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1956年の野球

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1956年の野球(1956ねんのやきゅう)では、1956年野球界における動向をまとめる。

競技結果

日本プロ野球

ペナントレース

1956年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ82444 .651優勝
2位大阪タイガース79501 .6124.5
3位中日ドラゴンズ74560 .56910.0
4位国鉄スワローズ61654 .48421.0
5位広島カープ45823 .35437.5
6位大洋ホエールズ43870 .33141.0
1956年パシフィック・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位西鉄ライオンズ96517 .653優勝
2位南海ホークス96526 .6490.5
3位阪急ブレーブス88642 .57910.5
4位毎日オリオンズ84664 .56013.5
5位近鉄パールス68824 .45329.5
6位東映フライヤーズ58924 .38739.5
7位大映スターズ57943 .37741.0
8位高橋ユニオンズ52984 .34745.5

日本シリーズ

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できごと

1月

2月

3月

  • 3月6日 - パ・リーグは畑隆幸の西鉄ライオンズと南海ホークスとの二重契約の問題に関し、「畑投手は西鉄に所属する」という裁定を発表[3]
  • 3月21日
    • プロ野球のセントラル・リーグ、パシフィック・リーグの公式戦が開幕[4]
    • 南海ホークス穴吹義雄大阪球場での対阪急戦で、2対2で迎えた9回裏の先頭打者で新人では史上初の開幕戦でサヨナラ本塁打を打つ。
  • 3月25日 - 読売ジャイアンツ樋笠一夫が後楽園球場での対中日ドラゴンズ戦ダブルヘッダー第2試合の3回戦の0対3で迎えた9回裏1死満塁の場面で代打で起用され、史上初の代打サヨナラ逆転満塁本塁打を打つ[5][6]
  • 3月27日 - 大阪の小山正明が対広島4回戦で、プロ野球タイ記録となる初回先頭打者から7者連続三振[7]

4月

5月

  • 5月2日 - 阪神の選手兼監督の藤村富美男が甲子園球場での対大洋6回戦の八回裏に代打で出場し、プロ通算1500試合出場を達成[12]
  • 5月3日 - 国鉄スワローズ大脇照夫が中日球場での対中日戦ダブルヘッダー第2試合の9回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[13]
  • 5月6日 - 大洋の青田昇が川崎球場での対広島戦ダブルヘッダー第1試合の6回戦の8回裏に6号2点本塁打、第二試合の9回戦の第1打席から第3打席にかけて本塁打を放ち、プロ野球新記録の4打席連続本塁打を記録[14]
  • 5月9日 - 阪神の金田正泰が川崎球場での対大洋10回戦でプロ通算1500安打を達成[15]
  • 5月12日
    • 阪神甲子園球場での初ナイターとなる阪神対巨人7回戦が行われ、4対1で阪神が勝利[16]
    • 近鉄の木村勉が奈良での対南海4回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[17]
  • 5月19日 - 東映の米川泰夫が駒沢球場での対阪急5回戦に先発し、一回表にロベルト・バルボンから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[18]
  • 5月20日 - 広島総合球場での広島対巨人ダブルヘッダーの第二試合が終了し、三塁ベンチに引き上げた巨人選手に対し三塁側のベンチの観客の一部が巨人の選手に対して物を投げつけ、ビール瓶が巨人の木戸美摸の右足に当たり負傷する[19]
  • 5月31日 -巨人の川上哲治が中日球場での対中日11回戦の8回表に中山俊丈から安打を放ち、プロ野球史上初の通算2000安打を達成[20][21]

6月

  • 6月2日 - 大映スターズの監督の藤本定義が大映本社に大映社長の永田雅一と球団代表の松浦晋に対し辞任を申し出る[22]
  • 6月5日 - 大映はコーチの松木謙治郎が監督代行となることを発表[23]
  • 6月17日 - 南海の木塚忠助が駒沢球場での対東映9回戦で二回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[24]
  • 6月20日 - 川崎球場での南海対高橋9回戦で南海が高橋に4-1で勝利し、球団創設1000勝を達成[25]
  • 6月24日 - 阪神の選手兼監督の藤村富美男が甲子園球場での対広島6回戦の9回裏二死満塁の場面で登場し、巨人の樋笠一夫に次いで2人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打となる4号本塁打を打ち、4-1で阪神の勝利[26]
  • 6月28日 - 甲府で行われた巨人対大洋18回戦は延長18回に及び延長18回裏巨人が南村侑広のサヨナラ適時打で8-7で勝利[27]

7月

8月

  • 8月4日 - 巨人の岩本尭が川崎球場での対大洋19回戦の四回、五回、六回表と3イニング連続で3,4,5号本塁打を打つ[34]
  • 8月5日 - 第27回都市対抗野球大会の決勝戦が午後7時2分から後楽園球場で行われ、横浜市代表の日本石油が東京代表の熊谷組に3対2で勝利し、初優勝を達成[35]
  • 8月20日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、京都府平安が岐阜県の岐阜商に3対2で勝利し、1948年第33回)以来5年ぶり3度目の優勝を達成。
  • 8月23日 - 中日の西沢道夫は川崎球場での対大洋ダブルヘッダー第2試合の16回戦の4回表に二塁打を放ちプロ通算1500安打を、また6回に5号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[36]

9月

  • 9月2日 - 高橋の飯尾為男が川崎球場での対西鉄18回戦に先発も敗戦投手で今季15敗目となり、パ・リーグ新記録となる12連敗[37]
  • 9月14日 - 中日の西沢道夫が川崎球場での対大洋20回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[38]
  • 9月19日
    • 国鉄の宮地惟友石川県営兼六園野球場での対広島ダブルヘッダー第二試合の24回戦に先発し、プロ野球史上3人目の完全試合を達成[39]
    • 阪急の河野旭輝が西宮球場での対毎日20回戦の二回裏に二盗、三盗を決め、南海の木塚忠助の持つシーズン最多盗塁78を更新する79盗塁[40]
  • 9月23日 - 巨人は広島球場での対広島戦ダブルヘッダー24、25回戦に6対2、3対2で連勝し、2年連続5度目のセ・リーグ優勝が決定[41]
  • 9月30日 - 【MLB】ブルックリン・ドジャースがピッツバーグ・パイレーツに8対6で勝利し、ナ・リーグ優勝が決定[42]

10月

11月

  • 11月11日 - 大阪の一部選手が、藤村監督退陣を要求する( 藤村排斥事件)。
  • 11月19日 - 中日の球団代表の中村三五郎が病気療養のため辞任、新代表に平岩治郎が就任[50]

12月

  • 12月1日 - 阪急は午後1時半より大阪市北区梅田シルバーグリルにて藤本定義が監督に就任したと発表[51]
  • 12月3日 - 福岡県建築部は福岡市に対し同市が所有する平和台球場の設備を至急改善と、従わない場合は使用禁止とすると勧告[52]
  • 12月4日 - 大阪は代表の戸沢一隆が阪神電鉄本社にて監督の藤村冨美男の留任と、藤村の退陣を要求した選手のうち、金田正泰真田重蔵と来季の契約を結ぶ意思がないと発表[53]
  • 12月12日 - プロ野球実行委員会が午前11時より東京会館にて行われ、毎年行われるアメリカ・メジャーリーグのチームの招待が多すぎるとして、来年度は中止し主催者の読売新聞社、毎日新聞社に対し1958年度以降は1年おきに招待するよう要望することを決定[54]
  • 12月29日 - パ・リーグは急死した総裁の猪子一到の後任に近鉄社長の佐伯勇が就任すると発表[55]
  • 12月30日 - 大阪は監督の藤村冨美男を巡って対立を続けていた球団側と選手側が大阪市梅田の阪神電鉄本社にて話会いを行い両者は歩み寄りして和解し、午後3時より球団代表、藤村監督、金田の3者が声明文を発表[56]
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誕生

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

死去

脚注

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