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近江国

近国に属する令制国の一つ ウィキペディアから

近江国
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近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。東山道に属する。現在の滋賀県全域にあたる。

概要 近江国, 別称 ...

「近江」の名称と由来

近江は、『古事記』では「近淡海(ちかつあはうみ)」「淡海(あはうみ)」と記されている。7世紀、飛鳥京から藤原宮期の遺跡から見つかった木簡の中には、「淡海」と読めそうな字のほか、「近淡」や「近水海」という語が見えるものがある。「近淡」はこの後にも字が続いて近淡海となると推測される[1]。国名は、琵琶湖を「近淡海」と称したことに由来するとする説が広く知られているが、琵琶湖を「近淡海」と記した例はなく、『万葉集』をみても、琵琶湖は、「淡海」「淡海之海」「淡海乃海」「近江之海」「近江海」「相海之海」と記されている。「淡海」の所在する国で、畿内から近い国という意味であり、「近つ『淡海国』」であり、「『近つ淡海』国」ではない[2]。おおよそ大宝令の制定(701年)・施行を境にして、近江国の表記が登場し、定着する。和銅6年(713)4月丁巳(25日)の、諸国郡郷名には好字二字をつけよ、との法令による。

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沿革

近世以降の沿革

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国内の施設

近江国は畿内に隣接し、これまでに3度天皇の住居(宮)が構えられている。

古事記,日本書紀には志賀高穴穂宮の存在が記述されており、景行天皇,成務天皇,仲哀天皇が都したとされている。

国府

栗太郡勢多に所在。1964年昭和39年)に現在の大津市三大寺で遺跡が発見された。国府の遺跡が発見された最初の例である。

国分寺・国分尼寺

国分僧寺は、はじめ甲可寺(現 甲賀市信楽町、紫香楽宮跡とされてきた)に設置された。その後、瀬田廃寺(大津市神領)にうつり、焼失の後、820年弘仁11年)に国昌寺跡(大津市国分)に移された。ここでは最澄が若き日に修学しているとされる。国分尼寺跡としても、石山国分遺跡(大津市国分)が有力視されている。

神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、大社13座10社・小社142座132社の計155座142社が記されている(近江国の式内社一覧を参照)。大社10社は以下に示すもので、全て名神大社である。
総社一宮以下

地域

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江戸時代の藩

さらに見る 藩名, 居城 ...
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人物

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国司

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続日本紀

日本後紀

続日本後紀

日本文徳天皇実録

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近江掾

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鎌倉幕府

室町幕府

戦国大名

武家官位としての近江守

江戸時代以前

江戸時代

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近江国の合戦

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その他

2009年12月8日の滋賀県議会一般質問で無所属議員の木沢成人が、県内外での滋賀ブランドを向上させるため、「滋賀県」から「近江県」への改名を提議したことがある[4]

関連氏族

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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