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岡山県の高校野球

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岡山県の高校野球(おかやまけんのこうこうやきゅう)は硬式野球を中心に岡山県における過去に行われた地方大会・春の選抜高等学校野球大会および夏の全国高等学校野球選手権大会プロ野球に進んだ選手の活躍などから、その歴史と高校野球部・選手および指導者の特徴を説明する。

歴史

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地方大会での歴史

要約
視点

中等学校優勝大会の1947年まで岡山勢は山陽地区大会で広島・山口勢の壁に阻まれ全国大会に出場したのは岡山一中(現岡山朝日)の1921年夏一回だけであった。 1948年高等学校選手権になると同時に岡山・鳥取・島根の東中国大会に予選地区の枠組みも変更され、関西が戦後初出場を果たす。

1990年以降夏の選手権が全国初出場となった学校が2017年に誕生

岡山県では1990年に初出場を決めた岡山城東以来、2017年夏の大会まで27年間、選手権の出場での春夏甲子園出場校が出ていなかった。 春は2008年に興譲館が甲子園初出場を決めている(2001年に玉野光南が選手権に初出場を決めているが甲子園の初出場は1990年の選抜。2015年に選手権初出場を決めた岡山学芸館の甲子園初出場は2001年の選抜)。2011年に金光学園が選手権岡山大会の決勝で関西を勝利まであと1アウトまで追い詰めたが、そこで同点に追いつかれ、その後延長で逆転負けを喫し、春夏通じて甲子園初出場を逃した。 岡山城東が初出場した27年後の2017年におかやま山陽がノーシードからの快進撃を続け、決勝では創志学園と対戦し再試合の熱戦を演じた。劣勢状態から8回に5点差を逆転。9回に再逆転されたが追いつき、降雨引分コールドゲームとなった。 翌日の再試合では序盤から主導権を握り、春夏通じて初の甲子園を決めた。

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県北部からの全国出場無し

1920年に岡山一中が初出場を決めてから2007年春まで、岡山県北部からは未だに甲子園へ出場した高校はない。

1967年春の大会で県北唯一の甲子園出場に内定していた津山商が転校してきて間もない生徒の起こした不祥事により辞退し、最近では1997年夏の大会で県北初の甲子園なるかと地元で報道された津山工が決勝で倉敷商に敗れているなど、あと一歩のところまでいったことは幾度もある。

要因として北部は冬のあいだ積雪が多く練習期間が短いためと思われがちだが、ここ数十年は練習場の改善や温暖化による積雪の減少で環境によるハンデは無くなったといってよい。どちらかと言えば北部の高校は軟式野球部が多く(県の指導により1962年の岡山国体に合わせ軟式に転向した学校が多数あった。)、またサッカーやラグビーでは全国へ度々出場する強豪もいることなどから地域性の違いとも思われる[独自研究?]

近年では県北初の甲子園を目指して、実績のある監督の招聘などチーム強化に乗り出している高校もある(作陽の角田篤敏など)。

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※ 転校してきて間もない生徒が起こした不祥事により辞退

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全国大会での歴史

降雨ノーゲームの明暗

  • 1965年の選抜で全国制覇を成し遂げた岡山東商は、春夏連覇を目指して選手権に出場。初戦の日大二は4-1と3点リードと、春の勢いをそのまま発揮していた。しかし5回表に降雨ノーゲームとされ、翌日の再試合では2-5で敗れてしまった。
  • 2003年の選手権では倉敷工が南北海道の駒大苫小牧に4回表まで0-8で、劣勢に立たされていた。しかし試合開始前から断続的に降り続いていた雨が勢いを増したため、4回裏2死一、三塁で降雨ノーゲームが宣言された。翌日の再試合で倉敷工はエース陶山が立ち直って、5-2と奇跡の勝利を手にした。この翌年から夏2連覇を達成した駒大苫小牧の原動力となった試合だと言われることもある[誰によって?]

甲子園16強以上の成績

  • 岡山東商: 優勝1回、4強2回
  • 岡山理大附: 準優勝1回、16強1回
  • 倉敷工: 4強4回、8強2回、16強3回
  • 関西: 4強3回、8強3回、16強3回
  • 岡山南: 4強2回、8強1回、16強2回
  • 倉敷商: 8強2回、16強1回
  • 岡山城東: 4強1回、16強1回
  • 玉野光南: 16強3回
  • 玉島商: 4強1回
  • 岡山一中(現岡山朝日): 8強1回
  • 岡山学芸館:16強1回
  • おかやま山陽:8強1回

国体制覇

選抜初制覇から6年後の1971年10月の和歌山国体で岡山東商は5対3で報徳学園を下し初優勝を飾っている。また2年後の1973年には玉島商が準優勝を飾るなど甲子園よりも好成績を収めている。 ちなみに2008年大分国体では天候不順により打ち切りのため、出場した倉敷商は1勝を挙げて終えた。

甲子園連続出場

  • 全国高等学校野球選手権大会の甲子園連続出場: 岡山南(1983年 - 1985年)、倉敷商(2008年 - 2010年)
  • 選抜高等学校野球大会の甲子園連続出場: 関西(2005年 - 2007年)、倉敷工(1957年 - 1959年)
  • 春夏通しての甲子園連続出場: 関西(2005年春 - 2007年春)

全国大会の戦績

名勝負

岡山東商vs倉敷工

岡山東商と倉敷工は1950年代から70年代まで、毎年のように両校もしくはどちらか1校が決勝に出場していた。1950年代~80年代までの31年間で岡山東商は16回、倉敷工は13回も決勝へ進出しており、両校は決勝で5度対戦している。

岡山三羽ガラス

1965年平松政次岡山東商大洋)、松岡弘倉敷商ヤクルト)、森安敏明関西東映)の三投手が甲子園出場をかけて名勝負を繰り広げ、岡山三羽烏と呼ばれた。後にそれぞれ異なるプロ野球チームに入り、三人ともエース級の活躍をした。また、三人の一年先輩に星野仙一倉敷商中日)がおりこの時期、岡山県は投手王国とも呼ばれた。

現在活動中の野球部

太字の学校は甲子園経験校、氏名は現役選手 ※旧校名は主なものを掲載

硬式

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軟式

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定時制・通信制軟式

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かつて存在した野球部

硬式

  • 岡山黌 - 閑谷黌(現和気閑谷)から独立、1933年廃校
  • 川崎医大附 - 廃部
  • 至道 - 落合と合併
  • 児島 - 現倉敷鷲羽、琴浦と合併
  • 琴浦 - 現倉敷鷲羽、児島と合併
  • 岡山産業 - 岡山東(現岡山東商)と合併
  • 児島一 - 現:倉敷翔南、2003年脱退・廃部
  • 黎明 - 現:岡山龍谷、1999年加盟、2000年脱退・廃部
  • 矢掛商 - 矢掛と合併、2008年硬式野球部廃部

軟式

  • 鴨方 - 軟式に転向、野球・サッカー・ラグビー部が合併しフィールド部になる。
  • 成羽 - 軟式に転向、高梁工・川上農と合併(現高梁城南)
  • 福渡 - 軟式に転向、金川と合併(現岡山御津)
  • 大原 - 軟式に転向、林野と合併。1963年山口国体優勝
  • 吉備北陵 - 軟式、平成20年高梁高校に併合
  • 高梁城南 - 廃部
  • 高梁城南・川上 - 旧川上農、軟式野球部。2010年、川上校舎閉鎖にともない高梁校舎に併合
  • 玉野 - 軟式、1982年島根県で行われたくにびき国体優勝
  • 落合 - 軟式、現真庭、久世と合併
  • 久世 - 軟式、現真庭、落合と合併
  • 蒜山 - 軟式、現勝山
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備考・注釈

関連項目

外部リンク

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