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ドーム球場(ドームきゅうじょう、英: domed stadium)は、ドーム状の屋根を備えた球技用のスタジアムの一種[注 1]。日本ではドーム屋根を備えた野球場を指すことが多い。
日本では1988年(昭和63年)、東京ドーム(東京都文京区)が日本国内で最初のドーム球場として竣工した[3]。ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム(通称:メトロドーム)をモデルに設計され[1]、メトロドームと同じ空気膜構造方式(エアドーム)を採用している。屋根には二重のテフロン膜を使用して、この幕の間に常時空気を送り込み、更にドーム内の空気圧を0.3 %高めて膨張させている。ドーム開きとなった同年4月の公式戦開幕日、首都圏は季節外れの豪雪となったが、ドームの中では快適な野球環境が整えられたため「早速ドーム効果が現れた」と話題になった。
これを嚆矢として日本にはドーム球場が次々と建設され、1993年(平成5年)に国内2番目のドーム球場として「国内初の開閉式屋根」を取り入れた福岡ドーム(福岡県福岡市)が[4]、1997年(平成9年)に大阪ドーム(大阪府大阪市)とナゴヤドーム(愛知県名古屋市)がほぼ同時期に、1999年(平成11年)には既存の屋外球場をそのまま活用し、足掛け3年の工期を経て段階的に屋根を架設するという世界でも稀な工法でドーム化した西武ドーム(埼玉県所沢市)が[5]、2001年(平成13年)には屋外のオープンアリーナで養生している天然芝のグラウンドを空気圧で浮上させドーム内に移動させる「ホヴァリングシステム」を世界で初めて採用し[6]、サッカーやラグビーなどにも対応可能な札幌ドーム(北海道札幌市)が完成・開場した[注 2]。このほか、2023年(令和5年)には、三角屋根のためドーム球場とは称していないが、開閉式屋根を備えた屋内型球場であるエスコンフィールドHOKKAIDO(北海道北広島市)が完成・開場した。
2023年(令和5年)時点では、上記のうち札幌ドームを除く計6か所が日本野球機構(NPB)加盟球団の専用球場(本拠地)として使用されており、セ・パ12球団のうち半数の球団がドーム球場ないし屋内型球場を本拠地としている。後述するようにアメリカ合衆国では新古典派と呼ばれる開放式への回帰が進んでいるが、日本ではアメリカと比べて雨の多い気候であることや、野球以外での興行を入れて稼働率を高める目的があり、ドーム球場ないし屋内型球場が多くなる傾向がある。
※竣工日順
大館樹海ドーム(秋田県大館市)、仙台市屋内グラウンド(シェルコムせんだい、宮城県仙台市)などはNPB本拠地球場ほどの規模ではないが硬式野球の実施が可能である。出雲ドーム(島根県出雲市)はフィールドが狭隘で、且つ試合の実施に見合う天井高が確保されていないため、現在は硬式野球の公式戦は行われていない。
また硬式野球以外では札幌コミュニティドーム(つどーむ)、グリーンドーム前橋(日本トーターグリーンドーム前橋)、彩の国くまがやドーム、新天城ドーム、有明コロシアム、TIPSTAR DOME CHIBA(千葉競輪場)、こまつドーム、長浜ドーム、四日市ドーム、但馬ドーム、豊田スタジアム、御崎公園球技場(ノエビアスタジアム神戸)、北九州メディアドーム(小倉競輪場)、大分スポーツ公園総合競技場(昭和電工ドーム大分)などの施設が屋根を架設しており、これらのうち札幌コミュニティドーム、グリーンドーム前橋、彩の国くまがやドーム、長浜ドーム、四日市ドームを除く施設は屋根の開閉が可能となっている。ただし、スライド式のルーフ状屋根を持つもの(有明コロシアム、豊田スタジアム、御崎公園球技場)はドーム球場(ドーム状屋根を持つ球場)に該当しない。
ドーム球場で野球を行う場合に、屋根やスピーカーなどの懸垂物(屋根から垂れ下がっているもの)に打球が当たるなどの場合に、特別グラウンドルールを設定している。
場合 | 対処 |
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フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合 |
ボールインプレイ(プレイ続行)であり、地面などに触れる前に野手が捕球すれば打者はアウトである。地面などに触れた場合は、打球の位置によってフェアかファウルかが判定される。即ち、天井に当たらなかった場合と同じ扱いがなされる。
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打球が外野の上部懸垂物に当たったり挟まったりした場合 |
天井に当たった場合と同じ |
打球が天井に挟まった場合 |
ボールデッドになり、フェア地域の場合は二塁打、ファウル地域の場合はファウルボール。 |
場合 | 対処 |
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フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合 | 東京ドームと同じ。 |
天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合 | 大阪ドームと同じ。ただし、フェア地域であれば打った選手に賞金500万円が支払われる。 |
場合 | 対処 |
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フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合 | 東京ドームと同じ。ただし、移動式屋根「スーパーリング」の最も外側のリングに入った場合のみ本塁打となる。
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ファウル地域側の天井に当たった場合 | 直ちにボールがプレイングフィールド側に戻ってきてもファウルボール。 |
天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合 | ボールデッドになり、フェア地域の場合は二塁打、ファウル地域の場合はファウルボール。 |
場合 | 対処 |
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フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合 | 外野フェア地域の天井に当たった場合は本塁打となる。それ以外は東京ドームと同じ。
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天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合 | 大阪ドームと同じ。 |
場合 | 対処 |
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外野部分の天井(フェア地域の天井パネルの奥から3枚目まで)に触れた場合 | 本塁打。 |
他の部分の天井に打球が触れた場合 | 東京ドームと同じ。 |
アメリカ合衆国では、1965年にメジャーリーグ・ヒューストン・アストロズの本拠地として「世界初の全天候型屋根付き球場」リライアント・アストロドームが開場した。屋根付き球場建設の理由は、夏の暑さや蚊の大量発生から球場内を守り、快適な環境を確保するためだった。当時は「スタジアムに屋根を付ける」という発想そのものがあまりなかったので、アストロドームは「世界8番目の不思議」と呼ばれた。当初は屋外球場と同じ環境でプレーできるようにと太陽光を透過するアクリル屋根を設置したが、光が選手の目に入りプレーに支障をきたすことから、すぐに太陽光を通さない屋根に張り直した。この際、建設時から育てていた天然芝が光を遮られたことで生育がストップして枯れてしまったため、世界初の繊維による人工芝「アストロターフ」が開発された(詳細は人工芝の項を参照)。
当時は野球とアメリカンフットボールの兼用が可能なスタジアムの建設が流行していた。アストロドームもアメリカンフットボールとの兼用を前提に設計されており、開場した1965年の9月からヒューストン大学のホームとして使用されていた[8]。1968年からはNFL・ヒューストン・オイラーズ(現・テネシー・タイタンズ)も本拠地として使用するようになった(ヒューストン大学は1997年まで、オイラーズは1996年まで使用)。以降、大リーグ本拠地のドーム球場として建設されたキングドーム(2000年に爆破解体)[9]、ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム(通称・メトロドーム)(2014年解体)[1]、「世界初の可動式屋根付きスタジアム」であるロジャーズ・センター(旧称・スカイドーム、カナダトロント)は、いずれも野球とアメフト(もしくはカナディアンフットボール)兼用スタジアムとなった。1990年にフロリダ州セントピーターズバーグに完成したフロリダ・サンコースト・ドーム(現・トロピカーナ・フィールド)も、開場当初は各種スポーツ競技が開かれていた。(その後、タンパベイ・デビルレイズ(現・タンパベイ・レイズ)誘致をきっかけに野球専用ドーム球場に生まれ変わった。ただし、アリーナフットボール会場としては使用されている)。
モントリオールオリンピックスタジアムは、開場から11年後の1987年に収納が可能な吊り下げ方式の膜状屋根が追加されドーム球場となった。モントリオールオリンピックスタジアムもまたカナディアンフットボールとの兼用球場である。
2016年7月にミネソタ州ミネアポリスにNFLミネソタ・バイキングスの本拠地として完成したUSバンク・スタジアムはルーフ状の固定屋根を持つ屋内競技場であり、旧本拠地であるメトロドームと同様可動席を収納することによって野球の試合を行うことも可能である。当スタジアムでの最初の野球の試合は2017年2月24日午前6時に行われたアイオワ・セントラル・コミュニティカレッジとセンチュリー・カレッジの対戦であり、同日午後6時半よりミネソタ大学対シアトル大学の試合が開催された[10]。他の兼用スタジアムとは異なり、土の部分はピッチャーズプレート周辺のみでありホームプレートを含むベース周辺も人工芝のままである[11]。ミネソタ大学は2017年シーズンにこの試合を含め計13試合の野球の試合を行った[12]。
1992年に屋根のない野球場として開場したオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズがファンの絶大な支持を集めてからは、人工芝での選手の故障の多さが指摘されるようになったほか、青空の下、天然芝のグラウンドでの野球観戦を望む観客の意向が汲まれるようになり、野球専用のスタジアム「ボールパーク (ball park)」化が推進されている。ボールパークは「野球専用」・「天然芝のフィールド」・「観衆と選手の親近感、一体感を重視」・「戦前の古い球場や工場などを思わせるスタンドとその周囲をレンガ外壁の建物で囲むモダンクラシック」などを特徴としている。球場名も従来の「ドーム」・「スタジアム」から「パーク」・「フィールド」を称する施設が増えていった。メトロドームの後継として2010年に開場したターゲット・フィールドは、屋根のないボールパークとして開場した。また、野球専用ドーム球場となっているトロピカーナ・フィールドについても、露天野球場への移転が計画されている[13]。
ボールパーク化に伴い、ドーム状屋根に代わり開放時の屋根がフィールドを覆わないように配慮されたルーフ状の開閉式屋根を持つボールパークも建設されるようになっていった。キングドームに代わるセーフコ・フィールド、アストロドームに代わるミニッツメイド・パーク、チェイス・フィールド、ミラー・パーク、マーリンズ・パークが完成した。しかしこれらは「ドーム状屋根を持つ球場」に該当しないので「屋内球場」・「屋根付球場」・「全天候型球場」・「開閉式屋根付きボールパーク」などと呼ぶのが適切である。
アメフトのシーズンは9月から翌年1月までであるため、アメフト専用スタジアムでも暑さや寒さを防ぐためにメルセデス・ベンツ・スーパードームなどのドーム球場が続々と完成した(後にスーパードームではマイナーリーグの試合も開催されている)。カナダにおいてもフットボール専用球場であるBCプレイス・スタジアムが建設されている。
野球場ではいわゆる「ボールパーク」が主流となりドーム球場は減少傾向にあるが、フットボール専用球場としてのドーム球場は1990年代以降も建てられ続けている。
ドーム型屋根を備えた球場としては、韓国・ソウルの高尺スカイドーム、台湾・台北市の台北ドーム、オランダ・アムステルダムのアムステルダム・アレナやドイツ・ゲルゼンキルヒェンのフェルティンス・アレーナ(旧称・アレーナ・アウフシャルケ)がある。
オーストラリア・メルボルンの開閉式屋根を備えた球技場(クリケット、オージーフットボールなどで使用)であるエティハド・スタジアムや、オランダ・アーネムのヘルレドームは、ドーム状の屋根ではないが「ドーム」と名づけている。
通常はドーム球場では屋外が天候不良でも球場内が影響を受けることはないため試合中止になることがないが、台風・水害などの自然災害発生時には球場が被害を受けて使用不能になることがあるほか、交通機関が運休して選手が移動できなくなり試合開催が不可能になったり、安全上観客の行き帰りが困難になると判断されたりして、試合中止となる場合がある。
ここでは事情の如何にかかわらず、ドーム球場での試合が中止された事例を挙げる(ただし1998年の西武ドームはドーム化が完全に終わっていなかったためここには含めない)。
日本国内で大規模なコンサートを開催する際にドーム球場を使用することが多い。また、全国主要都市のドーム球場で公演を行う通称「ドームツアー」が開催されている。1997年に大阪ドームとナゴヤドームが開業してから「4大ドームツアー」と冠して行われる場合が多くなり[23][24]、2001年の札幌ドーム開業後は東京・福岡・大阪・ナゴヤ・札幌の各ドームを網羅するコンサートを「5大ドームツアー」と呼ぶようになった[25][26]。西武ドームに関しては、プロ野球球団の本拠地であるが、一般的には5大ドームに含まれない[注 3]。また、5大ドームに加えて西武ドームも使用して行うコンサートツアーを「6大ドームツアー」と呼ぶことがある[28][29]。
それまで最高峰とされた日本武道館を会場規模や収容人数で遥かに上回る公演が可能であり、演出面でも様々な試みが行なわれている。ただ、国立競技場や日産スタジアム、味の素スタジアムなどの陸上競技場やサッカースタジアムのほうが収容人数は多く、これらを網羅するコンサートツアーは「スタジアムツアー」と呼ばれる。
一方、施設が大型で数万人単位の観客の動員が可能である面、施設使用料はコンサート会場として使用される施設の中でも一際高額であり、ステージ資材・機材なども施設に合わせて大型化・大量化するものが多いので、興行イベントとして設定される損益分岐点のハードルも高いものとなっている。この損益分岐点をクリアするための有料チケット購入者数や、会場内で販売される関連グッズの売上などの目標値もより高いものとなるため、関連グッズの売行き動向やファン層の購買力・購買意欲そのものを総合的に勘案する必要があり、これらを踏まえてドーム球場をコンサート会場として使用できる全国規模で人気のあるミュージシャンが行う場合が多い。また、ミュージシャン自身も大型会場でのパフォーマンス力が要求されることになる。
ドーム球場は本来「野球場」を目的に屋根はドーム状、壁は円形の造りとなっているため、収容人数という点を除けばコンサート会場には不向きなことが多く、各ドーム球場によって音響や反射などが異なるために、入念な下調べと対策が必要となる会場でもある。
日本で最初となるドーム球場でのコンサートは東京ドームでの『BIG EGG OPENING EVENT』として開催された各種イベントの中で催行されている。最初にマーチングバンド世界選手権のゲストとしてTHE ALFEEが招かれ、後に単独公演としてミック・ジャガー、BOØWY、美空ひばりのコンサートが行われた。こけら落しとして美空ひばりのものが名高いが[30][31]、先に行われたオープン戦や他の公演にもこけら落としの表現がある[32][33]。アーティストとして初めて「5大ドームツアー」を行ったのはSMAPで(バンドとしてはGLAYが、ソロアーティストとしては桑田佳祐が最初)、西武ドームを加えた「6大ドームツアー」を最初に行ったのはMr.Childrenである。
※ドーム初使用順に3大ドーム以上掲載。
※赤色の年は開催予定であることを表す。
世界初のドーム球場・アストロドームの完成前の1958年6月ごろ、当時の日本テレビ社長・清水与七郎らが、東京都新宿区内の社有地(現・新宿六丁目地内。のちの日本テレビゴルフガーデン・新宿住宅総合展示場等立地)に、高さ70mを誇る全天候型の屋根付き球場を建設する構想を明らかにした。全面クレー舗装の屋内型野球場というものだったが、まだ空調設備の技術が未熟だったことなど問題点も数多く、結局実現には至らなかった。
1979年から1984年にかけて、名古屋市でもナゴヤ球場に代わる野球場として、ノリタケカンパニーリミテドにより名古屋市西区則武新町(同社の本社所在地で、現在同社の関連施設「ノリタケの森」が立地する場所)で「ノリタケドーム」を建設する計画があった[46](現在はイオンモール Nagoya Noritake Gardenなどが建つ)。
1988年の東京ドーム完成後は、多くの都市圏でドーム球場の建設が検討されたが、福岡、大阪、名古屋、札幌の各市を除きその計画は軒並み頓挫した。
1980年代後半から1990年代前半にかけて、阪神球団が阪神甲子園球場の後継として「阪神ドーム」の建設を検討していた。甲子園阪神パークを閉鎖してその跡地(現在のららぽーと甲子園の場所)に建設する計画となっていた。
1990年代前半には神戸市でも、神戸港貨物駅の跡地にドーム球場を建設し、グリーンスタジアム神戸(現・ほっともっとフィールド神戸)に代わるオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)の本拠地として検討していたことがあったが、用地の扱いを巡ってオリックスとJR貨物の間で折り合いが付かず断念している。跡地は現在、神戸震災復興記念公園(みなとのもり公園)となっている。
1999年から2001年ごろに横浜市が「横浜ドーム」の建設を検討していたが、実現には至らなかった。しかし、2011年から経済界を中心として「横浜ドームを実現する会」が再結成され、実現に向けた活動を始めている[47]。
2000年から2002年頃には千葉市が千葉マリンスタジアム(現・ZOZOマリンスタジアム)を西武ドーム方式でドーム化する「千葉マリンドーム計画」が浮上したが、ファンや市民から好感触を得られなかったことから、計画が立ち消えとなった。なお、のち千葉市では千葉マリンスタジアムの老朽化に伴い、球場自体の建て替えを含む大規模改修を計画しているが、当時の千葉市長であった熊谷俊人(現・千葉県知事)は改修(建て替え)と同時にドーム化することについては否定している[48]。
仙台市では宮城球場(現・楽天生命パーク宮城)に代わるドーム球場建設を検討していた。
広島市でもドーム球場の計画があったが、財政事情や人工芝は選手への負担が大きい等の理由のため、ドーム化を断念した。
2022年9月、静岡県浜松市の遠州灘海浜公園に建設を予定している野球場について、地元政財界から天候に左右されずに野球が開催できるドーム型球場の建設を静岡県庁に求めていることが報じられた。プロ野球球団の本拠地が無い地域でのドーム型球場誘致は異例である。しかし、建設費や維持費の問題に加え、予定地が沿岸部にあるため、球場の照明などによるウミガメの産卵への影響も懸念されるため、実現は不透明である[49][50]。
2024年4月、東京都が中央区の築地市場跡地で計画している再開発事業について、三井不動産など11社の企業連合を事業者に選定した。事業者側の提案によると、計画には屋内多目的スタジアムが含まれており、2032年度以降の開業を目指している[51][52]。2024年4月時点の計画では、野球・サッカー・コンサートなど用途に応じて変形可能なフィールド・客席を持ち、収容は可変で2万 - 5万7000席としている[53]。
ソウル特別市では1997年頃にLGグループを中心にしてドーム球場が計画され、2002 FIFAワールドカップで使用した後、LGツインズが本拠地として使用する予定であった。設計コンペも行われ優秀作が選定されたものの、用地取得の難航とアジア通貨危機のため、計画は白紙化された。なお、このドーム球場 (Seoul Dome) のデザインは、設計者のウェブサイトで閲覧することができる[54]。また、釜山でもドーム球場の計画があるが、当事者の利害が絡み合い頓挫している[55]。2014年にアメリカのラスベガス・サンズが、ソウル市が保有する蚕室総合運動場一帯に複合リゾート開発プロジェクトを提案し、開場30年以上が経過している蚕室野球場を、開発が白紙になったヨンサン鉄道整備倉の敷地にドーム球場(3万席規模)を移転・新築するという案を出した[56]。その後、ソウル特別市九老区で韓国初となるドーム球場高尺スカイドームが2015年9月に完成、10月に開場した[57]。当初は2011年完成目標であったが[58]、工期が延びていた。蚕室野球場については、ソウル市が民間投資による複合開発事業の一環として、2023年9月に密閉式ドーム球場への建て替え計画を発表した。ホテルを併設し、国際大会の招致を見越して3万席以上の規模とし、現球場を2025年シーズン後に解体、2031年末の完成を目指すとした[59]。
2023年6月、新世界グループは仁川広域市西区に商業施設「スターフィールド青羅」と一体型のドーム球場を建設する計画を発表した。2万1千席規模で、複合ショッピングモールとドーム球場の併設は世界初の事例とされる。当初は商業施設単体での建設が予定されていたが、同グループが2021年にSKテレコムからSKワイバーンズ(現・SSGランダース)を買収したことから計画を変更、2028年に開業し同球団の本拠地として使用される予定である[60][61][62]。
台湾では、1990年代よりドーム球場の必要性が訴えられていた。計画・建設ともに当初予定より大きく遅れたものの、2023年に台北市に台湾初の多目的ドーム施設「台北ドーム」(臺北大巨蛋、遠雄巨蛋とも)が完成した。
中国では、台湾とのスポーツ交流事業の一環として、福建省において野球・ソフトボールの拠点施設の整備が進められている。このうち、平潭総合実験区内の平潭島はその中心基地としての役割を担い、既存の野球・ソフトボール場を改築・新築する形で、総額39億人民元を投じて新たな野球場建設などを行う計画がある。同計画中には2万6千席規模のドーム野球場が含まれており、2024年に建設が開始される予定である[63]。
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