『第50回NHK紅白歌合戦』(だいごじっかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1999年(平成11年)12月31日にNHKホールで行われた、通算50回目の『NHK紅白歌合戦』。
19時30分 - 21時20分および21時30分 - 23時45分にNHKで生放送された。
- 第44回(1993年)以来6年ぶりに放送開始時間が19:30(JST)に繰り上がった。
- 当時の史上最多の観覧応募総数598,753通(約208倍)の中から約3,000人がホールで観覧した。
- 両組司会については、紅組司会には2年連続での登板となる久保純子(NHKの女性アナウンサーが複数回紅組司会を担当するケースは初めて)、白組司会にはこの年の大河ドラマ『元禄繚乱』の主演・中村勘九郎(後の中村勘三郎)がそれぞれ起用された。前者は「NHK内の紅白司会者の希望アンケートで驚く程上位だったこと」、後者は「1900年代・1000年代を振り返るには赤穂浪士と歌舞伎が欠かせない」ということが選出理由とされた。歌舞伎役者からの司会起用はこれが初[1]。勘九郎はかつて、大竹しのぶとのデュエットシングル「愛の朝」を発売したことがある程度で、音楽への関わりはほとんどなかった[1]。勘九郎は司会発表会見で「(白組司会決定の際)重大な話があると聞かされ、(『元禄繚乱』内での)討ち入りのシーンの撮り直しかと思った」と述べ会場の笑いを誘った。
- 司会人選に関する報道は以下の通り。
- 『スポーツ報知』(10月時点) - 「紅組司会は藤原紀香(前回の審査員)か松嶋菜々子が有力」
- 『日刊スポーツ』(10月時点) - 「宇多田ヒカルの紅組司会が有力」
- 『スポーツニッポン』(10月時点) - 「紅組司会は黒木瞳(この年の『思い出のメロディー』司会)が有力」
- 『サンケイスポーツ』(10月時点・10月21日付) - 「紅組司会は久保の続投が大本命、小泉今日子と紀香が対抗に挙がる。白組司会は中居正広(SMAP)の続投が有力、爆笑問題(この年の『ポップジャム』の司会)の名前も挙がる」「爆笑問題が司会候補に挙がっている」[2]
- 同時期テレビ朝日系列『ニュースステーション』のメインキャスターを一時降板していた久米宏の白組司会起用説もあった。
- 合田道人『紅白歌合戦の真実』 - 「当初、宇多田の紅組歌手兼司会案もあった。宇多田が出場を辞退した(後述)ことに合わせ、このプランは立ち消えとなり、紅組司会の有力候補に上がったのは紀香、松嶋、黒木らである。この年の『思い出のメロディー』の司会が好評だった黒木は関係者から「『思メロ』の司会は紅白のテスト」という声がまことしやかに広がり、一時は本命と目された。一方、前回の高視聴率獲得から久保・中居の両組司会続投を推す声も多く上がった。最終的に紅組司会は久保が続投し、白組司会は勘九郎が選出された」
- なお、翌年の『大河ドラマ』の主演者が審査員に起用されることが慣例的な中、前回勘九郎の審査員起用はなかった(応援ゲストでの出演もなし。なお、同作出演者の松平健が審査員を担当)。
- オープニングは、東京上空からNHKホールに向かって飛んでいった不死鳥が、ホール内に入ってくるとステージに向かって飛んでいき、そのまま舞台上で消えて、花火が爆発する演出から始まった。
- 白組トップバッターのDA PUMPの歌唱前にここ2年間の白組司会であった中居正広が勘九郎を応援する場面があった。
- GLAYの曲紹介においては、白組司会である勘九郎と白組出場者(北島三郎・五木ひろし・中居正広・とんねるず・美川憲一)が裃姿になり、「白組贔屓」を願う歌舞伎の様式での口上を行った。
- 松たか子の曲紹介は勘九郎が行った。これは松と勘九郎が親戚、さらに松の初舞台の父親役が勘九郎だったことによるもの。その際、前回久保が自身が大ファンという理由で郷ひろみの曲紹介をしたことを挙げ、勘九郎が「去年の郷さんじゃないけど、この方だけ私に紹介させてほしいんです」と久保に対し述べた。
- 紅白に正規の出場歌手には選出歴のなかったV6[3]が第2部に、KinKi Kids[4]が第1部に、コーナーのプレゼンターとして登場[5]。V6が「Believe Your Smile」、KinKi Kidsが「フラワー」と互いに持ち歌のサビを歌唱した。KinKi Kidsはカウントダウンライブの出番終了からフジテレビ系列『LOVE LOVE2000』出演の合間を縫っての紅白出演となった[6]。
- 立川談志は勘九郎と友人関係であるが、勘九郎には内緒で鳥羽一郎の曲紹介前にステージに突然登場し、勘九郎を驚かせた。鳥羽一郎の曲紹介とは何ら関連はない。
- 当時プロ野球・東京読売巨人軍監督で勘九郎と親交がある長嶋茂雄から勘九郎と白組への応援の電報が届けられ、勘九郎によって読み上げられた。
- 勘九郎は本番前、西城秀樹の「Bailamos 〜Tonight we dance〜(バイラモス)」のことを「“バイアグラ”って言ったらどうしよう」と不安がり、総合司会の宮本隆治が「『バイ』と『ラモス』で区切って、間で確認をされては」とアドバイスした。本番では無事曲紹介を成功させ、その後、舞台袖で2人で抱き合って喜んだという[7]。
- 山川豊は2年越しの大ヒットとなった「アメリカ橋」を同作曲者・平尾昌晃と共同で2年連続で熱唱。前回は持ち時間上割愛された2番目の一部も今回はリピート部分を除いてフルコーラスで歌われた。
- 翌年の3月での解散を発表していたSPEEDがメドレーや別れを告げる鐘の音を入れた「my graduation」の特別アレンジ版「my graduation '99」を熱唱。終了後は紅組出場歌手や事務所の後輩である白組のDA PUMPらに讃えられた。
- 勘九郎が本番中に自身の携帯電話で『元禄繚乱』の共演者である渡辺えり子(現:渡辺えり)、大竹しのぶ、六平直政に連絡・生出演を打診し、3人は第1部の白組トリおよび大トリである前川清の歌唱前に登場。
- 「第50回」を記念し、今回の出場歌手の中で組司会経験もある和田アキ子、松たか子、加山雄三、堺正章、中居正広が久保・勘九郎とトークをするコーナーが設けられた。
- 応援合戦のゲストとして、85周年を迎えた宝塚歌劇団月組と勘九郎との縁で歌舞伎が登場した。宝塚と歌舞伎の共演は初めてである。
- かつて交際していた松田聖子と郷ひろみが第35回(1984年)以来15年ぶりに直接対決した[5]ことで話題になった。曲紹介時はそのことについては一切触れられなかったが、審査員の津川雅彦が聖子・郷に触れ「NHKもやるな」とコメントして、会場の笑いを誘った。
- 審査員の乙武洋匡が感想を述べる際では、宮本が乙武にマイクを向けるという形で行われた。
- NHKが実施した「21世紀に伝えたい歌」と言うアンケートの1位が美空ひばりの「川の流れのように」であったため、ひばりを慕っていた天童よしみが当曲を歌唱した。
- 五木ひろしは、『第15回日本レコード大賞』受賞曲であるにもかかわらずそれまで紅白で歌っていなかった「夜空」を歌った(アレンジが施されたものである)。
- 紅組トリは和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」で、2年連続の紅組トリ担当となった。審査員であった同曲の作詞者・阿久悠の目の前での歌唱であった。
- 白組トリおよび大トリは北島三郎の「まつり」。佐賀県唐津市の祭り「唐津くんち」から七番曳山の新町、「飛龍」とともに熱唱。
- 50回記念回だったため、トリはそれぞれ両軍の最多出場歌手から選出された[5]。
- 特別審査員審査では6-5で紅組がリードしたが、客席審査では1479-1217と白組が逆転し、6-7で白組の優勝。
- 優勝決定後、勘九郎は優勝旗授与のことを忘れ、出場歌手側に行こうとしたが、久保、宮本、和田に呼び止められ、優勝旗を受け取った。優勝旗を貰った勘九郎は羽織を裏返して裏地に描いた「白組優勝」の旗を翻す鳥獣戯画の模様を見せて羽織り、自身が演じた『元禄繚乱』における大石内蔵助役の演技そのままに白組歌手と勝どきを上げた。そして、エンディングでの「蛍の光」大合唱中に『元禄繚乱』にちなんで赤穂浪士の格好をした野猿他白組歌手が勘九郎を胴上げした。また、「蛍の光」終了後に和田が久保の頭を撫でる一幕があった。
- 番組終了後、BS2で『カウントダウンスペシャル』が引き続き放送され、総合テレビでも後座番組『ゆく年くる年』放送中の23:58(30秒)頃より画面が紅白終了直後のホール内の映像に切り替わり、紅白出演者および観客による2000年に向けてのミレニアムカウントダウンの模様が放送された。そのため、この年は「蛍の光」終了後にキャノン砲からテープを発射する演出は行っていない。『カウントダウンスペシャル』は同日の17:50 - 18:50の枠から翌1月1日の18:00 - 18:50まで総合テレビ・教育テレビ・衛星第1テレビ・衛星第2テレビ・ハイビジョン実用化試験放送でほぼ同時に断続的に放送(ただし、紅白終了後の深夜から朝は時差編成や教育テレビのみで編成)された世界各国の2000年への年越しの模様を放送する特別番組で、23:45からの枠もその一部である。この枠内ではエンディングを一度締めた後にアップテンポのアレンジが加えられた「蛍の光」の演奏が行われ、その後審査員に1人ずつ感想や統括のコメントをインタビューしたり司会陣によるフリートークで繋いだ後、上述のカウントダウンを1分前からホール全体で行った。年明け後は両軍の出場歌手から数組が年始の挨拶と2000年を迎えるにあたっての抱負などを述べた。締めくくりは同回のオリジナルソングとして制作された「21世紀の君たちへ〜A song for children〜」が出場歌手・審査員ら出演者により合唱された。通常、総合テレビの年越しの瞬間『ゆく年くる年』内でシンプルに進行しており、様々な形式(大勢が賑やかに迎えることが通例)で新年のカウントダウンが行われる民放テレビ各局の年越し番組とは確実な差異があるが、この際のみ例外であった。
- 「21世紀の君たちへ〜A song for children〜」の合唱は第1部ラストでも行われた。同曲は番組側が、「紅白50回」と「未来へのメッセージソング」と言うテーマでスティービー・ワンダーにオリジナルソングの制作を依頼し、さだまさしが日本語歌詞に翻訳したものである。
- 関東地区における視聴率[8]は、第1部の平均が45.8%と2部制になってから最高を記録した一方で、第2部の平均は50.8%と前回より約6ポイント低下。瞬間最高視聴率は郷ひろみが「GOLDFINGER '99」を歌い終えた頃の22:47で、56.6%である[9]。また、今回を最後に関東地区での平均視聴率50%台超は達成されていない。
- 勘九郎は「(紅白の司会は)最初で最後」と発言しており[10]し、翌年の第51回以後は応援ゲスト・ゲスト審査員としての出演のみとなった。
- この年の3月春改編期を以って同局「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさん・うたのおねえさんを卒業した速水けんたろうと茂森あゆみが、番組発のヒット曲となった『だんご3兄弟』のオリジナルシンガーとして出場したが、うたのおにいさん・うたのおねえさんとして再びNHKの番組に(時間と番組が違うとはいえ)出演するのは現行の出演者のイメージを重視するNHKとしては異例のことであり、非常に貴重な映像となっている。この2人の出演部分当紅白の映像は「NHKアーカイブス」で度々再放送されている。また、楽曲自体が2人の番組卒業間近の時期に発表・ヒットした関係で、速水・茂森が揃った形での『だんご3兄弟』の生歌唱自体が「おかあさんといっしょ」現役当時及び卒業後を含めて限定的な物となっており、速水・茂森による『だんご3兄弟』の披露は本紅白以降、2019年11月に開催された「おかあさんといっしょ」60周年記念のファミリーコンサートにゲスト出演した際に一部短縮したバージョンで披露されるまで20年に亘って途絶える事となった。
- 審査員の候補に上原浩治、松坂大輔、福留孝介も挙がっていたという[11]。
初出場、 返り咲き。
「伝説のスーパーヒーローショー」の曲目・歌手
「紅白50回ザッツ!エンターテイメント」の曲目・歌手
「スポーツヒーローショー」の曲目・歌手
50回という節目の回らしく大物・人気のタレントが大量に番組の随所に登場し、番組を賑やかに盛り上げた。
演奏ゲスト
- 佐久間正英:Hysteric Blueのベースサポート。
- coba:茂森あゆみ・速水けんたろうのアコーディオン伴奏。
- 渡辺貞夫:松田聖子のサックス伴奏。
- 塚田佳男:由紀さおり・安田祥子のピアノ伴奏。
- 宮川泰:エンディング「蛍の光」で指揮担当。
爆笑問題、歌手デビュー、SANSPO.COM、1999年10月21日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
曲順発表、日刊スポーツ、1999年12月21日付。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
前日リハーサル、日刊スポーツ、1999年12月31日付。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
メンバーの石橋貴明はとんねるずとして1回、木梨憲武はとんねるずとして1回、憲三郎&ジョージ山本として1回出場している。
出場歌手発表、日刊スポーツ、1999年12月2日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
本番、日刊スポーツ、2000年1月1日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
『読売新聞』1999年10月15日付東京朝刊、38頁。
- NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)