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日本の千葉県市川市にあるバス事業者 ウィキペディアから
京成バス株式会社(けいせいバス、英: Keisei Bus Co.,Ltd.)は、千葉県市川市に本社を置く京成グループのバス事業者である[1]。
京成バス本社(京成電鉄本社ビル内) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒272-8540 千葉県市川市八幡三丁目3番1号[1] 京成電鉄本社ビル内 |
設立 |
1999年2月9日[要出典] 2003年10月1日(営業開始)[1][2] |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 5010601029309 |
事業内容 |
一般乗合旅客自動車運送事業[1] 一般貸切旅客自動車運送事業[1] 特定旅客自動車運送事業[1] その他[1] |
代表者 | 代表取締役社長 齋藤隆[1] |
資本金 | 20億500万円[1] |
売上高 |
226億2900万円 (2020年3月期)[3] |
営業利益 |
7億7300万円 (2020年3月期)[3] |
経常利益 |
9億1600万円 (2020年3月期)[3] |
純利益 |
10億5,000万円 (2024年3月期)[4] |
総資産 |
184億7,400万円 (2024年3月期)[4] |
従業員数 | 1,613名(2021年03月31日現在)[1] |
主要株主 | 京成電鉄株式会社 100% |
主要子会社 | 東京BRT株式会社 100% |
外部リンク | https://www.keiseibus.co.jp/ |
「京成バス」はかつて京成電鉄のバス事業を指す通称であったが、同社バス部門の承継を目的として1999年(平成11年)に現在の京成バス株式会社が設立され[5][信頼性要検証]、2003年(平成15年)10月1日より営業を開始した[1][6]。本社は京成電鉄本社と同じ京成電鉄本社ビルに所在する(2013年9月17日、東京都墨田区押上から移転)。京成カード加盟店。
2023年10月1日に営業開始20周年を迎えた[7]。
東京都内の足立区・葛飾区・江戸川区から千葉県北西部にかけての京成電鉄・北総鉄道・JR東日本沿線を主な営業エリアとする。一部埼玉県に路線を持つ。また、成田空港発着路線をはじめとする高速バス路線を多数運行している。
京成電鉄では1990年代後半からバス事業の分社化を開始し、その際には営業所単位で分割する地域分社化の手法を採った。これは首都圏のバス事業者では最初期の地域分社化となった[2]。なお同年には神奈川中央交通が湘南神奈交バスを設立し、同様に地域分社化を開始している。1997年には京王帝都電鉄が京王バス株式会社(初代)を設立してこれに続いた。
1995年に最初の地域子会社として成東営業所を分社化しちばフラワーバスを設立[2]。1998年には松戸営業所白井車庫と船橋営業所船尾車庫を分社化してちばレインボーバスを設立した[2]。2000年には千葉営業所新宿車庫をちばシティバスへ[2]、佐倉営業所田町車庫をちばグリーンバスへ地域分社化した[2]。2001年には奥戸営業所を金町営業所の支所として高速バス担当とし[2]、一般路線を移管する形で京成タウンバスが営業開始[2][8][9]、これは都内初の地域分社化となった[2]。また同年には市川営業所塩浜車庫を京成トランジットバスへ移管[2]、市川営業所八幡車庫を市川交通自動車(現・京成タクシー市川)へ移管した[2]。また小湊鉄道など京成グループのバス事業者への路線移管も進められた。京成電鉄本体に残ったバス事業も、2003年10月1日に京成バス株式会社が営業開始してその一切を承継し、京成グループのバス分社化は一旦完了した[2]。さらに2005年には京成バス株式会社の貸切・特定バス事業を京成バスシステムへ分社化[2]するとともに、翌2006年からは一部の一般路線も移管した[2]。
京成電鉄はこのようにバス事業の地域分社化を進め、比較的輸送密度の高い地域を京成バス株式会社へ譲渡することで完全に分社化する形をとろうとしたが、バス部門すべての移管に対しては労働組合の強い反対もあってなかなか実行には至らず、列車の運行を1日間運休するストライキが計画されたこともあった。京成バスの会社設立から営業開始までに4年以上もの年月を要した背景にはそうした事情があった。[要出典]
京成バスは、2003年(平成15年)10月1日に京成電鉄からバス事業を譲受して営業開始した[1][2]。ここでは、京成電鉄時代を含めたバス事業の沿革について記述する。
京成バスの歴史は、1930年(昭和5年)5月10日に京成電気軌道(京成電鉄の当時の社名。以下「京成」とする。)が子会社として京成乗合自動車を設立したことに始まる。京成は、これに先立って自社の鉄道周辺に路線を有する東葛乗合自動車(市川国府台 - 船橋間)、千葉バス(船橋 - 千葉間)、両総自動車(千葉 - 東金間)の3社を買収していたが、経営上の判断からこれらの路線を直営とはせず、新たに京成乗合を設立して運営を同社にあたらせる事としたのである。
京成は次いで1931年(昭和6年)12月に浅草を起点に玉ノ井・四ツ木・立石周辺に路線を有し、電車線に一部並行していた隅田乗合自動車を買収した。同社は自動車商の梁瀬(現・ヤナセ)による開業で浅草へ安価且つ乗り換えなしで出られる交通手段として京成電車の手強い競争相手となっていた。このため、買収には相当の努力を注いだと社史に記されている。京成は、同社を買収後しばらくは監督下に置く形で営業させていたが、1932年(昭和7年)7月に至り直営化に踏み切る事となり、自動車課及び寺島営業所を設置してその事業一切を継承した。
東京においては、1933年(昭和8年)に中島理一より四ツ木 - 亀有間を、1934年(昭和9年)に上平井乗合自動車より四ツ木 - 上平井 - 新小岩間を継承し、さらに北は新宿・金町・水元猿町へ、東は奥戸へと路線を延ばした。これにより従来の車庫が手狭となった事から1935年(昭和10年)に奥戸に新車庫を設置、1937年(昭和12年)には寺島営業所をここに移転して奥戸営業所とした。また、同年には奥戸から江戸川を越えて市川八幡へと路線が延び、これによって千葉県内の路線との連絡が図られた。
なおこの間、千葉県内では1934年(昭和9年)3月に京成乗合自動車を統合して千葉営業所とした後、周辺事業者の買収による積極的な路線拡張策がとられていた。1935年(昭和10年)には松戸に拠点を置く東葛乗合(前記の東葛乗合自動車とは異なる)を買収し、松戸駅 - 八柱霊園 - 藤ヶ谷方面の路線を継承(ちばレインボーバス参照)すると共に松戸営業所を設置した。続いて、同年中に同じく松戸の渡辺敬蔵より松戸から市川・金町・流山へ向かう3線を継承し、松戸営業所に組み入れた。また、1936年(昭和11年)には東金 - 八街間などに路線を有する東金自動車を買収、1937年(昭和12年)には習志野 - 実籾間や船橋 - 木下間などを運行する習志野乗合自動車を買収し、習志野営業所を設置した。
戦争による物資不足により、バスの正常運行が困難となる中で、1940年代に入り、バス事業者の統合は必至の状況となった。京成は、まず東京市周辺において常磐線東南地域の統合主体事業者の指定を受け、これに従い東武鉄道より千住大橋 - 堀切間の路線を譲り受けたのに続き、1942年(昭和17年)に東京地下鉄道より旧葛飾乗合自動車の路線の大半を譲り受け、小松川営業所を設置した。
次いで、千葉県内においても千葉市を中心とする地域の統合主体となり、1943年(昭和18年)に成東自動車を統合して成東営業所を設置、さらに同年、森田祐吉経営の共立乗合自動車を統合して市川営業所を設置するなどした。さらに、1944年(昭和19年)に九十九里自動車と千葉市街自動車を併合(九十九里自動車は同時に京成の傘下となった九十九里鉄道にそのまま譲渡)し、路線網を飛躍的に拡張した。しかし、戦況悪化の影響により、その大部分は休止せざるを得ない状況であった。
この節の加筆が望まれています。 |
京成電鉄の社史『京成電鉄85年のあゆみ』によれば、1957年(昭和32年)に日本で最初にワンマンバスを運行したと書かれている。しかし大阪市交通局で1951年(昭和26年)6月1日にワンマンバスを運行開始しているため、京成バスが日本初ではないが、民営バスとしては日本初といえる。
バス事業の分社化後には、京成バス・京成タウンバスの都内路線が一日乗り放題となるIC一日乗車券が発売された(Suica・PASMOのみ対応、大人520円、小児260円)。
京成電鉄は戦前の創立期より各バス路線に路線名を付しており、京成バスになってからも路線名は使われ続けている。昭和50年代まではバス車内に路線案内の掲示(現在の路線図とは別のもの。路線図も隣に掲示されていた)があり、そこに路線名が記されていたため、乗客もそれを容易に知る事ができた。その後、概ね1980年代中期より車内には路線図のみが掲示される様になり、路線名はなじみの薄いものとなった。しかし、路線の新設・廃止・改変時には路線名を示しながら案内することも行なわれている。
一方、系統番号はまず東京都内全域のバスについて利便性を高めるために、東京バス協会の旗振りのもと、全社一斉に近い形で番号が振られた。番号のつけ方は各社でまちまちだが、京成の場合は原則として一路線名に1つの番号を割り当てた。したがって、途中で分岐しようが、折り返し便であろうが、出入り便であろうが、同じ路線に属せば同じ系統番号である。この付番方法は都営バスと似ている。ただし、戸ヶ崎線は金町駅を境に分割して運行しているため、例外的にそれぞれ別の番号が割り当てられた。
京成バス株式会社となり、千葉県内の一般路線についても同様の系統番号を付すようになった。ただし、千葉県内については東京都内のように路線名ごとに系統番号を割り当てず、枝分岐を単位として一つの番号を割り当てた。2009年(平成21年)3月31日、最後まで系統番号が付されていなかった市川営業所担当路線にも系統番号が付され、千葉県内の一般路線全てに系統番号が付されることとなった[10]。この系統番号付与は、分社化で設立された京成トランジットバスやちばシティバスでも実施された。
一般路線の営業所は以下の通りである。なお、各路線の情報はその属する営業所の記事にて示す。括弧内の英数字は車番に冠される営業所表記である。
〔 〕内は共同運行会社
近・中距離高速バス路線の営業所は以下の通りである。
羽田空港発着の高速路線は、1988年(昭和63年)7月の千葉線開業を皮切りに、東京ディズニーランド、海浜幕張地区へと順次拡大し、さらに1990年代末頃より、西船橋、津田沼、小岩など総武線駅に至る路線が急ピッチで開設された。2018年(平成30年)には東京外環自動車道(外環)が高谷JCTまで延伸したことに伴い、松戸への路線を開設した。
2022年(令和4年)2月現在、系統の統合・延長を経て、以下の様な路線網となっている。いずれも、羽田側に営業基盤を有する京浜急行バス、東京空港交通のどちらかが共同運行会社に入っている。
成田空港発着路線では、1980年代末よりONライナー(大宮線)と千葉線の運行を開始し、2000年代に入り急速に路線網を拡張した。
2000年(平成12年)以降に開設された路線としては、相模大野(2000年6月開業、2004年に橋本へ延長)、本厚木(2001年6月)、吉祥寺(2001年7月)、所沢(2003年)、新百合ヶ丘(2003年4月)、新富士(2003年11月)、小岩(2004年5月)、辻堂(2007年3月、2009年に茅ヶ崎へ延長)、大泉学園(2007年7月)、横浜線・横浜市営地下鉄グリーンラインの中山(2008年7月)、市原・木更津・君津(2013年4月、一部路線改編の上で運行再開[14])、大崎(2016年10月)への各線がある。
東京駅発着路線は、元々東関東自動車道経由で少数運行されていただけであったが、1998年(平成10年)以降、日東グループとの共同運行により、東京湾アクアライン経由で房総方面に向かう路線が相次いで新設された。
2014年(平成26年)7月23日より、八重洲ロータリービル1F・2Fに乗車券類の発売窓口や待合所等の設備を兼ねた「京成高速バスラウンジ」を開設[21]。
千葉県内には「高速○○」という停留所が多数あるが、これは高速道路上の停留所ではなく、一般道路上にある高速バス専用停留所を意味する。
2020年(令和2年)6月現在、以下3路線が運行されている。かつては佐倉方面や千葉ニュータウン方面にも路線を持っていたが、現在は前者がちばグリーンバス、後者が成田空港交通にそれぞれ運行移管されている。
長距離高速路線はいずれも夜行運転であり、主に関西方面に向けて以下の路線が運行されている。各路線とも千葉県内を起点に西船橋駅・東京ディズニーリゾート周辺や、都内を経由して運行される。運行回数はいずれも1往復である。
この他、成田空港 - 仙台間(ポーラスター号)[注釈 2]、海浜幕張 - 和歌山間(サウスウェーブ号)、千葉 - 京都間(きょうと号)があったが[注釈 3]、ポーラスター号、サウスウェーブ号は成田空港交通に、きょうと号は千葉中央バスにそれぞれ移管され、京成バスでは予約などの運行支援業務のみを行っている。
国内で大型自動車を製造・販売している4社のうち、いすゞ自動車、日野自動車、三菱ふそうの3メーカーとまとまった取引がある。旧日産ディーゼル工業(現・UDトラックス)は一部のコミュニティ路線や高速路線用に京成本体でもごく少数購入したが、京成グループでは新京成バス(現・松戸新京成バス・船橋新京成バス)と九十九里鉄道への納車が大半を占めていた。また、幕張地区用として連接車(新都心幕張線用連接バス)を製造できるスウェーデンのボルボと、ドイツのダイムラー(メルセデス・ベンツ)から購入したことがある。
過去の[いつ?]貸切車には、各車ごとに花にちなんだ愛称がつけられ、イラスト入りの円形プレートが取り付けられていた。この頃の貸切車の塗装は路線車と同じものであった。
一般路線車は、一部の例外を除き、新都心・長沼営業所、習志野出張所では日野車、松戸営業所では三菱ふそう車、その他の営業所ではいすゞ車が選択されている。ただし、現在では車庫の移転や管轄営業所の変更、路線の新設・廃止・移管、他社への移譲などにより、以前に比べると営業所毎のメーカー統一は崩れており、3メーカーの車両が配置されている営業所もある。
各営業所とも配置車両の大半を大型車が占めており、それも標準的な車長の2扉車が主流である。前乗り先払い方式の都内使用車には、終点ターミナルでの降車時間短縮のため、降車扉(中扉)を幅の広い4枚折り戸としているものが多かったが、ノンステップ車が主力になった現在は一般的な引き戸が基本となっている。なお、千葉県内にも4枚折り戸の車両は存在するが、これは都内と同じ目的で一部の前乗り路線用に導入されたものと、車椅子用スロープを設置する際の構造上の制約からそうなっているものとがある。また、ラッシュ時に利用者の特に多い幕張地区や一部の団地路線では全長のやや長い3扉車が使用されていたが、1990年代末以降、新規には導入されておらず、代わって標準尺や長尺の4枚折り戸のワンステップ車が導入されている。ノンステップ車は都内、千葉県内とも積極的に導入が進められているほか、低公害車としてCNG車やハイブリッドノンステップ車も導入されている。
比較的利用者の少ない路線や狭隘道路を走る路線では、中型車両も使用されている。都内用は前中車。千葉県用はワンステップになるまで市川営業所の中国分線で使用される車両以外は乗降方法に拘わらず前後車だった。このうち、市川営業所の中国分線で使用される車両は、他の中型車と比べて全長がより短い。また、中型車をベースに全長を大型車並みに延長したタイプの車両も船橋営業所(現在の習志野出張所)、長沼営業所、松戸営業所などで導入されている。
塗装は一般路線車、高速路線車とも白色、青色、赤色の3色をまとうのが基本で、色調がやや異なるが京成電鉄の電車と近いイメージカラーとされている。一般路線車の塗装は、白色・青色をベースに、窓下には青帯の下に細い赤帯を巻くもので、この塗装は京成電鉄時代から引き継がれている。ただし、新都心営業所の一般路線車は一部を除き、白色地に青色でカモメを配し、「KEISEI」と書かれた文字を入れた独自の塗装となっている。最新の高速路線車は側面に青色、赤色でアルファベットの「K」をイメージして描いているが、スリット状に細い白線が入る。
千葉市西部の京成千葉線、JR総武線幕張本郷駅とJR京葉線海浜幕張駅周辺を結ぶ新都心幕張線(新都心営業所所管)は、千葉運転免許センターや幕張メッセ・千葉マリンスタジアムなどに向かう需要に加え、幕張新都心への進出企業の増加に伴い、1990年代から利用者が急増した。京成では、この路線に全長のやや長い3扉の車両を多数配置し、頻発運行していたが、ラッシュ時を中心に混雑が大変激しく、増便による対応も限界に達しつつあった。このため、輸送効率の根本的な改善を目的として、1998年(平成10年)にボルボ製シャーシの連節バスを10台導入し、運用に充てていた[37]。
この連節バスは、全長18メートル、定員140名で、一般路線用の連節バスとしては日本初のものである[37]。シャーシはボルボB10Mを使用し、車体は日本の富士重工業が製造を担当し、接合部以外は一般の路線バスと大差のない外観をしている[37]。なお、海外メーカ製でほぼ同一サイズの連節バスとしては、2005年(平成17年)に神奈川中央交通(以下「神奈中」)で導入された「ツインライナー」[注釈 4]があるが、そちらはボディも海外で施工しているため、外観上の印象が大きく異なっている。
カーブでは第3軸の車輪がハンドルを回した方向とは逆に動き、第2軸の軌跡を追う仕組みとなっており、内輪差が大きくなることを防いでいる。このため、通常の大型バスと同じ様な感覚で運転でき、乗務員は大型2種以外の特別な運転免許を必要としない。ただし、全長が法規の想定以上に長い事から、営業運行できるのは特例により許可を得た新都心幕張線に限られている。
なおこのバスが運行する幕01系統の路線バスでは、2006年(平成18年)3月より千葉ロッテマリーンズの選手たちの車内アナウンスを聞く事ができ、多くの注目を集めた。2021年(令和3年)現在では荻野貴司、唐川侑己らが車内アナウンスを担当している。なお、過去においてはボビー・バレンタイン、ベニー・アグバヤニ、マット・ワトソン、今江敏晃、渡辺俊介、成瀬善久、大松尚逸らが担当していた。
ボルボ製の連節バスは排出ガス規制への適合の関係から、2010年(平成22年)2月19日より順次置き換えられた[38][39]。2代目となる車両は2008年以降神奈川中央交通で導入実績のあるメルセデス・ベンツ・シターロで、同社で導入されている車両と同様に車体幅2.55m[39] のノンステップ車両である[注釈 5]。車両愛称は「シーガル幕張」。[39]、これまで使用してきた10台を全て置き換え、2010年度内にさらに5台が増備された[39]。引退したボルボ車はジェイアールバス関東・鹿児島交通に譲渡されたほか、京成バスでも1台が保存されている。
2021年(令和3年)3月30日からは3代目となる日野ブルーリボンハイブリッド連節バス(いすゞエルガデュオの同型車)が2台投入され、シターロの置き換えが始まっている。
京成バスの車両には、1ケタの英字+3ケタの数字あるいは4ケタの数字がついている。この番号を、車両番号として各車両の管理に使用している。
ここでは、4506号車を例にとる。
4 | 5 | 06 |
---|---|---|
営業所 | メーカーと用途 | 通し番号 |
所属営業所別の記号(1ケタ目)は下記の通り。
1は東雲車庫を含む。
なお、2ケタ目のメーカーの附番のくせは営業所によってまちまちである。
3・4ケタ目の通し番号は、2ケタ目と併せて基本的には00(01のところもある)~99と連番で振られていく。ただし、42と49は忌数であるため欠番となる。なお、こちらも2ケタ目と同じく附番のくせは営業所によってまちまち。
以上の法則から「4506号車」は新都心営業所所属の日野車500番台の06号車となる。
京成バスグループで役目を終えた車両は全国の地方事業者に譲渡されている。1992年(平成4年)以降に首都圏が使用車種規制地域に指定され、車両のライフサイクルが短くなったことなどから近年は増加している。譲渡先として、関東鉄道などのグループ会社ほか、茨城交通・川中島バス・鹿児島交通・熊本都市バス・北海道中央バス・京福バス・備北バス・中鉄バス・中鉄北部バス・東陽バス・那覇バスなど、グループ外の事業者にも譲渡されている。
なお2010年(平成22年)の連節バス置き換えに際しては、自社Web上でボルボ製連節バスの売却についての案内が掲載され[40]、2011年(平成23年)9月現在、鹿児島県鹿児島市内のいわさきバスネットワーク、および福島県白河市内のJRバス関東白河支店に各4台譲渡されている。
また、一部の車両はミャンマーなど海外にも輸出されている。
京成バスをはじめとする京成グループ各社の貸切バスには、共通のカラーリングと共に「KaNaC」という統一ロゴマークが使われていた。これは、「カナック」と読み、
の略である。また、
のように、各アルファベットがグループ会社名の頭文字にもなっている。
新貸切共通色では「KaNaC」表記は廃されている。新貸切共通色は新車に限らず、車体更生と同時に塗装変更した在来車もある。旧共通色から新共通色に塗装変更されてからグループ内で転属した例もある(京成バス奥戸営業所1060号車→船橋新京成バス鎌ヶ谷営業所1060号車など)。
東京都内の営業所はレシップ製(2018年まではサクサ製を使用していた)、千葉県内の営業所は小田原機器製を使用している。
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