北区 (大阪市)
大阪府大阪市の行政区 ウィキペディアから
大阪府大阪市の行政区 ウィキペディアから
北区(きたく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つ。大阪都心6区の一角であり、隣接する中央区とともに、大阪市および大阪都市圏の中心業務地区(CBD)を成している。大阪市役所(大阪市庁舎)所在地である。
梅田・北新地・中之島・堂島・天満などの大阪における政治・経済・文化活動の中心となる街を多数擁し、隣接する中央区と共に大都市大阪の都心部を担っている。梅田・北新地を中心とした広域な繁華街・歓楽街はキタと呼ばれ、難波や心斎橋を中心としたミナミと双璧を成す大阪の一大商業エリアである。区の北端を淀川、東端を大川、南端を土佐堀川が流れている。
梅田地区は、西日本最大の鉄道ターミナルである大阪駅・梅田駅を有し、その周囲を超高層ビルが取り囲む、大阪における経済・交通の中心地の一つである。梅田には阪急電鉄・阪神電鉄によって早くからターミナルデパートなどの都市開発がなされ、現在では日本屈指の繁華街やビジネス街を形成している。東海道・山陽新幹線の停車駅である新大阪駅(淀川区所在)の開業により、梅田地区に位置する大阪駅の遠距離旅客のターミナル機能は大幅に低下したが、大阪駅および隣接する私鉄各社の梅田駅はそれぞれ阪神間・京阪間の都市間輸送における最大の拠点であり、加えて阪急大阪梅田駅は北摂方面、JR大阪駅は北陸・山陰方面からの大阪の玄関口としての地位を維持している。また、梅田は大阪のメインストリートである御堂筋の起点であり、御堂筋は梅田から中之島(淀屋橋)を経由して難波までを結んでいる。御堂筋の地下を走行するOsaka Metro(旧大阪市営地下鉄)御堂筋線は日本初の公営地下鉄である。
北新地は梅田の南側に位置しており、西日本随一の高級歓楽街として知られる。堂島川・土佐堀川付近の堂島・堂島浜・中之島エリアは、江戸時代から続く大阪の中心市街地であり、歴史的なビジネス地区でもある。江戸時代には世界初の先物取引所である堂島米市場が所在していた場所である。当時においては日本経済の中心として蔵屋敷が立ち並んでいたこのエリアは、現在でも多くの企業が本社・本店などを置く、大阪の中心業務地区(CBD)である。また、中之島には大阪市役所や日本銀行大阪支店など、重要な公的機関も立地する。
梅田や中之島のように、都会的な面がある一方で、近世からの市街地である区東部の天満には日本一長い商店街である天神橋筋商店街が発達し、戦災を部分的に免れた長柄・中崎町・中津などには長屋が密集するなど、下町的な情緒も残る。
また北区は、関西でもっとも活発に都市再開発がなされている地域であり、とりわけ梅田地区は、堂島・中之島や隣接する中央区の船場(北浜・道修町・本町など)などの伝統的なオフィス街を凌駕するほどのビジネス街へと発展している。大規模な再開発の進展により、伝統的な大阪の中心業務地区 (CBD) である船場や淀屋橋ではなく、鉄道交通の利便性が高い梅田に本社・大阪(関西)支社などを置く企業が増加した[1][2]。再開発は大規模なものではダイヤモンド地区、オオサカガーデンシティ(西梅田)、梅田貨物駅跡地のグランフロント大阪(うめきた1期)と続き、グラングリーン大阪(うめきた2期)で再開発が進行中。他に新梅田シティ(梅田スカイビル)、茶屋町、大阪ステーションシティ(JR大阪駅ビル)などの大規模再開発も行われた。
北区の昼夜間人口比率は349.5と中央区(516.6)に次いで2番目に高く[3]、2015年から2020年の人口増減率は12.7%と西区(14.5%)に次いで2番目に高い[4]。
上町台地から西部に位置し、発足時の旧北区は近世からの市街地だった地域で、蔵屋敷が並ぶ中之島、米取引の中心になるなど商家の多い堂島、青物市場が淀川沿いに並び、商業が盛んな一方大阪天満宮や寺町があるなど閑静な文化地区でもあった天満などからなっていた。一方、曾根崎新地・西天満の北側は曾根崎村・北野村で、前者のうちの梅田は水田地帯、後者のうちの茶屋町は菜の花畑を見るための茶屋が立ち並び、さらに北の中津など旧大淀区は中津川沿いの近郊農村であった。
近代以降、天満には国の造幣局の建設を皮切りに金属工業が栄え、中之島は蔵屋敷がなくなった後に市役所、学校、中央郵便局などが相次いで立ち並び、東端は公園となった。また梅田には東海道線の鉄道駅・「梅田ステンショ」(大阪駅)が建設され、大阪の表玄関として変貌した。旧大淀区では、中津川のあった場所には洪水対策として淀川の放水路・新淀川が建設され、多くの村が立ち退きにあったが、次第に大阪市街地に取り込まれ住宅地・工業用地になっていった。
昭和初期には中之島・堂島に大阪ビルヂングや大阪朝日新聞・大阪毎日新聞などのオフィスビルが並び、梅田には阪急や阪神など電鉄会社のターミナルには百貨店が併設され、映画館や劇場も立ち並ぶ繁華街が形成された。
1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風の暴風雨により豊崎第一小学校(大阪市立豊崎本庄小学校)、豊崎第三小学校(大阪市立豊崎小学校)、豊崎第四小学校(大阪市立豊崎東小学校)の木造校舎が倒壊。校舎の下敷きになるなどして児童の死傷者多数、特に、第四小学校は翌日の新聞報道の時点で死亡19人、負傷13人、行方不明3人と大きな被害を出した[5]。
1945年(昭和20年)の大阪大空襲でほとんどの地区は焼け野原となり大阪駅前は闇市になったが、戦後数十年をかけて区画整理された結果高層ビル街となった。また、戦後に発展の方向が北大阪に転じたこともあって、大阪市街の北玄関である梅田は巨大化の一途を辿り、オフィス街・繁華街ともに旧東区の船場や旧南区の心斎橋など伝統的な中心地を次第に凌ぐようになった。
2015年の国勢調査によると、北区の総人口は123,667人である。いわゆる「ドーナツ化現象」の影響で長らく人口は右肩下がりであったが、1990年代以降の都心回帰の流れを受けて回復しており、2005年の国勢調査ではおよそ35年ぶりに人口が10万人の大台に達した。その後も区内では都心型の超高層マンションの建設が盛んで居住人口は増え続けている。
北区(に相当する地域)の人口の推移 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
上記は一般路線バス。この他、大阪駅・梅田周辺に高速バスや空港リムジンバスも多数発着する。
(中学校)
(小学校)
(小中一貫校)
(生徒数減少に伴う統廃合により閉校)
前述のとおり近年は都心型の超高層マンションの建設が進んでるため集合住宅が増加している。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.