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全国高等学校野球選手権大会 (埼玉県勢)

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全国高等学校野球選手権大会における埼玉県勢の成績について記す。

歴史

要約
視点

2017年の第99回大会において花咲徳栄が全国優勝するまで関東地方で唯一選手権大会で優勝経験の無い県だった[1]。埼玉は特に浦和地域で高校サッカー(埼玉県の高校サッカー参照)の優勝が相次ぎサッカーが盛んになっていた半面、高校野球は1921年に地方大会に初参加して以降選手権大会への出場は戦前はなく[2]、1940年に大宮工が南関東大会の決勝に進出したのが県勢の最高成績であった。このため、県勢の高校が夏の甲子園の土を踏む事となるのは、戦後の1949年に熊谷が南関東大会に優勝して初出場するまでなかった。

1921年から1925年まで茨城・栃木・群馬・千葉と出場権を争う関東大会、1926年から1935年まで栃木・群馬と出場権を争う北関東大会[3]、1936年から1957年まで千葉[4]と出場権を争う南関東大会、1959年から1974年まで山梨と出場権を争う西関東大会で優勝しなければ出場できなかった。そのような中、1951年に熊谷が決勝進出、1957年に初出場の大宮、1973年に川越工がいずれも準決勝進出するなどの活躍を見せた。

埼玉大会が独立した直後の1975年は上尾、1986年に初出場の浦和学院、1988年には同じく初出場の浦和市立(現・市立浦和)が準決勝進出、1993年には春日部共栄が決勝進出するなど、県内私学や新興校の台頭が顕著となり、浦和学院を筆頭に春日部共栄、花咲徳栄、聖望学園と県内各地で強豪校が育つようになった。埼玉大会の決勝戦では公立高校の進出も見られる。第99回大会で県勢初優勝した花咲徳栄には、県から彩の国功労賞が贈られた。

私立優位の現状

近年、高校野球は全国的にも私立優位の状態が続いているが、埼玉県は特にこの傾向が顕著である。しかし、1985年に立教 (現・立教新座)が埼玉大会を初優勝 (選抜大会は1955年に東京から出場)するまでは県勢の私立高校の優勝はなかった (選抜大会は同年に秀明が初出場しており、これまた県勢の私立高校として初めてであった)。立教は1978年に県勢の私立高校として初の埼玉大会の決勝進出をしている。そして、1991年の埼玉大会の決勝は春日部共栄と聖望学園が進出して初の私立高校同士の対戦となってから、公立高校の決勝進出が少なくなっている。

これは、県の地理的な条件にあると推測される。埼玉県は密接している東京都の恩恵を少なからず受けており、都心近くに留学しようとする県外の者が多く集まりやすい傾向にある。私立高校がこれらの県外の有力選手を多く勧誘する為、公立の高校がなかなか勝てないという状態を生み出している。この傾向は県内にも現れ、東京に近い南部の高校は私立高校が強く、都心から離れた北部の高校は公立の高校がなかなか健闘しているという状態にある。

現在、埼玉大会単独では1995年の越谷西、記念大会時の南北 (東西)埼玉大会では1998年 (西埼玉)の滑川 (現・滑川総合)以来公立高校の優勝はないが、2001年以降も春日部東、坂戸西、所沢商、鷲宮、上尾、市立川越、白岡、川口が2001年、2002年、2004年、2006年、2008年 (北埼玉)、2014年、2015年、2018年 (南埼玉)にそれぞれ準優勝をするなど、現在も私立高校に負けず劣らず活躍している公立高校も存在する。

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大会結果

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通算成績

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学校別成績

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脚注

関連項目

外部リンク

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