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1963年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
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日本シリーズ
個人タイトル
ベストナイン
オールスターゲーム
→詳細は「1963年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第35回選抜高等学校野球大会優勝 下関商業(山口県)
- 第45回全国高等学校野球選手権大会優勝 明星(大阪府)
大学野球
- 第12回全日本大学野球選手権大会優勝:慶應義塾大
社会人野球
- 第34回都市対抗野球大会優勝:積水化学
メジャーリーグ
→詳細は「1963年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ロサンゼルス・ドジャース(ナ・リーグ) (4戦全勝) ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)
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できごと
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1月
- 1月14日 - パ・リーグのオーナー、理事合同会議が午後1時より中之島の新大阪ホテルで開かれ、1963年度の開幕日を4月6日、年間試合数を150試合とすることを正式決定[4]。
- 1月16日 - セ・リーグは午後1時より銀座のスポーツマンクラブにて理事会を開き、今シーズンは28回総当たり制とすること、引き分け再試合を実施しないこと、などを決定[5]。
- 1月24日 - プロ野球実行委員会が丸の内のパレス・ホテルにて開かれ、コミッショナーの内村祐之を実行委員長とすること、12球団の球団代表全員を実行委員とする、野球協約の条文をわかりやすくする、等の案件をまとめたほか、オールスターを7月22日から26日に後楽園球場、東京スタジアム、神宮球場の順番で行うことなどを決める[6]。
2月
3月
4月
5月
- 5月2日 - 西鉄の高倉照幸が対近鉄4回戦でプロ通算1000安打を達成[14]。
- 5月9日 - 国鉄の金田正一が後楽園球場での国鉄対大洋第5回戦で先発し延長10回を完投して勝利投手となり、プロ通算300勝を達成[15]。
- 5月11日 - ロサンゼルス・ドジャースのサンディー・コーファックスが対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦において2度目のノーヒットノーランを達成、スコアは8対0。
- 5月14日 - 西鉄の玉造陽二が、平和台球場での対東映6回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[16]。
- 5月17日 - 【MLB】ヒューストン・コルト45sのドン・ノットバートが対フィラデルフィア・フィリーズ戦においてノーヒットノーランを達成、スコアは4対1。
- 5月20日 - 東京球場で開催予定の毎日大映オリオンズ対南海ホークス10回戦が濃霧で試合中止となる[17]。
6月
7月
- 7月6日 - 南海の皆川睦雄が日生球場での対近鉄16回戦に先発し、三回裏に近鉄打線にパ・リーグタイの1回8被安打を記録[21]。
- 7月7日 - 東映の張本勲が後楽園球場での対西鉄ダブルヘッダー第1試合の15回戦の一回裏に16号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[22]。
- 7月8日 - 東京球場での大毎対近鉄15回戦で、大毎が一回裏に四者連続二塁打のパ・リーグタイ記録[23]。
- 7月10日 - 西鉄の稲尾和久が西宮球場での対阪急15回戦の五回裏に本屋敷錦吾からこの試合で5つ目の三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成[24]。
- 7月20日 - 後楽園球場での国鉄対中日15回戦で中日は二回裏に1イニング5失策のセ・リーグ新記録[25]。
- 7月26日 - 【MLB】ヒューストン・コルツ対ニューヨーク・メッツ戦でメッツが3-7で敗れ、メッツはメジャー新記録となる20連敗[26]。
- 7月28日 - 巨人の王貞治が広島市民球場での対広島カープ17回戦1回表に大石清投手から右中間へ先制2ランを打ち、プロ通算100本塁打を達成(プロ32人目)。
- 7月28日 - 【MLB】ニューヨーク・メッツはコルツに2-8で敗れ、1890年にピッツバーグ・パイレーツが記録した22連敗と並ぶ[27]。
- 7月31日 - 南海の野村克也が大阪球場での対阪急17回戦に四番・捕手として先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[28]。
8月
- 8月1日 - 国鉄の豊田泰光が広島市民球場での対広島15回戦の一回表に10号2点本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[29]。
- 8月4日 - 第三十四回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場にて午後6時半から行われ、京都市の積水化学が室蘭市の富士製鉄を4-3で破り、大会初優勝[30]。
- 8月11日 - 後楽園球場での対巨人23回戦において、巨人の七回表、一死二、三塁の場面で阪神の投手・村山実が救援登板、巨人打者・池沢義行へのカウント2-2からの5球目を球審の国友正一はボールと判定し、村山がこの判定に怒ってマウンドから国友に向かい詰め寄る。国友は村山が暴言を吐いたとして退場処分とする[31]。
- 8月12日 - 【MLB】セントルイス・カージナルスのスタン・ミュージアルが記者会見し、今季限りで現役引退すると発表[32]。
- 8月17日 - セ・リーグは、夏の甲子園大会が雨で順延となり20日に甲子園球場で開催予定の阪神対大洋18回戦を延期すると発表[33]。
- 8月19日 - 大毎の山内一弘が西宮球場での対阪急19回戦の四回表に21号2点本塁打を打ち、プロ通算250本塁打を達成[34]。
- 8月20日
- 8月21日
- 8月25日 - 西鉄の稲尾和久が西宮球場での対阪急ダブルヘッダー第一試合の20回戦の九回裏から救援登板し、プロ通算500試合登板を達成[38]。
- 8月29日 - 南海の野村克也が大阪球場での対阪急23回戦の一回裏に35号2点本塁打、六回裏に安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[39]。
- 8月31日 - 広島は那覇市の琉球東急ホテルにて、社会人野球の琉球煙草の安仁屋宗八と正式に入団契約を交わし、沖縄出身の初のプロ野球選手となる[40]。
9月
10月
- 10月6日 - 【MLB】ワールドシリーズの第4戦がドジャー・スタジアムにおいて行われ、ナショナルリーグ のロサンゼルス・ドジャースがアメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキースに2対1で勝利し、4連勝で4年ぶり3度目の優勝達成。
- 10月15日 - 巨人は後楽園球場での対中日ダブルヘッダー第2試合の28回戦に7-0で勝利し、1961年以来2年ぶりのリーグ優勝を達成[46]。
- 10月16日
- 10月17日
- 10月20日
- 10月23日 - セ・リーグの全日程が終了[53]。
11月
- 11月4日 - 日本シリーズの第7戦が平和台球場にて行われ、巨人が西鉄を18対4で下し、4勝3敗で2年ぶり10度目の日本一を達成[54]。
- 11月7日 - 沢村賞の選考が東京運動記者クラブ加盟社の部長会によって午後1時から東京・有楽町のレバンテにて行われ、巨人の伊藤芳明を選出[55]。
- 11月8日
- 11月13日 - 大毎のオーナーの永田雅一は東京・京橋の大映本社にて、田宮謙次郎の引退を発表[58]。
- 11月11日 - 大洋は東京・大手町の大洋漁業本社にて記者会見し来季の新首脳陣を発表。野球評論家の別所毅彦がヘッドコーチに就任[59]。
- 11月19日 - プロ野球実行委員会が東京・丸の内の東京会館にて開かれ、来年度は東京オリンピックが開催される10月10日までに日本シリーズを含めた全日程を終了することなどを決定[60]。
- 11月21日 - 阪神は前大毎コーチだった杉下茂が投手コーチに就任したと発表[61]。
- 11月25日 - 国鉄は東京駅地下のレストラン「とうきょう」にて記者会見し、林義一が監督に就任したと正式に発表[62]。
- 11月30日
12月
- 12月5日 - 野球体育博物館に表彰掲載される野球人を選出する競技者表彰委員会は午後4時から銀座西のプロ野球コミッショナー事務局にて、元巨人の中島治康が選出されたと発表。11月25日に本年度の投票が開票されたが候補者全員が規定票数に届かなかったため、規定により上位6名を対象に再投票を実施した結果、中島が選出された[65]。
- 12月6日 - 巨人は球団代表の佐々木孜美が読売新聞本社へ復帰するため退任し、後任に読売興行取締役の佐々木金之助が就任したと発表[66]。
- 12月11日 - 西鉄は滝内弥瑞生が二軍内野コーチに就任したと発表[67]。
- 12月18日 - 東映は山本久夫と中日の寺田陽介とのトレードが成立したと発表[68]。
- 12月20日 - 大毎オーナーの永田雅一が午後、東京・京橋の大映本社にて記者会見し、山内一弘と阪神の小山正明のトレードが成立したと発表[69]。
- 12月25日 - 国鉄は小川善治が二軍投手コーチに就任したと発表[70]。
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誕生
1月
2月
3月
- 3月2日 - 井上祐二
- 3月10日 - 坂口千仙
- 3月13日 - マリアーノ・ダンカン
- 3月14日 - マイク・ロックフォード
- 3月22日 - リッチ・モンテレオーネ
- 3月26日 - ルイス・メディーナ
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
出典
Wikiwand - on
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