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土崎港

秋田県秋田市の地区名 ウィキペディアから

土崎港
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土崎港(つちざきみなと)は、秋田県秋田市北部の地区。単に「土崎」(つちざき)とも呼ばれる。土崎港北一丁目 - 七丁目、土崎港中央一丁目 - 七丁目、土崎港西一丁目 - 五丁目、土崎港東一丁目 - 四丁目、土崎港南一丁目 - 三丁目、土崎港穀保町と、住居表示未実施の土崎港御蔵町、土崎港下浜町、土崎港相染町、土崎港古川町がある。人口は19,975人(2020年10月1日現在、住民基本台帳人口調査[1]による)。

概要 土崎港, 国 ...
概要 つちざきみなとまち 土崎港町, 廃止日 ...
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近江谷発電所跡地(土崎南小学校)
碑文「明治34年 (1901)、近江谷栄次が近江谷発電所を開業し、この地に火力発電所を建設した。これが秋田の電気事業の始まりである。燃料は石炭を用い、60キロワットの電力供給を開始した。供給範囲は、土崎柳町新地、大工町、通町、茶町、大町など14町にわたったと伝えられている。」
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土崎空襲の爪痕を今に残す「首無し地蔵」(秋田市飯島・雲祥院)
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恋人の聖地」認定記念モニュメント「結び石」
(セリオンから港湾道路を挟んで向かい・「ベイパラダイス」横)

以降、本項では土崎と表記し、1941年昭和16年)4月1日に秋田市へ編入された旧南秋田郡土崎港町出羽国秋田郡土崎湊と周辺部についても併せて解説する。

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概要

秋田市の中心部から北西約7kmに位置し、市内では比較的人口が多い地区である。主に住宅街となっており、秋田市北部市民サービスセンターがある。また、重要港湾秋田港を擁し、中心にはJR奥羽本線土崎駅秋田駅から北へ2駅)と土崎神明社があり、西部にはセリオン(秋田市ポートタワー)、中心から南東すぐにはJR東日本秋田総合車両センター(旧名:土崎工場)がある。東には、陸上自衛隊秋田駐屯地が隣接する。東は将軍野、西は秋田運河を挟んで向浜、南は寺内、北は飯島と接する。

官公庁の出先機関が秋田市中心部のほかに多く立地しており、現在では秋田市の副都心的な役割も大きい。歴史的には、出羽国の都心的地位が長かった。

毎年7月に、土崎神明社の例祭であり国の重要無形民俗文化財に指定されている勇壮な祭り「土崎神明社例祭」(土崎港曳山まつり)が行われる。

歴史

要約
視点
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川瀬巴水『秋田 𡈽崎』(1928年・昭和3年)

土崎は雄物川の河口(現在は秋田運河)に位置する港町である。もともとは平安時代蝦夷討伐軍が拠点として築いた秋田城への物資の補給などに利用された港であった。これが元で昔から海運で栄え、室町時代には海の豪族とも言われる安東氏湊城を築き三津七湊の1つに数えられ、江戸時代佐竹氏久保田藩の藩港であり、北前船の寄港地でもあった。土崎地区の住所は「秋田市土崎港○○」であるが、これは1889年明治22年)の町制施行時に土崎港町として登録していたことに由来している。現在の秋田港は、当時の土崎港とその周囲に建設された。

明治以後、秋田市とその周辺では油田開発が進んだ。昭和時代前半には特に八橋油田の産油量が多く、秋田だけで国内産油量の70%以上を誇っていた。そのため、八橋に近く、さらに鉄道でも船舶でも輸送が可能な土崎には、大規模な製油所が立ち並んでいた。太平洋戦争末期の1945年昭和20年)8月14日には、100機以上のB-29からこの製油所の破壊を目的とした空襲(土崎空襲)を受け、土崎地区を含めて250名以上の死者を出した。これは太平洋戦争最後の空襲とされている7市に対する空襲の1つである。 1947年(昭和22年)8月14日昭和天皇の戦後巡幸があり、日本石油の製油所などを視察。天皇は、社長から爆撃の被害状況や会社の現況について説明を受けた[3]

八橋油田は戦後も開発が続き、昭和30年代に全盛期を迎えたが、現在の年間産油量は全盛期の1/10以下にまで落ち込んでいる。土崎にあった製油所は、秋田港に大型タンカーが接岸できないことや、消費地から遠いなどの理由により廃止された。

土崎港町は戦時中の1941年(昭和16年)4月1日に秋田市へ編入され、戦後は宅地開発が進んだ。特に国道5号(大正国道。現在は市道であり、旧国道と呼ばれている)のバイパスとして敷設された、土崎 - 山王を通る片側2車線の秋田天王線(通称:新国道)は、宅地の発展とともに秋田の大動脈道路となった。なお、現在は更に海側にバイパスが通り、そちらが国道7号になっている。

現在の土崎港地区は住居表示実施後の町名を基礎としたものになっているため、旧土崎港町全域を包含しているものの他地区であった地域も含んでいる[4]

年表

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Meacum(都)以東でAquita(秋田湊)以外の記載がない1596年の世界地図
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旧町名

要約
視点

土崎港地区内の旧町名と由来は以下の通りである。秋田市編入後は、これらすべてに「土崎港」が冠される。概ね北から順に並べているが、寺内字将軍野は南北を問わず土崎港地区の東一帯を占める。

旧町名は現在でも土崎港曳山まつりの町内名として残っている(記事「土崎神明社祭の曳山行事」の各年の奉納曳山 の項を参照)。

さらに見る 旧町名, よみ ...
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行政機関

秋田市の機関

秋田県の機関

その他の県域機関

国の機関

かつてあった行政機関

  • チャレンジオフィスあきた - 2020年(令和2年)中通2丁目に移転[22]

交通

鉄道

かつてあった鉄道

道路

一般国道
主要地方道
一般県道

バス

港湾

教育

高等学校

中学校

小学校

幼稚園

  • 土崎幼稚園(学校法人 加藤学園)
  • 土崎カトリック幼稚園
  • 港北幼稚園(学校法人 港北学園)

かつてあった教育施設

専門学校

  • 秋田県調理師専門学校 - 2021年(令和3年)3月閉校・現在の秋田県信用組合土崎支店に存在

施設

郵便施設

銀行施設

医療施設

  • 土崎病院
  • 五十嵐記念病院
  • あきたレディースクリニック安田
  • 舛屋薬局

商業施設

  • 本町通り商店街
    • 那波商店 - 酒造
    • 竹中商店 - 乾物
    • 佐川商店 - ふとん
    • 秋田みなと交通 - タクシー
  • 土崎港中央通り商店街
    • 白樺 - らーめん
    • 千田肉店 - 精肉
    • フジタ印房 - 判子

宿泊施設

スポーツ施設

かつてあった施設

銀行施設

  • 秋田銀行将軍野支店 - 2021年(令和3年)土崎支店内に移転[23]・かつて土崎港東2丁目に存在
  • 北都銀行土崎南支店 - 2019年(令和元年)土崎支店内に移転[24]・かつてイオン土崎港店内に存在
  • 土崎信用金庫 - 1995年(平成7年)秋田信用金庫に合併・現在の秋田信用金庫土崎支店と五十嵐記念病院に存在

医療施設

商業施設

  • いとく将軍野店 - 2015年(平成27年)自衛隊通店開店に伴い閉店・現在の株式会社かんきょうに存在
  • 薬王堂秋田土崎店 - 2023年(令和5年)閉店・かつて土崎港北6丁目に存在
  • ツルハドラッグ秋田土崎中央店 - 2014年(平成26年)閉店[25]・敷地は閉店後ニューライフ・カネタ土崎店が開店
  • ニューライフ・カネタ土崎店 - 2023年(令和5年)閉店・かつて土崎港中央1丁目に存在
  • サンデー秋田土崎店 - 2020年(令和2年)閉店・現在のダイソー土崎港店に存在
  • 洋服の青山秋田土崎店 - かつて土崎港南2丁目に存在

宿泊施設

  • ホテル大和 - 2023年(令和5年)破産により閉店[26]
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出身者

政治家・官僚

芸能・文化人

スポーツ選手

マスメディア

その他の出身者

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居住者等

名産品

脚注

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク

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