:皆既食
中央アメリカ大西洋北欧東欧、現在のカザフスタンにかけて日食現象が発生した。詳細は「1185年5月1日の日食」を参照。

13世紀

1210年12月18日承元4年12月1日):金環食
京都で中心食。山陰沖(島根県隠岐島)で始まり太平洋を横断して北アメリカ西岸沖で終わった。

14世紀

1336年9月6日建武3年/延元元年8月1日)
京都をわずかに外れて皆既食が通った。

18世紀

1730年7月15日享保15年6月1日):金環食
京都で中心食。中央アジアで始まり東アジアを横断して北太平洋で終わった。
1742年6月3日寛保2年5月1日):皆既食
京都で中心食。「皆既如金環、少時衆星見」(皆既にして金環の如し。少しの間星々の見ゆ)とあり、内部コロナが黒い太陽を取り巻いて金環食のように見えたという事か。食はインドシナ半島付近で始まりアリューシャン列島を通過して北米中部に達した。

19世紀

1800年4月24日寛政12年4月1日)
江戸をわずかに外れて金環食が通った。
1839年9月8日天保10年8月1日):金環食
江戸で中心食。中部日本で始まり、ハワイのすぐ南を通り南太平洋の南米大陸沖で終わった。
1849年2月23日(嘉永2年2月1日
江戸をわずかに外れて金環食が通った。
1852年12月11日嘉永5年11月1日):皆既食
京都で中心食。中央アジアで始まり、北太平洋で終わった。
1872年6月6日明治5年5月1日):金環食
北海道のほぼ中央を中心食帯が通過。広い範囲で見られた。
1882年5月17日:皆既食
日の入り直前、トカラ列島にある宝島で見られた。日の入りの時点では食分は0.1ほどだったので、食の終わりは見られなかった。
1883年10月31日:金環食
北関東から南東北にかけて見られた。食の始めは日の出前だったので、日の出の時点では食分は0.1〜0.2ほどであった。
1887年8月19日:皆既食
北関東から新潟福島にかけて見られた。新潟県三条の永明寺山で、杉山正治が日本で初めて太陽コロナの写真撮影を成功させる。逓信省8月11日までに、19日に皆既日食が予想されるため日食の間、灯台は点火することとしたと発表した[4]。詳細は「1887年8月19日の日食」を参照。
1896年8月9日:皆既食
北海道の北東部から知床半島にかけて見られた。詳細は「1896年8月9日の日食」を参照。

20世紀

1901年5月18日:皆既食
マダガスカル島南部、マレー諸島南部などで見られた。詳細は「1901年5月18日の日食」を参照。
1903年3月29日:金環食
中国北部、ロシア帝国東部、カナダの北極諸島で見られた。詳細は「1903年3月29日の日食」を参照。
1904年3月17日:金環食
ドイツ領東アフリカ東南アジア小笠原諸島などで見られた。詳細は「1904年3月17日の日食」を参照。
1904年9月9日:皆既食
ドイツ領ニューギニアマーシャル諸島チリ北部で見られた。詳細は「1904年9月9日の日食」を参照。
1905年8月30日:皆既食
カナダ北東部、スペイン北部、北アフリカアラビア半島などで見られた。詳細は「1905年8月30日の日食」を参照。
1907年1月14日:皆既食
ロシア帝国南部と中国北部で見られた。詳細は「1907年1月14日の日食」を参照。
1908年1月3日:皆既食
ラリック列島ギルバート諸島ライン諸島フェニックス諸島の数少ない島及びコスタリカで見られた。詳細は「1908年1月3日の日食」を参照。
1910年5月9日:皆既食
南極大陸オーストラリアタスマニア州で見られた。詳細は「1910年5月9日の日食」を参照。
1911年4月28日:皆既食
オーストラリア南東端からトンガアメリカ領サモアクック諸島の数少ない島にかけて見られた。詳細は「1911年4月28日の日食」を参照。
1911年10月22日:金環食
中国南西部、ニューギニア島などで見られた。詳細は「1911年10月22日の日食」を参照。
1912年4月17日:金環皆既食
南アメリカ大陸北部、ヨーロッパで見られた。詳細は「1912年4月17日の日食」を参照。
1912年10月10日:皆既食
南アメリカ大陸で見られた。詳細は「1912年10月10日の日食」を参照。
1914年8月21日:皆既食
カナダ北極諸島グリーンランド、ヨーロッパ北東部、オスマン帝国ペルシャイギリス領インドで見られた。詳細は「1914年8月21日の日食」を参照。
1915年8月11日:金環食
母島列島(全世界唯一見える陸地)で見られた。詳細は「1915年8月10日の日食」を参照。
1916年2月3日:皆既食
コロンビア北部、ベネズエラ北部、フランス領グアドループで見られた。日の出とともに食が始まった。詳細は「1916年2月3日の日食」を参照。
1918年6月9日:皆既食
日本の北大東島北部と鳥島では日の出とともに食が始まり、その後はアメリカ合衆国本土を横断した。詳細は「1918年6月8日の日食」を参照。
1919年5月29日:皆既食
南アメリカ大陸アフリカ大陸で見られた。この皆既食は、アルベルト・アインシュタイン一般相対性理論が正しいことを実証した日食として有名である。詳細は「1919年5月29日の日食」を参照。
1922年9月21日:皆既食
アフリカの角、オーストラリアなどで見られた。詳細は「1922年9月21日の日食」を参照。
1923年9月10日:皆既食
千島列島捨子古丹島南東端、アメリカのカリフォルニア州南西部、メキシコなどで見られた。詳細は「1923年9月10日の日食」を参照。
1925年1月24日:皆既食
北アメリカ大陸の五大湖地域などで見られた(ニューヨークの一部が含まれ、交通への影響もあった)。詳細は「1925年1月24日の日食」を参照。
1926年1月14日:皆既食
アフリカ東部、マレー諸島で見られた。詳細は「1926年1月14日の日食」を参照。
1927年6月29日:皆既食
イギリススカンディナヴィア、ソ連北部などで見られた。詳細は「1927年6月29日の日食」を参照。
1929年5月9日:皆既食
スマトラ島マレー半島フィリピン諸島などで見られた。詳細は「1929年5月9日の日食」を参照。
1930年4月28日:金環皆既食
アメリカ、カナダ、ニューファンドランドで見られた。詳細は「1930年4月28日の日食」を参照。
1932年8月31日:皆既食
カナダ、アメリカ北東部で見られた。詳細は「1932年8月31日の日食」を参照。
1936年6月19日:皆既食
北海道の北東部から知床半島にかけて見られた。詳細は「1936年6月19日の日食」を参照。
1937年6月8日:皆既食
イギリス領ギルバートおよびエリス諸島ペルーで見られた。詳細は「1937年6月8日の日食」を参照。
1937年12月3日:金環食
小笠原諸島、マーシャル諸島ライン諸島の数少ない島で見られた。金環継続時間は1955年12月14日の日食や1973年12月24日の日食よりは短いが、最大12分0.33秒あった。詳細は「1937年12月2日の日食」を参照。
1940年10月1日:皆既食
南アメリカ大陸北部、南アフリカ連邦で見られた。詳細は「1940年10月1日の日食」を参照。
1941年9月21日:皆既食
八重山列島の全ての島、多良間島水納島で見られた。詳細は「1941年9月21日の日食」を参照。
1943年2月5日:皆既食
北海道のほぼ中央を中心食帯が通過。広い範囲で見られた。東部ではほぼ日の出と同時に食が始まったが、西部では日の出前だったので日の出の時点では既に食が始まっていた。詳細は「1943年2月4日の日食」を参照。
1944年1月25日:皆既食
ペルーブラジル、西アフリカで見られた。詳細は「1944年1月25日の日食」を参照。
1945年7月9日:皆既食
北アメリカ、スカンディナヴィア、ソ連で見られた。詳細は「1945年7月9日の日食」を参照。
1947年5月20日:皆既食
南アメリカ、アフリカで見られた。詳細は「1947年5月20日の日食」を参照。
1948年5月9日:金環食
礼文島起登臼付近で日本の観測陣による観測が実施され、アメリカ人の見物客もあった。食分が1.0に近く、ベイリー・ビーズが黒い太陽の周囲に見える珍しい写真が撮影されている(通常の皆既食では片側のみ見られた)。詳細は「1948年5月9日の日食」を参照。
1951年3月7日:金環食
ニュージーランド中央アメリカで見られた。世界初めてテレビで生中継された日食。詳細は「1951年3月7日の日食」を参照。
1952年2月25日:皆既食
アフリカ、中東、ソ連などで見られた。詳細は「1952年2月25日の日食」を参照。
1954年6月30日:皆既食
北アメリカヨーロッパイランパキスタンなどで見られた。詳細は「1954年6月30日の日食」を参照。
1955年6月20日:皆既食
セイロンインドシナ半島フィリピン、西太平洋などで見られた。皆既継続時間は1080年6月20日から2150年6月25日までの間で最も長く、最大7分7.7秒あった。詳細は「1955年6月20日の日食」を参照。
1955年12月14日:金環食
アフリカ大陸北部や東南アジア、台湾などで見られた。また、当時アメリカ統治下の琉球列島南部でも見られた。金環継続時間は168年12月17日から3080年1月14日までの間で最も長く、最大12分9.17秒あった。詳細は「1955年12月14日の日食」を参照。
1958年4月19日:金環食
尖閣諸島(当時アメリカ統治下の琉球列島に属した)、薩南諸島伊豆諸島で見られた。詳細は「1958年4月19日の日食」を参照。
1959年10月2日:皆既食
アメリカ北東部のボストンを含むごく小さい部分、アフリカ北部で見られた。詳細は「1959年10月2日の日食」を参照。
1961年2月15日:皆既食
ヨーロッパ南部、ソ連で見られた。詳細は「1961年2月15日の日食」を参照。
1962年2月5日:皆既食
マレー諸島東部などで見られた。詳細は「1962年2月5日の日食」を参照。
1963年7月21日:皆既食
日本本土で見られた20世紀最後の皆既日食。早朝、北海道の北東部から知床半島にかけて見られた。網走では29秒間の皆既日食が見られた。詳細は「1963年7月20日の日食」を参照。
1965年5月30日:皆既食
ニュージランド北島からクック諸島マヌアエ島フランス領ポリネシアリーワード諸島ペルー北西部にかけて見られた。詳細は「1965年5月30日の日食」を参照。
1965年11月23日:金環食
ヒマラヤ山脈東南アジアなど(世界最高峰エベレストなど8000メートル峰の14座の山うち8座を含む)で見られた。詳細は「1965年11月23日の日食」を参照。
1966年5月20日:金環食
アフリカ、ギリシャ、トルコ、ソ連、中国で見られた。詳細は「1966年5月20日の日食」を参照。
1966年11月12日:皆既食
南アメリカ大陸で見られた。宇宙船ジェミニ12号の搭乗員も宇宙で撮影した。詳細は「1966年11月12日の日食」を参照。
1968年9月22日:皆既食
ソ連、中国の新疆ウイグル自治区で見られた。詳細は「1968年9月22日の日食」を参照。
1970年3月7日:皆既食
メキシコ南東部、アメリカ東海岸、カナダ南東部で見られた。詳細は「1970年3月7日の日食」を参照。
1972年7月10日:皆既食
ソ連北東部、アメリカアラスカ州、カナダで見られた。詳細は「1972年7月10日の日食」を参照。
1973年6月30日:皆既食
アフリカ大陸などで見られた。コンコルド旅客機での空中観測も行われ、これにより皆既食の持続時間が74分に延ばされ、史上最長の観測時間となった。詳細は「1973年6月30日の日食」を参照。
1973年12月24日:金環食
南アメリカ大陸北部やアフリカ大陸北部などで見られた。金環継続時間は1955年12月14日の日食よりは短いが、最大12分2.37秒あった。
1976年4月29日:金環食
アフリカ北西部、ギリシャ南部、中東ソ連南部、中国西部など(8000メートル峰の14座の山うち5座を含む)で見られた。詳細は「1976年4月29日の日食」を参照。
1977年10月12日:皆既食
コロンビアベネズエラで見られた。詳細は「1977年10月12日の日食」を参照。
1979年2月26日:皆既食
北アメリカ大陸北部で見られた。詳細は「1979年2月26日の日食」を参照。
1980年2月16日:皆既食
アフリカ、インド、中国南西部などで見られた。詳細は「1980年2月16日の日食」を参照。
1981年2月4日:金環食
タスマニア島南部、スチュアート島南部などで見られた。詳細は「1981年2月4日の日食」を参照。
1981年7月31日:皆既食
ソ連南部で見られた。詳細は「1981年7月31日の日食」を参照。
1983年6月11日:皆既食
インドネシア南部、パプアニューギニア南部などで見られた。他国からの多くの学者などはインドネシアで観測したが、政府の禁止令によって自分の目で皆既日食を見たインドネシア人が少ない。詳細は「1983年6月11日の日食」を参照。
1984年5月30日:金環食
メキシコ、アメリカ南東部、北アフリカで見られた。詳細は「1984年5月30日の日食」を参照。
1984年11月22日:皆既食
ニューギニア島などで見られた。詳細は「1984年11月22日の日食」を参照。
1987年9月23日:金環食
沖縄本島を中心食帯が通過。沖縄の本部町では中心食帯の中心線が通過したので、完全な同心円の金環が見られた。詳細は「1987年9月23日の日食」を参照。
1988年3月18日:皆既食
日本の陸地では見られなかったが、小笠原諸島の硫黄島東方沖海上で、数隻の大型船の甲板上で見られた。この年以降、海外への日食ツアーが認知され参加者も増えるようになった。詳細は「1988年3月18日の日食」を参照。
1990年7月22日:皆既食
フィンランド南部、ソ連の北極海沿岸などで見られた。詳細は「1990年7月22日の日食」を参照。
1991年7月11日:皆既食
ハワイ島中央アメリカ(主に太平洋側)、南アメリカ大陸北部などで見られた。詳細は「1991年7月11日の日食」を参照。
1992年1月4日:金環食
北太平洋(ナウルキリバスなど)やアメリカのカリフォルニア州南西部などで見られた。金環継続時間は1955年12月14日の日食や1973年12月24日の日食、1937年12月3日の日食などよりは短いが、最大11分40.9秒あった。
1992年6月30日:皆既食
ウルグアイ南東部、ブラジル最南端のごく小さい部分で見られた。詳細は「1992年6月30日の日食」を参照。
1994年5月10日:金環食
北アメリカ大陸、モロッコ北部などで見られた。詳細は「1994年5月10日の日食」を参照。
1994年11月3日:皆既食
南アメリカ大陸で見られた。詳細は「1994年11月3日の日食」を参照。
1995年4月29日:金環食
南アメリカ大陸北部で見られた。詳細は「1995年4月29日の日食」を参照。
1995年10月24日:皆既食
南アジアインドシナ半島などで見られた。詳細は「1995年10月24日の日食」を参照。
1997年3月9日:皆既食
モンゴルから中国北部、シベリアアラスカなどで見られた。日本全国で食分の大きい部分日食を観測。詳細は「1997年3月9日の日食」を参照。
1998年2月26日:皆既食
南アメリカ大陸北西部、リーワード諸島などで見られた。詳細は「1998年2月26日の日食」を参照。
1998年8月22日:金環食
マレー諸島などで見られた。詳細は「1998年8月22日の日食」を参照。
1999年2月16日:金環食
南アフリカの離島プリンス・エドワード諸島、オーストラリアで見られた。詳細は「1999年2月16日の日食」を参照。
1999年8月11日:皆既食
ヨーロッパから西アジア南アジアなどで見られた。詳細は「1999年8月11日の日食」を参照。
Remove ads

21世紀

要約
視点

2100年までのものについて中心食の場合は経路を主に挙げ、部分食は見られる範囲を示す。日本国内で中心食の観測が可能な日食の日付と、日食の種類のうち「皆既」を太文字表記にしている。データは日食・月食・星食情報データベースを用いた。なお、日付・時間は協定世界時 (UTC) を用いている。

さらに見る 日付, 種類 ...
Remove ads

参考文献

  • 『中国・朝鮮・日本 日食月食宝典』(渡邊敏夫、雄山閣、1979年
  • 『星の古記録』(斉藤国治、岩波新書、1982年

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads