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1961年の阪神タイガース
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1961年の阪神タイガース(1961ねんのはんしんタイガース)では、1961年の阪神タイガースの動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、金田正泰監督の2年目のシーズンであり、チーム名が「阪神タイガース」に変更された初のシーズンである。
概要
1946年3月から再び大阪タイガースと称していたが、1950年結成の二軍が1954年から阪神ジャガーズ、1957年から阪神タイガースと称しており、一軍も1961年4月1日をもって大阪タイガースから阪神タイガースに改称、同時に球団運営会社も株式会社大阪野球倶楽部から株式会社阪神タイガースに商号変更した。
親会社の阪神電気鉄道の略称である「阪神」を冠した形だが、大阪市と神戸市を中枢都市とする阪神都市圏において片方の都市名を冠することを避けた側面もある。「大阪」から「阪神」への改称直前、MLBのワシントン・セネタースが1960年シーズン終了後にワシントンD.Cからミネソタ州ミネアポリスへ移転する際、MLBで初めて都市名ではなく州名を冠したミネソタ・ツインズに改称した。ツインズが都市名を冠することを避けたのは、米国でツインシティーズとも呼ばれるミネアポリス・セントポール都市圏において片方の都市名を冠したNBAのミネアポリス・レイカーズ(現在のロサンゼルス・レイカーズ)がセントポールのファン獲得に失敗し、強豪チームでありながら観客動員数が伸び悩み、1960 - 61シーズン前にカリフォルニア州ロサンゼルスへ移転した一件が教訓になっている。
ホーム用は前年胸番号が追加されたこともあり変化はなかったが、ビジター用は長く使われた「OSAKA」に代わって「HANSHIN」ロゴに代わるなどマイナーチェンジが実施され、また胸番号の形状は背番号と同じに変更した。金田監督2年目のチームは優勝が期待されたものの、開幕戦でエース小山正明が打線の援護なく敗戦すると登板のたび負けを重ねた一方で、急性胃腸炎が完治した村山実が勝ち星を量産するなど投手陣のアンバランス状態が続いたチームは開幕から黒星が重なり、6月7日には金田監督が途中で休養し(そのまま辞任)、藤本定義ヘッド兼投手コーチが新監督に就任。金田の後を継いだ藤本新監督のもと、チームは8月以降巻き返し広島や大洋を抜いて4位に浮上したが、1リーグ時代の1949年以来12年ぶり、そして阪神タイガースとなって初のBクラスでシーズンを終えた。投手陣はリーグ2位の47完投をあげ、チーム防御率も2.60のリーグ4位と健闘。打撃陣はチーム打率1位の.244を記録し、チーム本塁打は80本で2位となるも、併殺打や失策が目立ちAクラス入りはならなかった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 遊 | 吉田義男 |
---|---|---|
2 | 右 | 横山光次 |
3 | 左 | 並木輝男 |
4 | 一 | 藤本勝巳 |
5 | 三 | 三宅秀史 |
6 | 中 | ソロムコ |
7 | 二 | 鎌田実 |
8 | 捕 | 山本哲也 |
9 | 投 | 小山正明 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 71 | 53 | 6 | .573 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 72 | 56 | 2 | .563 | 1.0 |
3位 | 国鉄スワローズ | 67 | 60 | 3 | .528 | 5.5 |
4位 | 阪神タイガース | 60 | 67 | 3 | .472 | 12.5 |
5位 | 広島カープ | 58 | 67 | 5 | .464 | 13.5 |
6位 | 大洋ホエールズ | 50 | 75 | 5 | .400 | 21.5 |
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入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
オールスターゲーム1961
→詳細は「1961年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
選手・スタッフ
試合結果
※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
※セーブ制度は1974年から
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個人成績
要約
視点
投手成績
※色付きは規定投球回数(182イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
- 完封合計は継投も含む
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字 はリーグ最高
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達成記録・出来事
表彰選手
出典
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