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群馬県から新潟県に至る一般国道 ウィキペディアから
国道18号(こくどう18ごう)は、群馬県高崎市から新潟県上越市に至る一般国道である。
関東地方、長野県北部、新潟県上越地方相互間を結ぶ重要な幹線道路である。全線でしなの鉄道や妙高はねうまライン等と並走している。また、概ね上信越自動車道と並走しており高速道路ナンバリングでも「E18」を継承している。上信越自動車道の開通後はその役割を譲りつつあるが、現在でも主要幹線道路として重要な役割を持っている。
群馬県内では碓氷川に沿って走り、碓氷峠を越えて長野県へ至る。長野県内では千曲川沿いに軽井沢や上田、長野、黒姫高原といった高原や盆地を通過し、妙高高原から新潟県に入る。新潟県内では関川沿いに緩やかに下り、妙高市を通って日本海に面した港町である上越市直江津に至る。
一般国道の路線を指定する政令[1][注釈 1]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
国道18号は、高崎市から北佐久郡御代田町は中山道、北佐久郡御代田町から上越市は北国街道を継承する路線である。前者には、箱根峠とともに難所とされた碓氷峠を含んでいる。
碓氷峠は、1878年(明治11年)に行われた明治天皇巡幸にあわせてとりあえずの改良がされたが、雨が降ればすぐにぬかるみになってしまうような簡易なものであった。実際、明治天皇巡幸の前日にも雨が降り、輿を通すことができずに天皇は輿を降りて自らの足で峠を越えることとなった。1883年(明治16年)2月より本格的な改良が行われ、翌1884年(明治17年)5月20日にいったん落成した後、1886年(明治19年)に碓氷新道が完成した。工事に際しては長野県が国庫補助を受けて担当し、工費およそ8万円をかけ、人員は延べ30万3千人に上った[4]。
現在の国道18号にあたるこの新道に沿って1893年(明治26年)に信越本線が開通した。当初は、主要地方道下仁田軽井沢線が通っている和美峠ルートでの敷設が有力視されていたが、新道の開通により資材運搬がしやすいという理由で新道に沿ったルートに変更されたものである。なお信越本線の開業前の1888年(明治21年) - 1893年(明治26年)には、新道上に馬車鉄道の碓氷馬車鉄道が敷設されていた。
1932年(昭和7年)10月から翌年10月にかけて全面的な改良が行われ、工費37万8千円が費やされて延べ21万1千人が工事に従事した。これによって幅員が6.4 mに広がったほか、勾配は15分の1以下、曲線半径は12 m以上となり、一部の区間について1車線分をコンクリートで舗装している。この工事の記念碑が県境に建てられ、内務大臣・山本達雄が題字を書いている[4]。
碓氷峠の区間は1956年(昭和31年)から拡幅や改良・舗装工事が進められていたが、屈曲部が184箇所もある事などから交通量に限界があり、南の入山峠を通る碓氷バイパスの建設が1966年(昭和41年)から始まり、1971年(昭和46年)11月に開通した。日本道路公団管理による有料道路となっていたが、2001年(平成13年)11月11日をもって無料開放された。
関東地方整備局管内
北陸地方整備局管内
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