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松坂世代
松坂大輔と同じ、1980年度生まれの日本のプロ野球選手の総称 ウィキペディアから
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松坂世代(まつざかせだい)は、松坂大輔と同学年にあたる1980年4月2日から1981年4月1日までに生まれた世代の日本のプロ野球選手のことを総称して呼ぶ語。また、最終的にプロ野球選手にはならなかったものの、高校野球や大学野球で彼らと共にプレーした著名人なども合わせて「松坂世代」と括られることも多い[1][2][3]。
概説
要約
視点
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由来
松坂大輔が横浜高等学校のエースとして第70回選抜高等学校野球大会・第80回全国高等学校野球選手権大会で活躍した1998年は松坂の他にも多くの優れた高校球児が登場したことで知られ、高校野球のみならず、高校卒業後に大学野球・社会人野球を経験した者も含め、多くの選手がプロ入りし、活躍した。特に甲子園に出場した選手や、東京六大学野球連盟、東都大学野球連盟と言った有名なリーグで下級生時からエースとして活躍する選手が非常に多かったこと、さらに他のスポーツ競技者や芸能界にも優秀な人材を輩出したことから、1980年4月2日 - 1981年4月1日生まれの人物に対し、マスコミが特に活躍が顕著だった松坂の名を冠し「松坂世代」と呼ぶようになった。
従来日本のプロ野球界に於いて、その生まれ年の数字を使った「昭和○○年組」というものが一般的であり、選手達自らが組織を作る場合にも同様に生まれ年を使った「昭和○○年会」という名称を使用しており、松坂世代も「昭和55年会」を組織している[4]。
「松坂世代」と呼ばれることへの反発
この言葉で一括りにされることについて当事者となる各選手の受け止め方はまちまちである。和田毅は高校時代の自分は「その他大勢」の扱いだったとし、大学2年になって「松坂世代」の一人として報じられるようになったことが嬉しかったと述べる[5]。拒否した例で著名なものとして、読売ジャイアンツは「我がチームの松坂世代該当選手は80's(エイティーズ)と呼んでください」と発表した。久保田智之は「松坂だけでなりたっているみたいじゃないですか。同い年ってだけで繋がりはないし」と、露骨に不快感を示している。新垣渚は「いつか新垣世代と言わせてみせる」と発言しており、「松坂世代」とひとくくりにされることを嫌う選手も多数いる。
しかし、反発していた選手たちも、自らが競技から身を引いた後は姿勢を変化させ、久保田は引退してスカウトに転身した際、中日のキャンプに参加した松坂を見て「僕は引退後も『松坂世代』と呼ばれる。彼は僕にとってもヒーロー。復活してほしい」というコメントを残し[6]、新垣も引退後先の発言について、「神宮でダイスケと対戦して、初めて目標ができた感じがします」「(高校野球生活)最後の冬の厳しさを乗り越えるモチベーションにダイスケの存在があったとも思います」[7]と振り返るほどの松坂へのライバル意識から出た言葉であるとし、「今では何言ってんだと思う。新垣世代とか言われたくない。そんなプレッシャーから逃げたいし」と語っている[5]。
横浜ベイスターズでは、高校時代のチームメイトであった小池正晃の名を冠して「小池世代」と呼ばれることもあった。和田はあえて他の名前で呼ぶなら「吉本世代」だと吉本亮の名を挙げ、それに対し新垣も「松坂世代のまとめ役は吉本。みんな言うこと聞く」と述べた[5]。
最後の大物
同い年の選手であっても、アマチュア野球などで過ごす年数の違いによりプロ入りした年は異なる。松坂世代の選手が続々とプロになり、「松坂世代」という言葉が定着するにつれ、アマチュアで長く実績を残した松坂世代の選手がドラフト候補として注目されたり、新人として活躍した際に「松坂世代最後の大物」という呼称が使用されるようになった。
松坂本人を含む1998年のドラフト会議で指名された選手や、大学に現役で進学した者が4年生に進級した2002年のドラフト会議で指名された選手にこの呼称が使用された形跡はない。「最後の大物」と初めて呼ばれた選手は2004年のドラフト会議で指名された久保康友である。久保は選抜大会準優勝投手として高校時代から注目されていたが、高校卒業後は社会人野球へ進み、6年間という長い年月を経てプロ入りしたことから、「最後の大物」と呼ばれた。
その後2007年のドラフト会議では、久保以来のアマチュア実績を持ち、大学卒業後にMLBでプレーしていた多田野数人が指名されたことにより、再びこの呼称が用いられた。松坂世代選手の最後のプロ入りはその翌年、2008年のドラフト会議で指名された森田丈武である。
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松坂世代に該当する選手
要約
視点
日本のプロ野球には94名の選手が在籍した(外国人選手を除く)。NPB球団所属の現役選手は2024年シーズン限りで和田毅(福岡ソフトバンクホークス)が43歳で引退したためいなくなった。なお、THE PAGEが2014年シーズン途中(33-34歳)に発表した時点では、松坂世代のうち甲子園出場校の選手は47%と半数近くが現役だった[8]。
名球会入りした選手は特例枠で入会した藤川球児のみで、名球会入会条件である通算2000本安打・200勝・250セーブは日米通算も含め1人も達成することがなかった。先発投手の負担軽減が考慮されるようになった時代であることを踏まえても、「過大評価である」(江本孟紀談)などと低い評価をする専門家もいる[9][注 1]。名球会入りの条件に最も近い通算記録保持者は以下の通り。安打:村田修一 1865、勝利:松坂大輔 170(日114+米56)、セーブ:藤川球児 245(日243+米2)。 2024年シーズン終了時点でNPB球団一軍監督経験者は、平石洋介(東北楽天ゴールデンイーグルス、2019年)のみ。2025年からの藤川球児(阪神タイガース)が二人目となる[10]。
太字は現役選手(MLBほか海外リーグ、日本国内の独立リーグ、社会人野球に在籍中の選手も含む)。
日本プロ野球名球会入り選手 | |
タイトル(首位打者、最多本塁打、最多打点、最多盗塁、最多安打、最高出塁率、最優秀防御率、最多勝利、最多奪三振、最高勝率、最多セーブ投手、最優秀中継ぎ投手)獲得者 |
1999年入団
2000年入団
2001年入団
2002年入団
2003年入団
2004年入団
2005年入団
2006年入団
2007年入団
2008年入団
2009年入団
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松坂世代に該当する著名人
脚注
参考文献
関連書籍
関連項目
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