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茨城県沖地震
茨城県沿岸沖合を震源として起こる地震 ウィキペディアから
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茨城県沖地震(いばらきけんおきじしん)とは、茨城県沿岸沖合を震源として起こる地震で、過去に数回発生している。このため、本記事においては発生年を付して「西暦年茨城県沖地震」と呼称することにより区別する。

概要
茨城県沖では太平洋プレートと陸のプレート(北アメリカプレート)境界で、M6.7 - 7.2の地震が繰り返し発生している。震源位置などから1920年代、1943年、1960年代、1982年、2010年前後の地震がこのタイプの地震とみられ、ほぼ同じ震源域を持っていると考えられる[1]。この震源域には少なくとも2つのアスペリティがあると考えられ、同時あるいはある程度の間隔で破壊されるとみられる[2]。平均発生間隔は17.6年で、2021年現在、30年以内にM7.0〜7.5の地震が発生する可能性は80%である[3]。
また、茨城県沖では日本海溝から太平洋プレートが、日本列島(東日本以北)を載せている陸のプレート(北アメリカプレート)の下に沈み込んでおり、茨城県の南部ではフィリピン海プレートが相模トラフから前述の2つのプレートの間に割り込む形で沈み込んでいて、複雑な構造になっている。このことから付近一帯は地震の巣とも呼ばれる、地震活動が活発な地域である[4][5][6]。
さらに茨城県沖は2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震 (Mw9.0) の震源域となっており、同地震(本震)発生直後にはMw7.7の余震と見られる地震も起きている[7][8]。地震調査研究推進本部では今後もM7を越える余震が発生する可能性があるとしている[9]。
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主な地震
要約
視点
1896年
1896年(明治29年)1月9日22時17分頃に発生した地震。地震の規模はマグニチュード M7.0。
1923年
1923年(大正12年)6月2日2時24分頃に北緯35度55.7分 東経141度29.0分で発生した地震。震源の深さは36 km、地震の規模はM7.1。約3時間後の同日5時15分に北緯35度44.1分 東経141度14.8分でM 6.8、最大震度5の余震が発生。
1924年
1924年(大正13年)8月15日03時02分頃に北緯36度24.5分 東経141度23.9分で発生した地震。地震の規模はM7.2。本震の約9分前(2時53分)にM5.6の前震が発生していた。本震から約5時間後の同日08時27分にM6.8、10日後の8月25日にM6.7の余震が発生。
1943年
1943年(昭和18年)4月11日23時46分ごろに北緯36度14.6分 東経141度25.7分で発生した地震。震源の深さは約9 km。地震の規模はM6.7。
1961年
1961年(昭和36年)1月16日16時20分頃に北緯36度7.9分 東経141度46.5分で発生した地震。震源の深さは約48 km。地震の規模はM6.8。
18日20時19分頃にM 6.4、21時12分頃にM 6.5。19日0時41分頃にM 6.5と規模の大きな地震が続発した。この地震で2つのアスペリティのうち東側が破壊されたとみられる[2]。明瞭な津波は観測されなかった[10]。
1965年
1965年(昭和40年)9月18日1時21分頃に北緯36度19.0分 東経141度28.0分で発生した地震。震源の深さは約40 km。地震の規模はM 6.7。
この地震で2つのアスペリティのうち西側が破壊されたとみられる[2]。
1982年
1982年(昭和57年)7月23日23時23分ごろに北緯36度11.0分 東経141度57.0分で発生した地震。震源の深さは約30 km。地震の規模はM7.0。
2008年
2008年(平成20年)5月8日1時45分に北緯36度13.7分、東経141度36.5分[12]で発生した地震[13]。震源の深さ約51km[12][13]。、地震の規模はマグニチュード (Mj) 7.0、モーメントマグニチュード (Mw) 6.9[13]。茨城県水戸市・栃木県茂木町で震度5弱を観測した[14][13]。また前震活動が活発で5月7日夕方ごろからM4から M5の地震が発生し、直前の1時2分には、北緯36.23度・東経 141.95度でM6.4、震源の深さ約60km、1時16分にはM6.3、震源の深さ18 kmの地震が発生している[15]。ともに、プレート間地震。2つのアスペリティのうち前震で東側の領域、本震で西側の領域が破壊されたとみられる[2]。
本震に対しては緊急地震速報が発表され、関東地方のほとんどと東北地方の一部が対象地域となった。高度利用者向け緊急地震速報は多くの対象地域で主要動が到達する前に発表されたが、一般向け緊急地震速報は発表するまで、およそ1分程度時間がかかり、ほとんどの対象地域で地震の主要動に間に合っていなった[16]。
また、震度5弱を観測した栃木県茂木町の観測について、数百メートル程度離れたところにある別の観測機では震度3の揺れだったこと、設置環境不備などにより当該観測点を移設することになった[17]。
東北・関東地方の広域で震度3以上を観測したほか、北海道から奈良県・大阪府・兵庫県までの広範囲で震度1以上を観測した。大阪管区気象台においても揺れが観測されている。
東北地方太平洋沖地震
→詳細は「東北地方太平洋沖地震」および「東北地方太平洋沖地震の前震・本震・余震の記録」を参照
2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震の震源域には茨城県沖も含まれ、本震発生後から2021年3月末までに発生した多数の地震は余震として扱われ、例えば本震が発生してから29分後にこの海域で最大余震が発生している[18][19]。
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その他の茨城県沖を震源とする地震
要約
視点
ここでは、茨城県沖を震源とするものの、地震の規模や震源域により茨城県沖地震に分類されない地震を扱う。
1938年
1938年5月23日午後4時18分頃、北緯36.34度 東経141.19度を震央として発生した地震。震源の深さは0 km。地震の規模はマグニチュード (Mj) 7.0、モーメントマグニチュード
(Mw) 7.7。地震断層による最大すべり量は5.7 mと大きく、震央位置も北側にあることから繰り返し発生する地震と扱っていない。福島県小名浜で83 cmの津波を観測[2]。
この地震を一連の塩屋崎沖地震の前駆活動としたり[20]、塩屋崎沖地震の一つとすることもある[21]。
2000年
2000年(平成12年)7月21日(金曜日)午前3時39分ごろ(北緯36.5度、東経141.1度)に発生した地震[22]。
震源の深さは約49 km[22]。地震の規模はM6.4[22][23]。
また、防災科学技術研究所が設置した強震観測網によれば茂木町で震度5弱相当(計測震度4.9)の揺れを観測した[24]。
2011年
東北地方太平洋沖地震の本震発生から約30分後の2011年3月11日15時15分ごろには、茨城県沖を震源とする、気象庁マグニチュード (Mj) 7.6、気象庁発表のモーメントマグニチュード (Mw) 7.7、アメリカ地質調査所 (USGS) 発表のモーメントマグニチュード7.9の地震があり、茨城県鉾田市で最大震度6強を観測するなど北海道から関西地方まで広い範囲で揺れが観測された[25][7]。
この地震は東北地方太平洋沖地震の最大余震であり[26]、西北西-東南東に圧力軸をもつ逆断層型のプレート境界型地震である。震源域は繰り返し地震のアスペリティより西側に位置し、すべり量が大きいことから繰り返し発生する地震とは扱っていない[2]。断層の大きさは70 km四方、最大すべり量は4.9 m[27]でおもなすべりは破壊開始点より沖合いの浅い場所で発生した。大きなすべりが起きた場所は本震のすべり域の縁辺部にある[28]。
本震による津波の影響で、はっきりとした津波の観測記録は不明であるが、震源位置や深さ、地震の規模、メカニズム等から津波が発生したと考えられ、本震による津波の後続波に影響を与えたとみられる[29]。
震度6強(計測震度6.0)を観測した鉾田市当間(防災科学技術研究所が設置した震度計)では、14時46分の本震の際にも震度6強(計測震度6.4)を観測している[31]。その後の調査により、この震度計では周辺の震度計に比べ2段階大きく震度が計測されている可能性が高いとされたため、気象庁が震度の発表を取りやめることになった[32]。
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脚注
関連項目
外部リンク
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