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志帥会

日本の自由民主党の派閥のひとつ ウィキペディアから

志帥会
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志帥会(しすいかい)は、かつて存在した自由民主党の派閥。1999年3月18日に村上正邦のグループに亀井静香のグループが合流して結成された。派閥の名称は初代事務総長の平沼赳夫が『孟子』の「志は気の帥なり」を由来として命名した[注 1]政治資金パーティー収入の裏金問題を受け、2024年1月19日に解散の方針が決定された[4]。2025年6月19日に総務省に解散届を提出し、同日付で正式に解散した[1]

概要 略称, 前身 ...
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沿革

要約
視点

村上・亀井派時代

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村上正邦

1998年11月30日に政策科学研究所(中曽根派→渡辺派→旧渡辺派)から山崎拓グループが近未来政治研究会(山崎派)を結成して分離独立した。12月に同派は村上正邦が新会長に就任して村上派となったが、派閥の弱体化は避けられなかった。実質的な同派のオーナーであった中曽根康弘と領袖の村上は、一方で派内の路線対立により清和会(三塚派)から離脱していた亀井静香グループと合流し、1999年3月18日に志帥会を結成した。

旧渡辺派から山崎派が分離独立する際、旧渡辺派所属の参議院議員については、当時参院幹事長で「参議院の法王」とも呼ばれた村上がまとめあげていたため、山崎派への賛同者は少なかったが、衆議院議員は中堅・若手の大半が山崎派に移行したため、旧渡辺派側は長老・ベテラン議員が多く残り、一方の亀井グループ側は、所属衆議院議員の半数以上を経験不足の当選3回以下の若手が占めていた。このため、共に影響力を削がれた少数派閥として両派は思惑が一致し、双方の「対等合併」により志帥会は一気に衆参あわせて60人規模の大派閥となった。

発足当初の構成

さらに見る 村上派(34名), 亀井グループ(11名) ...

1999年3月18日、初代会長に村上が、会長代行に亀井がそれぞれ就任。

江藤・亀井派時代

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江藤隆美

1999年7月に村上が自民党の参議院議員会長に選出されたことを受けて派閥を離れ、亀井が後任会長の候補に挙がるが、旧渡辺派から加入した山中貞則中山正暉のような頑固者の重鎮が多く、ベテラン達を束ねる力がないと思った亀井は江藤隆美に会長を打診したが、「俺は金がない、だから引き受けられない」と断られ、亀井は「金は私が出します」と江藤を説得し、江藤が第二代会長に就任した。亀井は会長代行のまま実務を担当[5]する。2000年6月25日の第42回衆議院議員総選挙櫻内義雄原健三郎が引退し、前通産相の与謝野馨、政調会長代理の桜井新ら中軸メンバー、中尾栄一木部佳昭佐藤孝行松永光島村宜伸などの落選が相次ぎ、11人の大幅減となり、政調会長の亀井は「人数より中身が痛い」と漏らした[6]。選挙後に発足した第2次森内閣では亀井が政調会長に留任し、谷洋一農林水産大臣平沼赳夫が通商産業大臣に就任した。2001年自由民主党総裁選挙には亀井が立候補したが小泉純一郎に敗れた。

派閥結成当初より、党内でも守旧派であったが、村上・小山孝雄KSD事件で受託収賄容疑で逮捕され議員辞職したため、柳川覚治繰り上げ当選2001年の小泉政権誕生以降は、江藤と亀井は、改革派の小泉の言ういわゆる「抵抗勢力」の代表格として、小泉改革を批判する急先鋒となった。

亀井派時代

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亀井静香

江藤の政界引退表明を受け、2003年10月10日に亀井が3代目会長に就任したが、亀井が会長に就任してから間もなく、同年の第43回衆議院議員総選挙における公認問題をめぐり、同派の最高顧問だった中曽根が小泉純一郎総裁により総選挙不出馬、引退に追い込まれた。

長年の持論であった郵政民営化を強力に推進する小泉に対し、亀井や参院亀井派会長の中曽根弘文らは強硬に反対。しかし、亀井の姿勢は小泉改革に賛同する水野賢一らの離反を引き起こした。亀井が「反小泉」の旗幟を鮮明にするにつれ、亀井派を離脱する議員もいたが、亀井は退会の意思を示した議員を引き止めず、「(亀井のトレードマークである)亀のバッジをつけていると、選挙に不利だから、亀のバッジをはずしてやってくれ」と逆に自派の議員たちを思いやった。

郵政民営化法案は、衆議院で亀井、元衆議院議長綿貫民輔、前総務会長堀内光雄、元郵政大臣野田聖子ら亀井派以外の派閥からも造反者が相次いだが、5票差で可決される。法案は参議院で中曽根弘文らの造反により否決され、小泉はただちに衆議院を解散する。解散後に亀井は志帥会会長を辞任して自民党を離党し、綿貫や元国土庁長官亀井久興らと共に国民新党を結党した。亀井派所属の農林水産大臣島村宜伸が、閣議衆議院解散に反対して辞表を提出したが、小泉に罷免された。

旧亀井派時代

亀井が志帥会会長を辞任した後、一時的に元経済産業大臣平沼赳夫が後任の会長に就任したが、衆議院での採決で反対票を投じた平沼も自民党から公認されず、無所属での出馬を余儀なくされたため、会長を辞任。これにより、伊吹文明が後任の会長に選出されるまで、志帥会会長のポストは空席となった。

伊吹派時代

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伊吹文明

2005年9月15日に郵政民営化法案で賛成した会長代行の伊吹が派閥の次期代表に内定したが、派内に反発の声があり、正式就任は見送られた。同年12月14日、島村を名誉会長に棚上げすることで、伊吹の正式な会長就任が決まり、「伊吹派」が発足した。「亀井派」のイメージを払拭するため、平沼が命名した「志帥会」の名称を変更することも検討されたが、派内の反発もあり断念した。

2007年3月15日、名誉会長だった島村が派閥を退会。これは、亀井の離脱以来、派内における主導権争いにおいて島村が伊吹と対立していたことや、島村が郵政解散に反対していた経緯から、「刺客」として選挙を戦った同派の西川京子鍵田忠兵衛との間に確執が生じていたことなどが原因と見られている。

9月の自民党総裁選で、伊吹派は古賀派や町村派と連携して麻生派を除く八派閥で福田康夫支持を固め、「麻生包囲網」を敷いた。しかし、伊吹派からは麻生太郎の総裁候補推薦人を5人も出したため、伊吹派は福田支持で固まっていない派閥と見られた。伊吹派の所属議員で、麻生支持を明確にした議員は28人中20人いた。

9月24日に新総裁福田の下で伊吹は幹事長に就く。志帥会から幹事長を輩出するのは派閥創設以来初で、中曽根派・渡辺派・旧渡辺派時代を含めても3人目である。幹事長就任に伴い、伊吹が形式的に派閥を離脱したため、中川昭一が会長代行に就任した。

伊吹は福田康夫改造内閣では財務大臣に就任したが1か月余で福田は首相を辞任する。5人が立候補した2008年自民党総裁選で伊吹派は麻生太郎幹事長の支持を派閥単位で決定する。麻生の盟友であった中川がいち早く麻生支持を表明し、9月4日の伊吹派役員会でその旨が確認された。麻生内閣の発足に伴い、河村建夫内閣官房長官に、伊吹に代わり中川昭一が財務大臣に就任した。のちに辞任する。

2009年第45回衆議院議員総選挙では次期会長候補の筆頭だった中川ら派閥メンバーの落選が相次ぎ、派閥領袖が苦戦する中、会長である伊吹も京都1区で敗れ、比例近畿ブロックで復活当選することとなった。選挙後、北海道7区で初当選した伊東良孝が加入した。

総選挙の惨敗を受けて派閥の勢力は大幅に縮小され、中川が10月に急逝する。2009年の総選挙で当選者が会長の二階俊博1人だった保守新党の流れを組む二階派と合併が模索され、11月5日に二階派の二階俊博、泉信也鶴保庸介の3人が伊吹派へ合流した。2010年1月に古屋圭司が議員グループのぞみへの参加を表明して休会し、事実上伊吹派を離脱した。2010年第22回参議院議員通常選挙に泉が出馬せず、政界を引退。新たに2009年の総選挙で落選し、参議院に鞍替えして出馬した片山さつきが当選後、加入した。同年8月には中曽根弘文が自民党参議院議員会長選挙への出馬を表明。「脱派閥」を掲げての出馬であるため、中曽根は伊吹派を離脱した(後に復帰)。

2011年5月12日に無所属中村喜四郎が無所属のまま特別会員として入会したものの、自民党入党は見送られた。中村は2020年9月立憲民主党に入党する。

二階派時代

第2次安倍内閣発足

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二階俊博

2012年12月26日に安倍晋三が内閣総理大臣に任命され、第2次安倍内閣が発足。同日、会長の伊吹文明が衆議院議長に選出され、慣例により同派を離脱したことに伴い、12月27日に二階俊博が後任会長となり「二階派」に移行した。事務総長の河村建夫も党四役ポストに格上げされた選挙対策委員長就任に伴い、同派を離脱。後任の事務総長は西川公也となった。

2014年9月の党役員人事で会長の二階が総務会長に就任したため、慣例として派閥を離脱。会長職は空席とし、選対委員長を退任した河村が会長代行に就任した。なお、対外的な呼称(通称)は引き続き二階派のままである。同年12月に伊吹が衆議院議長を退任し復帰。2015年石原派との合流論が浮上[7]したが、実現しなかった。

二階は郵政造反組復党問題で自民党を離党した議員や、民主党などの他党出身者を積極的に自派に引き入れた。無所属議員を特別会員(以前は客員会員)として受け入れ、自民党入党後に派閥の正会員とする[8]。郵政問題を巡っては、自民系無所属の長崎幸太郎が2013年に、小泉龍司が2014年に二階派特別会員となり[8]、2017年10月に正会員となって復党した[9]。自民党を除名されていた綿貫民輔の復党を二階派主導で党に働きかけ、復党を実現させた[10]

他党出身者では、民主党を離党した山口壯2013年12月に客員会員として入会し2015年1月に入党した。2016年夏には平野達男復興大臣が、2017年9月には元みんなの党代表の浅尾慶一郎がそれぞれ自民党入党と二階派入り(浅尾は2022年の第26回参議院議員通常選挙で当選後に麻生派に入会)を果たした[11][12][注 2]

2016年8月3日、第3次安倍第2次改造内閣が発足。前年11月に二階派に入会したばかりの今村雅弘復興大臣として初入閣した。同日、二階が自民党幹事長に就任した。二階派は幹事長派閥となり、二階は自民党総裁任期を「連続2期6年」から「連続3期9年」に延長する党則改正を主導した[13]

2017年4月25日、今村雅弘は二階派のパーティーで講演した際、東日本大震災の被害に触れ「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると、莫大な、甚大な額になった」と述べた。安倍首相はこの発言を重くとらえ、更迭を即座に決定。翌26日午前、今村は復興大臣の辞表を提出し受理された[14]

2018年10月2日、第4次安倍第1次改造内閣が発足。吉川貴盛桜田義孝を入閣させ、二階はここでも、他派閥からの移籍組を閣僚に押し上げる手腕を見せた[15]

2019年1月31日に元環境大臣で旧民主党・希望の党出身の細野豪志が無所属のまま特別会員として入会したものの、その時点での自民党入党は見送られた[16]2021年10月31日の第49回衆議院議員選挙の5日後11月5日に入党。同年の第25回参議院議員通常選挙では、民主党を離党した熊田篤嗣尾立源幸の擁立を主導した[17]。9月5日に鷲尾英一郎が入会した[18]。同時期に無所属元職の桜内文城も入会している[19]2020年7月に長島昭久が入会した[20]

党内の公認争いも厭わない二階派の拡大路線については、他派の一部からは強い反発がある[8]が、二階は「自民党が謙虚に受け入れるだけの雅量がなきゃダメだ」「仲間がそろってこそ、大きな力になる。それが政治だ。派閥政治のどこが悪いのか」と牽制した[21][22]

2020年8月28日に安倍が首相を辞任する意向を正式に表明[23]。9月14日の自民党総裁選挙で二階派の拡大路線を引き継いで内閣官房長官菅義偉の出馬に道筋を付け、細田麻生竹下の主要3派が菅支持に雪崩を打つきっかけをつくった[24]。二階が菅政権誕生を主導し、政権や党の人事で二階派議員が厚遇されたため、反発を生む[25]

2021年9月29日の総裁選で当初菅の再選を支持する方向であった[26]。出馬を表明していた岸田文雄が党役員の任期制限を公約に掲げ事実上の「二階外し」を訴え支持拡大を図ると、菅も党役員人事を行い二階を幹事長から退任させる意向を示したが、結果的に新役員人事を決めることができずに総裁選出馬を撤回した[27][28][29]。この流れに対し、二階は岸田の案に不快感を示し[30]、会長代行の河村建夫は菅が二階を交代させようとして「自ら墓穴を掘った」と話した[31]。総裁選には自主投票の方針で臨み、岸田以外の全候補に推薦人を貸した[32]。二階自身は支持候補を明らかにしなかったが、会長代行の河村、中曽根は高市の支持を表明した[33][34]岸田内閣では党四役から外され[35]、非主流派に転落したが[35]山口壯小林鷹之の2人が入閣した。

10月の第49回衆議院議員総選挙は引退者や落選者が相次ぎ、衆議院解散時に47名であった会員数は総選挙を経て37名となったものの[36]、新人議員の加入や元職の復帰などによって同年11月末の時点では40名代前半に回復した[37]。総選挙の直後である同年11月5日に細野豪志の入党が認められ、特別会員から正式な会員となった。自民党現職を破り初当選した三反園訓が、2022年3月10日に無所属ながら特別会員として志帥会への入会が了承された[38]

2022年4月、片山さつき地方創生担当相衛藤晟一沖縄北方担当相が退会、2023年2月と6月に泉田裕彦中川郁子両衆院議員が派閥を去った[35]

同年11月25日、総務省は2021年分の政治資金収支報告書を公表。宏池会と並び党内派閥4位の43名(当時)ながら2019年から2021年の3年連続で政治資金収入が党内派閥トップ(3億3599万円)であったことが明らかになった[39]

政治資金パーティーをめぐる裏金問題

2023年10月、神戸学院大学教授の上脇博之は、自民党5派閥が政治資金パーティーの収入を2018 - 2021年分の政治資金収支報告書に計4168万円分を過少記載したとする告発状を東京地方検察庁に提出した[40][41][42]。記載漏れの内訳は、清和政策研究会(安倍派)が1952万円、志帥会(二階派)が974万円、平成研究会(茂木派)が620万円、志公会(麻生派)が410万円、宏池政策研究会(岸田派)が212万円[41][43]。11月18日にNHKが上脇の告発内容や東京地検特捜部が5派閥の担当者に任意の事情聴取を要請し、聴取を進めていることなどを報じた[44]

11月22日に桜田義孝が11月30日付の退会届を提出し、派閥から課される政治資金パーティー券の300枚の販売ノルマを達成するのが難しいことを理由に挙げた。退会届は12月8日までに受理された[45][46][47]

12月1日に安倍派が所属議員が販売ノルマを超えて集めた分の収入を裏金として議員側にキックバックする運用を組織的に続けてきた疑いがあることが、朝日新聞によってスクープされた[48]。12月3日に、二階派も所属議員が販売ノルマを超過して集めた分を派閥側の政治資金収支報告書の収入に記載しない運用をしていた疑いがあることが報じられた[49]。記載しなかった総額は安倍派と同じ1億円を超えるとされた(安倍派についてはその後、5億円に修正された[50][49]。志帥会の政治資金収支報告書の記載内容は下記のとおり。

さらに見る 年月日, パーティー名 ...

12月14日に岸田文雄首相はこの問題の影響を最も強く受ける安倍派所属の閣僚4人、副大臣5人、政務官1人を事実上更迭した[56][57]。12月19日に東京地検特捜部は安倍派と二階派の事務所への強制捜査を開始した[58]。二階派に所属する閣僚二人の小泉龍司自見英子の去就に注目が集まったが、12月19日に岸田は両人について続投させると明言した[59]。12月20日、小泉と中野英幸法務大臣政務官が退会届を提出し、受理された[60][61][62]。12月22日に自見も退会届を提出したが、派閥側は退会を認めなかった。会長の二階は「大臣になりたい時は『ワンワン』と言っておいて。礼儀を知らない」と自見への怒りをあらわにした[63]

2024年1月6日、政治資金パーティーをめぐる裏金問題で、東京地検特捜部が二階と、事務総長経験者の平沢勝栄を任意で事情聴取したことが報道により明らかとなった[64]

同年1月11日、議員側が販売ノルマを超えて集めた分を派閥側に納入せずに懐に収めた「中抜き」の総額は、2018年 - 2022年の5年間で1億円に上ることが明らかとなった。二階派の直近5年間の裏金はキックバック分とあわせると2億円を超えるとされる[65]

解散

2024年1月19日、二階派は緊急の議員総会を実施し、そこにおいて会長の二階が「派閥を解散したい」と表明し、解散が決定した[4][66]。二階は総会後の記者会見において「政治への信頼を取り戻すために、志帥会(二階派)を解散するという結論に至り、先ほど、所属議員の了承を得た」と述べている[4]。また同日、5年間で計約2億6400万円を収入として政治資金収支報告書に記載しなかったとして二階派の会計責任者が政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で在宅起訴された[67]。同年6月21日に事務所を閉鎖した[68]。同年9月10日、元会計責任者が東京地方裁判所から禁錮2年、執行猶予5年の判決を言い渡された[69]。24日の控訴期限までに被告側、検察側双方が控訴しなかったため、地裁判決が確定した[70]

2025年4月15日、二階派に所属していた国会議員や元議員らが東京都内で会合を開き、派閥解散後の残金全額を党に寄付する方針を決めた[71]。同年6月19日、総務省に政治団体の解散を届け出て同日中に受理され、正式に解散した[1]

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所属議員の不祥事

  • 田畑毅 - 2019年2月6日、知人女性から準強制性交容疑で告訴され、盗撮で被害届を出された。同年3月1日、議員辞職した[72]
  • 秋元司 - 2019年12月25日、IR汚職事件をめぐる収賄の容疑で東京地検特捜部に逮捕された[73]
  • 河井案里 - 2020年6月18日、広島県内の地方議員や首長ら94人に投票や票の取りまとめを依頼し、計約2,570万円の報酬を渡したとして、夫の河井克行(安倍派)と共に東京地検特捜部に逮捕された[74]

政策

中曽根康弘亀井静香二階俊博三巨頭が二度に亘り結集した派閥である。村上正邦の影響によりタカ派色があり、親米保守色がある清和政策研究会ハト派色がある宏池会などとは一線を画していた。ただし、旗揚げ時は中曽根を擁しており、現在では清和研分裂組は派内にほとんど残っていない。二階の勧誘により入会するケースがあるのも特徴であり[76][77]、他党出身者も多く在籍する。二階自身も自民党の出戻りである。二階曰く来る者は拒まず、去る者は追わず[78]。二階の後輩議員の面倒見のよさは政界では有名な話であると日本経済新聞は報じている[79]

歴代会長

さらに見る 代, 会長 ...

※1 平沼の会長辞任後の混乱による
※2 伊吹の幹事長就任による
※3 二階の総務会長・幹事長就任による

解散時の構成

役員

さらに見る 会長, 会長代行 ...

衆議院議員

二階俊博
(13回、和歌山3区
林幹雄
(10回、千葉10区
今村雅弘
(9回、比例九州
平沢勝栄
(9回、東京17区
江﨑鐵磨
(8回、愛知10区
細野豪志
(8回、静岡5区
武田良太
(7回、福岡11区
谷公一
(7回、兵庫5区
長島昭久
(7回、比例東京東京18区
山口壯
(7回、兵庫12区
鷲尾英一郎
(6回、比例北陸信越
金田勝年
(5回・参院2回、比例東北秋田2区
伊藤忠彦
(5回、愛知8区
伊東良孝
(5回、北海道7区
松本洋平
(5回、比例東京・東京19区
大岡敏孝
(4回、滋賀1区
小倉將信
(4回、東京23区
勝俣孝明
(4回、静岡6区
小林鷹之
(4回、千葉2区
武部新
(4回、北海道12区
宮内秀樹
(4回、福岡4区
小林茂樹
(3回、比例近畿奈良1区
高木宏壽
(3回、北海道3区
鳩山二郎
(3回、福岡6区
小寺裕雄
(2回、滋賀4区
中曽根康隆
(2回、群馬1区
尾﨑正直
(1回、高知2区
国定勇人
(1回、比例北陸信越・新潟4区
平沼正二郎
(1回、岡山3区
三反園訓[注 3]
(1回、鹿児島2区

(計30名)

参議院議員

中曽根弘文
(7回、群馬県
鶴保庸介
(5回、和歌山県
自見英子
(2回、比例区
進藤金日子
(2回、比例区)
岩本剛人
(1回、北海道
梶原大介
(1回、比例区)
清水真人
(1回、群馬県
宮崎雅夫
(1回、比例区)
若林洋平
(1回、静岡県

(計9名)

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かつて所属していた人物

要約
視点

その他国政選挙落選・引退者

※は、国政選挙落選者、◆は、政界を引退した者、●は、現職国会議員のまま死去した者。括弧内は、議員でなくなった時点での議会所属。

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脚注

参考文献

関連項目

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