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赤い公園

日本のガールズバンド (2010-2021) ウィキペディアから

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赤い公園(あかいこうえん)は、日本ガールズロックバンド2010年に結成され、2021年に解散した。所属事務所はソニー・ミュージックレーベルズレコードレーベルエピックレコードジャパン。公式ファンクラブは「赤すぎる公園」。

概要 赤い公園, 出身地 ...
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概要

要約
視点

結成までの経緯

藤本と歌川が友人たちと始めたバンドに、脱退したボーカルに代わり同級生の佐藤が加入。その後、ギターも辞めたため、サポートメンバーとして津野が加入した。オリジナルメンバーは皆、東京都立東村山西高等学校軽音楽部出身[4]

当初、東京事変チャットモンチー土屋アンナGO!GO!7188などをコピーしていた[5][6][7]が、当時から作曲をしていた1学年上の津野の加入により、オリジナル楽曲の演奏をするようになる[5]

バンド名は「怪獣公園」にする予定だったが既に使われていた[注 1]ため「赤い公園」となった[6]

音楽性と楽曲

作詞・作曲の大部分をギターの津野が担当、ベースの藤本も一部の楽曲を手掛けている。音楽プロデュースは1stアルバム『公園デビュー』において全曲津野が行うが、2ndアルバム以降は會田茂一亀田誠治島田昌典蔦谷好位置等が参加している[8][9][10]

作曲の多くでは、吹奏楽経験もある津野が、クラシック現代音楽スコアを参考にしたりしながら、ポップスやロックのセオリーでは不協和音になる音をあえて使ったり[8]、カウンター・メロディーを入れたりと、様々な試みをしている。ギターで曲を考えるのが苦手であり、ピアノで全部のパートを作ってからそれを無理矢理ギターで演奏している[8]

楽曲制作の基本として、まず津野が歌・ベース・ドラム・シンセサイザーを入れたデモ音源を作る。デモの段階ではアレンジはあまり固めず[11]、ほとんど打ち込みで作られたバンド・サウンドとはかけ離れた形で上がってくるので[12]、それをバンド全員でアレンジするという方法を取っている[11]。音楽の好みがはっきりしていて専門外のことはよく知らない他の3人と一緒に仕上げることによって、アンバランスでありながら普通の人も聴けるポップスになる。そしてその歪さが耳に引っかかるフックとなり、赤い公園の音楽を特徴付けている[7]

レコーディングでは極力オートチューンを使わないようにしているので、歌の音程が多少ずれても補正せずにいる[8]

津野自身は「ジャンルがかちっと決まっているバンドが多いシーンの中で、限りなく、とてつもなく自由でいたいんです。だから、方向性を決めないというのが方向性ですね」「今まで色んな音楽を聴いてきた中で、やりたい音楽がごちゃ混ぜになっているんですよね。一番好きなアーティストを訊かれたりすると困るし、"こういうバンドが好きなのかな?"と想像してくれるとうれしい」と述べている[7][13]

評価

音楽雑誌『MARQUEE』の編集長、MMMatsumoto(松本昌幸)は、インディーズ時代から赤い公園の作曲力、構成力(アレンジ力)、演奏力を高く評価している[14]。月刊音楽雑誌『ミュージック・マガジン』は、赤い公園の音楽性と楽曲について、「ハードコアとポスト・ロックとトイ・ポップと昭和歌謡が溶け合うことなく混在する音楽性は、あまりにも雑多で乱脈。ほとんどの曲が3分以内だが、1曲に込められた情報量は多く、変則的な構成や目まぐるしい展開で聴き手を撹乱・幻惑させる」「独創的で複雑なアレンジ」と批評している[13]

衣装

ステージやアーティスト写真では、メンバー全員が白装束を纏っている。その理由について津野は「なんとなく演奏が上手く見えそうだし、ステージの照明にも映えるかな?って。衣装があったほうが気合いが入るし、そもそも普段着には自信がなくて(笑)」と語っている[15]。また、ステージや音を含めてトータルで表現するためという意味も込められている[6]。2017年以降は、白装束をやめ、ラフな格好が中心となっており、ボーカルが佐藤から石野に変わって以降も継続している。

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来歴

Thumb
活動拠点の「立川BABEL」

2010年1月4日、東京都立東村山西高等学校の軽音楽部に所属していた4人により結成[16]東京都立川市ライブハウス「立川BABEL」を拠点に活動を開始し、同年12月には、神聖かまってちゃんが主催するライブイベントにも出演した。

2011年1月、自主制作のデモ音源「はじめまして」を発売[16]。同年3月、自主制作によるミニ・アルバム「ブレーメンとあるく」を発表[5]。同年10月、NATSUMENチーナなど、日本人アーティストとともにカナダで開催された『Next Music from TOKYO vol 3』に参加、注目を集める(この後 NATSUMENのメンバーは、赤い公園をプロデュースしている[17])。複数のレコード会社による争奪戦[18]の末にEMIミュージック・ジャパンと契約。

2012年2月15日、EMIミュージック・ジャパンよりミニ・アルバム「透明なのか黒なのか」をリリース、メジャー・デビューを果たした。同年10月9日、バンドの公式サイトにて、ギターの津野の体調不良により当面の活動を休止することを発表[19]

2013年3月1日、Ustreamに出演して活動を再開することを発表[20]。同年6月5日リリースのSMAPのシングル「Joy!!」で、津野が作詞・作曲を担当、編曲は菅野よう子[21]

2017年7月3日、佐藤千明(Vo)が同年8月31日を以て脱退することを発表[22]。佐藤は「7年の活動の中で自分の手に負えない程のズレが生じていることに気付いた。そのズレが迷いとして音楽にまで介入してきたとき、赤い公園のボーカルという使命に、限界を感じた」ことを脱退の理由としている。同年8月27日、Zepp DiverCity TOKYOで行われた「熱唱祭り」が4人体制での最後のライブとなった。

2018年5月4日、『VIVA LA ROCK 2018』に出演、新ボーカルを元・アイドルネッサンス石野理子が務めることを発表した。石野の加入に伴い、同年より津野、藤本、歌川の3人は石野の所属事務所であるソニー・ミュージックアーティスツに移籍した。

津野の急逝、そして解散

2020年10月18日、津野米咲が急逝[23][24]

2021年3月1日、「津野米咲がいない赤い公園はもはや違うものになってしまうのではないか」という想いが大きくなり、同年5月28日に中野サンプラザで行われるラストライブをもって解散することを発表した[25][26]。そして5月28日に、ラストライブ「THE PARK」を開催し解散した[27]

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メンバー

解散時のメンバー

津野米咲(つの まいさ)
ギターコーラス担当。バンドのリーダー[28]
1991年10月2日生まれ[29]。オリジナルメンバー唯一の上級生。他のメンバーからは“さん付け”で呼ばれている。
楽曲のソングライター及びプロデュースを手掛けるバンドの中心的存在[19]
他のアーティストの作品に演奏家として参加したり(タルトタタン、おおたえみり[30]など)、作詞・作曲・編曲などの楽曲制作を行ったり(SMAP南波志帆など)と、幅広い音楽活動をしている。祖父・津野陽二[注 2]も父・つのごうじ[注 3]も作曲家で祖母は宝塚出身、母はピアノ、上の兄はギターを弾けて2番目の兄はドラムを叩けるという音楽一家に育つ[31]
影響を受けた音楽家には、チャイコフスキージョン・ウィリアムズジム・オルークを挙げている[31]
当初赤い公園に加入したのはサポート・ギタリストとしてであった。卒業後に家庭の事情で大阪に行くことになっていたこともあり、サポートはあくまで期間限定のはずだった。しかし、次第にメンバーたちと一緒にやることが楽しくなっていき、「ここで止めると後悔するな、続けられるものなら続けたい」と思うようになり、両親にはついて行かずに自分だけ残ることにした[32]
赤い公園に加入する前はシューゲイザーまがいのバンドをやっていて、東京事変の楽曲をキーボード無しで演奏したりしていた。その影響のためか、彼女の弾くギターはキーボードっぽいと言われる[32]。その頃からもともと趣味で曲を作っていた[7]
自称“音楽オタク”。音楽を始めたきっかけは3、4歳から習っていたエレクトーンで、ギターは高1から始めた[5]吹奏楽の経験もある[7]。両親や兄の影響でたくさんの音楽を聴いて育ち、幼少期にはカーペンターズサイモン&ガーファンクルアース・ウィンド・アンド・ファイアーペイヴメント小田和正松任谷由実Mr.Childrenなどのポップスだけでなく、チャイコフスキードビュッシーなどのバレエ音楽も聴いていた[5][12]。ポップスが一番好きだが、フュージョンジャズクラシック現代音楽を含めて色々なジャンルの曲を聴いていた[7]。しかし、ロックバンドの曲はあまり聴いていなかった[12]
赤い公園に加入する前に、現在のメンバーの中にギターではなくキーボードとしてサポートに入ったことがある[5]
アイドル好きで、特にハロー!プロジェクトの大ファンである[13]2016年モーニング娘。'16に「泡沫サタデーナイト!」を提供し、ハロプロへ初めて楽曲提供を行った[33]。最近のアイドルだけでなく松田聖子などの昔のアイドルも好きなので、職業作詞家による歌詞に惹かれる[15]
主に使用しているギターは白のストラトキャスター。このギターは津野が高校1年の時にアルバイトをして購入したもので、「白田トミ子」と命名されている[34]。ブリッジ下に貼られたステッカーはかつて矢尾拓也(ex.パスピエ)や吉田雄介(tricot)らが所属したバンド”Bell Boy”のグッズである[35]
2020年10月18日、急逝[36]29歳没
藤本ひかり(ふじもと ひかり)
ベース担当。
(1992-10-31) 1992年10月31日(32歳)生まれ[29]
一部楽曲の作詞・作曲を行う。
音楽を始めたきっかけは中学生の頃に友人や先輩の影響でバンドに興味がわいたことで、幼少期には洋楽ヒップホップをよく聴いていた[5]メタルなどのような激しい音楽を好むが、邦楽も好き[7]
メタル好きの影響からか、歌ものの曲のベースとしてはありえないほどエフェクターをかけるので、アレンジの際にも皆でその特徴を活かすようにしている[7]
津野とともに、他のアーティスト(おおたえみりなど)のレコーディングにも参加する[30]
2011年8月まで赤い公園と兼任でハードコアバンドWorld In The Silenceでベーシストとして活動していたが、赤い公園のメジャー・デビューに伴い脱退。同バンドには後にNOCTURNAL BLOODLUSTに加入するDaichiも参加していた[37][38]
赤い公園解散後は秋山黄色トミタ栞君島大空黒猫CHELSEA粗品、Q.I.S.(北澤ゆうほ)などのライブサポートを中心に活動している。
2024年7月24日、自身が作詞・作曲し赤い公園でも演奏していた「スローモーションブルー」を、自身の歌唱(演奏は君島大空トリオ)にて収録し配信リリースした[39][40]
歌川菜穂(うたがわ なお)
ドラムス・コーラス担当。
(1992-08-28) 1992年8月28日(32歳)生まれ[29]
音楽を始めたきっかけは、姉が習っていたエレクトーンを小1から小4まで嫌々習っていたこと。その後、小学5、6年の時に吹奏楽を教えてくれていた大学生の影響で音楽に興味を持ち始め、ドラムも吹奏楽から入った。その頃、特に聴いていた音楽はJ-POPやゲーム音楽全般だった[5]。その後もポップスとゲームミュージックが好きで、最初はバンド系の音楽は全然知らなかった[7]
赤い公園解散後、シシド・カフカが主宰する音楽集団「el tempo(エル・テンポ)」に参加[41]
2021年8月28日、同年に入って結婚していたことを公表[42]
2022年2月22日、THE 2に加入[43]。2023年5月に脱退[44]
石野理子(いしの りこ)
ボーカル担当。
(2000-10-29) 2000年10月29日(24歳)生まれ。
2018年2月に解散したアイドルグループ、アイドルネッサンスの元メンバー。2018年5月4日、「VIVA LA ROCK 2018」出演時より加入。
小出祐介Base Ball Bearのサポートメンバーとして参加した津野への「恩返し」として、石野を赤い公園の新ボーカル候補として紹介したことを2018年5月8日放送『アフター6ジャンクション』(TBSラジオ)で明かした[45]
赤い公園解散後はソロ活動とともに4人組バンドAoooのメンバーとしても活動している。

元メンバー

佐藤千明(さとう ちあき)
ボーカルキーボード担当。
(1993-01-14) 1993年1月14日(32歳)生まれ[29]。オリジナルメンバー。藤本、歌川とは同級生である。
メンバー中では一番の高身長(173cm前後)。
ボーカルとして歌うのはこのバンドが初めて。バドミントン部だったが、もともと仲の良かったベースの藤本に声をかけられてバンドに加入することになった[5][32]
音楽を始めたきっかけはモーニング娘。で、小学生の頃はモーニング娘。になりたくて、歌や踊りに興味を持つようになった[5]J-POPと海外のティーンエイジャーが好みそうな洋楽ディズニー音楽が好きだったので、バンド系の音楽はあまり聴いていなかった[7][15]。津野曰く「声が高級」[8]
2017年8月31日を以て赤い公園を脱退[46]。名義を「チアキ」と改め、2018年4月より本格的にソロ活動を開始[47]
メンバーで唯一Twitterアカウントを持っていなかったが、脱退後に開設している(ブログは書いていた)[48]
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ディスコグラフィ

要約
視点

インディーズ

デモ音源

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ミニ・アルバム

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メジャー

シングル

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EP

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ミニ・アルバム

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※『透明なのか黒なのか』と『ランドリーで漂白を』は対になっており、メジャーデビューミニアルバムの第1弾(上盤)と第2弾(下盤)という形式を取っている。収録曲は、上盤が奇数番のみ、下盤が偶数番のみという仕様になっている。両作とも津野がセルフ・プロデュースを担当した。

オリジナル・アルバム

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ベスト・アルバム

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映像作品

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参加作品

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タイアップ一覧

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ヘビーローテーション/パワープレイ

テレビ

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受賞・選出歴

iTunes

  • iTunes『Japan Sound of 2012』(発表:2012年1月25日、作品:「透明」)[74]

SPACE SHOWER MUSIC AWARDS

  • 『SPACE SHOWER MUSIC VIDEO REVIEW 2012』(発表:2012年7月20日、作品:「透明」)[75]
  • 『第18回SPACE SHOWER MUSIC AWARDS』MVA BEST VIDEO『今更』 - 選出[76]
  • 『第19回SPACE SHOWER MUSIC AWARDS』MVA BEST VIDEO『絶対的な関係』 -選出[77]

日本レコード大賞

出演

ラジオ

連載

WEB

アプリ

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ライブ・出演イベント

要約
視点

ライブツアー

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自主企画ライブ

太字はワンマンライブ

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配信ライブ

出演イベント

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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