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島朗
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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島 朗(しま あきら、1963年2月19日 - )は、将棋棋士。棋士番号146。高柳敏夫名誉九段門下。東京都世田谷区出身。
来歴
- 1980年四段プロデビュー。いわゆる「55年組」の一人である。
- 1988年度の第1期竜王戦で米長邦雄に4-0のストレート勝ちし、初代竜王に輝く。3組2位からの竜王戦出場・竜王位獲得は共に史上唯一である[注 1]。島が竜王になるとはほとんど予想されていなかったため、「シンデレラボーイ」と呼ばれた。翌年の第2期竜王戦では羽生善治に3勝4敗(1持将棋)で敗れた[注 2]。
- 第38期王将戦(1988年度)、第65期棋聖戦(1994年度後期)、第44期王座戦(1996年度)、第45期王座戦(1997年度)では挑戦者になるも、いずれもストレートで敗れてタイトル獲得はならなかった。
- NHK杯テレビ将棋トーナメントでは、第39回(1989年度)と第42回(1992年度)で準優勝となった。第42回の決勝戦の相手は同門兄弟子の中原誠で、NHK杯決勝戦初の同門兄弟弟子対決であった。
- 1989年度の第10回JT将棋日本シリーズでは準優勝。第4期竜王戦(1991年度)と第6期竜王戦(1993年度)では1組で優勝した。
- 2004年8月8日、静岡市民文化会館で行われた第25回JT将棋日本シリーズ1回戦第4局で藤井猛に勝ち、1046局目の対局にして通算600勝に到達。森内俊之に次いで、史上30人目の将棋栄誉賞に輝く[注 3]。
- 2006年度の第47期王位戦リーグで白組優勝を果たした。
- 2018年2月6日、第76期順位戦C級1組10回戦で、門倉啓太に勝ち、1471局目の対局にして通算800勝に到達。同じ55年組の南芳一に僅か半月程遅れる形で、史上21人目の将棋栄誉敢闘賞に輝く[1]。
- 2025年度より、「フリークラス宣言」によってフリークラスへ転出した[2]。年齢62歳・C級2組(降級点0)でのフリークラス転出のため、在籍期限は65歳を迎える2027年度末(2028年3月31日)となる。
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棋風
- 基本的に居飛車党であるが、著書には振り飛車を詳細に解説した大著「島ノート」がある[注 4]。
- 独特の美意識を持った人物であり、かつては形勢が不利になるとあっさり投了してしまうことから「早投げの代表格」とも呼ばれた[3]。しかし「自分の投了図を将棋ソフトに調べさせたら、何局も『優勢』と形勢判断された」ことから、2019年に「これからは早く投了しないようにします」と語っている[3][4]。
- 第61回NHK杯テレビ将棋トーナメント1回戦第18局で女流棋士の甲斐智美と対局。女流棋士との公式戦初手合となった。結果は甲斐のゴキゲン中飛車に対し、島が4筋の位を取る珍しい作戦にでて快勝した。流行型を指しこなしつつも、矢倉中飛車などの古くからある作戦に独自の工夫を加えていく島らしい戦型選択であった。
→「島朗 § 主な著書」も参照
人物
要約
視点
将棋
- 若手棋士との研究会や、パソコンによるデータ管理など、将棋界に新風を吹き込んだ[注 5]。中でも、羽生善治・佐藤康光・森内俊之が参加していた「島研」(1986年(昭和61年)頃から1990年(平成2年)頃まで)は伝説的研究会といわれる。島が名付けたのではないが、米長邦雄が各方面で言及した結果、定着した。島研のメンバーはのちに全員が竜王位を経験し[5]、島以外は全員が名人位につき、八冠いずれかの永世称号資格保持者となった。
- 島はNHK杯の解説で、指された手に対して数年前の対局の棋譜を並べだすこともよくあった。
- 若手時代は将棋と定時制高校の青春時代の反動からプレイボーイとなり[6]、第1期竜王戦ではブランド物(アルマーニ)のスーツで現れ、マスコミを賑わせた[注 6]。「高額な盤駒を購入するくらいなら、ブランドのスーツを買う」と述べたこともあった。2004年の談話では、「スーツを着るからには変なスーツを着るわけにはいかなかった。和服を着ておけば楽だったものを、一体当時は何を考えていたのか…」などと述懐している[7]。ただ2018年のインタビューでは、「(ウィキペディアにいろいろ書かれているために)アルマーニのスーツを着てタイトル戦に臨んだというイメージがあるようだが、1着しか持っていない」「当時は和服の着付けができなかったので、和服着用はハンデと考えたから」とも述べている[8]。
そして竜王戦の賞金は服と靴と車に消えた。当時バブル景気が賑わっていたと言う背景もあった。また、多額の税金も支払ったとされている[7]。 翌年の竜王戦は羽生善治との対戦であったが、初日の終了後に、羽生らとモノポリーに興じた[注 7]。
- 王座戦等の観戦記を執筆。棋士の観戦記には評論のような文章が多いとされるなかで、独特の文体と描写で物語のような文章となっている。
自著の「角換わり腰掛け銀研究」は1995年に第7回将棋ペンクラブ大賞著作部門大賞を受賞した。この本はあまりに詳細にわたる研究だったため、島自身も忘れている部分があり、若手棋士との対局で島がある変化手順について尋ねたところ、「島先生の本に載ってました」と答えられたというエピソードがあるほどである。
丸山忠久との相性
- 丸山忠久との相性が悪く、公式戦初対局から0勝21敗と完封されている(2023年10月6日現在)。ともにタイトル経験者(丸山は名人2期・棋王1期)かつA級在位経験者というトップ棋士同士で、これだけの大差が生じるのは非常に珍しい。非公式戦のため記録には計上されていないが、上述反則負けの際の相手も丸山であった。
理事や顧問として
- 2005年5月から2007年5月まで、日本将棋連盟理事(普及事業、出版、会館担当)を1期務めた。理事在任中の実績として栄光ゼミナール主催の小学生将棋大会「栄光ゼミナール杯」誘致がある[注 10]。
- 2007年7月 渉外・普及特別顧問(東北担当)という新たな肩書きを将棋連盟に作ってもらい、2008年4月には自身も宮城県仙台市へ引っ越して、東北地方の将棋普及に本腰を入れている。朝日新聞の2008年10月17日付朝刊(宮城県内版)の記事によると、対局で訪れた仙台にほれ込んだといい、将棋好きな梅原克彦仙台市長(当時)に頼み込んで、仙台青葉まつりで青空将棋教室を毎年開催している。
- 2011年5月、日本将棋連盟非常勤理事に就任。併せて、東北統括本部長に就任。
- 2012年3月、女流棋士の鈴木環那と、やまがた特命観光・つや姫大使に就任。任期は三年。また、あったかふくしま観光交流大使にも就任している[10]。
- 2013年1月、日本将棋連盟常務理事に就任[11]。
- 2016年10月10日 自宅で会合を開き、三浦弘行九段のソフト不正使用疑惑問題について協議した。(参照:将棋ソフト不正使用疑惑)
- 2017年1月19日、体調不良により、常務理事を辞任すると表明していた件が、理事会で承認された[12]。
その他
- 麻雀愛好家であるが、先崎学の著書には「ハマりすぎるために麻雀牌を川に捨てた」という記述がある。しかし、2013年3月に出版された自著である「島研ノート 心の鍛え方」には、麻雀牌を捨てたのは事実でも川には捨てていないとする旨の内容がp222-223に記載されている。また、大のパチンコ好きでもあると先崎学の著書[13]にある。
- 社会問題への関心も強く、「THE・サンデー」や「しんぶん赤旗」のコメンテーターとしても活躍していた。
- 竜王戦第一局前夜祭で花束を贈呈したミス川崎と交際して結婚したが、2016年に亡くしている[14]。2018年頃に鈴木環那の母親と再婚した。配偶者を癌で亡くした者同士の再婚だった[15]。
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弟子
女流棋士となった弟子
(2020年4月1日現在)
昇段履歴
→昇段規定については「将棋の段級」を参照
主な成績
要約
視点
獲得タイトル
は2025年5月現在の在位。登場・連覇の 太字 は歴代最多記録。
他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照。
タイトル | 獲得年度 | 登場 | 獲得期数 | 連覇 | 永世称号(備考) |
竜王 | 1988 | 2回 | 1期 | - | - |
名人 | - | 0 | - | - | - |
王位 | - | 0 | - | - | - |
叡王 | - | 0 | - | - | - |
王座 | - | 2回 | - | - | - |
棋王 | - | 0 | - | - | - |
王将 | - | 1回 | - | - | - |
棋聖 | - | 1回 | - | - | - |
タイトル獲得 合計 1期 / 登場回数 合計6回 | |||||
(1997年度王座戦終了まで)
- タイトル戦登場
- 竜王:2回(第1期=1988年度 - 2期)
- 王座:2回(第44期=1996年度 - 45期)
- 王将:1回(第38期=1988年度)
- 棋聖:1回(第65期=1994年度)
- 登場回数 合計 8回(1997年王座戦まで)
一般棋戦優勝
- 勝ち抜き戦(5連勝以上) 3回(第5回-1982年度・8回・9回)
非公式戦優勝
- 第16回 富士通杯達人戦 優勝
将棋大賞
- 第12回(1984年度) 新人賞・最多勝利賞
- 第16回(1988年度) 殊勲賞
在籍クラス
→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
年度別成績
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その他表彰
- 勝数表彰
- 2004年将棋栄誉賞(公式戦通算600勝達成、通算 1046局/ 600勝445敗、持将棋1/ 勝率0.574)[57] 8月 8日 -
- 2018年将棋栄誉敢闘賞(公式戦通算800勝達成、通算 1471局/ 800勝670敗、持将棋1/ 勝率0.544)[1] 2月 6日 -
- 現役勤続表彰
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日本将棋連盟役員
- 2005年 :日本将棋連盟 理事
- 2011年 :日本将棋連盟 非常勤理事
- 2013年 - 2017年:日本将棋連盟 常務理事
主な著書
- 角換わり腰掛け銀研究(1998年9月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-0066-3)
- 第7回将棋ペンクラブ著作部門大賞受賞作。
- 純粋なるもの(1996年11月、河出書房新社、ISBN 4-309-26300-3)(1999年、新潮文庫)
- 島ノート 振り飛車編(2002年11月、講談社、ISBN 4-06-211633-2)
- 講談社出版の将棋書籍として珍しいものだが、これは週刊現代に塚田泰明と交互連載していた「ハイパー実戦塾」の振り飛車部分を大幅に加筆修正したもので、将棋界でも画期的な名著とされている。特に、島が考案して紹介した「鬼殺し向かい飛車戦法」はネット将棋で一時期大流行し現在では4手目3三角戦法の一変化として残っている。また、島がインターネットを用いて読者の質問に答えたことも先例のないことであった。この本は元来もっと大部にする予定だったものの、「辞書になってしまう」という理由で現在のページ数に抑えている。
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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