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日本の俳優 (1930-2009) ウィキペディアから
奥村 公延(おくむら こうえん、1930年〈昭和5年〉3月31日[4][5][6][7] - 2009年〈平成21年〉12月24日[1][6][7])は、日本の俳優。本名及び旧芸名は奥村 進[4][1][6]。
秋田県出身[4][6]。専修大学卒業[4][6]。現代制作舎に所属していた[4]。 自主制作映画団体オミプロの主催者の小美濃たつやは彼の弟子にあたる。
もともとは普通に勤め人をしていて、「このまま自分は淡々とした人生を送って行くんだろうなと思っていた」という。1955年、銀座にたまたま行きつけの飲み屋があり、ここの女性従業員が新劇劇団「近代劇場」のプロデューサーと知り合いだったことから、このプロデューサーからテレビ番組の『ダイヤル110番』(日本テレビ)での役探しを頼まれ、奥村を紹介したところ、これが俳優デビューとなった[5]。「芝居の“し”の字も知らなかったし、役者になれるともなろうとも思っていなかったが、やってみると面白く、そのままこの世界に入ることになった」と語っている[5]。
早速この劇団のプロデューサーに入団を申し込んだが、「とにかく食っていけませんよ」と念押しされた。独身だったので構わず入団したが、入ってみるとこの劇団は難しい芝居ばかりで、もっと大衆的なものを演りたかったことから2〜3カ月で辞めることになった[5]。
「近代劇場」退団後、いくつかの劇団を転々としたが、「最初に言われた通り、本当に食っていけなかった」という。その後、さまざまな劇団から呼ばれたり、事務所にかけもち所属してテレビに出たりという生活を続けた。河津清三郎らが所属していた「第一協団」に入ったこともあったが、「無名の役者を売るのは疲れる」と言われ、1年でクビになったこともあった[5]。
この年、『ゴジラの逆襲』(東宝)に群衆役で出演。ゴジラから逃げ惑う役をもらい、うれしくて親戚に電話をしたが、劇場で観たところ、怪獣ゴジラとの対比で人間が小さすぎて、自分でもどこに写っているのかわからなかったという[5]。
創生期のTBSのドラマに数多く関わり、飯島敏宏監督のもと、1961年の『月曜日の男』に多数ゲスト出演[5]。TBSでは『ウルトラQ』や『ウルトラマン』など、ウルトラシリーズ(円谷プロ)にも出演した[5]。奥村は飯島について、「自由に演らせてくれる監督で、鈴木清順と同じく、役者のいいところを引き出してくれる。現場の雰囲気もとてもよく、印象に残っている」と語っている[5]。達者な動きから、1967年の『ジャイアントロボ』(NET・東映)では、被り物をつけて宇宙怪物「吸血鬼ドラキュラン」を演じた[8]。
1971年の『仮面ライダー』(毎日放送・東映)では、ゲスト出演作である第10話「よみがえるコブラ男」がちょうど主演の藤岡弘が撮影現場で事故で重傷を負った回に当たり、このときちょうど奥村はロケバスで待機中だった。事故の一報を聞いて現場に駆け付け、「救急車!」と叫んで駆け回ったという[5]。
1984年、『お葬式』では、最初に監督の伊丹十三から脚本を一読させられたあとに「何の役だと思います?」と聞かれ、伊丹から「死体の役ですよ」と言われた時はびっくりしたという[5]。この死体役を演じるために練習を重ね、数分間息を止められるようになり、結果的にこの努力が高く評価されて「日本一の死体役」と絶賛された[1]。共演の笠智衆からは「この映画の主役はあなたですよ、ラストシーンはあなたのアップでしょう」と言われたという[5]。「長年役者をやってきたけど、この役をやってから、やっと食えるだけのギャラがもらえるようになりました」と述べている。
2001年の『BROTHER』では、初めてヤクザの親分を演じた。北野武監督からは「奥村さんはそのまま何もしないでいいですよ、ホントのヤクザの親分は奥村さんみたいなんです」と言われたという[5]。
2002年、NHK総合テレビの『スタジオパークからこんにちは』に出演。特技のドラム演奏を披露したり、浴衣で踊る姿が反響を呼び、この年から全国各地の福祉施設の依頼を受けて公演に回った[5]。「無名時代はそういうお声は全くかからなかったんですけどね」と語っている[5]。
アクの強くないタイプで、小市民役を得意としていた(マンションの管理人役などは非常に多い)。
2003年の『爆竜戦隊アバレンジャー』(テレビ朝日・東映)に、杉下竜之介役で出演[5]。同作の映画版『爆竜戦隊アバレンジャー DELUXE アバレサマーはキンキン中!』では、ビキニ姿にされるシーンがあり、「これは見どころではないでしょうか」と語っている[9]。
2009年12月24日午前3時27分、東京都武蔵野市の病院で呼吸器不全のため死去[1][10]。79歳没。2010年1月公開の映画『アイ・アム I am.』、同年3月公開の川端康成原作オムニバス映画『掌の小説』が事実上の遺作となった。
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