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日高光啓
日本のラッパー、音楽プロデューサー (1986-) ウィキペディアから
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日高 光啓(ひだか みつひろ、1986年12月12日 - )は、日本のラッパー、シンガーソングライター、トラックメイカー、音楽プロデューサー、実業家である。過去には、ジャニーズJr.としてジャニーズ事務所に在籍していた。 男女混合ダンス&ボーカルグループAAAのメンバーとしても活動。※AAAは現在活動休止中
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株式会社BMSGのCEOを務めるほか、過去にはインディーズの音楽レーベル「BULLMOOSE」を主宰していた。
ソロの音楽活動は「SKY-HI」(スカイハイ)名義。
「BULLMOOSE」レーベルに関しては、avex traxからのソロデビュー後は、休止状態になっていた。しかし、BMSG設立以後に BMSG社の主力社内レーベルの内の1つとして復刻され、現在では、Bullmoose Recordsとして運営されている。
トラックメイカーとして「SOURCEKEY」(ソースキー)名義[注 1]でも活動。千葉県出身。身長173cm。血液型O型。
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経歴
要約
視点
- デビュー前
未熟児として生まれ、左耳に軽い聴覚障がいがある。音楽を始めたとき、障がいから諦めようとしたが、父親から「左耳のおかげで人と違う音楽の聴こえ方ができる」と言われ、このままでいいと思えたという[1]。子供の頃の夢はプロサッカー選手であり、三浦知良に憧れていた[2][3]。
早稲田大学系属早稲田実業学校中等部・高等部および早稲田大学に通っていた。活動に専念するため中退[4][5][6]。小学生の時に学習塾、水泳、ピアノ、書道などを習う[7][8]。また、小学生の時に国語の全国実力模試で1位になったことがある[9][10]。中学受験はサッカーに打ち込みたいという自らの意思で挑戦した[11]。
中学生の頃、RHYMESTERのビデオを観たのがきっかけでラップを始めた。バンドを組んでいた時期もあり、担当はドラムだった[12]。
同じく中学3年の1月、友人とジャニーズ事務所に履歴書を送り、ジャニーズJr.となる。同期にはNEWSの小山慶一郎がいる[13][14]。
高校2年8月の時に「音楽を作る仕事につきたかった」という理由から就職活動の一環として「エイベックス男募集!」というオーディションを受け合格する[要出典]。A&Rなどの裏方の仕事に興味があったが、ジャニーズJr.としての活動経験があったことやラップに興味があったことなどからAAAのメンバーとなる[要出典]。
高校時代の先輩にUNISON SQUARE GARDENの斎藤宏介と田淵智也がいる。現在に至るまで付き合いが長い。
- 2005年
鈴木亜美の「Eventful」のバックダンサーをAAAメンバーの西島隆弘、浦田直也、末吉秀太と務めた。
9月14日、AAAのメンバーとしてavex traxからメジャーデビュー。メンバーでは主にラップを担当。曲のラップ部分は自身が作詞を手掛けている。
- 2006年
SEEDAのアルバム『花と雨』、KEN THE 390の1stアルバム『プロローグ』、TARO SOULの1stアルバム『SOUL SPITS』を聴き自分も実力のあるラッパーになりたいと決意し、AAAでの活動の傍らクラブシーンでのラップ活動を始める[15]。
この年にフリースタイルを始め、MCネームは床上手スリーという候補の中、SKY-HIという名前をULTRA NANIWATIC MC'S(餓鬼レンジャーのYOSHI)から貰っている。なお、クラブでの活動は事務所であるエイベックスには当時黙認での活動であり、本人も別物として活動をしていた[注 2]。
11月、Geenyの名義でAkicoとm.o.v.eのmotsuと「Mother Ninja」を結成した。
- 2008年
AAAのシングル「MUSIC!!!/ZERO」以降の表題曲に関しては「虹」「LIFE」を除き自身のラップパートが楽曲中に存在し、クレジットもされている。自身が歌唱しないラップパートのリリックを書くこともある。
- 2009年
1月26日、東京ミッドタウンホールにて行われた東京オリンピック・パラリンピック招致イベント「TOKYO MOVE UPトークスペシャル」にメンバーの宇野実彩子とともに出演する[18]。
- 2010年
1月23日、AAAメンバーの西島隆弘とともに出演する映画『サヨナライツカ』が公開される。
11月にSKI BEATZプロデュースのコンピレーション・アルバム『24 HOUR KARATE SCHOOL JAPAN』収録の「24 BARS TO KILL」のリミックス曲「96 Bars To Kill」、同年12月には2010年の日本語ラップするを代表する楽曲をトラックに使用した「JACKIN' 4 BEATS 2010」[注 3]をそれぞれSKY-HI名義でYouTube上に発表[19]。「JACKIN' 4 BEATS」は三部作として2012年まで毎年12月にアップロードされた。
- 2011年
8月よりHIP HOP総合サイトAmebreakとのコラボ企画『FLOATIN' LAB』がスタート。毎月様々なビート・メイカーのスタジオで様々なラッパーたちと楽曲を制作して、楽曲及びその制作過程をYouTube、Amebreakサイト内にて発表していく[19][20]。
- 2012年
5月30日に自身初のコンピレーション・アルバム『SKY-HI presents FLOATIN' LAB/V.A.』をリリース[21]。目標であったオリコンチャート左ページ(50位以内)[22]を上回るデイリーチャート最高16位、ウィークリーチャートで25位を記録する。アルバムを発売するにあたって、自身主宰のレーベル「BULLMOOSE」を立ち上げる。同年6月17日には新宿BLAZEにてリリースパーティーと題した初のワンマンライブが行われ、同年11月21日にはこの時のライブ模様を収録した『SKY-HI presents FLOATIN' LAB Release party Welcome to the "LAB"』がリリース[23]。
メンズファッション雑誌『WOOFIN'』(シンコーミュージック)の「WOOFIN' AWARDS 2012」で「BEST OF RAPPER」を受賞[24]。
- 2013年
2月には、デビューがまだであるが福岡・大阪・名古屋・東京のZeppにて初のワンマンツアーを開催した[25][26]。ツアーには専属DJのDJ Jr.やSKY-HI Dancersが同行。
8月、両A面シングル「愛ブルーム/RULE」でavex traxよりメジャー・デビュー。ROCK IN JAPAN FESTIVALやa-nationにも出演。
- 2014年
12月12日、2ndシングル「スマイルドロップ」をリリース。
3月12日、1stアルバム『TRICKSTER』を発売し、アルバムをもとにしたツアーを開催。
- 2015年
1月28日、自身主宰のレーベル「BULLMOOSE」から後輩(NIHA-C,Moro)らとのコンピレーション・アルバム「BULLMOOSE presents FLOATIN' LAB II」をリリース[27]。
3月18日、3rdシングル「カミツレベルベット」をリリース。7日、第7回『ガールズブロガースタイル2015S/S』に出演[28]。
7月15日、4thシングル「Seaside Bound」をリリース。
- 2016年
1月13日、5thシングル「アイリスライト」を発売して週間オリコンチャートで2位を獲得。初のトップ10入りを果たした。2ndアルバム『カタルシス』をリリース。
3月28日、自身の公式ブログで喉の手術をするため、4月の間は休止することを発表した。
5月11日、6thシングル「クロノグラフ」をリリース。
7月27日、7thシングル「ナナイロホリデー」をリリース。
9月23日、自身のLINE公式アカウントが開設され、「LIVE HOUSE TOUR 2016 〜ROUND A GROUND〜」の各公演終了後LINE LIVEを放送する。
12月14日、8thシングル「Double Down」をリリース。
12月15日、RAGツアーファイナルの東京公演1日目で、来年開催されるホールツアーの最終公演を日本武道館にて行うことを発表[29]。
- 2017年
1月18日、3rdアルバム『OLIVE』をリリース。
4月16日、「Adidas Originals by Italia Independent」のPRアンバサダーに就任。
4月22日、FM802キャンペーンソング企画にて結成されたユニット「Buzz Connections」からシングル「STAY TUNE」がTSUTAYAレンタル限定でリリース。
5月2日、3日の二日間、ツアー『WELIVE』最終公演を自身初の日本武道館にて行う。
5月31日、9thシングル「Silly Game」をリリース。
6月20日、「キョウボウザイ」を自身のYouTubeプライベートチャンネルにてフリー配信[30]。
7月11日、初のアーティストブック『水の上を歩くように簡単さ』(『OLIVE』収録曲「Walking on Water」から引用)発売[31]。童謡「桃太郎」をテーマとしたペプシコーラウェブプロモーションに参加[32]。
7月12日、自身のメールマガジンにおいて、2度目のRAGツアーを開催すると発表。前回のRAGツアーからバージョンアップし、海外公演も複数決定。
8月4日、高校時代の先輩でもある斎藤宏介(UNISON SQUARE GARDEN)主催の「SK's Session 2」にセッションアーティストとして参加。
8月9日、翌日10日に行われるSALUとのツーマンライブ「Say Goodbye to My Business」に向け、「RAPSTA」が緊急配信された。
8月14日、エド・シーランの「シェイプ・オブ・ユー」リミックスを自身のYoutubeプライベートチャンネルにてフリー配信。
8月19日、自殺対策強化月間に向け、「0570-064-556(Logic「1-800-273-8255」remix)」を自身のYoutubeプライベートチャンネルにてフリー配信。
9月7日、ツアー「WELIVE」日本武道館公演の模様がノーカットで音源化されリリース。27日には映像化され、『SKY-HI Tour 2017 Final "WELIVE" in BUDOKAN』がBD/DVDとなって発売された。
10月6日、ツアー「SKY-HI Round A Ground 2017」の予習用として、新譜2本と既存曲8曲の計10曲が収録された『Marble』がデジタル限定600円でリリース。
12月12日、自身の誕生日に行われたRAGツアーファイナルの東京公演2日目で、来年開催されるホールツアーの最終公演を幕張メッセにて行うことを発表。
- 2018年
2月22日、MARVELの映画『ブラックパンサー』のCMにラップで出演[33]。
3月21日、コラボレーション・ベスト・アルバム『ベストカタリスト』をリリース[34]。
4月3日、漫画家カメントツによる単行本『こぐまのケーキ屋さん』のCMで、こぐま役の声優を担当[35]。
6月27日、両面タイアップの10thシングル「Snatchaway/Diver's high」をリリース。(「Diver's high」には、UNISON SQUARE GARDENの斎藤宏介がギター&コーラスでゲスト参加しており、ツアー「Marble the World」4月21日の幕張公演にて、斎藤宏介がサプライズ出演。)
ミックステープ『FREE TOKYO』から収録曲「I Think, I Sing, I Say feat. Reddy」のMVが公開。韓国のヒップホップレーベル「Hi-Lite Records」に所属するReddyをフィーチャリングし、MVは分散型メディア「lute」のサポートのもと、Spikey Johnが手掛けた[36]。
8月7日、メジャーデビュー5周年を迎え、『FREE TOKYO』の配信がスタート。同月20日まではフリーダウンロード。
12月12日、自身の誕生日に約2年ぶりとなる、オリジナル4thアルバム『JAPRISON』をリリース。
- 2019年
12月12日、自身の誕生日にツアー「SKY-HI TOUR 2019 -The JAPRISON-」のファイナルとして2019年4月30日に行われた中野サンプラザ公演の模様が映像化され、『SKY-HI TOUR 2019 -The JAPRISON-』をBD/DVDでリリース。
- 2020年
開催予定だったツアー「SKY-HI Round A Ground 2020」が、新型コロナウイルス感染症拡大により開催を自粛。これを受け、3月7日にリハーサルスタジオから生配信ライブを行いTwitterで日本トレンド1位、世界トレンド3位を獲得する。5月6日には自宅で「#SKY-HI自宅ワンマン」を1人で生配信し、6月17日には東京の新宿BLAZEにて無観客ライブ「We Still In The LAB」、7月19日にはオンラインライブ「SKY-HI Round A Ground 2020 -RESTART-」を開催した[37]。
9月26日、自身の実家で行った配信ライブ「#SKYHI実家ワンマン -Family Homesession-」で、「才能を殺さないために」をスローガンとする芸能事務所、『株式会社 BMSG』を設立したことを発表した。エイベックスと共同設立するレーベル「B-ME」も立ち上げ、第1弾アーティストとして、以前より交流があったNovel CoreをBMSGに所属させ、B-MEよりメジャーデビューさせることも併せて告知された[38][39]。
自身が1億円を投資し、ボーイズグループ発掘オーディション「THE FIRST」を2020年末から開催[40]。
- 2021年
4月2日、2020年末から行われているボーイズグループ発掘オーディション「THE FIRST」の模様が日本テレビ系情報番組 『スッキリ』と定額制動画配信サービスHuluで放送及び配信が開始された[41]。
- 2022年
12月12日、自身の誕生日にアルバム『THE DEBUT』リリース[43]。
- 2023年
1月19日、自身主催のプロジェクト、『D.U.N.K. -DANCE UNIVERSE NEVER KILLED-』が始動[44]。
- 2024年
6月21日、ØMIとコラボレーション「Purple Pill feat. SKY-HI」リリース。
- 2025年
6月13日、本田圭佑が手がけるスポーツブランド「mgh」の発表会に登壇した[45]。6月27日、BMSGによる新たなオーディションプロジェクト「3rd BOYS GROUP AUDITION PROJECT『THE LAST PIECE』」の本編がBMSG公式YouTubeで配信を開始。TBSの『THE TIME,』でもコーナーとして放送される[46]。
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人物
SKY-HIの意味は「空のように高く無限の可能性を」。ソロとしてメジャーデビュー前にはMCバトルの大会にも参加していた。『ULTIMATE MC BATTLE』にも過去にエントリーし、予選に参加している[47][48]。なお現在バトルは引退している。
ピアノ、ドラム、ギター等、自身のファミリーバンド(SUPER FLYERS)へより正確で緻密な指示ができるよう、様々な楽器に触れている。なお、ドラムに関しては高校時代の先輩、斎藤宏介にスカウトされるほどの実力を持ち[要出典]、承諾してくれていたらきっと一緒にバンドを組んでいただろうと語っている。
AAAの楽曲は他の作詞家や作曲家が提供したものが主である中、デビューシングル「BLOOD on FIRE」ではラップ詞を担当していた。初期ではラップパートのある楽曲はシングル・アルバム含め稀であったが、クラブでの活動の経験が後のAAAの楽曲にも反映されたこともあり、ラップ詞以外にもAAA8枚目のアルバム『Eighth Wonder』に収録されているdrama(メンバーの西島隆弘と宇野実彩子によるデュエット・ソング)では作詞を担当するなど、メンバーで唯一楽曲の作詞に携わっている。『CHOICE IS YOURS』収録曲「BET」では作詞・作曲に関わっている。AAAの楽曲の中に取り組まれたラップが間奏のような扱いで、アイドル・ヒップホップ両方から理解されなかった時期もあり、苦悩したという[49]。グループでのレコーディングで自身がブースに入った際、ディレクターから「俺はラップが嫌いなんだよね。(レコーディングを)やっといてくれる?」と言われることもあったと述べている[50]。
大の音楽好きで、国、時代、ジャンル問わず詳しい。日本のアーティストであれば、B'zやMr.Children等から影響を受けている[51]。
人脈があり、ぼくのりりっくのぼうよみ、SALU、ちゃんみな、最上もが、きゃりーぱみゅぱみゅ等と仲が良い[要出典]。
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作品
シングル
配信シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
ベスト・アルバム
配信アルバム
コラボレーション・アルバム
その他アルバム
映像作品
参加作品
楽曲提供・プロデュース
書籍作品
著書
- 晴れるまで踊ろう(2022年4月15日、扶桑社)[83] ISBN 4594090834
- マネジメントのはなし。─あなたは改革を実現できる。(2023年3月30日、日経BP)[84] ISBN 4296201638
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ライブ
要約
視点
→AAAのメンバーとしてのライブについてはAAA (音楽グループ)#ライブ/ツアーを参照
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タイアップ
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出演
映画
- サヨナライツカ(2010年1月23日) - 東垣内健 役
ラジオ番組
- トレセンバラエティ「ACT A FOOL!! 」(2010年 - 2019年、FMヨコハマ)- DJ[97]
- ACROSS THE SKY「IMASIA」コーナー(2019年 - 、J-WAVE)- ナビゲーター
- DIVE TO THE NEW WORLD(2022年4月2日 - 、J-WAVE)
インターネット番組
- ミュージックニコ電★AAA日高とニコニコ電話♪
- AAA日高光啓の「生でSKY!?-Hi そうですかい。」(2011年2月 - 2012年4月)
CM
- デジタルハリウッド大学(2022年)[98]
- 麒麟麦酒「本麒麟」(2022年)[99]
MV
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受賞歴
脚注
外部リンク
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