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プロダクション・アイジー

日本の東京都武蔵野市にあるアニメ制作会社 ウィキペディアから

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株式会社プロダクション・アイジー: Production I.G, Inc.)は、日本アニメ制作会社。株式会社IGポートの完全子会社。日本動画協会コンピュータエンターテインメント協会正会員。

概要 種類, 本社所在地 ...
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概要

東京都武蔵野市に本社・スタジオ、さらに新潟県新潟市中央区に作画スタジオを構える。かつては東京都府中市に、3DCGスタジオ「IGFX」、実写撮影スタジオの「Studio iG(旧FIX STUDIO)」を構えていたが、2020年1月31日に営業を終了し[2]、跡地は同年7月17日に設立されたプロダクション・プラスエイチのスタジオとなった。

1987年に「有限会社アイジータツノコ」を東京都武蔵野市に設立。1993年に「有限会社プロダクション・アイジー」に商号変更[3]。設立からしばらくはOVAアニメ映画ビデオゲーム用アニメなどを制作の中心にしてきたが押井守監督の劇場映画作品を制作し、ヒットさせた事で日本国内だけでなく海外での知名度も高まり企業としての規模も拡大した。1998年に増資して「株式会社プロダクション・アイジー(旧)となる[3]。テレビシリーズは主に子会社のジーベックが制作し、プロダクション・アイジーはアニメ映画の制作を主としていたが、2001年よりテレビシリーズの元請制作にも進出。

2007年11月、持株会社体制への移行に伴い「株式会社IGポート」に商号を変更し、「株式会社プロダクション・アイジー(新)分割新設して主力事業を承継した[3]。IGポートは持株会社として、プロダクション・アイジー、マッグガーデンウィットスタジオを傘下とし、グループ企業全体の事業展開・経営管理・資産運用管理を行っている。

2010年4月26日、本社を東京都国分寺市から現在の東京都武蔵野市中町2丁目1番9号へ移転し、国分寺市を中心に分散していた事務所やスタジオを集約した[4]

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設立の経緯

テレビアニメ『赤い光弾ジリオン』を制作した「竜の子制作分室」に揃ったスタッフを分散させるのを惜しんで、制作プロデューサーとして同分室を率いた石川光久が、同じフロアを間借りしていた後藤隆幸率いる「鐘夢」(チャイム)を合併。京都アニメーションの援助を受けて[5]、石川と後藤のイニシャルを冠した[6]「有限会社アイジータツノコ」を1987年12月15日に設立。出資者は、石川、後藤、八田英明(京都アニメーション代表取締役)、タツノコプロなどである。なお、設立当初は杉山卓及び八田陽子(京都アニメーション専務取締役)の実姉が、大手製薬会社で経理を担当した経験を活かして支援していた[7]

伊吹眞(西堀ひろみ)、内田哲夫らが設立の中心スタッフである。アニメーターはフリーで参加する形となり、次いでフリーで「銀河帝国」(後に解散。一時期子会社であったビィートレインの代表取締役である真下耕一も所属)で制作を行っていた三本隆二と坂部久明、スタジオ・ムーのアニメーター黄瀬和哉らが追って参加した。

設立当初はシンエイ動画のテレビシリーズを始め、キティ・フィルムの『銀河英雄伝説』やスタジオディーンのOVA『機動警察パトレイバー』の制作協力を行っていた。しかし、下請け続きの仕事では管理費が取れないと思った石川は、シンエイ動画の下請けを持続させた形で元請制作に乗り出した。

その後は『赤い光弾ジリオン 歌姫夜曲』を皮切りに数多くの劇場映画やOVAを制作した。設立当初はグロス請けや作画協力でテレビシリーズに関与していたが、2000年代以降は元請としてもテレビシリーズを積極的に手掛けている。

1991年には新潟県に作画スタジオを開設。現在の所長である小村方宏治が諸事情で帰郷せざるを得なくなり、社長の石川に退職を申し出たところ、「新潟でIGを続けないか」と声を掛けられ、同僚からの後押しもあって開設に至った[8][9]

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社名の由来

"IG" という社名は、社長の石川と副社長の後藤のイニシャルから命名したものである。

I.Gタツノコ時代、タツノコの名前を入れたのは金融機関の理解を得るためと、分派したことによってタツノコプロと喧嘩したくなかったためだったとされる[10]。石川は「タツノコ」というネーミングにこだわりを感じており、今までお世話になったタツノコプロへの恩返しのつもりで入れたと語っている。タツノコの名前があったことは社会的な信用も得ることにも繋がった。

設立時にタツノコプロから資本金2割の出資を受けていたものの、当時苦境にあったタツノコプロは積極的にI.Gタツノコに仕事を回すだけの余裕がなかった。しかしながらその「タツノコ」と名のついた会社名であるためタツノコプロの関連会社と勘違いする人が増えてきた。そういった勘違いによる不快感が徐々にスタッフ(特に制作進行や制作デスク)に現れ出し、また業績が盛り返したタツノコプロ側からの要請もあり、社名から「タツノコ」の名を外す動きが始まる。石川は名前を変えることにショックを受けていたが、受諾し社名変更に至った。この社名変更と同時に、タツノコプロと京都アニメーションから受けていた資本金も返上している。

2010年、プロダクションI.Gがタツノコプロの株を取得し資本関係が復活。石川が同社非常勤取締役に就任した[11]

制作部・制作課

制作部は10のスタジオ(第1–2は制作課、第3–10はプロデュース課)とシステム管理・開発課で構成されている(2011年時点)。

各スタジオは2007年から○○課(○○課スタジオ)と呼ばれている、これは『攻殻機動隊』における○○課にちなんだものである。また、社屋移転に伴いコスト管理体制の強化から制作部を2部体制に変更。内訳は制作1部(制作課・プロデュース3、4、10課・システム管理・開発課、6課閉鎖)、制作2部(プロデュース5、7、8、9課)となっている。

これまで担当スタジオは各作品のサイトやブログ等で語られる程度であったが、2011年製作のオリジナルテレビアニメ『ギルティクラウン』では6課が初めてスタジオ名を表記した。6課ではその後一部スタッフが独立しウィットスタジオを設立した。また、8課はJe t'aimeにおいて社名クレジットの上に8を模したマークを掲げている。

沿革

初代

2代目

3代目

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作品履歴

テレビアニメ

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劇場アニメ

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OVA

Webアニメ

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ゲーム内アニメーション

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実写映画

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テレビドラマ

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テレビCM

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制作協力

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その他の作品

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関連人物

演出家

アニメーター

  • 新野量太
  • 西尾鉄也
  • 松本圭太
  • 矢萩利幸
  • 菊池勝也
  • 黒岩裕美

脚本家

制作

その他

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関連項目

同社スタッフ・OBが独立・起業した会社

現在

過去

参考文献

  • ニュータイプ編集『軌跡―Production I.G 1988‐2002』(2002年角川書店ISBN 4-04-853517-X
  • 日経BPムック『プロダクションI.Gマガジン』(2005年、日経BP社) ISBN 4-8222-1715-9
  • キネ旬ムック『『千と千尋の神隠し』を読む40の目』(2001年、キネマ旬報社) ISBN 4-87376-574-9 - アニメ制作会社スタジオジブリ鈴木敏夫との対談。
  • 梶山寿子『雑草魂―石川光久 アニメビジネスを変えた男』(2006年日経BPISBN 4-8222-2064-8
  • アニメージュ』(2004年1月号、徳間書店) - インタビュー「この人に話を聞きたい」。

脚注

外部リンク

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