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1963年の阪神タイガース

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1963年の阪神タイガース
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1963年の阪神タイガース(1963ねんのはんしんタイガース)では、1963年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...

この年の阪神タイガースは、シーズン途中で就任をした1961年を含めて、藤本定義監督の3年目のシーズンである。

概要

 1リーグ時代の1947年以来15年ぶりに優勝を果たしたチームだが、さしたる補強もなくシーズンを開幕。前年優勝のご褒美としてチームはアメリカ・フロリダでキャンプを張ったものの、調整に失敗。このフロリダキャンプが影響したのかチームは開幕から大きく負け越し、5月までは5位に座るなどBクラス生活が続いた。6月以降は立ち直って3位まで順位を上げるが貯金と借金の繰り返しで、優勝した巨人に20回戦まで2勝18敗と最終7勝21敗で巨人優勝の大きくアシストをして、巨人と2位中日を捕まえることはできず最終的に69勝70敗1分の借金1の3位で終わり、連覇はならなかった。打撃陣は前年終盤に負傷した三宅秀史の穴を新外国人のフランク・ヤシックがカバーすることはできず、5月26日のダブルヘッダーの大洋戦(甲子園)ではで大洋の安打を1試合目の2回から2試合目の8回まで16回連続で無安打に抑えたが、第2試合目の0-0の9回二死二塁から初安打を打たれ敗戦するなど、シーズンで零敗24回というワースト記録をつくる[2]。投手陣は前年チーム勝ち星の大半を稼いだ小山正明村山実の二枚看板がそろって大きく成績を落とした。シーズン終了後1953年に入団以来11年以来チームのエースとして君臨した小山が山内一弘との交換で東京(この年まで大毎)に移籍し、チームは打線重視の時代を迎えることになる。

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チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 吉田義男
2 ヤシック
3 並木輝男
4 藤本勝巳
5 藤井栄治
6 ソロムコ
7 鎌田実
8 福塚勝哉
9 小山正明
さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1963年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ83552 .601優勝
2位中日ドラゴンズ80573 .5842.5
3位阪神タイガース69701 .49614.5
4位国鉄スワローズ65732 .47118.0
5位大洋ホエールズ59792 .42824.0
6位広島カープ58802 .42025.0

[1]

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入団・退団

シーズン開幕前

本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。

さらに見る 選手名, 背番号 ...

オールスターゲーム1963

さらに見る 監督, ファン投票 ...
  • 取り消し線は出場辞退

選手・スタッフ

  • シーズン途中から閉幕まで村山実が登録名を村山昌史に変更

試合結果

要約
視点
さらに見る 凡例, 勝利試合 ...
さらに見る 4月(4勝8敗0分 .333), # ...

※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
※セーブ制度は1974年から

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個人成績

要約
視点

投手成績

色付きは規定投球回数(196イニング)以上の選手

  • 太字はリーグ最高
  • 完封合計は継投も含む
さらに見る 選手, 登板 ...

打撃成績

  • 色付き規定打席(434打席)以上の選手
  • 太字 はリーグ最高
さらに見る 選手, 試合 ...
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達成記録・出来事

  • 4月25日 - 巨人6回戦(後楽園)で王貞治サイクルヒットを打たれる
  • 5月22日 - 村山実が登録名を村山昌史に変更することを発表する
  • 5月26日 - ジーン・バッキー大洋4回戦(甲子園)はが9回1死まで完全試合、その後は四球やエラーを続けるも2死2塁まで追い込むが、浜中祥和に初ヒットを許し、2塁走者の稲川誠(大洋先発投手)が生還してノーヒットノーランと完封は全て潰され、挙げ句の果て打線の援護がなく敗戦投手となった、9回2死までノーヒットで抑えそこから負け投手になったのは史上初。
  • 8月10日 - 村山昌史が巨人21回戦(後楽園)で先発し8回終了まで完全投球、9回先頭池沢義行にヒットを打たれ記録はつぶれたが後続を抑え同カードの連敗を10で止める
  • 8月11日 - 村山昌史が巨人23回戦(後楽園)、7回1死2、3塁のピンチにリリーフして1人目の池沢義行にボールカウント2-2の5球目の内角の際どい球に対し国友球審のボールの判定に激怒、暴言を吐いたために退場を命じられるも、村山がこの裁定に怒って飛びかかろう(に見える)としたのを、国友球審の左手が村山のアゴに当たる。この一件に対し村山は泣きながら「何もやってない」と主張。世に言う「村山の涙の抗議事件」[3]
  • 8月20日 - 大洋18回戦(甲子園)が開催予定だったが第45回全国高等学校野球選手権大会が雨天順延が続いたこともあり、当日の試合中止を8月17日に発表
  • 8月28日 - 村上昌史が中日18回戦(甲子園)、6回にジム・マーシャルから三振を奪い通算1000奪三振、史上26人目
  • 9月7日 - 巨人24回戦(甲子園)敗戦を喫し同一カード20敗目、同一カード年間20敗は球団史上初
  • 10月10日 - 中日26回戦(中日)で勝利し10連勝。二桁連勝は1958年7月19日国鉄18回戦(甲子園)から8月5日大洋16回戦(川崎)で10連勝(1分け含む)して以来5年ぶり球団史上7度目
  • 12月20日 - 小山正明大毎(翌1964年より「東京オリオンズ」)の山内一弘との交換トレードが成立。いわゆる「世紀のトレード」
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表彰

脚注

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