館林市
群馬県の市 ウィキペディアから
群馬県の市 ウィキペディアから
館林市(たてばやしし)は、群馬県南東部にある市。昭和の大合併(1954年)に旧邑楽郡の1町7村が合併して市制施行。上毛かるたで「ツル舞う形」と喩えられた群馬県の「ツルの頭」に位置する。
今から約2万年前に館林に最初に人々が住み始めた事が確認されている。中世になると赤井氏、長尾氏、由良氏などが館林を本拠地とし、最終的には1590年に徳川四天王の一人である榊原康政が関東以北への押さえとして館林城に入り城下町を整備した。江戸時代の第五代将軍徳川綱吉が城主だった時期(25万石)もある。近隣農村からの農産物の集積地であったことや水が豊富であったことから明治維新後に近代的設備の加工業が興り、いちはやく近代化が進んで栄えた[2]。
ツツジの名勝・つつじが岡公園や、全国的に有名な分福茶釜の物語で知られる茂林寺、群馬県立館林美術館、製粉ミュージアムなどの観光地がある。
群馬県の平成の大合併以前からあった市としては、唯一市町村合併を行わなかった市であるが、邑楽郡大泉町を除く邑楽郡4町との合併に向けた研究会を設置していた。小麦が多く取れることから、日本のチェルノーゼムと自称している。また七五三は、館林城主徳川徳松の健康回復を願って1681年に始まったものが全国に広がった。
東毛地域と呼ばれる群馬県の東部に位置し、市域の北部は渡良瀬川を隔てて栃木県佐野市及び足利市、東部は群馬県邑楽郡板倉町、南部は明和町及び千代田町に、西部は邑楽町に接する。
南北を渡良瀬川、利根川の2大河川に挟まれ、鶴生田川が市街地を東西に、市西部を多々良川、近藤川が南北に流れ、茂林寺川、新堀川、新谷田川、谷田川が市南部を貫流している。城沼、多々良沼、近藤沼、茂林寺沼などの沼が点在する低湿地帯と台地(大宮台地から切り離された館林台地、主に低台地)から成り立っている。
2005年に8万人に達したが、その後は減少に転じた。2021年の人口は約7万4000人。
中国 | 556人 |
フィリピン | 313人 |
ブラジル | 299人 |
ペルー | 107人 |
韓国・朝鮮 | 104人 |
バングラデシュ | 80人 |
タイ | 78人 |
(2007年7月1日現在)
館林市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 館林市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 館林市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
館林市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
冬から春先にかけて北風(からっ風、赤城おろし)が吹き、夏は雷が多く発生する。
また、他県境付近の市(埼玉県熊谷市、群馬県前橋市など)と同様、夏の時期には40°C近い猛暑に見舞われることがある。
これらの猛暑の発生は、発達した太平洋高気圧がもたらす温かい大気が、当市の北西にある赤城山方面から、熱風となって吹き降りるフェーン現象のためである。
2001年から市民一斉気温測定を行い、市内の気温分布を調査している。アメダスの記録と比べ、露場が広く、芝生である館林城跡地では0.0〜0.4°C低く、交通量の多い道路沿いでは2〜3°C高い。館林市中心部では1〜2°C高く、郊外の森林や水辺では市街地より3〜5°C低いことから、高温は市街地で発生することが分かった(ヒートアイランド現象)。市民は打ち水や緑のカーテンなどで気温を下げる活動を行っている。2008年6月に「暑さ対策本部」(本部長は市長)を設置し、市民、企業、行政が一体となって暑さ対策に取り組むことになった。
アメダス観測所は2018年6月11日まで館林消防署(美園町)敷地内にあった。土の上に防草シートを敷いて設置されている他、周辺の立地条件などから温度が上がりやすいのではないかとインターネット上で指摘され、挙句の果てに「ズル林」などとも揶揄されてきた[9]。そんな中、観測所が6月12日群馬県立館林高等学校(富士原町)敷地内に移転された。温度に関する指摘の声を認識していた気象庁は、既存設備撤去後の消防署内の跡地に簡易観測装置を設置、新旧観測場所の観測結果を7月2日から10月1日まで公開、比較できるようにしている[3]。
館林市(館林地域気象観測所)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.9 (66) |
24.0 (75.2) |
27.1 (80.8) |
33.2 (91.8) |
35.4 (95.7) |
39.4 (102.9) |
39.9 (103.8) |
40.3 (104.5) |
39.3 (102.7) |
33.9 (93) |
25.4 (77.7) |
25.2 (77.4) |
40.3 (104.5) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.6 (49.3) |
10.6 (51.1) |
14.3 (57.7) |
20.2 (68.4) |
24.8 (76.6) |
27.4 (81.3) |
31.2 (88.2) |
32.7 (90.9) |
28.3 (82.9) |
22.4 (72.3) |
16.8 (62.2) |
11.8 (53.2) |
20.8 (69.4) |
日平均気温 °C (°F) | 4.0 (39.2) |
4.9 (40.8) |
8.5 (47.3) |
14.0 (57.2) |
18.9 (66) |
22.4 (72.3) |
26.1 (79) |
27.3 (81.1) |
23.4 (74.1) |
17.6 (63.7) |
11.5 (52.7) |
6.2 (43.2) |
15.4 (59.7) |
平均最低気温 °C (°F) | −0.7 (30.7) |
0.1 (32.2) |
3.4 (38.1) |
8.6 (47.5) |
14.0 (57.2) |
18.5 (65.3) |
22.4 (72.3) |
23.5 (74.3) |
19.8 (67.6) |
13.7 (56.7) |
6.9 (44.4) |
1.5 (34.7) |
11.0 (51.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −8.8 (16.2) |
−7.0 (19.4) |
−4.7 (23.5) |
−1.0 (30.2) |
3.6 (38.5) |
11.0 (51.8) |
14.6 (58.3) |
15.9 (60.6) |
10.2 (50.4) |
2.8 (37) |
−2.0 (28.4) |
−5.9 (21.4) |
−8.8 (16.2) |
降水量 mm (inch) | 37.2 (1.465) |
34.2 (1.346) |
70.1 (2.76) |
84.6 (3.331) |
114.2 (4.496) |
142.3 (5.602) |
158.6 (6.244) |
143.9 (5.665) |
167.9 (6.61) |
160.6 (6.323) |
56.0 (2.205) |
33.0 (1.299) |
1,202.6 (47.346) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 3.8 | 4.4 | 8.3 | 8.9 | 10.3 | 12.1 | 12.6 | 9.6 | 11.8 | 9.7 | 6.0 | 3.8 | 101.2 |
平均月間日照時間 | 212.3 | 194.9 | 196.9 | 196.4 | 189.6 | 131.1 | 152.7 | 175.5 | 133.5 | 142.4 | 168.6 | 193.8 | 2,087.6 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1978年-現在)[10][11] |
館林の地名が出てくる古いものに15世紀の歴史を記した『鎌倉大草紙』があり、応永22年(1415年)11月の終わりの條に、上杉禅秀が館林を討って上野国の過半を従えたと出てくる[13][14]。その後表記は館林、立林の両方が見られ、読みもたてばやし、たちばやしの両方があったが、永禄以降に現在の言い方に定まったと思われる[13]。
など
館林市が交流を持つ都市は以下の通り[21]。
豊田市・姫路市・上越市とは、1985年より榊原康政(館林城初代城主)に縁のある「榊原公ゆかり都市」として「四市市長懇談会」(「榊原サミット」)を開催する関係にある[21][23]。1996年5月29日には、災害時相互応援協定(「榊原公ゆかり都市災害時相互応援に関する協定」)を結んでいる[24]。
また、次の都市が館林市ウェブサイトでは交流都市に挙げられている[21]。交流名義は館林市ウェブサイトによる。
「大規模災害時における相互応援に関する協定書」を、桐生市・太田市・みどり市(以上群馬県)、足利市・佐野市(以上栃木県)、志木市と行田市
(以下埼玉県)、昭島市・練馬区(以上東京都)、龍ケ崎市(茨城県)との間で締結している[26]。このほか、各種の災害時相互応援協定を近隣自治体や上述「榊原康政公ゆかり都市」などと結んでいる。
公立
私立
県境付近に位置するため、半径25km圏内に群馬県(太田市)、栃木県(佐野市、足利市、栃木市の一部)、茨城県(古河市)、埼玉県(羽生市、加須市、行田市、熊谷市、久喜市、鴻巣市)のそれぞれ4県の市がある。
市の中心・館林駅は関東北部に広がる東武鉄道の鉄道路線網の核的存在の一つ。東京(北千住・浅草)方面と両毛地域3方面(太田・佐野・小泉)が分かれる。東京の浅草駅から館林駅まで特急列車「りょうもう」で58 - 65分。伊勢崎線の普通列車は館林駅を境に運行形態が異なっており、館林駅以北では全ての普通列車がワンマン運転を行うほか、系統も館林駅以南とは分断されているため、乗り換えが必要である[27]。
コミュニティバス「広域公共路線バス (館林市外四町)」を館林市および邑楽郡邑楽町・千代田町・明和町・板倉町の1市4町で共同運営している。単に「路線バス」とも呼ばれ、系統名も多用される。路線は館林駅を中心に市内各地・周辺市町へ伸び、また一部の系統を除き館林厚生病院を発着する。
館林市の「広域公共路線バス」の特徴は「広域・独占・低運賃・簡単」である。これは極力民営バスにありがちなデメリット(運行の偏り・事業者毎の分断・高い運賃・系統などのわかりにくさ)を取り除いたためである。この背景にあるのは「路線バスが存在しない市」の経験である。
1970年代頃までは、東武鉄道(現:東武バス)を含めて民間3社が市内や周辺自治体への路線バスを運行していたが、モータリゼーションの進行に加えて比較的平坦な土地だったことから自転車が普及し[28]、路線バス利用者が減少したため、1980年頃から路線の廃止が進み、1986年12月31日限りで茨城県古河市・栃木県下都賀郡藤岡町(現・栃木市)を結ぶ2路線が廃止された[28]。これにより、当時日本に653あった市のなかで唯一「路線バスが存在しない市」となった[28]。
その後、高齢者へのタクシーチケット配布の時期を経て、1993年から地元事業者2社に委託する形で広域公共路線バスの運行を開始。完全自治体主導による全市的かつ都市圏内共同の路線バス再構築が行われた。「路線バスが存在しない市」を経験した経緯を踏まえて利用しやすい特徴を持たせたため、地域の足として維持しようという意識も高く利用が多い。
各路線の詳細については「広域公共路線バス (館林市外四町)」の記事を参照。
隣接する邑楽郡板倉町や明和町と同様に、群馬県でありながら東北自動車道沿線にあるため、宅配便では隣接県扱いになる例が多い。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.