トップQs
タイムライン
チャット
視点
1964年の阪神タイガース
ウィキペディアから
Remove ads
1964年の阪神タイガース(1964ねんのはんしんタイガース)では、1964年の阪神タイガースの動向をまとめる。
概要
前年優勝を逃したチームは小山正明を放出してまで大毎の4番・山内一弘を獲得。投手陣は村山実に加えて3年目のジーン・バッキーがこの年からローテに入り、また捕手陣でも山本哲也や福塚勝哉に代わって前年入団の辻佳紀がレギュラーを獲得するなど、世代交代に成功したチームは1962年同様大洋との首位争いをペナント終盤まで展開。9月16日のダブルヘッダー第一試合終了時点で首位大洋に4.5ゲーム差をつけられ大洋の4年ぶり優勝が秒読みと言われたが(残り試合阪神9、大洋8)、9月20日の川崎球場での大洋との直接対決ダブルヘッダーで連敗でもすれば大洋の優勝が決まる中で連勝し、次の9月26日の甲子園での直接対決ダブルヘッダーでも1敗か2分でもすれば大洋の優勝が決まる中で連勝して大洋は全日程終了、残り3試合で2勝か1勝2分以上で優勝が決まる中、最初の2試合で勝ち切り9月30日の甲子園での中日戦(ダブルヘッダー第1試合)で2年ぶりのリーグ優勝が決定。チーム80勝のうち、村山とバッキーの2人で51勝を上げた(村山22勝、バッキー29勝)。 この年の日本シリーズは南海との対決となり第5戦に勝って一度は王手をかけるものの、甲子園に戻った第6戦以降打線が無得点に終わり、最終的には南海のエースジョー・スタンカの前に打線が封じられ3勝4敗で敗れ、山内や吉田義男などの奮闘もむなしく日本一を逃した。この年のシーズン途中、後に先発2番手として1970年代以降のチームを支える古沢憲司が16歳で入団し、プロ入り後即初登板を果たして一躍注目を浴びた。
Remove ads
チーム成績
1 | 遊 | 吉田義男 |
---|---|---|
2 | 二 | 本屋敷錦吾 |
3 | 中 | 並木輝男 |
4 | 左 | 山内一弘 |
5 | 右 | 藤井栄治 |
6 | 一 | 遠井吾郎 |
7 | 三 | 朝井茂治 |
8 | 捕 | 辻佳紀 |
9 | 投 | 村山実 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪神タイガース | 80 | 56 | 4 | .588 | 優勝 |
2位 | 大洋ホエールズ | 80 | 58 | 2 | .580 | 1.0 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 71 | 69 | 0 | .507 | 11.0 |
4位 | 広島カープ | 64 | 73 | 3 | .467 | 16.5 |
5位 | 国鉄スワローズ | 61 | 74 | 5 | .452 | 18.5 |
6位 | 中日ドラゴンズ | 57 | 83 | 0 | .407 | 25.0 |
日本シリーズ
Remove ads
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
オールスターゲーム1964
→詳細は「1964年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票による選出。
選手・スタッフ
試合結果
※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
※セーブ制度は1974年から
Remove ads
個人成績
要約
視点
投手成績
※色付きは規定投球回数(140イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
- 完封合計は継投も含む
打撃成績
- 色付きは規定打席(434打席)以上の選手
- 太字 はリーグ最高
Remove ads
表彰
達成記録・出来事
- 1月11日 - マイク・ソロムコと大毎の若生智男の交換トレードが成立
- 5月2日 - 山内一弘が巨人6回戦(後楽園)の3回に宮田征典から本塁打を放ち、これで通算266本目の本塁打となり、青田昇の持つNPB通算最多本塁打の記録を更新
- 5月3日 - 巨人7回戦(後楽園)で王貞治にNPB史上初の1試合4打席連続本塁打を打たれる
- 5月10日 - 国鉄11回戦(甲子園)に勝利し、2リーグ制以降球団通算1000勝目を挙げる、史上6球団目(1000勝820敗35分)
- 6月13日 - 村山実が国鉄12回戦(甲子園)で12回表にリリーフ登板し、その裏チームがサヨナラ勝ちしたため勝利投手となり、通算100勝を達成、史上37人目
- 6月21日 - 並木輝男が大洋15回戦(川崎)で高橋重行から本塁打を放ち球団通算1500号、史上4球団目
- 6月30日 - 広島15回戦(広島市民)で2回裏に無死一・二塁、広島の打者阿南準郎がバントを試みるも小フライとなり、これを投手の石川緑がダイレクトで捕球したかワンバウンドで捕球したかを巡って審判団と広島・阪神ベンチの間で紛糾し、約2時間半後、審判団はノーゲームを宣告[29]。場内放送で試合中止が宣告された後、ファンが暴徒化して球場施設を破壊するなどして球場が使用不可となり翌日と翌々日の同カードが中止となる
- 8月9日 - 山内一弘は中日17回戦(中日)に先発出場し、通算1500試合出場
- 9月1日 - 三宅秀史が巨人25回戦(甲子園)で8回に高橋明から本塁打を放ち通算100本塁打、史上39人目
- 9月30日 - 中日27回戦(甲子園)で12-3と勝利し、セ・リーグ優勝を決める
- 10月10日 - 日本シリーズの第7戦(甲子園)で敗戦を喫し南海に3勝4敗で敗退する
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads